HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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レコード・プレイヤー
2022/09/02

私のプレイヤーは3台ある、だが、どれもどこか不良であり、或るいはどこか気に入らない部分がある。
例えば、プレイヤーのスイッチの動きが悪いもの、アームの不具合、キャビネットと機械が治まりが悪いなど、ちょっとづつ不満があった。

それを知り合いの修理屋さんに話したら、じゃあ、やってみようというので、治して下さった。

それで、帰ってきたSME3009のアーム、いや、アームでは無くてトーンアームと言わないとね。
後ろの「重り」の部分、いや、ラテラル・バランサーと言わないとね。まあいいや。

その重りの部分が垂れ下がっていたのが、気になって仕方がなかったのだ。
SMEのアームは後ろの部分が、重りの重量に対してパイプ部分の強度が足りない事はマニアの間では知られている。
ちょっとの運搬でも垂れてしまうのである。
特に車での運搬は気を付けないといけない。

私はSMEが2本あるのだが、2本とも垂れてしまっていた。
それを治していただき、ベアリングの交換や、アーム内のケーブルの交換もしていただいた。

帰ってきたトーレンスとアームをセットした。
しみじみと見れば、トーレンス124はこじんまりしているので、箱も大きくならない。出来上がりがコンパクトでホーム・ユースという感じが出て本当に素敵である。目でも楽しみながら久しぶりに聴いた。

キース・ジャレットのケルン・コンサートを聴いたあと、これを聴かにゃなるまい!と取り出したのは、ここしばらく聴いていなかった、エルジー・ビアンキ(Elsie Bianchi)のスイーテスト・サウンド(The Sweetest Sound)。
ピシッとした良い音色であった。
冒頭のTeach Me Tonightなどは、シンバルの音と言い、ピアノの音と、それと彼女の声が見事。
惚れ惚れしてしまった。

映画の中のオーディオ
2022/09/01

今日のCS日本映画チャンネルでやっていた映画「庭の椿」。
金持ちの女性の老後の話で侘しい物語である。

ところで、映画は個人的には今一つであった。
韓国の俳優の表情・仕草がセリフとちょっとちぐはぐであったし、言い方が気持ち悪かった。
日本人だけで作れなかったか?

と、それはどうでも良い。
初めから見ていなくて、パチパチとやっていたら、映画をやっていて、まだ最初の方であったらしい。
そこで、正にちょうどピッタリ!
往年の良質のオーディオが出てきたから。
プレイヤーはトーレンスの124、カートリッジはオルトフォンであった。
スピーカーはエレクトロ・ヴォイスのジョージアン、だと思った。
一瞬しか見れなかったので自信はないが、たぶん間違いないと思う。
そこで、流れて来るのが、アメリカのコーラス・グループのブラザーズ・フォーの「トライ・トウ・リメンバー」。

ここの部分だけで、主人公の老婆が、正に戦後の良い時代を生きた事が伝わるのであった。

ゴミの分別
2022/08/30

横浜市は、プラゴミを生ゴミと分けることになっている。

一度、テレビで清掃局のプラゴミ処理のシーンを見た。持ち帰ったプラは、純粋なプラか汚れが付着してリサイクル不能なプラかを、係員が種分けしているのをやっていた。
横浜の話かどうかは忘れた。
しかし、きっと何処も似たり寄ったりであろう。

それで、プラゴミを、私は綺麗に洗って出すようにしている。
そうしていて気が付いた、プラマークが付いているゴミをそれなりに合致した条件で出そうとすると、結構、洗浄しなければならない。
気が付くと、私は食器用洗剤でスポンジで一生懸命に洗っていた。

ちょっと待てよ、幾ら水道代がかかったのだろう?
悔しくなった。

分別なんかしねえで、生ごみで良くねえ?
でも失業対策なら まあ良いか?

