HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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昔話
2010/07/11

知り合いが、久しぶりに池田さんの日記を読んだら、昔のお祖母ちゃんの知恵袋のような話ばかりだ、と。
ジジイは今の話は忘れるが、昔の話は思えているからだよ。

昔の仕事をよく覚えているのは多分、私の育った環境というのが、明治時代に限りなく近かったのであろう、と思うからである。いや江戸時代かもしれないと思う時があるほど古い町並みだったし、車などもほとんどない、助け合って生きている村社会だったからだ。

それ故、田植え、稲刈り、味噌作りと近所で協力していたので、当然それ以外の大量に作る事が必要に迫られた場合には、あっという間に人が集まり物事が片付いていく様を目の当たりにしていた。
そういうおばさん達の手仕事などにも興味を持って眺めているうちに、私は学習したに違いない。兎に角私は大人の仕事が面白くて、父の仕事も、母の料理も良く見ていた。
家によく来る大工さんの仕事も時間さえあれば付いて周っていて、「坊、危ないぞ」といつも怒られていた。10時、昼、3時の休憩時間のときには大工さんも面白がって、色々な話を聞かせてくれた。大工の計算の仕方とか、ノコギリの歯の目立てとか、さらには戦争の話などまで。「坊は学校を卒業したらおじさんの所に修行にくるか?」と言われていた。

そんな事を忘れていた高校生の卒業時、父の商売の失敗でどん底にあった家の状況を聞いていたのか、その大工さんが夜ひょっこり現れて「行く所が無かったら、家に来んか」とわざわざ誘いに来てくれた。
一応東京の大学に行く事が決まっていたので、お断りしたのだが嬉しい反面、父のだらしなさが情けなかった。

仕事の話ではなく、ただの昔話だったわい。

胡瓜
2010/07/10

昔、胡瓜はアクがあったので、料理する時には必ず両側をちょっと切り落として、切り口同士を軽く擦り合わせてアクを取った。
最近の胡瓜はアクが抜けて、そんな事はしなくても良くなった。
その分、胡瓜臭さも無くなった。
野菜好きにはちょっと物足りない。

今は野菜という野菜すべて、品種改良が行われたのかどうか知らないが、アクも抜けて、その臭さがなくなってしまった。
子供の頃に食べた野菜が懐かしい。

子供の時分、私の田舎では胡瓜は輪切りにしなかった。
それは神社の紋が胡瓜の輪切りに似ているからで、神様に粗相の無いように、という村人たちの思いから来ているらしいかった。

塩もみを作る際は斜めに切ったりして工夫をしていた。
たかが胡瓜だが、思いは重い。


胡瓜
2010/07/09

知り合いから、沢山採れたご近所から頂いたので、そのまた御裾分けで胡瓜をいただいた。
袋を開けて食べようと見ると、端っこをちょっと切ってある。
気にしないで洗ってミソを付けて食べた。

ふと他の胡瓜を見ると、全部端っこをちょっとだけ切り落としてある。
この地方の人たちは収穫の時にこうやって切るのかと思っていたら、翌日地人から「ちょっと切ってあるのは、ウチの娘が全部の胡瓜を端っこだけ食べてしまったんです」と。

思わず2歳の小さな子供が、胡瓜を取っては齧り、取っては齧りしている姿を想像して、笑ってしまった。

自動車と道
2010/07/08

新宿にいて、いつも不思議で仕方がない。
新宿界隈、幹線から一歩横に入れば道は恐ろしく狭い、それなのに狭い路地を走っている車や、家ごとに駐車している車は、ほとんど3ナンバー。
狭い道に幅広い車、何で? 5ナンバーの方が良くないか?
新宿のみならず、都心全てに言える事である。

ちょっと考えてみた。
まず3ナンバーとは普通自動車と言い、5ナンバーは小型自動車という。
まず、5ナンバーのサイズを書き出すと。
排気量2000cc以下、全長470cm以下、車幅170cm以下でこれ以上は3ナンバーとなる。高さもあった2m以下。

ヨーロッパに行くとつくづく思う、ヨーロッパの人達はなんと現実的な人達なのだろう。車のサイズが皆小さい。道路のサイズに実に適応していると。

それなのに、ヨーロッパより更に狭い道路の日本で、何ゆえに3ナンバーの車ばかりになってしまったのだろう。
かつて5ナンバーと3ナンバーは税金などにおいて格差があったのだが、噂によると米国車を売りたいアメリカの圧力で金銭的な3ナンバー規制が取り払われたため、高値の華であった3ナンバーに向上心高い日本国民が飛びついたせいだと言われている。

