HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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DIZZY REECE
2011/05/10

DIZZY REECE "ASIA MINOR" NEW JAZZ 8274
このレコードについては、たしか昨年だったと思うが入荷したので、私の愛聴盤であると日記にも紹介した記憶はある。

ところが、こんなレコードが入荷してしまっては、また紹介しないわけにはいかない。
今度は英国のESQUIRE盤なのである。
ジャケットは米国盤と異なる。彼がトランペットを咥えてイカツイ顔の写真で、そのジャケット左側の空白部分にASIA MINOR, DIZZY REECEとちょっと引き気味に書いてある。そして右下には例によって斜めにEsquireと記載されている。なかなかの出来である。
ヨーロッパ諸国がなぜ米国ジャケットを好んで使用しなかったか、権利関係、国民性に合わないなど諸説あってはっきりしないが、単に自分たちのオリジナリティーでデザインし直したかったという意見が、かなり信憑性が高そうである。
いずれにせよ、ほとんどお目に掛かることがない珍しい逸品である。

盤は例によってNEW JAZZのVan Gelderスタンパーである。
音質は極めて良好である事はいう事もない。

選曲も良く「The story of love」「Summertime」等上出来である。

番号 ESQUIRE 32-185

リストの順番
2011/05/10

お客様からちょっと興味ある質問が来た。
ミュージシャンの名前の順番がなぜ、ファミリーネイムにならないか?という質問。

突かれるとちょっと困る、なぜなら実はこれ、コンピュータ・システム構築の時に非常に悩んできた問題だから。
MIles Davisを「D」の列に入れたら気持ちが良い。
しかし、今は「M」の列に入っているケースが多い、なぜかというと、EXCELを使う人はもう解っているのだが、並べる「キー」が頭の文字で並べ替えるのでそういう事になる。
どうしても「D」に入れたい時は、Davis, Milesと書き換える事もあり、却って見づらくなった場合もある。
昔は人間が考えながらタイプを打っていたので、そんな悩みは無かった。
コンピュータになったので、そうも行かなくなった。もしどうしてもと言えばシステムを作り上げないといけないので費用がかかる。

さらにロックのグループが入ってくるともっと、ややこしくなる。
The Beatlesは頭で行くと「T」の枠になるが、「B」の方が良いと言う意見も出てくる。
さらに、Louis Van Dykeの場合は、中の「V」で並べるか、「D」で並べるかと悩む。
そういう事をすべて満足させるためのシステム構築は費用が掛かり、金のある大企業だけが顧客を満足させられる事になるのかもしれない。
当店もジャズながら、色々意見もあったがどうしようもなく、ファースト・ネイムのイニシャルから並べている。

また、店内の商品の並びもジャンルが多岐にわたる総合店などはシステムと同様、あっさり頭の文字で並べているようだ。

長年コレクターをやって来た思い入れがあればあるほど悩みは深いが、どうしようもない問題でもある。

チラシに興味
2011/05/09

お客様がレコードを処分された時に、一緒にいただいたアート・ブレイキーのコンサートのパンフレット。1月2日から29日の長丁場で全国縦断となっている、考えるとどうも67年ころではなかろうか。あの時の私の青春に戻ると、「だらだらした演奏しやがって」と評判があまりよろしくなかった時かもしれない。
61年来日の時はテレビで放送され田舎にいた私のようなガキもジャズに興味を持ち、正座して画面に見入った。日本中にファンキーブームが起き、彼らは毎年来日するようになったのである。しかし、残念ながら彼らはすでにモーダルな演奏に踏み込んでいて新しいジャズの模索をしていたのであるが、それが、来日するたびに日本のプロモ−ターからあの時の雰囲気でモーニンとキャラバンとチュニジアの夜でドラムソロは云々と言われているはずで、もう観客と演奏者の間のギャップは埋まるはずがない。
それはもう当然の事。

