HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

リスト
2007/08/29

通販のリストアップしました。
今月は仕事が間に合わず、リストアップも無しという事態にもなりかねない状況であったのですが、取り合えずなんとか掲載することが出来た。
待っていて下さった方にはご迷惑をおかけいたしました。

写真も前月の流用でちょっといけません。
次回からはちゃんとしようと思います。

富樫雅彦
2007/08/26

富樫さんがお亡くなりになったらしい。
67歳。
足が使えなくても、パーカッションの第一人者として、両手だけでやってきた事の素晴らしさは、永遠に聴く者の心に残っています。
今まで、良い音楽をありがとう。

暑い
2007/08/19

今年の夏は暑い。
最近の夏はいつも暑い、けれど今年は特別だ。
夏が好きな私もさすがに今年は、我慢出来ない。
暑くて体調を崩したので、冷房を入れていたら、今度は冷房で風邪を引いてしまった。
病院で点滴やら薬やらで、やっと治って来たが、体のだるさは一向に収まらない。
仕事にも精が出ない。しょっちゅうコーヒーブレイクでぶらぶら休んでばかり。あっちの店、こっちの店とちょっと顔をだしてはお説教ばかりしている嫌な親父になってしまった。

動物園の放し飼いの猛獣状態。
強いって意味ではなくうろうろしている嫌われ者って意味だけど。

だから従業員に「もう帰ったら」なんて毎日言われている。
情けないな。

STEELY DAN
2007/08/17

アメリカのバンド「スティーリー・ダン」のウォルター・ベッカーさんご来店。
話をしていて、スティーリー・ダンのギタリスト、ウォルター・ベッカーと解った時、大騒ぎしてしてしまいました。

最初はレコードに関しても相当詳しいのでジャズ好きのアメリカ人だと思って接客していた。
その内にミュージシャンだっていうから、ジャズ・ミュージシャンにしては知らない名前だな思っていたが、従業員が「STEELY DANだよ!」と、大騒ぎになったわけ。
私が、「じゃSTEELY DANとDONALD FAGENと3人でやっているんだね。」なんて聞いたら、二人でSTEELY DANというバンドだと大ひんしゅく。音楽は知っているが、今までづーっと3人のグループだと思っていた。
汗をかいてしまった。

普通のいい感じの、おじさんでした。
「お前がライブに来たいのなら、入れてやる」と言われたが、私は忙しいので行けないからと断った。やっぱり行くと言えばよかった、と後悔した。なんたって、入場料23,000円なんだから。
後の後悔先に立たず。
それにしても、いやぁ、驚いた。

サントラ「ビルマの竪琴」
2007/08/13

フランスに住んでいる知り合いから、「ビルマの竪琴」のサントラEPを送ってきた。竪琴を持ったお坊さんの肩にオウムが止っている可愛いジャケットは秀逸だ。

「ビルマの土は赤い...、そしてまた岩も」で始まる映画。
主人公の水島上等兵が戦死した日本兵を弔うため、帰国する戦友と別れ僧としてビルマの地に留まる話で、学校で習った歌が常に絡んでいるのが印象的なのである。
小学5年生の頃、私の書いたこの映画の感想文がクラスで選ばれ、ホームルームの時間に先生が皆に読んでくれたのだった。忘れかけていたそんな記憶も蘇ったが、確か、その1時間前に何か悪さをして先生に皆なの前でこっぴどく叱られていたので、私としては嬉しさも中くらいだった事は記憶にあったが。

この映画のサントラは日本国内では発売になっていない。
それがなぜイタリアで発売になったかと言うと、「ビルマの竪琴」は1956年、イタリア・ベネチア映画祭の受賞作なので、そのためイタリアでサントラ盤が作られたらしいのだ。
音楽は「はにゅうの宿」「旅愁」「仰げば尊し」などが劇中のコーラスと竪琴としての演奏が映画のまま収録されている。

80年代にリメイクされた時に、貸ビデオで最初のを再度見たことがあった。
あの当時の映画らしく、淡々と話がすすんで行くのだが、演技も大袈裟でないからこそ悲しさ切なさは、見る人に切々と伝わるのだろう。
作る側に崇高な思い、純真な心があったからこそ出来た映画だと思う。
音楽も久しぶりに聴いてみると、純朴な実にいい音楽で、久々に感動した。

近所のカフェ
2007/08/07

近所のTULLY'S COFFEEに行ったら、開業10周年との事でコースターをもらった。ふと考えればウチは8年。
同じような年数なのに、この違いは何だ?

