HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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JACK MILLMAN
2011/11/07

JACK MILLMAN "BLOWING UP A STORM" ERA RECORDS EL 20005 USA

ちょっと面白いレコード入荷。
ジャック・ミルマンというトランペット・プレイヤーの作品。
4・5年前になろうか、ウチは店頭に飾るため値札に一言書いているのだが、私は「須永辰緒氏絶賛のA−2(KHAN)収録」と書いた。
なぜか偶然、そこにちょうどご本人が来店された。
須永氏はおもむろに「このレコードの事を絶賛した記憶はありません」
私は怪訝に「そう思い込んでおりました」
「そうですか、でも私が絶賛したと言うなら余程良い曲なのでしょう、ちょっと聴かせて下さい。」
焦りながら、私は「はい、すぐに掛けます」
という会話で、さっそく試聴した結果「うんなるほど、これなら私が推薦するはずの出来栄えです。買う!」
と、心の取り置きにしないで、すっと購入された一枚。
なぜだか自分でも判らないが、筆が先走ってしまった、実に不思議な一枚になった。

ところで、このレコードはもっと興味深い事がある。

55年初頭の録音だが、DON FRIEDMANが参加していて、良く調べると当時20歳でこの作品がファースト・レコーディングという事になるらしい。演奏はバリッとした彼らしいというかラス・フリーマンに似た所もあるが、実に歯切れの良い語り口のきりっとした立派な演奏で、見事なプレイが堪能できる。
ファンは是非入手して置く事をお勧めする。

本人のミルマンは、ジャズの才能があったようで色々なミュージシャンと共演もしているが、50年初頭にあのラテンで有名だったペレス・プラード楽団にも在籍していたようだ。すると名曲KHANのリズムとノリの良さは納得できる。
なるほど!

2・3のアルバムを残して彼は62年にジャズの演奏活動を中止した。
その後彼はミュージック・ライブラリー・ビジネスに参入する。このビジネスは日本では聞かないが欧米では当たり前で映画・TVなどの制作用の為の音楽の制作、供給、権利の確保などをしている。
その仕事が当たったかどうか不明だがトラックの運転手をやっていたという噂もある。
また、当時のポップスの音楽界の制作活動に参加していたようだという様な噂もあり、ジャズ引退後は謎の人物という事になる。

さらに偶然、もう一枚の作品「SHADES OF THINGS TO COME(LIBERTY)」が入荷してきたのは不思議な縁である。
こちらも同じ55年後半の作品ながら、JIMMY GIUFFRE,BUDDY COLLETTE等と共演で音楽性の高く、作曲、アレンジも彼が手がけた事になっている。

彼の当時の作品としては、これら2枚しかない、いやもう一枚DECCAにあったか。
では3枚と、数少ない作品ながら才能を感じさせる人である。

3枚揃えて買って欲しいと思ってしまった、店主であった。

COLEMAN HAWKINS MOOD IN BLUE
2011/11/04

COLEMAN HAWKINS "MOOD IN BLUE" URANIA UJ 1209

待ちに待った、素晴らしいレコードの入荷である。
1950年後半の作品で、彼の真骨頂であるムード・テナーのムーディーなサウンドが堪能できる。
実はこのレコードが現れるのを、私は長い事待っていた。それは比較したい相手がいたからである。それも正反対の音楽で。

このアルバム・デザイン、CECIL TAYLOR"LOVE FOR SALE"UA 4046 という同じ構図からの流れになっているジャケット写真と同じシチュエーションである。
CECIL TAYLORの方は、右側からコートを来たお兄さんがライターで彼女が口にくわえた紙巻タバコに火を着けている写真である。
こちらも風情があって、タイトルのLOVE FOR SALE通り、凄んでいるお兄さんに対して、如何にもソフィスティケティッドなお姉さんも突っ張った感じが出ている。まるで坊や扱いでもしている様子が実にイカス。

こちらのHAWKINSの方のジャケットは、その後に一人残ったお姉さまが気怠そうな様子で、口に煙草を咥えて、腕組みをしている。はだけた胸元がセクシーである。最近のヨーロッパなどの街角で見かけるお姉さまはもっと派手なセンスなのだが、こちらは質素感が漂っていて50年代の荒んでいる様子が良く出ていて好きだ。スカートの丈も短くないのがアッケラかんとしてなくていい。
左側のトーチの明かりがかすかに光っているがその先は闇に消えて行く。また右側も壁は角であろう、突然に切れて、暗黒の暗闇に先は見えない。彼女の足元もまた暗闇に溶け込む。
暗黒の暗闇のなか、彼女の胸元を狙ったスポットが当たったその一瞬が快楽を象徴する切なさがジャケットから伝わる。人生の刹那とでも言おうか。

ところで比較になって本題から離れて行くが、これも私のいつもの癖。

実はどちらかの写真が裏焼きなのである。見て行くとCECIL TAYLORの方はお兄さんが右手でライターを差し出したと事が自然である。HAWAKINSの方は彼女の左腕にブレスレットが見えるのが落ち着いて見え、口に咥えたタバコが唇の右側にあるのも実にシックリ来る。どちらも甲乙付けがたく上手い。
このお姉さま、いやジャケットに魅せられた私は、暗黒のブルーの世界に落ち、もはやどちらかも定かには見えぬ。
しかし、暗がりの中必死に注意し両方を眺めるのだが、それぞれ落とし所が上手い具合の構図になっていて、判断が付かないのだ。

どちらも制作者の苦心と意図とセンスが伝わる力作である。

音楽?
JACK TEAGARDENの渋い歌声が時々聴こえてくる、素晴しいブルーなムードである。
URANIAのレコードは良い!
ジャンルを超えて音楽は存在する。

