HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

AT THE PRELUDE
2011/10/21

RED GARLAND "AT THE PRELUDE" PRESTIGE 7170

昨日に引き続き、ガーランド。
同時に二枚入荷した事だけではなく、以前、毎晩ジャズのレコードを買いまくって聴きまくっていた頃、一日おきに両者を互い違いに聴いていたレコードでもあり、個人的に思い入れが強く、どうしても書かずにいられなかった。

ジャケットが実に上品である。
写真の顔がクラシックの演奏家だったなら、もう立派なクラシックのレコードとして通用するであろう、よい雰囲気である。
実に良い写真である。
色合いが黒であるが、黒は黒でも、やや淡い感じの黒を使った所に、これまたダークな雰囲気が滲み出ている。

彼はニューヨークのクラブ、プレリュードによく出演していたようで、ここでも手慣れた感じの演奏がある。
リラックスした中での、歌心がある気持ち良い演奏が続く。
いかにもジャズらしく、しかも優雅で上品さとセンスに溢れ、しかもブルージーさを失っていない、流石の作品である。
冒頭の「SATIN DOLL」「PREDIDO」「THERE'LL NEVER BE ANOTHER YOU」「BYE BYE BLACKBIRD」と、見事に彼の唄は流れて行き、あっと言う間にA面が終わる。
何度聴いても、心地よさが失われないサテンドールなど、見事な作りである。

この頃から、彼はジャズ・シーンの中で決して居心地が良かったとは言えない状況下にあったようだ。
ジャズ界自体もビジネス的にも厳しさも出て来ており、ミュージシャン自身にも経営センスが求められるようになっていた。
彼はあまりそういう面倒なことが好みでは無かったようだ。

そういう意味でも実に彼の心が伝わる、良い作品なのである。
いや、ジャズって、本当にいいですね。

「我が傍に ジャズありて秋 孤独かな」

WHEN THERE ARE GREY SKIES
2011/10/20

RED GARLAND "WHEN THERE ARE GREY SKIES" PRESTIGE 7258

私がオリジナル盤のコレクションを初めた頃、一番初めに集めたかったレコードがガーランドの作品群である。
私は基本的にレッド・ガーランドのレコードは皆好きである。スローな曲、ミディアムテンポの曲における、あの音が重なる独特な音色は、夜一人で聴いていると、とても気持ちが良い。
それらの中で、特にこのレコードがたまらなく好きだ。

でも、このレコードのジャケットは7200番台半ばのせいかコーティングもされていないので、ガッカリしてしまいそうだが、そんな心配は無く、良く見るとザラッとした紙質が却って暗い空を連想させる。
また川面をを眺める彼の写真の上にタイトルがピンクの帯になっているのものの、アメリカの当時のピンクの色は、ややくすんだ感じで、ロマンチックな風情が表されている。

彼は55年からマイルス、ロリンズ、コルトレーンという当時の一流所と幾多のレコーディングに付き合い、50年代代表作にオール・アメリカン・リズムセクションと我々が呼ぶところの、ジャズの土台として頑張り通し、ジャズに貢献したものの、豊かさにはまだ道は遠く、60年台の声を聞き、すでに疲れ果てていたのであろうか。
そして62年、この作品のレコーディングになった。

まず「空がグレイだったら」というアルバム・タイトルに惹かれて、聴きだすと一曲目の曲がそういうタイトルなのかと思いながら聴き入る。ロマンチックな曲調で疲れ切った心に一滴の安らぎが与えられよう。ふとジャケットの解説を見ると曲名が「SONNY BOY」。
なるほど、この曲は少年への慰めの言葉だったのかと納得。
3曲目の「ST.JAMES INFIRMARY」なども抜群の出来だが、とにかくSONNY BOY一曲で、一枚分のパワーを頂くというか、さもなければ吸い取られたというか、すでに身体から精気が吸い取られ、アルバムタイトルと曲のタイトルが混然一体となって、我が心の中はもぬけの殻となる。

演奏が終わり静かに針を上げれば、やがてその後、えも知れぬ心地よさと幸福感が広がるのである。
聴かれよ!

買付から帰国しました
2011/10/19

欧州買付から戻って参りました。

イタリアの珍しいレコードなどこれから入荷です。

是非楽しみにしていて下さい。

お昼
2011/10/17

ここの所、朝から開店時間にかけてちょいと忙しくて、昼ごはんが3日連続で下のコンビニのおにぎり一個か蒸しパン一個。

寂しいけど、まあ良いかと思いながらレジに並んでいると、やってきたいつも見るカフェの綺麗なお姉さんに、「あら」なんて、しっかりおにぎり一個で並んでいる所を確認されてしまった。

