HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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アッキーナ来店
2011/07/08

南 明奈(アッキーナ)さん来店。
ちょっと前の事だったので、もう書くのを止めようと思っていたのだが、やっぱり日記に書こう。

可愛い方でした。
カメラマンに「笑って下さい」と言われると、ニコッとする笑顔が流石芸能人。
なんであんなに可愛い笑顔になれるのでしょう?
不思議。
やっぱり元々可愛いんだ。

赤塚不二夫
2011/07/07

ちょっと前に「ベシ」の始まりを書いてしまったので、スイッチが入ってしまい、ついでに書きたくて仕方が無かった事があって、今朝、写真を撮ってきた。

それは新宿に赤塚不二夫が書いたと言われる看板があるから。

「ふぐ」と書いた、ふぐ料理屋の看板。
先生が贔屓にしていたみせだとか。
地元では美味しいとの評判である。

私は、まだ行った事はない。

クレームの事
2011/07/06

団塊の世代はクレームの世代だと私は思っている。

実際、他からそう指摘されると私も悔しいが、それは結構当たっている。

クレームという言葉が流行ったのは、私が学生の頃である。流行ったというとちょっとオカシイが流行ったとしか言えない程、広まった。私も友人から「クレームを付ける」という言葉を教えてもらった。

喫茶店やレストランなのでちょっとでも違う事があると、同級生たちからクレーム付けろと指摘される。購入した商品にちょっとでも不満があるとクレームを付けるのが当たり前だと指摘される。

市民は高度成長と共に電化製品・自動車など次々と購入した。お客様は神様、と言ったどこぞのデパートの社長の発言がテレビの画面から流れ、金を使う事に国民が狂った時代である。
だが商品に当たり外れがあるのが当然である。
企業は声の大きい人に商品を取り換えるとか、何かを付けるとか、更に値引きをするとか大袈裟なクレーム処理をしてきた。クレームを付けると何かいい事があるように思えてきた。
購入した自動車を取り換えさせた等という自慢が至る所で聞いた。
だから、そうでない人はクレームも付けられない駄目なヤツとされ、クレームが成功した人は仲間の女子から頼りにされた時代でもある。
またどこに行っても、多数によるわがままが通るようになった事を知った世代でもあり、クレームとは美味しい事、を学んだ最初の世代だったのかも知れない。

それだけに沢山のお金を使い、若いうちからマンションを購入し、一生懸命に働き遊んだわけで、活発な経済活動に貢献した世代ともいえる。ある意味エライでしょ。

団塊の世代
2011/07/05

団塊の世代の事。

最近パソコンの書き込みでも団塊世代への悪評はバンバン出てくる。
 私の知り合いも、例の地震のあとガソリンが無くなって来て、みな少しづつ並んで購入している時に、近所の団塊世代の親父がクルマを変えて3回並んだとか。
 またある知り合いで大学の市民講座を担当してる方からは、赤字なので授業料を少しだけ値上げした所、団塊世代の人達から猛烈なクレームが来た。この世代の代表として、一体どういう思考回路なのかと聞かれた。僕は団塊草食系だから解らないと答えたが。
 またイベント主催者からは、ライブ会場で最初から騒いだり、周りの雰囲気を構わず騒ぎ立てたり、クレーム・野次が多くて、辟易しているとも聞いた。
 また、喫茶店の主人からこの世代のマナーの悪さや注意すると、何が悪いと睨みつける人が多いとこぼしていた。

「みんなで渡れば怖くない」という習性が身に付いてしまった結果だとは思う。大人数で世代内の激しい競争が常に付いて廻った結果の習性で、生きて行く上で身に付いた知恵だと思って許していただきたい。

また、人数が多いので、当然出来の悪いのも中にはおります。
一つだけいうと、当店のお客様にはマナーの悪い方は一人もおりません。
はい。


団塊
2011/07/04

最近立て続けに団塊の世代の悪評を聞いたので、その世代の話。

私が生まれたのは昭和22年だから団塊の世代に入れられる。
だが、私は早生まれなので実際はその上の年代である。私の学年は27人で2クラスだったので、いつも先生にくっ付いていて、日曜日も先生の所に遊びに行き、写真を撮ってもらったり、散歩に連れて行ってもらったりした。少人数のクラスはみな仲良しで、いたわり合って小学校生活を送っていた。クラスの喧嘩などあまり見たことがなかった。

