HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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食べ物の事(給食)
2008/12/14

私が出た小学校では、私が2、3年の頃、給食になった。

それまでは、貧しくて弁当もロクに持ってくる事もままならない家もあったし、梅干と沢庵だけの弁当では恥ずかしいという意見もあり、児童の給食はPTAの悲願だった、と当時役員をやっていた父が言っていた。

まず牛乳をという事になり、村と酪農農家が協力して小さいながら工場を作り、瓶に入った牛乳が振る舞われた。当時、東京の小学校で脱脂粉乳だった事を考えると、立派としか言いようが無い。
ただ、パンは県の品評会に出したら最下位の順位だっとという話しを聞いた。
オカズはPTAのおばさん達が当番で学校に集まり、子供の為に一生懸命に昼をつくっていた。

今は給食の意味も薄れたが、当時は、子供のための食事として、給食が輝いていた時代でもあった。美味しい物を食べた事のない私にとって、給食は学校で最も待ちどうしい時間だった。
牛乳嫌いの女子が飲めないのをもらって、一人で3本も飲み、お腹を壊してしまうような子もいたが。

戦後、家庭科という授業が出来、料理や裁縫の実習もあった。私は学校で習ったドーナツを、その日家に帰り、早速作って家族に食べさせた。それ以来時々ドーナツを作った記憶がある。
今もドーナツ好きはそのせいかもしれない。

当時は将来が輝いて見えてきていた、明るい農村だったのかも。


しかし、子供にドーナツの作り方を教えるとは、アメリカの教育指導だったに違いない。

食べ物の事
2008/12/13

 私の母方の祖父は私の事を良く可愛がってくれた。
そのおじいちゃんには下男がいて、時々おじいちゃんの使いで、私を迎えに来る。仕方ないので、下男にくっ付いておじいちゃんの家に行く、行くとしばらく泊まる事になる。
最初は楽しいが、3日後くらいの夜になると、私が実家の方をじっと見つめているらしく、気配を察して「じゃ明日、帰してやるよ」とようやく放免されることになるのだった。

おじいちゃんの家は大きな農家で、馬も飼っていたし、田んぼを人に貸してもいた。また関西電力に土地を売ったお金があるとかで生活は楽そうだった。だからいつも遊んでいたようで、私が覚えている話では旅行が好きで「駅で待っていて、ボーッと汽笛が鳴って汽車がホームに入って来る時がタマラン」という事だった。

おじいちゃんは何でも器用で、胃が悪いといって薬草なども自分で採って煎じていたし、薬も調合していた。
どぶろくを造っていて、ここの家が一番美味いと、郵便屋さんが配達の途中でどぶろくを所望して、一杯引っ掛けて行ったのを見たことがある。「坊主、人に言っちゃいかんぞ」と言いながら、にやっとして。

柿が好きで、接木をして色々な柿を作っていた。
私が一番気に入っていた柿は、富有柿の木に接いだ富士山柿。
信じがたいのだが、大きい富士山が甘かった。お前の木だからと食え食えと無理にすすめて煩いくらいだった。
柿がなる頃には必ず、下男が私を迎えに来た。

おじいちゃんは朝早い、気配を察して私も起きて行くと、ストーブにくべる薪を割っている。中から白い虫の幼虫が出てくると、それだそれだと言いながら、それをつまんで鉄ストーブの上に乗せて焼く。焼けた頃「ほれ、食え」というので、口に運ぶ。甘みがあって、チーズのような感触。当時は好物だったような気がする。
今想うとカミキリ虫の幼虫だろう。
蜂の巣を見つけると、柿もぎ用の長い竹竿で巣をとり、蜂の子と呼ぶ蜂の幼虫はそのまま楊枝ですくって食べた。
イナゴの佃煮など、普通に朝食のおかず。
今となっては、とても食べられない。