方や店舗数300。ウチは店舗数1。
資本金1億。ウチは300万。
途中で比較しても、しょうがないとは気が付いたが。
商売という物は始める前にどのくらい儲かるか良く考えないとね。

限度があるビジネスはいけません。
例えば、マーケット、製造数、お客様の数、仕入れ...
限度のあるビジネスの典型がウチだった。


技術
2007/08/05

20年以上前の話。
私は趣味で自転車に凝っていて、有名なフレームビルダーに作ってもらったロードレーサーに乗って、都内や湘南を走り回っていた。
その自転車クラブでお世話になった方は、もう亡くなってしまったのだが、当時は会社を定年で辞めたあと、国の方針で発展途上国に技術を教えに行っていたのだった。
1年程の間、台湾などで彼の持っている自転車製造のノウハウのすべてを教えて来た。
また現地の企業も非常に熱心で、先生、先生となつき、若手も優秀で良く学び、休日は寂しくないようにハイキングなどにも誘ってくれ、大変気分良く指導していたらしかった。
ある日、サイクリングの帰りに数人でコーヒーを飲んでいるときに、彼がこれからは日本中に台湾の自転車が溢れることになるだろうと言っていた。
すると本当に数年後には、台湾メーカーの自転車ばかりになって、びっくりした。

日本の企業にいた時には、やりたいこともあった、作りたい自転車もあった、塗ってみたい塗装もあった、しかし、全てコストの問題や売れない製品として否定され、夢は適わなかったが、それらの集大成がすべて台湾で実ったのは皮肉だと言っていた。

いま、日本に大手の自転車メーカーが何社残っているのだろう。

ちょうどあの頃、日本では経済の雑誌・新聞をはじめ、「職人は要らない」の大合唱であったと思う。
確かに、職人は余るほど沢山いたのだろう。やがてバブル経済がやってこようとしてた好景気のせいか、企業でもたたき上げの技術者は疎んじられるようになった時代だった。
余った人材を、国家ぐるみでいい気になって、海外に出してしまったのである。
いづれにせよ、製造業は人件費の安い国に流れるものであるが、惜しい事をしたものだ。

私がいた、旅行会社の中にも「職人は要らない」思想が流行した。
旅行会社で職人とは、いったいどういう人をさすのだろうと、思っていたら、当時の海外の部長の話では、例えば、海外航空券の予約を取る名人とか、ホテルを探す名人などがその対象であったらしい。

その道のプロが軽く見られ、どんどん担当が代えられた。
自分の仕事が評価を受けていないと解った優秀な社員は、どんどん転職していった。また、若手は転職先も沢山あった。
それでも景気は良かったから、ある意味いい時代であったのかな?



歳だと思うとき
2007/08/03

最近、歳だと思うとき。

「年齢のせいにしてはいけない」と、思う時。
「フランスパンを食べて口の中をちょっと切った」時。
「なにを着ても似合わないと思うようになった」時。
「パソコンの印刷物を読んで誤字を見つけ、この人、字を知らないのかな」と思う時。

まだ歳でもないのだから気をつけよ。
だから、これが歳なんだって。


日傘
2007/08/01

暑い夏が来ると、女の人が持っている日傘。
最近なんだかタダの、折り畳み傘(雨用)を持ってようで殺風景な世の中だな、と思っていたら、なんと黒い方が紫外線をカットするのだそうだ。
白が黒に負けたのだ。
だからと言って、黒の日傘はちょっと残念だ。

昔夏になると私は、強い日差しの下を白い日傘を差して歩く女性を見ると、眩しくてそれだけで、その女性が大人で美人に見えてしまっていたのだった。
「君はそんなにパラソルを回す、僕にはまぶしい....」って詩、どこかになかったっけ。

それが黒になったとたん、もう豊かさも美しさも、どこかにふっとんでしまった。
本人は美しくなりたいいんだろうな。そのためにこちらは美しくない物を見させられているのか?
もちろん、私はファッションは自由だとわかっているので文句を言うつもりはない。

OB会
2007/07/25

 店の仕事をしていたら、急に思い出したのでパソコンに向かった。
前の旅行会社をリストラで辞める時に、人事担当者から言われた言葉。
「あなたは今回会社の都合で辞めることになりましたが、残念ですが、会社のOB会には入る資格がありませんので、了承して下さい。」と。
続けて「あれはあくまで定年まで全うした社員だけの資格ですから」。
さすが、立派な会社は社員に言う事が違うね、って感心する場合ではない。

そのセリフを聞いた時に、会社の都合で辞めさせておいて、荒波に向かって漕ぎ出して行く社員に言う言葉がそれか?と愕然とするやら、情けないやらで、暗澹たる気持ちなった。
私はなんという下らない会社に長いこといたのだろう、という後悔が湧き、
もうひとつ、ああ、こんな会社やっぱり辞めて正解だったのだと、すっきりした気持ちが入り乱れたのであった。

その時の人事担当者は、辞めたくない社員にも、会社を去るように説得をして廻った。
反発するも組合にもそっぽを向かれ、結局辞職せざるを得なかった社員の中には、その担当者に「お前も辞めるなら、オレも辞める、約束だぞ」と言って会社を去った人が多々いたらしいが、その担当者は「私も辞めます」と口約束をしたらしい。
しかし、事が収まったら、彼は「みんなにいじめられて苦労しました」と語って歩き、辞める気配が無かったそうだ。

便宜上の口約束だったんだな。

後日談があって、実は前の旅行会社は経営不振が収まらず、結局親会社が放リ出して無くなってしまい、どこかのファンドに買われてしまったので、社名も変わった。
結局、全員定年まで居られなくなってしまったわけだ。

すると今居る人たちがOB会に入れなくなると思ったのか、規則を変更し、中途退社でも希望により入れます、という事にしたらしい。
それで、今回、「希望するならOB会に入れます」という手紙が来た。

もちろん新しい世界に漕ぎ出した私は、過去のあの情景を思い出すのが嫌で、無視した。


前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001