HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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スエーデンのある町で
2004/10

レコード屋で支払いを済ませ、店から出てタクシーに乗ろうとしたその時、店員がすごい勢いで追いかけてきた。
「これはあなたのだろう」と見ると手の中に。現地のお金がいっぱい。「いや、私は自分のお金は持っている」と、言いながら自分のサイフを見ると、なんと、中身はカラ。
「ほら。やっぱり、店の中にいた客が拾ったのだが、彼があなただというから追いかけてきたのだ。それに、こんな多額のお金を持って歩いている人はこの町にはいないし、落とす人もいない」としっかりした感じで話す
私は自分の物であると認め、サイフからお金を出したあとポケットに仕舞う時に、逆さになったのだろう」と言ったら、彼も納得した。お礼を言ってお金を受け取った。
一部始終を見ていたタクシーの運転手も「気をつけたほうが良いですよ」といいつつ、呆れた顔をしていた。
まさか、外国で落としたお金が戻ってくるとはおもわなかった。それにしても北欧の人々は本当に真面目で、優しい人が多い。
考えてみたら、そういう優しい人との出会が多くあって、私はヨーロッパに買付けに来られるようになったのだった。

手が長い
2004/09

ヨーロッパからアメリカに向かう飛行機が離陸し飛行機が角度をつけて急上昇している時、突然上の荷物入れが開いて、スーと下りてきてしまった。
乗務員も気づいているが、離陸中のこと立ち上がる事もできない。どうするのかと私も考えていた。棚の中の物が飛び出してきたら危険もあるし、ベルトを外して扉を押し上げて、閉めようかとも考えていると、真下に座っていた外人の若い男性がひょいと手を伸ばして棚を押し上げて閉めてしまった。しかも座ったままで。
そのあと飛行機が水平に安定してから、ちなみに私も棚に手を伸ばして見たが遠く及ばなかった。
いやいや、外人さんは足も長いが手も長い。

SASの中で
2004/07

成田で飛行機に乗り込んだ。出発時間までに30分以上もあるが早くて悪いことはない。
席に着こうとした時、携帯電話が鳴った。機内だったが出発までまだ間があるから「まあいいか」と軽く考えて、電話に出た。その途端、近くにいた乗務員が上司に報告して、3人の乗務員に周りを囲まれた。「携帯電話は絶対に駄目なことを貴方は知らないのか」としばらく大声で怒鳴りまくられ、私は小さくなって恐縮してしまった。英語で巧く反論も出来ず、電源を切った私を見て、彼等は満足そうに悠々と引き上げて行った。その後、私の前の座席の若くてハンサムな外人の電話が鳴った。彼は電話で話し始めた。私があれっと思ったのはその後。女性の乗務員さんは何にも注意しない、それどころか、にっこり微笑んで通り過ぎた。
これって変じゃない? まさか差別じゃないよね。

電車初乗り450円
2004/07

もし電車の初乗りが450円だったら、日本国民はきっと怒るに違いない。私だって大いに怒るつもりである。
しかし、ストックホルム市内の地下鉄の初乗りは、30クローネで現在の日本円に換算すると450円ほどになる。毎年値上がりしていたがついにこうなったかという感じである。
しかし、一つ注意しておきたいことは円に対してクローネが強く2年間は11−12円くらいだったのが、今は15円になっていることも原因ではある。ちなみに2年前は20クローネだった。
スエーデンは社会福祉制度が充実しているので、税金も高く、また公共料金も高いと言われているが、しかし、高すぎる。
ちなみにタクシーの運転手は「スエーデンと言えば、社会福祉と言うが失業保険は10ヶ月で打ち切られるし、税金は高いし、物価の高さも世界のトップクラスだ、俺達労働者には辛い国だ」と言っていた。私は各国の福祉の程度を比較したことがないが、意外な意見にすこし驚いた。

アントワープ
2004/06

ベルギーにアントワープという町がある。しかし、私はこの町があまり好きではない。行くたびに不愉快になるのだ。今回は一軒のレコード屋でウインドに飾ってある商品を見たいと頼むと、途中まで出しかけて「買うだろうな」と念を押されたので、「見てからだ」と返事をしたら、駄目だと言って途中で引っ込めてしまった。

もう一軒の店、コンディションが悪いので、少しまけてくれと言ったらうちのポリシーはまけない事だと言いながら、まけませんと書いてあるらしい紙を見せられた。極めつけは合計金額のごまかし。私は嫌な予感がしたのでレジに行く前に自分で計算したら797ユーロだった。レジに持って行くと847ユーロだと言う。再度計算し直させたらまた同じ金額をいう。今度は2人で同時に計算すると797ユーロになった。私は「良いことではない」と言ってあげたが、彼は全く謝るわけでもない。

休憩に入ったカフェは美味しくないし、つっけんどな態度。なにか変だぞと考えると、そこでハタと気が付いた。そうだ、ここは「フランダースの犬」の舞台になった町だ。
あの物語は英国人が書いたものらしく、この国のほとんどの人は話を知らない。都合の悪い事を皆が知っているはずもない。
しかし、作家は私と同じようにこの町で不愉快な思いをしたに違いないと、無理やりに決め付けた。