だが、経験上きっと、私はいざとなれば何でも食べられるに違いない。

小学生の4,5年には、中気とかで寝たきりになったので、枕元で新聞を読んであげた。当時人工衛星が打ち上げられた時期で、スプートニクのライカ犬の話しも聞きたがった。寝込んでしばらくして亡くなった。
葬式に当時の西濃運輸の社長が来て、「私が今あるのはここのお祖父さんのお陰です」と言われて家人も近所の人も驚いた。
その後、下男が亡くなり葬式を出した時に、宮内庁で働いている方から、皇室の菊の紋が入った煙草と手紙が届いて、やっぱり家人も近所の人もびっくりした。子供心に、下男は仮の姿で、きっと偉い人だったのだろうと想像した。

想えば、私の周りは面白い事ばかりだった。
でも、そのおじいちゃんの歳に、私も近づいた。

女優
2008/12/12

しばらく前に女優の松阪慶子の美人だった話を書いた、ついでに吉永小百合。
なぜかと言うと、飲み会などで、「池田さんたちの世代の人って、好きな女優と言えば、吉永小百合でしょ」などとからかわれる。

それはタモリなどの責任で、全然ファンなんかじゃない。
まず、聞き苦しい声が気に入らない。
演技が下手。
偉大なる大根って感じ。

ただ一つ、たった一つ、「キューポラのある街」。
これが本当に好きなんだ。彼女だけでなくて、映画の作品とその登場した役者みんなが好き。
あの時彼女は、はまり役だったんだ。
コレに尽きる。
これだけには、今でも、胸がキュン。

だから正直、もう出なくても.....。

ZOOT 新入荷
2008/12/11

Zoot Sims (Ducretet-Thomson)入荷。
10インチ、フランス・オリジナル
風格がある一枚。

この盤、見た目は綺麗でも、聴いてみると結構ビリツキがあるものだが、今回は音質は良好。
素晴らしい。

値段も高いが、演奏が素晴らしい。
冒頭から、哀愁漂うムード・テナー、プラス、スイング感と文句ない演奏。

明治
2008/12/10

私は俳句はやらないが、なぜか中村草田男が好きだ。俳句と言うよりは文章が好きといったほうが良いかもしれない。
その彼の名句とされている「降る雪や 明治は遠く なりにけり」。
これって昭和11年の事。
彼は昭和11年にそう思ったのだ。

私の生まれた長野の田舎では、今思えば、子供の頃のあの村は明治時代のままだったような気がする。
家々は時代劇の宿場町の風景そのもので、曲がりくねった街道にそって小さく並ぶ。
ガラス戸などほとんどなく、朝になると、玄関の戸(ドアとは言わず)と大きく開け放ち、夜になって締めるまで、開けっ放しだった。
入り口は玄関と呼ばず、ほとんどの家が土間と呼んでいた。

街道から外れた農家では、土間に入ると、人間と牛馬と向かい合っているような家もあった。
右側が人のタタキで、左側が馬屋で、訪ねていくと家には誰も居ず、馬が珍しそうに顔を出すのだった。

子供達は、靴など履いてなくて、自分の家で作ったワラジを履いている子もいた。なので外で遊んでいて、よく板から出ている釘を踏んだ。太い釘など抜けなくて、皆で足を引っ張った。血を絞ってそれでお仕舞いだった。
近所のお婆さん達は洋服など着ている人は誰もいない。
着物を着て、下はカルサンと呼ばれる、和風のズボンのようなものをはいていた。

家の中には囲炉裏があって、寒くなると家族が囲炉裏を囲んだ。
正月が近づくと、餅をつき一冬それが主食だった。
雑煮は正月でなくても食べていた。

夏になると囲炉裏は板で隠し、花ござをしいて、ごろごろしていた。
スイカは井戸で冷やした。
秋になると渋柿を、家族総出で剥いて、干し柿を作った。
食べ物はどの家も質素で、自慢は作った味噌と沢庵と白菜の漬物。
お婆さん達は、近所の家を漬物持参で集まっては嫁の悪口と子供の自慢だった。
どの家にもちゃんと「味噌部屋」があった。
家でとる米は一年を通して食べるには、ちょっと不足していて、なくなる頃には母親が不安な顔つきになるのだった。

