HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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猫ついで
2010/01/08

昔、私のお祖父ちゃんの家で猫を飼ったのは、蚕を飼っていたから。夜になると鼠がでて蚕を食べてしまうからだし、その他に、大きな農家だったので家の前の倉には米なども沢山あった。
なので、とにかくネズミを退治するのが大の目的であった。

だから、エサはあまり良い物を上げないのは、肉や魚など高価な食べ物は人様だって口に出来ない事はもちろんだが、猫が常に狩をしたい精神状況においておく為だったのだろうか?

だから、大きな農家で、だだっ広い二階を蚕を飼う家には、精悍な面構えの猫が必ず一匹はいた。
最近の温和な顔の猫とはえらい違いだった。
猫はペットではなく、仕事人として居た、または同居していた事になる。

当時の猫の尻尾は、最近になって日本猫の特徴とされる「ラビット」と呼ばれる短い尻尾だった。
猫の柄は三毛とか虎とか呼ばれるものしか知らないので、私は子供の頃、犬の種類は秋田犬・柴犬・樺太犬・シェパード・ブルドックなどをしっていたが、猫の種類は「三毛」「虎」「黒」「白」が種類だと思っていた。
品種改良された猫など以前は居なかったのだ。
シャムとかペルシャなどが入って来たのは、昭和40年頃だろうか。

長寿猫−2
2010/01/07

猫の話の続き。別に長寿の話ではない。

昔は、家で生まれた猫の子は飼わないとか言う時もあったようだ。
なので、生まれるとせっせと捨てた。
なぜかと言えば、そのまた昔は人の子だって間引きされていたのだから、ペットなど不要に決まっている。それが戦後もまだ考え方を引きずっていたから。
ただ捨てたのでは生きていくのが可哀想なので、川に捨てた。
捨てに行くのは、その家のお爺さんとか下男。
猫が子を産むと、私のおじいちゃんは下男に捨てさせた。

そして、猫を川に捨てて帰って来ると下男は「楽に死んだぞ」というのだった。それを聞いて、私も安心していた。
辛い世で生きているより、死んだ方がまし、という発想が常にあるからで、今の豊な時代の人々には理解出来まい。
であるからして、知ってか知らぬか、猫もよく働いた。
しょっちゅう鼠を咥えてきては仕事の出来をアピールした。私のおじいちゃんの猫は山でウサギを捕った。自分の身体より大きなウサギを捕って、咥えて引きずって山を下っている姿を近所の人が見ていて、「横から奪い取ってやろうと思ったが、あまりの健気さに、思わず見守ってしまった」とその人が報告に来た、おじいちゃんはそのウサギを猫にもらって食べた。

人間の命だって、今に比べたら軽かった。家畜など使い捨て同然だったし、まして猫など、鼠を取らなければとても家で飼って上げられない状況だった。

そんな時代だって、今の豊かさの時代のすぐ隣にあったのだ。
現代の思いやりの時代でも、多くのペットが捨てられるが、自分で手を下す事なく処理しているのが実に衛生的で、考えるともっと怖い。

長寿猫
2010/01/06

知り合いの家の猫が、もう20歳だという。さすがに毛艶も無くなって、抱き上げると軽いという。
10年も前の話だが、私の家にいた先代の猫も、死んだ時は23歳だった。
歯がだめにならなければ、まだ長生きするはずと、言っておいた。

昔は、猫が20年生きると、尻尾が2つに割れ、猫又になると言われていて、本当にそうなるか見たいと思っていたが、そうなる事はなくて、普通のまま生きる。
もっと昔は、猫は3年までなどと飼う年を区切っていたらしい。そうすると3年経つと猫は自分で居なくなると言い伝えられていて、大体、死ぬ時は、絶対に人に見せないと、私の祖父などにも、聞かされていた。
 (私の田舎は特に時代が遅れていたのか、昔のままの話が多い)

しかし、今は飼い主に見取られて死んで行くのが通常だろう。家の中で飼われるので隠れる場所などないし。

最近は、猫だけでなく犬も長生きになった、私が子供の頃のいわゆる「猫マンマ」と呼ばれる「白米ご飯に味噌汁」」ではなくなり、栄養価にも考慮されたペットフードの良い物が開発されたせいだ。
20歳の猫など沢山いる。

そのかわり猫も満ち足りているので、鼠を取らない猫ばかりになった。
猫に関する神秘性は失われた。
良いか悪いかは分からない。

箱根
2010/01/05

2日の箱根駅伝は5区を走った東洋大学の柏原君の圧倒的な強さが目立った。胸のすく走りで、いやおじさんは、気もちが良かった。
そしたら、ネットのニュースで早稲田の監督などは、5区だけで決まっただの、もっと5区の距離を短縮しろだの、山登りの強い選手で大成した選手はいないとか発言があったとか。
もし、柏原選手が早稲田の選手だったら、そんな事言わないから、発言にもう少し恥らいが欲しい所でしょうか。

東洋大学は復路でも相対的に強かったし、区間賞も取っている。監督の采配が勝っていたし、選手の力と、心の強さが目立った。
冷静にデータを見るとマスコミが騒ぎ立てるほど、彼一人の力ではなかった。早稲田のチームは柏原に負けたのではなくて、昨年の自分のチームにも劣っている。そこはまず、冷静に反省と!

箱根駅伝で山登りの距離が長いとか、ご不満なら箱根を走る意味が無くなるわけで。いっそのこと箱根を止めて、千葉から湘南までにして湾岸駅伝とかにするとか。
その前に、外国人選手の登録やら、それから練習ばかりして授業も出なくても良いシステムとか。そっちが問題かも?