駄目だよ、見栄張っては。
そういえばサラリーマン時代、地方に出張に行き昼食に職員みんなで食事に行った時など、支店の課長が「支店長!クラウン買ったんですね」
支店長嬉しそうに「おー、いいぞ」。
「私は支店長の下のマークUで良いです、でもいずれクラウンに乗りたいです」
一同、うなずく。
支店長「ところで池田さんは何乗っているの」
私「あ、私ですか、ベンツです」
「東京の人は違うのー」
大体こんな会話。

可笑しいけど本当に、そんな会話をしていた。
支店によってはマークUとカローラ、スカイラインとサニーだったりもするのだが、どこの支店でもそんな会話だったような気がする。
車種イコール会社の地位は、当たらずとも遠からずであった。
みんな、道路の幅のことなど考えている暇などなかったのである。必至に良い車とマンションが欲しかったのである。

私も何乗っているの?と聞かれベンツと答えるのが、ちょっと嬉しかったりもしていた。

考えて見ると、日本全部が健気だった。
でも、もうこれからは自動車も小さなサイズにしよう。
ついでにプリウスのサイズも小さくしようよ、ね、子供店長!

エアコン故障
2010/07/07

エアコン修理完了。

昨日も修理に来たお兄さん、最初は過電流ですねと言っていたのに、「思ったより重症ですね、コンプレッサーが動いていません。明日、基盤を交換に来ます。もし、それでも動作しない場合は、新規に購入する事になるかもしれません」と、脅されていた。

今日は夕方、二人でやってきて基盤を交換。
「直りました」
スイッチオン。
暑かった事や辛かった事が忘れ去られ、爽やかな風がそよぐとここは霧が峰か? いや店内バラ色、思わずパラダイス。
ま、そんな感じ。

今、ボサノバのリズムも弾んでいる。
会社の帰りに来てね!

新宿2丁目
2010/07/06

朝、新宿2丁目の通りを歩いていると、歩道の辺りに雀が何羽かいる。
雀の群れが近づいている先に、掃除のおばさんがせっせとパン屑を撒いていた。
「優しいですね」とおばさんに声を掛けると、おばさん。
「可愛いのよ」
「可愛いですね」
とわが子を見るような顔になった。
「近くに来るの。でもね手には乗らないの」

何とか、手乗りにしようと頑張っているようだ。
動物という動物は皆、取って食べてしまうと言われている日本で、雀が人の手から食べ物をもらうようになるのは、いつの事だろうか?

Jack Johnson
2010/07/05

Miles Davis "Jack Johnson" Columbia s30455 入荷。

私の好きなマイルスのレコードは、「Get up with it」と「Jack Johnson」。ジャックジョンソンとはこのダサイ絵のジャケットのレコードである。
映画「ジャック・ジョンソン」のサントラで、ジョン・マクラフリンがもう堪らない。
かつて私も持っていたこのレコード、入荷とほぼ同時に購入していたと思っていたので、自分ではオリジナルであると信じていたら、友人にオマエのは再発だと言われて悔しい思いをした事がある。
このレコードは最初サントラとして発売されたようで、どうもあまり日本に入っていないようだ。ジャズのレコードとしては裏側のマイルスがランニング姿でトランペットを吹いている方が一般的だったようで、日本盤も最初から裏側の写真を使った方が出たらしい。それでは紛らわしいよね。

ラベルもいつも見慣れた赤ラベルではなく、グレイ・ラベルでコレクター泣かせ。
本によると、曲はこの映画の為に作ったものではなく、社内に既にあったテープからテオ・マセロが編集したとあるが、なかなかどうして、その気で作ってもこうはいかぬものが世の常で、それから考えると世紀の大傑作だ。

この映画も見逃したので残念でしかたがない。って、どこかの小さなマニア向けの映画館で上映されたくらいだから、普通の人は見逃すわな。私も普通の人間だから。
ところで、ジャック・ジョンソンとはどんな人物なのか興味津々でいたのだが、彼の事を書いた物等皆無。
ところが、彼に続くヘビー級のチャンピオン・ジョー・ルイスの伝記を、古本屋で見つけたので、読んでいたら偶然というか、その中にしっかりと書かれていた。ジョールイスが主役の本だから、ジャックジョンソンの事は当然、悪役で書いてあるので、余計に冷静に見られて面白い。