2階は蚕を飼うように、部屋の仕切りがなく、駄々広くなっていた。

アイスクリームやコーラなど見たこともなく、森永のキャラメルと明治のチョコレートが唯一のぜいたく品だった。バナナなど年1回。

戦後で小学校に上がる前のことだが、書き出せば、次々と情景が浮かんで来てしまう、止め処がないからもう止めよう。恥じさらしな日記になりそう。

今想うと、明治どころか、江戸時代そのものではなかっただろうか。
ウチでは明治が遠いどころか、身近だった。

甘いもの
2008/12/09

大福とか饅頭などが食べたくなって、デパートに足が向いた。
売り場で美味しそうな和菓子がみつかった。
嬉しくなって、ついでに知り合いのショップにも買っていってあげようと注文しかかって、ふと気が付いた。
そういえば、あの人は今ダイエット中とか。

そうしている内に、なんだか自分の方も買う気が失せてきてしまった。

ダイエット、ダイエットとなんだかなあ。

居眠り防止
2008/12/08

運転中、居眠りしそうになったら、どうするか?

私の場合は、まず疲れている時は当然だが、高速道路のろのろ運転が続く時に眠くなる。緊張がなくなるせい。
スピードを出して走っている時には、絶対に眠くならないから。

で、まず歌を歌う。
頬や頭を自分で叩く。
PAに止まってコーヒーを飲む。一時寝る。体操などする。ドリンクなど飲用する。

ドリンクは簡単で効果があるが胃に負担がかかるし、あまり好きではない。コーヒーはその時は良いが一時的にしか効果がない。体操なども良いが、走り出せばまた眠くなる。
ちょっとだけ寝たら余計に眠くなる。
歌など、ほぼ効果無い。

そんな時私は、強烈なミントの飴を売店で買って舐める。
するとミントの爽やかさと通り越して、刺激臭が、鼻から、口から、眼から?も出て、頭はスッキリ。
コレに尽きる。

ま、PAでコーヒーでも飲んで休んでいるのが一番楽しいが、これをやっていると何時までも家に着かないのが欠点だ。

歩道
2008/12/07

朝、明治通りの信号を渡ろうと歩いていたら、自転車に乗った初老の男性が、車道をけたたましくベルを鳴らして、来る。
信号を進みかけて素行者を待っている車に、すごい勢いで毒づいている。
なんでも、車が進入し過ぎだと怒っているらしい。

なるほど怒りたい気持ちも分かるわい。
しかし、おじさんは怒りながら、障害を乗り切って、無事渡り終えた。
良かった、良かった、お疲れ様。

でも、おじさん。
貴方の渡ったすぐ横には自転車専用横断道がありますよ。
おまけに、貴方は右側通行していますよ。
残念!

スピード違反
2008/12/06

昨日の勢いで、今日はスピード違反。

まず、恥ずかしながら私の例。
3年前、東名高速の御殿場から東京に向かう、何台かの車が団子になっていたので、右側の追越車線に着いた。
すぐ前にいた車がすごい勢いで左に寄ったので、変だなと思いながら追い越した。するとその瞬間その車がまた車線を変え、私のすぐ後ろにぴったり。
嫌味な車の煽りにひっかかったのかな、と思い、ちょっとスピードを上げた瞬間、赤いランプが点灯し、路肩に止まるように指示された。

言われるままに、前に止まった覆面パトカーに乗り込み、113キロで走っていたので、33キロオーバー、減点3、罰金3万弱(だっとと思う)と言う。
コレくらいでスピード違反っておかしくないか、という私の質問に、国家権力は、いやお巡りさんは「減点も3点だけだし、罰金も少ない、だからサインした方が得ですよ」と営業トーク。何度か優しく説得される。
そうか、たった3点かお金も大した事もないし、まいいか、でサイン。
それはそれで済んだのだが、なんか腑に落ちない。
良く考えると、突然私に車線を譲り、その後すぐに煽るかのようにピッタリ追走する事は、明らかに違反させるように仕向けたとしか言いようがない。
今も私は、はっきりそう思っている。だってその時の警察の運転の仕方が不愉快だったから。