いつも思う。有名一流校は学校の名前で幾らでも良い選手は集まる。それに比べ名前で売れない大学が、選手を集め練習し、箱根で勝つ事がどれほど大変な事か。この監督は知らないだろうな。
だからいわゆる有名校の優勝より2倍偉いんだ。

まあ、勝とうと思えば、相手の学校の選手のやる気も失わせる作戦だろうが大変だな。でも陸上の長距離界はなんだか、はっきりしない気持ち悪さがある所だな。爽やかと思われているスポーツの世界こそ、意外に嫌な部分もあるんだね。まあ勝負事とはなんでもそんなもんだ。

インターネット
2010/01/04

最近はネット販売(通販)の割合も大分増えて来た。お客様にも少しづつ当店の存在も知られて来たのだろうか。
嬉しい事である。
ただ、顔が見えないので、失礼な事がなかっただろうかとか、不満があったのではないかと、不安はいっぱいある。だからと言ってどうにもならない問題もあって、考えればキリが無い。

以前、ネットでハルズは買い付けに行き過ぎとか、商売でやっているのがけしからん、と書込みがあった。
店を開けばみな商売に決まっているので、そんな小学生のような事を書く人が、お客様にいるはずがないので、同業者かなとちらっと思った。
また、渋谷のシバさんも相当叩かれて、しまいには入り口の急階段を、○○の店の階段か四谷怪談とか、渋谷から出て行け、等と書込まれ、相当ショックを受けておられた。奥様もまたショックを受けたと聞いた。警察に届ける方法もあるよ?と薦めたが、そのまま沈静化した。

その後、落着いてよく考えて見ると、あれはやっぱり同業者ではなかろうかと思うのである。
恨みがありそうなフリをして書いてはいても、恨みという感じより、店が邪魔という感じを強く受けた。
書かれた本人からすると、こんな事書けるのはあの人しかいないはず、なんて事もある。

でも、顔が見えないネットの書込みは怖い。たとえ匿名でなくても、ネットは書いた者勝ち。
これからどういう方向になるのであろうか。
もう私達には見当も付かない。

初夢
2010/01/03

もう3日になってしまったが、2日は初夢。
1日の夜に見るか、2日の夜にみた夢を初夢と言うから、3日の朝まで有効という事になるから、まあいいか。

良い夢の順番に1富士、2鷹、3茄子と来て、4扇、5煙草、6座頭。
鷹とか茄子なんて今時、絶対に夢にみないだろう。また、面白いのは座頭。
毛がないから怪我がないのだそうだ。
単なる駄洒落で人生が幸せという所が、目出度い。
所詮遊びの世界だが、この程度なら、私の駄洒落も捨てたものじゃないな。

1月2日
2010/01/02

お目出度い日ではあるが、元旦でもなく、しょせん元旦の次の日。
そういう2日が私の誕生日。
正月のドサクサで子供の頃から誕生日など祝ってもらった事がない。
正月と一緒なので祝いようもなかった、というのが母親の本音。
誕生日だと言って大騒ぎしても、餅に付けるアンコをちょっと多めにしてもらえるくらいが関の山だった。

昔は子供が年末30、31日や1日に生まれた場合、忙しさで届けが遅れたり、1日ではあまりにお目出度いので頭もお目出度いと困るというので2日に届けた事があったらしい。小さな時からそういう話を聞いていたので、母親に、本当は私は1日生まれではないかと何度も尋ねた。また、私を取り上げたのが母の姉・小母が産婆さんで、その担当者の小母にも記憶を確認した事があるが、やっぱり2日だというので、がっかりした記憶がある。

だったら、いっそうの事1日で役所に届けてくれたら良かったと文句を言った事もある。
ま、中途半端なお目出度い日に生まれたので、すべて中途半端な人間になってしまったのだろうか。
元旦生まれと2日生まれでは、なんだか迫力が違うよね。ウン。

謹賀新年
2010/01/01

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

年末年始
2009/12/31

本年もありがとうございました。
皆様のお陰で、今年も無事に過ごせました。

本日はほぼオールナイトです。
明日1月1日はさすがにお休みです。
翌、2日も休みます。

3日から営業いたします。
来年もまたよろしくお願い申し上げます。

良いお年を!





このあたりの土地
2009/12/30

この辺りでもっとすごいのは、丹波哲郎さんの実家だったようだ。
ここからもう少し大久保よりに、1000坪くらいの家があったらしいが、戦後帰ってみると全く分からなくなっていて、すべて諦めたそうだ。

そういえば、前の会社の先代の社長の奥さんは、女学生時代に住んでいた家は、500坪くらいあって、有楽町の駅と皇居の中間にあった。
2階からは皇居はもちろん、有楽町の駅も見えたそうだ。
それが、関東大震災にあったので、松本に行っていた。
しばらくして帰ってみると、小さな小屋がいっぱい立っていて人が住んでいる。
やはり権利書も消失しており、区役所などで調べても、いっさい書類は見つからなかった。それでやむなく諦めた。
当時お父さんは弁護士だったのだが、それでも勝てなかったそうだ。

ドサクサで土地を取られてしまった話は戦後に非常に多く聞かれたので、大東亜戦争に付きまとう問題だと思ったら、大正の関東大震災でもそういう話はすでにあったのだ。
いざとなったら取った者勝ちだな。

今は法務局でコンピュータ管理なので、そういう心配が無くなりそうでいいね。

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