HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 青江三奈のCD The shadow of love | - 2026/04/01
- 青江三奈 “THE SHADOW OF LOVE” ビクター( CD )VICJ-182 (日本)
以前、book-offで購入しておいたものを、何気に本棚で見つけて聴いてみたら、非常に良かったのでメモ代わりに書いておこう。 このアルバムは、近年レコードで再発されるまでCDオンリーだったようだ。 曲がとても凝った作りで感心しっぱなしであった。
曲目も往年のファンに嬉しいSentimental journeyはじめ,Cry me a river, It’s only paper moon, The man I love, Love letter,等々続き、自身のヒット曲2曲もサービスという、念の入れよう。
参加のミュージシャンを見てもっと驚く、Mal Waldron, Freddy Cole, Grover Washington Jr, Eddie Henderson, Jim Powell, Ted Nash, George Mraz, Billy Hart,等々凄い人選で、知らない人がいない!。 マルのアレンジもピアノも抜群で、また兄ナットキング・コールのヒット曲を弟のフレディと歌ったり、グローバー・ワシントンのムーディーなサックスを効かせたり、まさにアメリカのジャズ・ボーカル作品のようで感心する。 さらに英語の歌詞に変えた、伊勢佐木町ブルースをBourbon street bluesにしたり、本牧ブルースはマルのアレンジもあって、実に見事!
こういう日本人歌手がジャズを英語で歌うと、観客の多くは待ってました、とばかりに英語の発音がどうの、皆さんケチを付けておるのだが、ケチを付けるほど悪いわけではない。 また、青江三奈だからか、お色気タップリなどと書いているのだが、そんなに色気が出ているわけではなく、優しさと丁寧だと言いたい。
とにかくジャズ・ボーカルとして風情が抜群の良い作品で感心した。 しばらく、私の常設の棚に入れよう。
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| 春は別れ | - 2026/03/31
- 3月に、桜は咲けれど、別れの季節。
思えば、中学を卒業した時から始まって、友との別れあり、可愛かったあの子は親の転勤で遠くへ行ってしまった。 中学を終えると、進路はそれぞれで、別れ別れになってしまった。 高校でも卒業すれば更に、友はチリジリになり、もっと遠くへ行った。
卒業式と言えば「蛍の光」と「仰げば尊し」もあまり歌わなくなったという。 確かに尊敬される先生も減っているから、そんなことであろうか?
しかし、いずれにせよ、常に3月には別れが付いて回る。 今日は桜が満開だったが、風雨は強く、すでに散り始めた。 桜が咲くと必ず言っていいほど、嵐が来る、横浜では猛烈な強風であった。
鼻に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生さ!
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| 顔面打撲 | - 2026/03/28
- 4・5日前の事、友人と町田を歩いていて、マンホール蓋につまずいたらしく、転倒、防御も空しく、膝、手、顔面、と地面にしたたかに打ち付けた。
友人と通り掛かりの女性も助けてくれ、絆創膏を貼ってもらって家に帰った。 病院の検査結果も良好だったが、何しろ、まだ膝は腫れていて痛いので杖を必要としているし、目の上は傷が塞がったが内出血が誠に恥ずかしい。
病院で言われた事は、足が上がっていないからだと。 ちょっと頑張らないといけない。 なんだかなあ
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| 通販リストの更新 | - 2026/03/26
- お世話になっております。
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| レーベルの事, ニッパーやエンジェル | - 2026/03/21
- レーベルのマークでもっとも有名なものは犬のマーク、ニッパー君で、なんと1900年頃だという。
ニッパーという名の犬が蓄音機のラッパの前で耳を立てている絵柄である。 ニッパー君は1895年に11歳で亡くなっていて、フランシス・バロードという画家のフォックステリアで、蓄音機の前で耳を傾けている絵の題名を「His master’s voice」と付けたという。 Victorが権利を取ったので、以後Victorの商標となり、英国ではレーベルにHis Master’s Voiceとし、各国の言葉で、例えばフランスならVoix son Maitre、イタリアではLa voce del padroneとなり、略してHMVとなった。
しかし、その以前にも絵柄のマークが存在した。それはエンジェル・マークであって、レコード盤の上に天使が乗って羽根ペンで音溝を刻んでいる可愛らしい絵柄である。 その後も、エンジェルのレーベルはクラシックの東芝盤で見ることはできる。
だがすっかりニッパーの独壇場となり、すっかりレコードのイメージと重なってしまった。 日本でもかつてレコード屋の店先にはビクター犬の置物がドンと構えていたのである。 私も当店を開いた際、ビクターの大きな置物を置こうとしたのだが、ビクター音楽産業は既にそのような販促品の貸出を止めていたので入手は困難になっていた、骨とう品屋で購入することは可能だったが、非常に高額だったので私も諦めたのである。
そういえば、日本ビクターの録音スタジオが青山にあった時、建物の玄関先にニッパーの銅像が置いてあった記憶がある。あれはどうなったのかな?