フュージョンのレコード
2022/08/29

暇なので、普段聴かないレコードをちょこちょこ聴いていて、アール・クルー(Earl Klugh)のブルーノート盤も聴いた。
それで、思わずあまりの音の良さにびっくりしてしまった。
もちろん、売れないジャズと違って、フュージョン・アルバムは売れ行きの数が違うのは明白、レーベルとしても大いにお金をかけたであろう事は理解できる。
それにして録音は誰だっけ?と見れば、そうだ思い出した「ラリー・ローゼン(Larry Rosen)」という70年代後半のフュージョンの世界で幾多の名盤を作り出した人だった。当時はちょっと有名になっていたのだった。
私など、もうほとんどフュージョン等聴かないので、全く忘れていた。
音はワイドレンジでしかも骨はある、煌びやかで澄んだ綺麗な音色である。

そう言えば、色々思い出すのだが、マルチトラック・レコーディングというのはこの頃から始まったのではなかったか。今となっては当たり前だが、ダイレクト・カッティングなどが始まって高音質、高音質と、騒いでいる内に、あっという間にマルチ・トラックが主流になっていったのではなかったか?
この高音質が必須条件あればこそのフュージョンではなかったか?
何しろ、その音は爽やかさが感じられてこそで、それこそ初夏の涼しげな潮風が二人の身体を包み込むような風景が思われる音楽だもの、細部まで気を利かせた音作りが絶対だったのだな。

しかし、好景気に向かっていた時代は、音楽も華麗になって行ったのだなあ。

本の読み方
2022/08/26

本はよく読む。
ただ、必死に読んで早く片付けるかのような気持ちで読んでいたものだが、最近は、一遍に読み終わらないように、というのか、途中でやめる。
そこで、もう一冊の読みかけの本を読む。
そうやって読みかけの本が、常に3冊ほどある。
それが何だか気持ちが良い。

本に向かうと、ノンフィクションであろうと小説であろうと、すっと本の世界に入る。
ページを閉じれば、また現実の世界に戻る。
おまけに、読んでいると、胸の内が暖かい。

きっと、そうやって三冊ほどの本を入れ替えているのが、心の暖かさを保つ工夫になっているのが、自分で上出来な気分の良さなのだ、と思う。

昨日のコーヒーつながりで
2022/08/24

コーヒーの美味しさと何かと、いろいろ試して考えた。
かつて、あちこちの名店と言われる店にも通った。

原宿の天皇陛下の駅近くのアンセーヌダングル、店の名前は忘れたが井の頭公園の中のカフェ、銀座のランブル、と三大コーヒー専門店と言われる話も聞き、通った。
どれもしっかり濃いめに入れたコーヒーで、確かに見事な美味しさだった。

さて、それを自宅でやろうとすると、どれもうまくいかなかった。
その豆を買って帰っても、美味しさには違う。
色々頑張ってやっている内に、徐々にいい加減になってきた。
ミルは2千円くらいの安いのになったし、ネルは使わなくなり紙になった、兎に角 面倒でない、取り扱いが楽な淹れ方になった。

私にとって、さっぱりして、苦みが残らないのが最良になった。
家内などコーヒーを飲むとトイレが近くなるというので、アメリカン・コーヒーやデ・カフェでも好ましくなった。

歳なんだわさ。
いや、それが一番美味しく気軽に飲めるのが良い。
これからはパーコレーターにでもしようと思っている。

街の喫茶店
2022/08/23

思うに、私はコーヒー好きなのであろうか?
良く考えると、コーヒーは好きだが、その物よりも実はもっと喫茶店が好きなのではないかと思い至るのである。
それでもコーヒーが飲めないようでは、話は始まらない。

かつて伊集佳代子さんの「シャバダー、シャバダー........」で始まるネスカフェのTVCMで、インスタント・コーヒー・ブームが起こり、田舎に住んでいた高校生の私も友人の手前、見栄を張って飲んだインスタント・コーヒーの苦さ、その苦さを克服してこそ大人への第一歩、そう信じて私のコーヒー好きは無理矢理に修行の如く始まった。
コーラが14歳、コーヒーは17歳。
あたかもジャズ好きになった第一歩もまったく同じ行動であった。しかし、学問にはその修行と言うか、我慢しても勉強するという域に達する事が無かったのは今さらながら、実に残念な気がする、モトエ。

私の若かりし頃、街に喫茶店がたくさんあった。
従って人に遭えば「ちょっとお茶でも」と、何かと喫茶店に行った。
学生同士でも、彼女とも、いや彼女でなくても異性との会話はほとんど喫茶店に限られていたし、就職した後でも会社での昼食は1時間の間に必ず千円以内で、昼食と喫茶店がセットになっていた。
飲みに行った後は〆で喫茶店に行った。
特に土曜日、半ドンのあと、同僚たちと数人で喫茶店でしゃべっていたのは今更ながら楽しい思い出となった。
以来、人生の50年以上、喫茶店に行かない日はないような気がするのである。

家にいる時も、3時になれば、もちろん家内とコーヒーも飲みましょうという事になるが、家内がちょっと仕事やら音楽の稽古でも始めれば、これ幸いと急いで着替え、ちょいと駅近くのカフェに出かける。そこで30分から1時間ほど本を読むのが何とも幸せなのである。
ただ、この青葉台辺りはみなチェーン店になってしまい、個人の喫茶店というものがない。
スタバのコーヒーなど、飲むものかと思っている。
個人のカフェなどが無い街は、大人のための街ではない。

喫茶店よ永遠なれ!

