HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

イタリアの郵便局で
2004/03

イタリア人は日本人に比べ生真面目とは言いがたい。時々いい加減な国民だと思うことが多々ある。例を挙げているとキリがない。
ところが、郵便局は大変規則正しいのだ。
電車の時間がなく急いで欲しいと頼んだ時は「それは貴方の都合」だと言われた。当然である。ある時は、ダンボール箱にどこかの会社名が印刷されていたので、「無地の箱以外の郵便物は取り扱い出来ない」と、つき返された。他の国でも以前はそういう規則があったが現在はほとんど無くなったか、大目に見てくれる。マジメな国イタリアの郵便局には「まあ、いいか」という感じはない。
先日、係りの美しい女性はレコードが詰まっている15キロの箱を、1メートル20センチくらいの高さのカウンターから、力を込めて床に落としたのである。カウンターの外にいる私にもドーンと振動が伝わった。彼女は大儀そうに首をすくめて「これって重くて大変。フー。」可愛いんだ、これが。
郵便局の外に出て、角が折れたレコードを想像して私は悲しくなった。

パスポートプリーズ
2003/11

11月はどうしても行かなければならないオランダ旅行。
しかし、10月に2か月分の仕入れ予算を使ってしまった私は、苦しい台所事情ながら、今回はレア盤、人気盤のみの仕入れを目標とし、アムステルダムとユトレヒトに向かった。
幸い、友人である近所の「ロック・プログレッシブ専門店」の店主と一緒になり、力強い相棒ができた。
ある日の夕方暗くなった頃、二人でレコードを積んだ重いカートを引いてホテルに帰る途中、黒っぽい服を着た一人の男が近づいてきて手に持ったパンフレットを見せながら、ホテルの場所を聞いてきた。自分たちは旅行者だから知らないと断ると、自分も旅行者だと話し始める。 友人は「この人は詐欺師だから、これ以上関わらない方が良い」と言う。早く立ち去ろうとしたとき、今度はもう一人の男が現れ、「警察だ」「パスポート・プリーズ」と繰り返す。無視していると、また一人の男が現れ、得体の知れない3人の男に囲まれたので。そのとき友人が「この人たちは東欧の人種だね。偽者だよ。早く逃げよう」といいながら一人で走っていってしまった。残された私も慌てふためいて必死にホテルに逃げ込んだ。
部屋に帰ると友人から電話がかかってきて、途中また一人現れたそうである。
やっぱり怖かったと言いながら、2人で笑った。
翌日、現地の知り合いにその話をすると「君たちは命を落とすかもしれない状況だったのだよ。」といわれ、後からゾッとした。

仕入れで世界一周
2003/10

10月は起死回生。
9月の買付け大失敗により、今月はあとがない。
量・質共に2か月分の仕入れを迫られ、日程は、3週間のオランダ、フランス、イタリア、スエーデン、それにアメリカの世界一周旅行となった。勝負に出ないことには人生始まらないと腹をくくったものの、1ケ月ちかくも店を空けて、いったいどうなる事やらとストレスで身が細る思い。
心配で、たまに現地から店に電話すると、「親父いなくても大丈夫だよ、売り上げあがってるから」。そう言われちゃうのも寂しいんだよね。
最後の1週間、アメリカだけ参加の息子と待ち合わせ。
オースチンの空港で会えると思うと嬉しくて涙が出そうになった。しかし、到着してみると息子はいない。現地で会えない事もあろうかと、持たせた携帯に電話しても出ない。何かあったかと心配しつつも、取り合えずレンタカーを借りる手続きをし、もう一度到着カウンターに行くと、ベンチで居眠りしている息子の情けない姿が。
もう、早くも後悔の念でいっぱいであった。
ともあれ、長い旅行は無事終了。買い付けは始まって以来の大成功。
売り上げもそれなりに伸びた10月であった。

