HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| エアコン故障 | - 2010/07/07
- エアコン修理完了。
昨日も修理に来たお兄さん、最初は過電流ですねと言っていたのに、「思ったより重症ですね、コンプレッサーが動いていません。明日、基盤を交換に来ます。もし、それでも動作しない場合は、新規に購入する事になるかもしれません」と、脅されていた。
今日は夕方、二人でやってきて基盤を交換。 「直りました」 スイッチオン。 暑かった事や辛かった事が忘れ去られ、爽やかな風がそよぐとここは霧が峰か? いや店内バラ色、思わずパラダイス。 ま、そんな感じ。
今、ボサノバのリズムも弾んでいる。 会社の帰りに来てね!
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| 新宿2丁目 | - 2010/07/06
- 朝、新宿2丁目の通りを歩いていると、歩道の辺りに雀が何羽かいる。
雀の群れが近づいている先に、掃除のおばさんがせっせとパン屑を撒いていた。 「優しいですね」とおばさんに声を掛けると、おばさん。 「可愛いのよ」 「可愛いですね」 とわが子を見るような顔になった。 「近くに来るの。でもね手には乗らないの」
何とか、手乗りにしようと頑張っているようだ。 動物という動物は皆、取って食べてしまうと言われている日本で、雀が人の手から食べ物をもらうようになるのは、いつの事だろうか?
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| Jack Johnson | - 2010/07/05
- Miles Davis "Jack Johnson" Columbia s30455 入荷。
私の好きなマイルスのレコードは、「Get up with it」と「Jack Johnson」。ジャックジョンソンとはこのダサイ絵のジャケットのレコードである。 映画「ジャック・ジョンソン」のサントラで、ジョン・マクラフリンがもう堪らない。 かつて私も持っていたこのレコード、入荷とほぼ同時に購入していたと思っていたので、自分ではオリジナルであると信じていたら、友人にオマエのは再発だと言われて悔しい思いをした事がある。 このレコードは最初サントラとして発売されたようで、どうもあまり日本に入っていないようだ。ジャズのレコードとしては裏側のマイルスがランニング姿でトランペットを吹いている方が一般的だったようで、日本盤も最初から裏側の写真を使った方が出たらしい。それでは紛らわしいよね。
ラベルもいつも見慣れた赤ラベルではなく、グレイ・ラベルでコレクター泣かせ。 本によると、曲はこの映画の為に作ったものではなく、社内に既にあったテープからテオ・マセロが編集したとあるが、なかなかどうして、その気で作ってもこうはいかぬものが世の常で、それから考えると世紀の大傑作だ。
この映画も見逃したので残念でしかたがない。って、どこかの小さなマニア向けの映画館で上映されたくらいだから、普通の人は見逃すわな。私も普通の人間だから。 ところで、ジャック・ジョンソンとはどんな人物なのか興味津々でいたのだが、彼の事を書いた物等皆無。 ところが、彼に続くヘビー級のチャンピオン・ジョー・ルイスの伝記を、古本屋で見つけたので、読んでいたら偶然というか、その中にしっかりと書かれていた。ジョールイスが主役の本だから、ジャックジョンソンの事は当然、悪役で書いてあるので、余計に冷静に見られて面白い。
ジャック・ジョンソンは身長187cm、体重90kg。あまり大きいほうではない。だが滅法強くて一試合で20なんラウンドも戦ったタフさで、1910年当時、一晩で5万ドルも稼いだというから、今で言えば5億も稼いだ事になろうか。当時は彼は逆の意味で人気というか大の不人気者で、その大きな理由は、付き合う女性は皆白人でそれも、車と同じように次から次へと乗り換えたので、社会問題にもなっていたらしい。差別の無い今でも芸能マスコミの餌食だわな。 歴史学者によると、もし彼が存在しなかったら、黒人開放運動がもっと早まったと決論づける方もいるようだ。 男としては凄い!1910年当時に人種差別なにするものと遊び歩いていた姿など想像を絶するパワーであろう。50・60年になっても差別されたとイジイジとしている黒人など足元にも及ばぬ強さである。 ま、男としては最高の人生だったわけだ。
B面の最後の、「I'm Jack Johnson,Heavyweight champion world, I am black.....」の決め台詞がなんとも痺れるのである。
あー、オレも男らしく生きたいなー。
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| エアコン故障 | - 2010/07/04
- 昼にエアコン故障。
このエアコンは2002年の8月、連日35度を超える猛暑が続いたある日遂に壊れたのであった。 ちょうどお盆の前で、修理の甲斐なく停止。空調屋のおじさんの「これは家庭用の小さなエアコンだから、店には持たないね」の一言で購入したのであった。
それから8年、店の規模に対して、数倍の広さに対応する機種だったので、当時「20年くらいは楽勝ですよ、イヒヒッ」と空調屋のおじさんに言われたものの、あっけなくダウンか?