Lee Wileyを聴く
2022/08/22

今日は、ちょっと気分が優れなかったので、何を聴こうかと散々考えた挙句やっと取り出したアルバムは、Lee Wiley(リー・ワイリー)のDuologue(Storyville STLP 911)。
タイトルがデュオローグというくらいだから「二人の対話劇」と言う事になる。
相手は Ellis Larkins(エリス・ラーキンス)である.。
だが、二入で演奏しているわけではない、彼女の歌とアンサンブルが8曲で、エリス・ラーキンスのピアノ・ソロが4曲となっている12インチLPである。
彼女のメンバーはRuby Braff(ルビー・ブラフ)とJimmy Jones(ジミー・ジョーンズ)による。
このアルバムは10インチ盤2枚のカプリングなのである。彼女の10インチは名盤の誉れ高いSings Rodger and hartという。エリス・ラーキンスの10インチはPerfume and rainという、こちらからは4曲のみのピックアップに留まる。
しかし、聴いていると実にうまい具合に、歌とピアノと互い違いに、心が和むように進行するのである。

ライナーノーツに書かれているとおり、「椅子に座って聴いている音楽マニアにとって心温まる機会になるであろう」となるはずである。
彼女の声は、セクシーであってそっけなく、悲しみがあって暖かく、ジャズボーカルでもなくてジャズっぽくて、矛盾した不思議な雰囲気を備えた震える声の、実に天才的な歌手である。
あえて言えば、往年の黒人歌手ではビリー・ホリデーに対して白人ではリー・ワイリーである、と言いたいのであるが、彼女は亡くなった時にインディアン居住地に埋葬されたというから白人歌手と言ってよいかどうかは、私は言及しない。
そもそも近年は白人だの黒人だのと書けない時代に入って来ている。

しかし、今の時代も変わることはない心に沁みるアルバムである。

サルスベリが満開でロマンチック
2022/08/21

百日紅が満開になって、ちょっとロマンチックな気分で日記を書いたら、こんなんなった。


今年もサルスベリが満開です
この辺りは、昔は庭にあまりサルスベリなど植えている家も少なかったのですが、最近は 流行っているかのように あちこちの家に植わっています。もう珍しい花でもありませんが、八月は庭木の花の少ない時期なので、植木の好きな人に好まれるのでしょう。
でも、幹の太さ、花の房の大きさ、淡いピンクの色は珍しく、枝垂れた花は、我が家の自慢になっているのです。

この間も 近所のおばさんが この街の名物だとお世辞を言ってくれました。
嬉しくて お茶を飲みに来てって言ってしまいました。

と言うわけで 我が家の住所は 青葉区サルスベリ町1丁目1番地と言います。
もっとも、わずか200平方メートルだけの町なのです。
小さくとも、以前は猫1匹とキジバト1羽だけの動物園もありました。残念ながら動物園は閉園になってしまいましたが、気が向いた時だけ開店するジャズ喫茶は今も細々と続いています。
どうぞ いらして下さい。

映画「The Babe」
2022/08/19

NHK・BSでベイブ・ルースの伝記映画をやっていた。
しかし、才能と言うものは人によって大変に異なるもので、しかも、突出した人もいるものだとつくづく感じた。
毎日、正に酒とバラの日々であって、ほとんど寝ずに遊び歩きそれで結果を出す人間もいる。
それも20年間に及ぶ現役選手であったのだから。

ベイブ・ルースは、当時のレコードプレイヤー=要するに78回転SPなのだが、回っている盤のタイトルや演奏家の文字が読めたという。
我々は33回転の文字も読めるか読めないかという鈍才なのだから、その才能には「恐れ入り谷の鬼子母神」である。

私が言いたかったのは、それだけ。









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