買付け失敗
2003/09

 当初の予定は、ヨーロッパの知り合いのコレクターの家を訪問して、良いレコードだけを仕入れるつもりであった。
ある日、道ですれ違った近所のレコード屋が興奮気味に「某レコード屋がカナダに行って、ジャズのレコードで大当たりをした。それを聞いて自分も行ったけど噂の通り凄く良かった。貴方も行ったほうが良いのではないかと」と盛んに言うので、意思の弱い自分は予定を変更してカナダ買付けを決行。
従業員と二人で出発。嫌味な出入国管理、意地悪な税関をクリアしやっと到着。カナダ到着後直ちに、立ち寄ったある店で10分後いきなり10万円クラスが2枚ゲット。
これは明日から楽しみだと前祝。しかし運もそこまで、期待とは裏腹に、以後まったく成果なし。探し当てたと思えば、カナダ・プレスばかり。カナダ盤など再発に等しい扱いでお客様には不人気もはなはだしいのだ。
数日間を車の運転だけでむなしく過ごした。成果が上がらなければ二人とも徐々に険悪な雰囲気になるのは当たりまえ。互いに2度と一緒に旅行には来ないと固く誓った買い付け旅行であった。
 9月のカナダは観光シーズン、飛行機は満席、当方も予定をずらせないので、ビジネスクラスの航空券を購入。結局出費がかさみ、売り上げは過去最低の数字となったのである。

仕入れ
2003/04

ある客が、「レコードをU店に売ったよ」。
「うちに売って下さいよ」と私がいうと、強く否定して。「だめだよ、なにしろ一度に百万単位の金が用意できるんだから!他の店にそんな大金はないだろ」。
私は憮然として「いえ、当店でも良いのがあれば即金でいくらでも買いますよ」と言ったが信じない。小規模店舗で後発の当店は相手にされてない。

ベテラン・コレクターのその彼は、数々のレコード屋を回っている故に、店の裏側の苦労までを知りつくしているのである。特に我々廃盤レコード屋にとって仕入れは、営業のすべてといって過言ではない。まして、世界に数枚から数100枚しかないレア盤を探すのは、考えてみれば宝探しと同様、気の遠くなる話である。

マニアがレア盤をせっせと売ってくれれば万々歳であるが、良いレコードは誰も売りたがらない。国内仕入れの一つの手段として、スイングジャーナル等の雑誌にも高価買取などと広告を出してはいるが、それを見て廃盤を売ってくれる人も、まずいない。

それで私は海外買付けに行くのである。昨年はがんばってヨーロッパ、米国と8回行った。
しかもこの戦争体制やSARSが蔓延しそうな状況下でだ。命がけだ。
買付けの相手である外国のマニアが真夏と真冬は休みを取るので、我々のビジネスにならない、結局、春と秋は月に1,2回は海外出張している計算になる。

仕事で行く海外旅行は幾多の困難があって楽ではないが、以前、長く旅行会社に勤務していた経験もあって長旅も好きだし。長距離の飛行機も眠れるので苦にならない。また未知の世界への興味や楽しさがあって一石二鳥であろうか。現地で知り合った店主やコレクターとの交友も楽しい。それどころか現地で聞く、日本中のショップのウォントや経営情報までも知ることが出来て、商売の参考になる。悪い事ばかりではない。

昨年は数千万円以上の仕入れをした。更に委託販売の支払いもあるのだから、自分で言うのもヘンだが当店も頑張っている。仕入れに頑張っている姿を見て応援してくれるお客様もいるので励みになる。
「ウチだって一度に大金出して買うよ」と叫びたいところである。
しかし、最近の1ユーロが136円には参った。

ドア
2003/02

ヨーロッパでは、公の場所でドアを開けて入る際、後続の人のためにドアを押さえて待ってあげる、という光景が常にある。特に荷物を持っている人、老人、ベビーカーを押している人には当然の事であるが、健常者にとっても重いドアを開けなくて助かる。何かほのぼのとして、人生の余裕が感じられて大変良い。
私などヨーロッパの買付け旅行ではいつもカートを引いているので、本当にありがたい。

私はこの習慣が気に入っていて、日本でも実行している。しかし、私がドアを押さえているとラッキーをいう顔をして自分だけドアをくぐって行く人が多く、後続の人のためにドアを押さえている人はまずいない。重いドアをせっかくあけたのだから、後続の人にも「押える力」をパスしたら良いのにな、といつも思っている。

日本ではエレベーターのドアも、自分が乗ったら後の人を何とかして入れないようにしようと閉めてしまう。多分乗っている人達に気を使っているのだろう。
会社勤めをしていた時に、すぐ閉めるのがマナーだといわれた事さえある。
すぐ近くまで走って来ているのに平気で閉める人もいるが、どうかと思う。

欧米では「閉めるボタン」がほとんどなく、自然に任せている。余裕があってあれも良い。

新宿駅近くのデパートのエレベーターガールは、目一杯客を詰め込んで、朝の電車のように満員にならないとドアを閉めないが、あれはどうかと思うけどね。

ダイヤモンド・ファイブ
2002/11

最近、気に入っているレコードがある。
オランダのグループ、"The Diamond Five" の64年の作品"Brilliant"(Fontana680520)である。
サックスの名手ハリー・ベルビクらを含む、シーズ・スリンガー(p)がリーダーのクインテットで、ダイモンドのカットの見本をデザインしたジャケットも洒落ている。日本はもちろん、本国オランダにおいても大変なレア盤である。