それが下のクラスだといきなり42人で4クラスになった。教室の数が足りないのでそういう人数になったそうだ。理科室とか家庭科室などが消えたので僕らは面白くないとぼやいていた。
時々、そういう下のクラスを見に行くと、休み時間の騒音が猛烈に煩い。小競り合いがしょっちゅうある。弱肉強食の子供社会の出現のように見えた。
我々世代のように時々先生が残って勉強の解らない所を教えてくれたりすることもないらしく、先生と生徒がはっきり分断され、先生方から休みの日など時間外に先生と生徒が一緒にいることを禁止する動議が出されたといわれ、そのうちに我々も先生と遊べなくなった。
禁止しなくてもよいと思うのだが、禁止しないと面倒見の悪い先生は具合が悪いのだと、その時の先生がそっと教えてくれた。子供もこうやって大人の社会の仕組みを覚えていくのだな。
多人数を相手にしていては先生の身体が持たない。今になって思うと、数の多い生徒に手を焼いた、下の学年を受け持った先生たちの知恵であったように思う。

そういう環境にいた下の学年の子供たちは生活力が旺盛というか、皆生きる知恵があるというか、たくましかった。
6年生の時、下の学年と野球をしたが、僕たちのクラスは負けた。
のんびり型の僕たちが、数多い生徒の中で賢く生きることを学んでいる子供達とはもう人間のレベルが違っていた。ちょっと複雑なプレイでアウトを取ると、すぐに、習ってないから今のはやり直しして下さい。などと平気で言い出す。仕方ないから譲っているうちに何となくずるずる負けてしまった。
こども心にこれはエライ世代の人間だと思った。

当時、そういうクラスを受け持った先生方もまたクールな感じの先生が多かったと記憶しているのだが、偶々だったのかもしれないが、またそういう時代に移っていたのかも知れない。
「二十四の瞳」の時代が終わった時でもあったのだろうか。きっと。

それは中学に行っても同様であったが、更に凄い事になっていて、私が卒業する年にプレハブ教室をつくるために校庭がつぶされた。昼休みにソフトボールが出来ないと皆ガッカリした。
高校や大学に行っても同じことであった。生きる力がというか、世の中や先輩の扱いなどが上手で、すっかり舐め切っているのが伝わってくるのだが、先輩の立て方が上手いのでどうしようもない。

数だけでなく、人生でも勝てない世代の出現だった。
会社でも1・2年下の世代は、責任を取らなくても良い仕組みつくりが上手い上に、自分たちの権威を保つ事も上手かった、それで出世もする。
勝てないままだった。
子供のころから揉まれている子は強い。
憎まれっ子、世にはばかる、とは、この事と思った。

だが、今はみんな苦労している生きている事に変わりはない。

非核三原則
2011/07/03

平和日本には非核三原則という素晴らしい平和の合言葉がある。

でも平和は3つではなく。
核を「持たない」「作らない」「持ち込まない」に加えて「爆発させない」を入れて4原則にして欲しかったな。
爆発ではなく「垂れ流さず」か?。





新宿区の某建物
2011/07/02

区の文化センター前。
日曜日の朝も、そこを歩いているとカラスが、人通りの少ない道で何やら餌でも探している。それを見た警備員のおじさん、「カラスも今日はノンビリしているなあ。日曜日だなあ」って。
おじさんの顔を見て、頷いてしまった。おじさんから笑顔が返ってきた。

そこは、前の道路が一方通行なのに道幅が広い。
道路脇には背の高い植え込みがあって、歩道から見通しが悪い。
ということであれば、入れ替わりタクシーが一日中停められ、弁当を食べたり、昼寝したりする場所になっていた。
遠くからの見た目は微笑ましいと言うか、悪くない場所である。

所が、植え込みの横を歩くと猛烈に小便の匂いがして、それはそれは気分が悪い。
何とかならないものかと、私も通る度に嫌な気分になった。
もちろん区とて、ただ手を小招いていた訳ではなく、小便厳禁の立て看板を立てたりしていたが、効果はあった試しはない。

所が最近、近くを歩いているといつの間にか匂いが消えている。
消毒でもしたのかなと思っていたが、どうもそうではなく。ちゃんとした作戦があったらしい。
それは良く見ると分かったのだが、植え込みの下の部分を梳いてしまって、見通しが良くなったから。
ちょっと区の方針に感心。

邪魔だからと言って植え込みを切ってしまえば、植え込みななくなり、殺風景。これは良くない。
道路を狭くすれば、これまた風情がなくなる。
植込みの下部だけに手を入れて見通しを良くするのは素晴らしいアイディア。かと言って、植物の手入れをしている人なら分ると思うが、思い切って枝を落とせば木が枯れる。それを防ぐには2年3年と手を掛けて徐々にやるのが一番良い。