これから見栄を張れないな。

まあ、いいか。


占い
2011/10/16

今朝の新宿2丁目を通ると、全身ピンクの網タイツの厚化粧の男性であろう方が、いた。
朝からは珍しいと、思わず見入ってしまった。

テレビの運勢占いで、「別れの後に新しい出会いが」と言っていたのって、これじゃないよね。

怖い、怖いよ、新宿は。

鶏頭の花
2011/10/15

新宿のとあるお寺の境内。
大仏の目の前。
コンクリの石畳の間から、すっくと立ち上がった一本の鶏頭。
見事に花を咲かせている。

大仏様の目前で、まるで花を捧げるために生えて来たかのようで非常に微笑ましくもあり、その勢いに敬服。

私もこうありたい。

「鶏頭の 如来を前に 鶏冠立つ」


Woody Shaw
2011/10/13

WOODY SHAW "BLACKSTONE LEGACY" CONTEMPORARY S7627/8 2LP USA

ウッディ・ショウは私にとって実に輝かしい存在であった。
まず、取っ掛かりはフランスのあの有名ハードバップの一枚「NATHAN DAVIS "PEACE TREATY" SFP」からスタート。「真っ黒い音」を認識した最初のレコードとなったあの、よくぞ作ったと平伏した強烈な出来の一枚で、聴けば聴くほど、トランペットの黒い音は一体誰か?という疑問が沸々と湧き上がったのである。
そして勇躍入手し聴く事になるのが今回のこのアルバムである。時代は70年。

ジャズもいつまでも日本の客の好みのハードバップばかりやっている訳では無く、どんどんスタイルは変わって行く。新主流派が生まれ、フリージャズが出来、それらの反省と更なる進展からロフトジャズが生まれ、競って新しいジャズの創出に精を出していた中、キラ星の様な存在のサウンドを持つトランペッターこそ、この人だったのである。

このジャケット、エチオピアを連想させるアフリカの大地を頭に荷物を載せ、それもただの荷物でもなく、神々しい被り物というか置物のような多分に宗教的な人の列、それもダブルジャケットの裏側にも続く壮大な写真。伝承の儀式として作品が奉納されたのであろうか、神事に近い雰囲気のある写真であるが、これがアフリカ回帰と相俟って、「ブラックストーンの伝承」と書かれた当時のタイトルを思い出させる重要作品であった。
当時、良く似たジャケットにJulius Hemphill の"Dogon A.D."とレコードが出て、これを探していた私は良く間違えて「おーあった」等と歓声を上げては失望したのである。 いつかは書くだろうな、ドゴンADの事は。
それは置いといて。

当時活躍のトランペッターで似た雰囲気の3人がいる。といっても一般の方々にはマイナーとか冷遇としか思われていない範疇外だが、我々マニアには時代がこちらが主流だったので、敢て、こうして置いて頂く。
一人はもちろんかれWOODY SHAWだが、あとHANNIVAL MARVIN PETERSON、そしてCHARLES TOLLIVERである。
この3人年齢も近い。SHAWは44年生まれ、HANNIVALは48年生まれ、TOLLIVERは42年生まれ。
HANNIVALは73年のCHILDREN OF THE FIREでちょろっとデビューしてからはトントン拍子。TOLLIVERは69年のRINGERで出てこれも何とか舞台に乗った。
さて我らがSHAWは65年以降、ホレス・シルバー楽団、ジョーヘン、等あちこっちで引っ張りだこの八面六臂の大活躍の後、これの作品でデビュー、あまり騒がれることもないデビューだった。しかし、彼の活躍はサイドメンとして十二分に知られており、かつてなかったそのスピード感、ブラック感、キラビヤ感、歯切れ感と3拍子も4拍子も揃った抜群のジャズメンの出現は、当時のマニアに大いなる期待を抱かせ、新時代の到来を告げた出来事だったのである。

今回、彼の作品が沢山入荷した。

忙しい
2011/10/11

この間の買付の荷物が入荷して来る。
箱から出す間もなく整理がつかない内に、従業員は次の買付にまた出張。
今期はあと2回は買付の出張に出る予定。
この調子で、10月から年末にかけて、良いレコードや面白いレコードが入荷すると思う。

忙しい内が華だ。


今日は何の日
2011/10/10

夜は雨が降っていたのに、お日様が出ると快晴になった。

ちょうど1964年の今日も、夜に雨が降り朝まで残ったが、神がそうさせたか朝には雨が上がり、開会式の午後は青空一杯の快晴になった。
日本晴れの空の下、東京オリンピック開会式が開催された日。

といいながら、パンツを見ると、トミー・ヒルフィガーの 「HILFIGER」と刺繍してあるゴムの部分がすり減って、「TIGER」と読めるようになってしまった。
残念

さんま
2011/10/09

百貨店で昼の弁当を買おうかと店内をうろうろしていた。
ふと見ると秋刀魚の値段が安くなっていた。
8月は800円もしていたのに、もう100円。
100円でも、今頃の秋刀魚の方が油が乗って美味しい。

私はあまり魚は得意な方では無い。
だが子供の頃、秋は毎日秋刀魚の塩焼きを食べさせられる。
シーズンで安い魚を食べるのは当たり前だが、毎日鯖の塩焼きとか鯖の味噌煮とか、そういう日々が続くので、反乱を起こして要らないと駄々をこねる事もあった。

何処の家でも、そういう食物で困っていたと見え、主婦たちが集まって料理教室なるものが開かれた。そこで母が覚えて来たのが、秋刀魚の炊き込みご飯と、秋刀魚のかば焼き。
所が馬鹿にしたものでは無く結構美味しくて、学校でも休み時間の話題になったのだから、当時の我々には結構な美味しい料理だったのだと思う。

秋刀魚のかば焼きなど、もう食べたことが無い。

お金も無いのに子供が4人で姑もいて7人家族。
今になって思えば、母の苦労が身に染みる。

秋刀魚の話で、母の割烹着姿を思い出せば いずこも同じ 秋の夕暮。か?

前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001