三菱重工は親切にも日曜日でも電話対応していたので連絡。 機械に表示されている故障のコードを電話で告げると、ブレーカーを落として5分立ってから再度電話下さい、と指示される。その通りやって見てもやっぱり故障ランプが点滅するので、また電話。 では過電流ですね、今日の連絡でも早くて火曜日ですね、という事。 来てくれれば、ありがたい事だ。
しかし、暑いで! 夏は暑いから青春だ! ってもう青春じゃねえよ!
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| コンサート | - 2010/07/03
- 私の日記を読んでくれた方から、コルトレーンのコンサートは行きましたか?と聞かれた。
ここのところ、ひょんな事から昔のライブのチケットの半券が出てきたので、良い思い出に耽っていた。 だが、よくよく考えてみると行かずに後悔しているライブの方が多い。 その中で、最も悔むのが、コルトレーン来日コンサート。
あれは66年だったのか。 何日か前にチケットを入手していた知り合いもいた。 当日、私は確かデパートのケーキ屋でアルバイトで働いていた。終業時にそこら辺の仲良しの社員である女性数人が、「私たちはこれからコルトレーンのコンサートに行くけれど、あなたは行かないの」と聞かれた。 悔しかったが、「行きません」と答えた記憶がある。
当時、いつも貧乏でアルバイトをしなければ学生生活もままならない私としては、行きたくてもとても捻出できるお金がなかったのだ。 何といっても、当時は月15,000円で生活していたのだ。
また見るチャンスもあるだろうと、次回でよいと軽く考えていた。 しかしコルトレーンは二度と日本に来ることがなく死んだ。
コルトレーンが死んだニュースをアパートに訪ねてきた友人から聞いた時、真っ先に浮かんだのは、「じゃ、行ってくるね。次の時に一緒に行こうね」と言いながらいそいそと会社から出て行った女性達の姿だった。
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| sentimental journey | - 2010/07/01
- 昨日、コーヒー屋で私がセンチメンタル・ジャーニーとくれば当然ドリス・デイだと思っていたら、横にいた人は松本伊代だって。
こんなときに松本伊代かよと、年代の差が出てガックリ。 やっぱりドリス・デイの「A Sentimental Journey」は良かった。
Gonna take a Sentimental Journey,Gonna set my heart at ease....と始まり、Gotta take that Sentimental Journey,Sentimental Journey home.で終る。 旅に出て、そして家に帰ろうという歌で、最後の家がどこの家かは判らないが、旅と人生とひっかけたのかも知れない。 演奏だけならJackie McLeanの演奏が哀愁があっていい。Prestige(4.5.6)のジャケットの作りも風情があって好きだ。
歌中「伊代は16歳」などという歌詞がが出てくるセンチメンタルさがひとつもない歌なんて思い出すなよ、と悪態をつきながら、子供時代の近所のお姉さんが歌っている情景などに想いは馳せた。
時代は確実に移って行くな。
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| コーヒー屋閉店 | - 2010/06/30
- 裏のコーヒー屋が本日を以って閉店。
オーナーは3回ほど代わってはいたが、昭和40年代からの老舗で、年季の入った大きなカウンターや、太い木を使った落着いた内装は、ドアを開けると気持ちが良かったので残念である。 レコード屋巡りで疲れたお客様方が、棒の様になった足を癒し、座って美味しいコーヒーを所望して、一服していく店としても有名だった。
私は12年前この店を借りた際、店舗の前店長からの引継ぎ事項で休憩はここと決められていた。べつに守る義理もないが、継続して通っていたので、色々な思いが断ち切れてしまうような気がして淋しい。 オレが行く、午後のデイ・サービスの施設が消える。
店内が狭い割りに家賃が25万でもうやっていけないという話だったが、さすが新宿なのか、もう次の店子の候補がいて、ラーメン屋の場合は33万でもいいからと、借りる勢いだそうだ。 業界の勢いの差が出た。