公務員の仕事を何にもしないで高級取りなどと批判ばかりしているテレビの報道につい同調しがちだが、こういう皆が知らない内に、地道な仕事で貢献しているのが分かった時、やっぱり嬉しいものだ。

熱中症かも?
2011/07/01

朝から、横浜にちょっと用事があって、車で出掛ける。
車庫から出し少し走ったところで、エアコンがない事を思い出す。
この車は友人から購入したのだが、エンジン出力を落とさないために、エアコンを取り払ってしまってある事に気が付く。
じゃ、窓でも開けようとした所、反対側の窓は開くが、運転手側の窓のスイッチが壊れているのか開かない。

面倒だったので、そのまま走った。
それが失敗。
行きはそれでもなんとか持ったものの。向こうで外の駐車場に置いておいた車の熱いの熱くないの。
車内は40数度を軽く超えていたと思われる。
タオルもびっしょり。
帰ってから、頭が軽くなった感じでフワフワ。

Don't stop the carnival
2011/06/30

SONNY ROLLINS "WHAT'S NEW" RCA VICTOR LPM-2572

ロリンズのレコードの中では人気のない一枚が入荷。
へそ曲がりだから、このレコードに注目して見た。

62年のレコードの、この米国盤オリジナルにはこの曲「DON'T STOP THE CARNIVAL」が入っていない。理由としては、こんな軽々しいラテンでポップな曲では販売に自信がなく、心配した会社が外した。その代わりに他国で当たりを見ようという事になり、ヨーロッパにはこの軽い曲が入った方のテープを送ったのだそうだ。本当かどうか知らないが、以上の理由で米国盤とヨーロッパでは内容が異なるレコードが発売になった。
本当と思える点もある。それはボサノバが流行るゲッツ・ジルベルトのレコードでさえ63年なのである。それがその前に、ごついサックスのロリンズではや会社としてもエイヤと行けない。やや分が悪い。
62年というラテンが流行る前の事である。さもありなんである。
当時ロリンズは進んでいたんだな。

半分、想像で勝手な事を書くのはいい加減にしよう。誰かに怒られそうだ。

ところで、今回のレコードはドイツプレスだが、番号は米国盤と同一である。ドイツ盤のGEMAとフランス盤のBIEMと両方記載され、更にDECCAとも記載されてジャケットには62年と印刷されているので、ヨーロッパの初期盤かも知れない。
日本盤は、その後だから、米国とヨーロッパを2枚持って、コレクターとしては初めてオリジナルを持ったと言える、厄介な盤である。

ところで、このレコードはロリンズが復活した例の名盤「ブリッジ」が1月で、そのわずか3か月後である。彼の貯めに貯めたアイディアが詰まっているのである。詰まったフレーズや音楽のアイディアが一挙に吐き出された力作なのである。あーそれなのに、それなのに 今も尚、人気の無さ。
仕方のない事とは言え、ちょっと淋しい、今日この頃。

ロリンズらしい豪快なテナーと敢てピアノを外し、コーラスまで入れた素晴らしいラテンである。ロリンズらしさが良く出て、個人的には大好きな演奏である。

そういえば思い出した。因みにハリー・ベラフォンテもこの曲を演っているのだが、コーラスが同じ、って思ったのは私だけ?

ポギーとベス
2011/06/29

BETHLEHEM "PORGY AND BESS" 3LP BOX SET EXLP-1
いや、面白いレコードが入荷したものである。

これは私の後ろ姿のお尻の写真では無い。
3枚組のボックスセットのジャケットである。
ジーンズの後ろのポケットからはみ出た赤いハンカチ、という洒落たデザインである。
石原裕次郎ではないが、赤いハンカチである。
ハンカチは本当に布のハンカチーフである。
ポケットの上部の部分の箱に切り込みが作ってあって、そこにハンカチをねじ込むようになっている。
そしてハンカチにはミュージシャンの名前がびっしりと書かれている、なかなか凝ったつくりである。
コレクターズ・アイテムとはまさにこの事。

このレコード、ジョージ・ガーシュインの代表的作品である「ポギーとベス」の音楽をコンプリートに演奏したもので、同レーベルを代表する堂々の力作である。
メンバーも同レーベル・オールスターである。
なかなか気骨のある経営者であった事が伝わってくる。

売れ筋のみを考えて汲々としてレコードをつっている、日本のどこかのレーベルとエライ違いだ。
と言ったものの、買ってくれる人がいるのかしら。
棚に入れようとすると、ハンカチの部分が膨らんでしまって入れにくいしな。
ちょっと心配。

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