運転
2004/05

昔、ヨーロッパの人々は運転が下手だから、縦列駐車から出るとき、前にぶつかって、後ろにぶつかってから出て行くと聞いていた。乱暴な運転でとにかく下手であるということだった。

今、何度かヨーロッパに行くようになってから、その考えは全く変わった。

縦列駐車については、狭い間隔の中に1−2回のハンドル切り替えできっちり入れる。大変上手で、横に乗っていて感心してしまう。道路に隙間無くびっしりと並んだ姿は壮観である。
前の車との間隔を多めに取って停める日本のドライバーの多くは真似できないだろう。
また、狭い道路をかなりのスピードで走るのも感心する。老人の車も速度が落ちることなく周囲の車と同じように走っているのを見ると拍手したくなる。老人でなくても周囲と協調して走るのって結構難しい技術である。

駐車も、歩道に乗り上げて止めて歩行者や障害者の邪魔をする車が比較的少ない。これは見習いたい。フリーウエイの走行のマナーがまた素晴らしい。追越すとすぐに走行車線に戻る車が多いこと。たとえスピード違反の車であっても、行きたい車には先に行かせるということ。日本のように制限速度を守っているからと言いたげに、いつまでも追い越し車線で頑張っている車は珍しい。

そういえば、ヨーロッパにはオートマ車が少ない。ベンツでもポルシェでも。その話をしたら「俺たちは車が好きだから」と返事が返ってきた。

日本とイタリア
2004/04

知り合いのイタリア人に、日本とイタリアは良く似ているといわれた。

その理由としていくつか挙げられたが、ほとんど覚えていないが、一つだけ妙に忘れられない話があった。それは日本もイタリアもテレビの番組が世界的に見て、1,2位を争うくらい低俗なのだそうだ。
お笑いタレントとアイドルばかりの日本と、露出度の高い服を着たお姉さんばかり出てくるイタリアのテレビには納得してしまった。

イタリア
2004/04

ミラノで泊まったホテルは「ミケランジェロ」という大変立派なホテルだった。
部屋は広く、バスタブにはジャグジーが付いていて、洗面台も同時に2人が使えるよう2台装備さされていた。朝食もフルーツなど種類、量、共に豊富で感心させられた。

通常、私はこんな立派なホテルには泊まらないし、泊まれない。しかし、今回ミラノでファッションショーがあって、世界中から人が集まる。そうすると私が定宿にしている1万円のホテルは4万円に値上げするのだ。さすがにイタリアというか商魂たくましいというか。ところが一流といわれる「ミケランジェロ」は通常の料金に近い1ツイン2万円台のままなのである。たまたま部屋が空いていたので、こちらに泊まることになったのだった。
いくら儲け時だからといって、何も3−4倍はないだろう。

これも、やっぱりイタリアか。

飛行機
2004/03

私は飛行機に乗るのは嫌いではない。むしろ好きな方である。しかし、最近年齢と共に機内の寒さがこたえる時がしばしばある。機内でうずまく風といったほうがいいかもしれない。
以前から、旅行に行きたいが、飛行機の中が寒いから二の足を踏んでしまう、という話を女性や年配者から聞かされていたが、自分もそうなるとは思ってもみなかった。

ここ2回ほど乗ったKLMは座った席も悪かったか、風が舞っていて外もジェット気流なら中もジェット気流。顔と頭が常に風に煽られて、だんだん頭が痛くなってきて、しまいには風邪を引いてホテルで寝込んだ。最近はしっかり厚着をしていたのにもかかわらずだ。

しかし、相対的にヨーロッパ人は寒さに強いらしく機内で半袖シャツ一枚で過ごしている人もいる。私はそういう人が羨ましい。

最近チェット・ベイカーのレコードを良く聴く
2004/03

若い時は優しさ、寂しさ、哀れといった、どちらかといえば後ろ向きの感情より、強さや鋭さのある前向きの感覚で音楽を選んでいた。
年齢のせいで気が弱くなったのか、映画を見たり本を読んだりすると、すぐ感動して涙が出そうになる。だからというわけではないが、とにかくチェットが自分にピッタリして好きになった。買付けでもチェットのレコードは何でも買ってしまう。
ある雑誌の表紙に「人生を猛スピードで走った天才ジャズメン」というフレーズがあった。私はそうは思わない、彼は猛スピードでなんか走っていない。彼は自分の価値観で、自分のペースを守り、やりたい事をやり、いるべき場所で、自分のために生きた。とにかく死ぬまで生きたのである。生きた時間や死の方法はどうでも良かったのではないか。
若き日のプレイばかりを褒め称え、後期の作品をけなすのは容易であるが、むしろ置かれた状況の中で、多作で淡々と死ぬまで現役でいた彼の作品はどれも素晴らしく、意味がある。何時の演奏も優しく、どれを聴いても心にしみる。

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