その後、その話を他人にしていたら、私も私もと次々と同じ状況で捕まった人が沢山いた事に驚いた。
場所は御殿場から大井松田の付近。
110キロくらいで走っているスポーツカー車を狙う。
制限100キロですよねと反論すると残念でした80キロです、と答える。
違反速度が大体30キロくらいに収まるようにして、軽いからと営業的にサインを迫る。
実に腹立たしい、取締りではなく営業活動である。

そもそも東名は高速道路であるが、制限速度が80キロと言うのはどう見てもヘン。
確証がないが昔、道路公団の関係者らしい人から聞いた話では、140キロ制限を想定したらしいが、警察がチャチャをいれて、80〜100キロにしたとの事だった。
私がヨーロッパのフリーウェイを走った経験から言うと、あちらは90キロくらいが多い、納得できるのは途中で信号があるから。それでも120キロはセーフと言われた。それも料金タダ。
それに比較し高額料金のハイウェイ東名には信号がないのに80キロなど可笑しくないか。タイヤと車の性能もアップしたのに。
これは一例で、聞けば他の高速道路も似たようなものらしい。

日本の速度制限もスピード取締まりも、集金が第一の目的としか言いようが無い。その証拠にスピード違反が交通違反の圧倒的多数らしいのだから。

運転の初心者も上級者も同じ規則で縛るのもどうかと思う。

ちょっと話しが飛躍するが、テレビで見る「FUN TO DRIVE」という言葉の意味が無い国。
車産業が世界一なのに、走る事はさみしい国。だから車は持つ事がステイタス。
このままでは車は売れなくなるかも。
おじさんは勝手に心配している。

違反
2008/12/05

交通規則の飲酒の違反が更に厳しくなり、0.3から0.15mg/Lになるらしい。
えっ?厳しいすぎだなと思い、世界の情勢を見てみると、米英は0.8、フランスは0.5、イタリア0.5、と日本だけが、断トツに厳しい。

これは食事の付き合いで、小さなグラスに一口飲んだら、もう捕まる可能性があると言う事。酒に弱い人なら、料理に酒が使ってあっても免停か?
更に、点数が従来の2倍になり、即免停か取消しで、罰金も倍になる。
ちなみに、米英はビール2缶くらいOKって感じかも。

先日テレビを見ていたら、ある芸能人がスピード違反で捕まって、インタビューに「他人に迷惑を掛けたわけではないし、犯罪ではないから」と答えた。
それについて意見を求められた、コメンテーターである弁護士は、「交通違反は違反と言いますが、犯罪に変りがありません」と切り捨てた。
ちょっとまてよ、交通違反は犯罪ではないはず。
弁護士が、国家権力が喜ぶような事を言うくらいだから、日本での交通違反の扱いがどんなもんかわかる。
弁護士といえど、所詮、国家権力の手先ということか?

飲酒で人が死んだ。するとテレビで飲酒反対の大キャンペーン。ついでにスピード違反も、駐車禁止も。
これ幸いに飲酒も酒気帯びも一緒くたに取締り強化。
スピード違反も厳しく、駐車禁止も。
国民も大賛成で、管理の厳しい国と管理され易い国民が出来上がって行く。
皆、本当にそれで良いの?

皆、自分は大丈夫だと思っている。
しかし、前日に同僚と飲みに行き遅くに帰宅し、翌朝車で出勤。
その時検問に遭遇し多分計れば、これって立派な飲酒運転になっているはず。
これからこういう事態が普通にドンドン起きるはず。

ちなみに私は、下戸なのでほとんど酒は飲まない。
なんで私が飲酒の心配しているのだろう。

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