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| Karin Krog “Jazz Moments” | - 2026/03/17
- Karin Krog “Jazz Moments” Sonet 1404 Norway
非常に珍しいボーカルの一枚。 ノルウエー盤のオリジナルは殆ど見ることはない、レア盤。 1966年録音で、薄い紙に印刷されたジャケットは二つに折って、ビニールに入れられている、言うなればブラジルのアルバムのような造りである。 モノラルで、盤は厚く硬い、初期の赤いラベルで真ん中にヘコミがあって、なかなか風格を感じさせるものがある。 彼女は64年にPhilipsからBy Myselfというアルバムを出していて、まだフリージャズの雰囲気は出ていないが、十分芸術性は感じられ、日本でも評論家にも高い評価を受けた。そして第2作目が当作になる。
この時のメンバ−が凄い、羅列すると、Kenny Drew(p), N.H.O.Pedersen(b), Jon Christensen(ds),そしてテナーにJan Garbarekなのである。 デンマークに拠点を移したケニー・ドリューの参加はジャズの醍醐味が出ているし、ペデルセンのスイングしているベースは見事だし、ヨン・クリステンセンのドラムもガルバレクもしっかりした演奏で、その後ECMで大活躍し高い評価を得、多くのファンを獲得するのである。 よくぞ揃えたと思えるメンツである。 彼女のボーカルは癖が強いと言えばその通りであるが、ベルースの気だるさ、絶妙なスイング感、不思議な哀愁が入り混じった歌で、選曲はすべてスタンダードであるが、その表現は個性的で、この後、個性は更に成長するのである。 従って、当アルバムは非常に興味深いものがある。
彼女はノルエー本国においては国を代表する、圧倒的なジャズ・アーティストとなったのである。
今回、入荷したアルバムは綺麗である、長く聴いていなかったせいか、B面に若干チリ音があるが、 モノラル針であれば、ほとんど気になることはない。
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| 通販リストの更新 | - 2026/03/16
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| The Beatles “Abbey Road” | - 2026/03/13
- The Beatles “Abbey Road” Apple PCS7088 (India)
ちょっと珍しいレコードの入荷。 インド製のビートルズのレコード、アビーロード。 ほぼ同時期のプレスらしい。 The gramophone company of India limited Dum Dum ・ India と裏ジャケに記載がある。
ラベルはアップルであるが、ジャケットは厚紙でコーティングはない。 音質は良好。 私もインド・プレスのビートルズは初めて見た。
コレクターズ・アイテムとでも言おうか。
¥12,000.-
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| 大震災 | - 2026/03/11
- 15年前、3月11日東北大震災があった。
そして原発事故につながり、その反発があり、そこを左翼が利用し、以後原発稼働に苦労している。 ニュースではEUは、中東危機により石油に依存し過ぎだったと、今後、原発の利用に前向きの姿勢を見せ、フランスの大統領は原発の優位性を訴えた。 日本はどうする。役に立たない太陽光発電にしがみつくか?
思えば3月11には東北震災があった。 3月10日は東京大空襲があった。 このあたりは、どうも日が悪いね。
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| 戦争の責任 | - 2026/03/10
- 戦争と言えば、もう一つ残念だった事。
アメリカによって、真珠湾攻撃で日本人は卑怯者というレッテルを貼られた事。
当時の日本の外交官の愚かさが、単なる開戦を奇襲攻撃にしてしまった。
確認すると、前日の朝、野村駐米大使に布告電報を送り、準備を促す。 緊張状態にも関わらず、日本大使館員はもぬけの空、全員で同僚の送別会開催。 結局、真珠湾攻撃が始まってからアメリカ側に宣戦布告。 以来、奇襲攻撃をしてから、宣戦布告した卑劣者になった。
更に残念な事、この時大使館員は、戦後みんな偉くなったらしい。 天皇の御用掛になった寺崎英成はその時の送別会の主役。 他、戦後に外務次官になったり、国連大使になったり、勲一等受賞した人もいる。 その時の大使館職員は、戦後、真相は世界に発信すべきであった。
自分たちの愚かなせいで、日本人を卑怯者にしてしまった責任を。 調べれば調べるほど、腹が立つ。
私は想像するのであるが、実はあの時、アメリカからそうするように釘を刺されていたのではないかと。 故に異常に出世したのではないか、と。 想像するときりがないが………….
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