どの曲も親しみやすいメロディーで高水準な演奏であり、全曲はずれがない。いってみればオーソドックスなモダンジャズである。私にとってそこが気に入っているのである。

毎日仕事柄、多くのジャズのレコードを聴いているが、意外にもオーソドックスでいいレコードというものは決して多くはない。最後まで飽きずに楽しく聴けて、疲れなくて、そして良い演奏、そんなレコードはそうあるものではない。
そう思ったときある大会社の経営者から聞いた言葉が浮かんだ。人間当たり前の事を当たり前にやるのが最も困難なのだ。なるほどである。

ちなみに彼らのこの時期の作品はこのLPの他7インチが5枚あるだけで、その後は73年の"Back Together"になってしまう。7インチの方もいずれも名演で本当に外れがなく、マニア垂涎盤である。うち3枚はLPに編集されてオランダで発売されたことがあり、こちらは比較的入手がしやすい。

新聞に掲載される
2002/09

8月27日(火)の東京中日スポーツの「夢へ駆ける」というコーナーで、当店の記事が掲載された。
今まで、音楽・ジャズ関係の雑誌に取上げられた事はまったくない。しかしなぜか、独立系の雑誌には3−4回程取上げられていて、最近ではアントレの別冊「独立辞典」02−03にも掲載された。

期待した「記事を見た」という人から連絡はなく、事前に通知したわずか3人からのみ新聞を買って読んだと報告を受けたのみに留まった。

掲載され、ひとり喜んでいたのだが、なぜ私ごときが取材されるのかとよく考えてみると、「無計画で早期退職をした人」「計画した事業が失敗した人」「仕入するお金がないのに店を開いた人」「新開店前に事故にあった人」など、あまり成功例として見られていない事に気がついた。「このままでは、いけない。これから努力しないと」と反省した次第。
有名雑誌に載ったから、まっ、いいか。

ついに空調が故障
2002/08/20

8月1日、気象庁発表で36℃を超える猛暑の日の朝エアコン故障。
2度の修理にも関わらず機械はついに復調せず、新設した8月11日まで商売は最悪の事態を迎えたのだった。

店のエアコンが壊れたので、ふと心配になって知合いの美容室に電話した所、「エッ、ウチも今故障したよ」と偶然に驚き。それで今度は、行きつけの焼き鳥屋に電話すると「一昨日、壊れて休業した」で、2度びっくり。
皆一様に、修理屋さんが直ぐ来れないことで困惑していた。
とにかく首都圏中でエアコンが故障しているらしい。

業者の言い分を聞くと、今年も猛暑のせいで多くの店でエアコンの故障が頻発したとの事。なにしろ、テンテコ舞いで修理の予定が立たな、おまけにお盆休みが控えているのだ。

取扱説明書を読んでいて、ふと妙な事に気がついた。
「外気温が43℃以上になると、運転が出来ない事があります。」と記載されているではないか。「それってありかよ。今だって暑い日は、照り返しのコンクリートの部分は40℃を超えているはずだろう。」と怒ったものの。「昔は東京だって30℃を超える日は年に数回しかなかったよなあ、これからは、もっと暑くなるはずに違いない」と納得し業務用エアコンの買い替えを決心、結局60万円近くもかかってしまったのだ。
私は夏が好きだが、これだけ暑いと嫌いになりそう。

城下町盛岡
2002/08/05

お掘りの端を散歩したいた時、向こうから母子が並んで歩いて来た。
その4・5歳位の男の子の手には大きな八つ手の葉っぱがしっかりと握られていて、なにやら盛んに母親に何か話しかけていた。

母子と私の距離が縮まり、男の子の声がはっきりと聞き取れるようになった。
 「お母さん、暑いでしょ。」
 「うん」
 「風がないから、暑いんだよね」
 「うん」
 「じゃ、僕が風を起こしてあげるよ」

そういうと、彼は母親の後ろに回ると、一生懸命に八手の葉っぱで煽った。母親はだまってずんずん進んで行く。
「お母さん、風が起こったでしょ。涼しかったでしょ」
「うん」

私は振りかえってその母子を見送った。二人の姿が角に消えた時、一人笑いをしてしまった。そうだ、私もお礼を言おう。「涼しかったよ、僕。」

盛岡は良い城下町だ。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001