ジャック・ジョンソンは身長187cm、体重90kg。あまり大きいほうではない。だが滅法強くて一試合で20なんラウンドも戦ったタフさで、1910年当時、一晩で5万ドルも稼いだというから、今で言えば5億も稼いだ事になろうか。当時は彼は逆の意味で人気というか大の不人気者で、その大きな理由は、付き合う女性は皆白人でそれも、車と同じように次から次へと乗り換えたので、社会問題にもなっていたらしい。差別の無い今でも芸能マスコミの餌食だわな。
歴史学者によると、もし彼が存在しなかったら、黒人開放運動がもっと早まったと決論づける方もいるようだ。
男としては凄い!1910年当時に人種差別なにするものと遊び歩いていた姿など想像を絶するパワーであろう。50・60年になっても差別されたとイジイジとしている黒人など足元にも及ばぬ強さである。
ま、男としては最高の人生だったわけだ。

B面の最後の、「I'm Jack Johnson,Heavyweight champion world, I am black.....」の決め台詞がなんとも痺れるのである。

あー、オレも男らしく生きたいなー。

エアコン故障
2010/07/04

昼にエアコン故障。

このエアコンは2002年の8月、連日35度を超える猛暑が続いたある日遂に壊れたのであった。
ちょうどお盆の前で、修理の甲斐なく停止。空調屋のおじさんの「これは家庭用の小さなエアコンだから、店には持たないね」の一言で購入したのであった。

それから8年、店の規模に対して、数倍の広さに対応する機種だったので、当時「20年くらいは楽勝ですよ、イヒヒッ」と空調屋のおじさんに言われたものの、あっけなくダウンか?

三菱重工は親切にも日曜日でも電話対応していたので連絡。
機械に表示されている故障のコードを電話で告げると、ブレーカーを落として5分立ってから再度電話下さい、と指示される。その通りやって見てもやっぱり故障ランプが点滅するので、また電話。
では過電流ですね、今日の連絡でも早くて火曜日ですね、という事。
来てくれれば、ありがたい事だ。

しかし、暑いで!
夏は暑いから青春だ!
ってもう青春じゃねえよ!

コンサート
2010/07/03

私の日記を読んでくれた方から、コルトレーンのコンサートは行きましたか?と聞かれた。

ここのところ、ひょんな事から昔のライブのチケットの半券が出てきたので、良い思い出に耽っていた。
だが、よくよく考えてみると行かずに後悔しているライブの方が多い。
その中で、最も悔むのが、コルトレーン来日コンサート。

あれは66年だったのか。
何日か前にチケットを入手していた知り合いもいた。
当日、私は確かデパートのケーキ屋でアルバイトで働いていた。終業時にそこら辺の仲良しの社員である女性数人が、「私たちはこれからコルトレーンのコンサートに行くけれど、あなたは行かないの」と聞かれた。
悔しかったが、「行きません」と答えた記憶がある。

当時、いつも貧乏でアルバイトをしなければ学生生活もままならない私としては、行きたくてもとても捻出できるお金がなかったのだ。
何といっても、当時は月15,000円で生活していたのだ。

また見るチャンスもあるだろうと、次回でよいと軽く考えていた。
しかしコルトレーンは二度と日本に来ることがなく死んだ。

コルトレーンが死んだニュースをアパートに訪ねてきた友人から聞いた時、真っ先に浮かんだのは、「じゃ、行ってくるね。次の時に一緒に行こうね」と言いながらいそいそと会社から出て行った女性達の姿だった。

sentimental journey
2010/07/01

昨日、コーヒー屋で私がセンチメンタル・ジャーニーとくれば当然ドリス・デイだと思っていたら、横にいた人は松本伊代だって。
こんなときに松本伊代かよと、年代の差が出てガックリ。
やっぱりドリス・デイの「A Sentimental Journey」は良かった。

Gonna take a Sentimental Journey,Gonna set my heart at ease....と始まり、Gotta take that Sentimental Journey,Sentimental Journey home.で終る。
旅に出て、そして家に帰ろうという歌で、最後の家がどこの家かは判らないが、旅と人生とひっかけたのかも知れない。
演奏だけならJackie McLeanの演奏が哀愁があっていい。Prestige(4.5.6)のジャケットの作りも風情があって好きだ。

歌中「伊代は16歳」などという歌詞がが出てくるセンチメンタルさがひとつもない歌なんて思い出すなよ、と悪態をつきながら、子供時代の近所のお姉さんが歌っている情景などに想いは馳せた。

時代は確実に移って行くな。

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