昼食後一度行ってコーヒーを飲んだのだが、最後くらいは見届けようと、仕事が終ったあと、もう一度コーヒーをいただきに寄った。 いつもと違って、お得意様が沢山来られていて賑やかで、毎日がこんな風だったらきっと閉店しなくて良かっただろうにと知り合いと話した。 オーナーの淋しさを想うと胸が痛む。
知り合いが、なんだかセンチになるねと話した。 私の頭の中で、センチメンタル・ジャーニーが鳴った。
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| わが道 | - 2010/06/29
- 新宿3丁目はナンバーワンデパートの伊勢丹があり、駐車場に入りたい車が、明治通りから靖国通りにグルッと待つ。
なので常に左車線が渋滞。
今朝もちょうど10時頃だから入庫待ちが沢山いる。 靖国通りの青信号が黄色になった瞬間、シルバーのベンツが何故か交差点の中に突っ込んだ。でも前方は渋滞している。 そこで交差する明治通りの信号が青に変わった。 ところがベンツが車線を跨いで止っているので、一台も進む事が出来ない。
観光バスの運転手が一回クラクションを鳴らしたが、後はみな大人しく待っている。 そのまま信号が変わり、しばらく動きが無いまま明治通りには長い渋滞が出来た。
近くにいた私はベンツの運転席を覗き込んでしまった。 そこには普通の奥様が。 私にはとても出来ない事をやってのける練馬ナンバーの奥さまは立派だな。
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| チケット | - 2010/06/28
- 昨日の続き。
増尾のチケットと一緒に入っていた、もう一片のチケット。
マイルスのコンサート。 開催が10月2日であるから1981年だった。マイルス復活コンサートの一環だ。 場所は、新宿西口広場特設会場 雨天決行、気合十分って当たり前か。 S席 6500円。 まだ新宿の高層ビルが全部立つ前だったので、空き地でこんなことが出来たのだろう。 チケットを見ると、後援=新宿区。協賛=味の素kkアルギンZ、道理で当日ドリンクを配っていたような記憶がある。協力=新都心新宿PR委員会、新宿新都心開発協議会、西新宿をよくする会、と訳の解らない会の名前が連なる。
この時の記憶は実に鮮明である。 なぜなら私が知っているライブ中で最悪のコンサートであったから。
まずマイルス本人が調子悪そうだった事。 PAの機械が壊れたのか、スピーカーから出る音が途切れ途切れになり、仕舞には、ほとんど聴こえなくなった。 それでもまだ後方で場内整理の係員だけは元気で、ハンドマイクで立ち止まるなとか、歩けとかいう音だけが勇ましく響いていた事。 寒かったせいか、臨時トイレの数が不足していた事。 その内に、演奏が30分ほどで打ち止めに。
いま考えても不愉快なコンサートだった。 でもチケットを大事に取ってあったのだから、許しちゃってんだな優しいから。 結局、演奏はほとんど記憶に残っていないんだ、これが。
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| 73年のチケット | - 2010/06/27
- 店の棚を整理していたら、昔買った雑誌の間からこんなチケットが。
増尾好秋の73年ライブ 場所 渋谷 ジャンジャン 日時 1973年10月6日、開園12時30分
12時30分って事は、深夜の12時半で、そういえば深夜の演奏だった記憶がある。 渡辺貞夫が一緒やっていた事。 立見席しか買えないほど混んでいた事。
ネットで当時の記録を調べてみると、渡米していた彼がソニー・ロリンズと一緒に演奏する事になり、ロリンズ来日で帰朝するので、そのライブ演奏だったのだ。深夜1時から4時まで演奏が行われて、後日放送もされたようだ。
私の記憶では、ナベサダだけでしばらく演奏していて、リーダーなのだが遅れて増尾がやってきた気がする。 演奏はナベサダも抜群に良かった事、流石に本人のギターは溌剌として素晴らしかった事が記憶にある。他のメンバーの出来も良かったと記憶しているが、共演者は覚えていない。
演奏が終ったあと、始発電車がまだ無かったか、一緒にいた数人とどこかで何かお茶でもしたか、ぶらぶらしていたような気がする。 深夜でも聴きに行っていたのだから、当時、増尾のギターが余程評判が良かったに違いないし、私自身もジャズに気合が入っていたんだな。
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