で、アートブレイキーのコンサートの話は置いといて、実は中にあったチラシに興味津々。
当時新宿に君臨したファッション・リーダー的ショップ三峰のチラシで、そのショップが提案する「服装計画」なるものである。写真は表で二つ折りになっている。
表のアイビールックとなっているのは、ジャケットは三つボタンの中掛けと親切で、シャツがオックスフォード+ボタンダウン、靴がスリッポン・ウィングチップとなっている。アイビーだね〜。
めくると中にアメリカン・コンチネンタルとなっていて、ジャケットはお腹周りをちょっと絞ってありボタンが二つでサイドベンツ、ネクタイはウィンザーノット、靴はプレーントゥ等。解り易くて親切である。
反対側にはインターナショナル・エグゼクティブとありステンカラーのコートを推奨している。ジャケットは伝統的なシルエットで上品さを醸し出している。
裏にはレジャー・ウエアーとあり、アスコットタイやカーディガンを推奨していて、日曜日もカジュアルな装いで御洒落にも気を使うように指導されている所が微笑ましい。
見れば見るほど面白くて、しばらく見入ってしまい開店準備の時間が遅れそうになってしまった。

今に続く西洋のファッションを解りやすく紹介していて、副題が「from IVY to Executive」となっているのが当時の気概を表している。
正にファンキーブームの音楽とアメリカンスタイルなファッションは一緒にやってきたのだと、思うと感慨深い物がある。

これってジジイにしか分からないものだったか?

引きずる、ツキのなさ
2011/05/08

従業員の報告によると、
昨日、昼ごろ来店し購入されて帰ったお客様、夕方もう一度来られ、同じものが既にあったからと理由をつけて、返品に来られた。
残念だが仕方がない。

ここの所、こんな感じの接客が多い。
勢いがつかない。
きっと私のパワー不足が大きな要因に違いない。

昼も、百貨店で赤飯だと思い込んで購入したが、食べていたら中からアンコが出てきてガッカリ、甘党の私でもかなりの甘過ぎであった。
二つも買ったのに。
今朝から、昼に赤飯を食べるんだ、と決心していただけに残念無念。
口の中が甘甘でどうしようもなくて、駅近くのバーガーキングでハンバーガーを食べて、結局食べ過ぎ。


GWも今日で終わり、明日からの平静を取り戻して仕事に励みたい。
身体の方もようやく復調してきた。
明るく、前向きに行こうと思う。

GWの渋滞
2011/05/07

法事があって群馬県に出かける。
GWの連休の最後なので、東京に戻る夜の時間帯は大変な渋滞であろうと予測し、対策としてガムや水を持ったりして出かけた。

式が終わり夜7時過ぎ、関越道に入るもなぜか道路はガラガラ。
いつか混むはず、いつか混むはずと思いながら、結局何事も無く帰り着いてしまった。
平日より空いているGWの週末。
こんな不思議な事もあるのだろう。

きっと都民の感覚においては、GWは5月5日でしっかり終わっていたのだと痛感。
人間の動きは面白い。

ツキがない
2011/05/06

先月のレコード万引きがあってガッカリしたと思っていたら、今度はお客様にゆうパックで送ったレコードが運送途中で破損。

万引き事件の方は、警察に何度も相談に行き相談の結果、被害届を出した。
被害がかなり大きいので、警察でも時間を見て調べてくれることになり、どうやら某所に売りに行った事は分かった。
その後は警察に任せる事に。

破損した荷物は非常に悲しい。
なぜなら最初の頃、当店は佐川を使用していたが、紛失、破損と続きクレーム処理もいかにも事務的であったし、調べると大きな荷物も小さな荷物も一緒くたにして運送して事がわかりこれはダメだと断った。
次はヤマトだったがこれもお兄さんと何かがあって断った。
それで最も信頼性の高いのは郵便局の「ゆうパック」という結論に達し、以来ゆうパックを使用している。それなのに、盤が破損するほどの壊れ方だという。
レコードの上に何か重い物を落としたらしい。破損した箱にビニールテープをペランと貼って配達したようだ。

運送の途中でそうなったようなのだが、どこでそうなったのか、解らないという。
そんなもんかな。
信頼していたのに。

強い!
2011/05/05

西武新宿駅近くで見た光景。

風の強い朝、カプチーノを飲むためにカフェに出かけたら、美人のお姉さんが何かのキャンペーンのチラシを配っていた。
笑顔が綺麗。

その近くのビルの壁の下で、しゃがみ込んで、コンビニ弁当をちょっとだけ広げて食べていた、若い男がいた。
こんなところで食べるなよ、と言いたい所である。

その若者に向かって、美人のお姉さんが何やら拾ってツカツカと近づいて、手に持ったモノを差し出して、言った。
「こんな袋でもあなたが、自分で捨てるものでしょ、こっちに寄越さないで!」。

若者はノロノロと見上げながら、あっけに取られた様子で「はぁ」と一言。
お姉さんの方が間違いない。
エライ!

新宿はいろいろな戦いがある。

ティーンエージャー
2011/05/04

 昔のアメリカのヒットソングがよく出て来てしまうが、アメリカの音楽史の中ではジャズとも決して無関係ではないので許してもらう。
私の年齢からしても、知り合いからしても、仕方がないのは如何ともしがたい。

今改めて思えば60年代はどうしようもなく凄い時代だったのではなかろうかと思うのである。日本でもそうだったが、桁違いでもちろんアメリカでの話。

映画「アメリカン・グラフィティ」に出てくるような豊な環境と、突如10代のガキの金に群がったポップス・ミュージックやファッションのビジネス。
ちょっと切ない若者の恋、大人になれないやるせなさ、持て余す力を象徴する斬新だったエレキギターのサウンド、軽快なリズム等が上手く散りばめられ、それが妙に明日に向かう希望だったりする音楽、アメリカンポップス。

日本でも歌詞を作ってテレビで歌ったりしたが、考えるとあれはやっぱりアメリカでの話なのであって、僕らはそれを垣間見て、ちょっと喜んでいたのだと思う。そう思うと自分が可愛いと思うと同時に切ない気持ちもある。

そういえば、イギリスでもそういう映画を80年代に作ったデビット・ボウイ主演の「ABSOLUTE BEGINNERS」というちょうど60年のロンドンを描いた作品があって、ギル・エバンスの音楽が大活躍したのだが、映画の中で面白いセリフがあって、とても興味を引かれた。

「ティーンエージャーという言葉はアメリカでの言葉であって、他ではない」、というセリフで、英語の本家のイギリスがそういう所がエラク面白い。
当時を振り返ると、なるほどと思わせる。
歴史的・風俗的に非常に凄いセリフである。

真面目に、ではイギリスや他国の10代のことを何と言うのかと聞かれても困るが、まさにアメリカにおける時代にぴったりはまった言葉であった。
今の10代があの時ほど、現実の楽しさと切なさ、将来に対する夢と希望と満ちている時代を楽しんでいるかと言えば、多分ノーと言わざるを得ない。
あらゆる時代で、やはりティーンエージャーと言えるのはあの時だけ、それもアメリカだけだったと断言出来るのかもしれない。

あれはなんだったのだろうと考えると、私もよくは分らない事だらけだが、とにかく面白くて、やっぱり良い時代だったのだ。

大雨だから、木の葉の子守歌
2011/05/03

夕方近くになって既に大雨。
暇になってしまったので働かないといけないが、世間の人は休みで、家で鰹の叩きでビールでも一杯やっているだろうかと思うと、仕事に身が入らず、店のレコードを聴く。

聴いたのは「BILLY BAUER "PLECTIRIST" VERVE8172」。今在庫であるのはNORGRANの方ではなく、後出しのバーブの方。
このレコードは本当に良い。先日はWARNE MARSHのレコードの事を書いたし、コニッツも好きだから、私はやっぱりトリスターノ派が好きなのかもしれない。そういえば、以前来店されたスティーリー・ダンのウォルター・ベッカーがトリスターノのレコードを欲しいというので、店の在庫からオリジナルや海賊盤も含めて10枚程も出したら、ニューヨークにもこんな変な店は無いと笑っていたから、本当にそうかも知れない。
それで、裏表聴いてみて、ふと「LULLABY OF THE LEAVES」という曲が気になった。

ちょうど、値段を付けようとしていた、もう一枚のレコードがブルースのTINY GRIMESのU.A.盤にも入っていて、そちらも聴く。ブルースでソウルだな。

この曲、日本題が「木の葉の子守歌」、とくれば、そうベンチャーズ。大迫力の子守歌である。
私のような世代は、ベンチャーズが演奏した曲は、みな彼らの雰囲気にすり替わってしまっていて、なかなか本チャンを思い出せない。
なんたって、キャラバン、ヲーク・ドント・ラン、木の葉の子守歌、と大したものである。

でも、ジャズ好きならせっかくだから、ビリーバウアーのも聴いて欲しい。
ところで、この作曲者はたまたま知っていたのだが、Bernice Petkere といい、我々の世代より少し前の世代のアメリカ人の間では有名で、それはそれは膨大な作曲をしたらしい。といってあまりジャズでは取り上げられる曲はないが、有名所では「Close Your Eyes」か。




過酷な環境
2011/05/02

昨日の続きで過酷な環境の話。

過酷な環境と言えば、戦時中の軍隊生活がまず一番に挙げられる。
と言っても、もう60年も前の話だが。

私の父親は軍隊で一度も怒られた事が無いのが自慢だった。

軍隊に行った人達の、ひどいイジメや理不尽な仕打ちについては書物、報道、映画、テレビで嫌というほど語られてきた。
また、私が年配者に聞かされた話でも、無残な話ばかりであった。日本に軍隊などあってはならぬという話のサビの部分である。

あー、それなのに、ウチの父親と来たら全くそういう事がなく、人に聞かれる度に「いいねー、若い人たちに是非経験させた方が良い」と軽く言うのである。
世の中は戦後で、戦争反対、軍隊反対で固まってきているので、私もこれではまずいと思い、一度真面目に聞いてみた。
まず、身体が大きく、また強健であった。
部隊の中で一番であったらしい。
それに、動きがキビキビしていて、訓練でも一番だった。
当時の軍隊で重視されていた、「支度」もほとんど一番だったそうで、脚絆を巻くのが素早くて身綺麗だったそうだ。脚絆=キャハン、なんて今は知る人もいない。
食事のまずさにも問題なく、食べるのも速かったそうだ。「早めし早くそ早支度」も一番だったというわけ。
もちろん連帯責任で殴られる事はあるが、あまり殴られた経験が無かったそうだ。

父親は75歳を過ぎても、筋肉隆々たるもので姿勢も良く、酒も食事の前に大瓶ビールを2本、普通に食事しながら酒を2合、食欲は旺盛でもちろんご飯と味噌汁を御代わりした。食後はウイスキーをコップ一杯美味そうに飲んで、顔色も言動も普通にしていた。
そのあと、足らないと言ってウィスイーを御代わりするので、お袋が酒代が掛かって仕方がないとこぼしていた。
反戦・平和と言わなければならない世の中になんという父親だと思った。

父親だけではなくその兄弟も、近所の人たちもたくさん戦争に行った。
そしてたくさん死んだ。指揮官には都合の良い兵隊さんだったに違いない。
街のお寺の墓地にいくと、戦争で死んだ人たちの墓が沢山あって、子供の頃からそれらを見たり読みあげたりしながら両親に、いちいちどんな人だったか聞くのが楽しかった記憶がある。

過酷な労働条件の製糸工場で働いても何とも無かった女の子達。
軍隊に行っても何ともない青年。身体の強さに平等がないように労働条件にも平等はない、といってはいけないんだな今は。
当時の田舎の生活が、いかに厳しく、そういう環境が強い人たちを作り上げていたのであろうかと思うと同時に、私は当時の故郷の人たちが哀れに思えて仕方がない。

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