Cecil Taylorのジャケットが手元に無かったので掲載できなかったのが心残り。

(後日、12月1日に入荷があったので追加で掲載)

RX-8(ロータリエンジン)製造中止
2011/11/03

昨日の日記のマツダつながり。

あるお客様から、「マツダのRX8(エイト)の生産が中止になり、残念です。」と電話と一緒にメールで写真が届いた。
この方は大学を卒業してマツダに入社し、ロータリー・エンジンの製造に係っていたのだが、働きすぎで体を壊し、退社して高校の数学の先生になったという変わった経歴の持ち主。

話の発端は何かの話から、マツダのロータリー・エンジンのローターを持っているという事から、そんな物を持っている人はザラにはいないので、その理由を執拗に聞いて職業が判ったのだ。
聞きだした話によると。数学の授業の最初、すなわち4月に、このローターの現物を見せて、ルーローの三角形の話をする。子供たちが「何?」と思ったところで、あなた方の地元の企業にはこんな立派な企業がある事、数学が実社会に役立つ事を教え、数学・幾何に興味を持たせるのだそうだ。

ルーローの三角形から教えてくれる数学の先生がいるなんて、なんという幸せな子供達かと感動してしまった。
思わずローターを抱えた「金八先生」を想像してしまった。

ところでルーローの三角形とは、どこを計っても高さが一緒、転がっても高さが一定で、正方形の中で回転できる図形で、写真の通りの形をしている。
この原理を利用したエンジンが世界にただ一つのマツダのロータリーエンジンなのだ。細かく言うとマツダだけと言うのは間違っていて、模型飛行機のエンジンでは5cc位のエンジンが普通に作られているようだが、大型エンジンはマツダのみ。
通常のエンジンに比べ振動・ノイズが少なく優れているところであるが、他社がやらないという事は欠点も大きいという事でもある。

マツダのロータリーエンジン開発物語はNHKの番組プロジェクトXでの感動秘話が有名だ。
だが今や素人でもエンジンの中を削ったりしてチューニングする素人名人も多々おり、昔の開発担当者が聴いたら卒倒しそうで、開発当時の苦労など微塵も感じさせない。
そうやってレースをやっている人に言わせると、高回転での低燃費とトルクの良さは抜群でメンテも楽。レースに置いては、こんな良いエンジンはないということである。
だが物事には必ず裏があって、一転、街中を走ると低回転時の燃費の悪さは有名で、悪名高きロータリーとされ現代のエコ時代には合わないのだ。
不況の波に飲まれたのか、エコに合わないのか、ロータリーエンジン唯一の搭載車RX8は生産中止となった。

先代の国内唯一の本格スポーツカーRXセブン(7)は、デザインも性能も乗り味も間違いなくスポーツカーであった。
更なるマーケット拡大を狙い、ずんぐりむっくりで、定員も4人と大幅にスポーツカーとしての長所を削ってまで、生き残りをかけたRX8だが、虻蜂取らずのデザインはマニアの反感を買ったのか、それとも時代に即していなかったのであろうか。
ファンが、更にスポーツカーとして洗練された方向性の追及を望んでいた事も事実で、結局街中でも乗れるようにした車の方向に振った事が裏目に出たのかもしれない。
マニアは街乗りなどしないものだから。
街乗り用に電気モーターでも付ければ良かったか?

そうだ91年のル・マン優勝のビデオでも見よう。
なんたって日本車唯一の優勝車だから。
考えて見ると、あの頃がピークだったのだろか?

(写真は長年、外に置いてあったためか色が褪せてしまっているが、実際は金メッキを掛けたようなとても綺麗な色である。)

近所のホテル
2011/11/02

近くのスターホテルという青梅街道沿いのホテル。
ここの駐車場が安いので、時々利用していた。

今日行ったら、ガードマンがいて「この車は止められません」。
「はあ?」
「三菱の安全適合に一致しないと思います」
「私は10年間、週に一度以上は利用させてもらっていた。また、このBMW・Z3などという古くて、小さな車が、どこの駐車場にも入れなかった事は一度もないよ」
「いやでも、リストには適合しないので....」
「はいはい、結構です、もう来ません」
と言って引き返した。

このホテルは、10月に営業中止し、アコーホテルズ「イビス東京新宿」としてマネージメントも移行したようだ。
だからと言って、10年間利用していていた人を断るか?
だったら駐車場あります等と看板を出すな!

Z3は90年代後半、マツダのユーノス・ロードスターのマケットをターゲットにした車重1270キロの小型車で、軽自動車よりやや大きいだけという小型ぶり。
重量と言い、大きさと言い全く問題は無いはず。

今でも、嫌がらせとしてしか思えない。


レコード買取
2011/10/31

レコードを売りませんか。
買付で海外に行っていますが、まだまだ足りません。
出来ればオリジナル盤で。
フリージャズも大歓迎です。

もちろん価格は相場観がありますが、他店よりは高いと思います。
お声を掛けて頂ければ、日本中、いや世界中、どこへでも参ります。
電話でもメールでも下さい。

柿の葉
2011/10/29

近所のそば屋さんの鉢植えの柿。
葉が紅葉していた。

秋だね。

新宿は 柿も姉も 色ずくなり

ネズミ
2011/10/27

節電で、このビルの照明を落としているせいか、暗い場所が増えた。
階段下のごみ置き場も真っ暗。
そのせいか最近、毎日のように3匹のネズミが出る。
今日もゴソゴソと音がしているので、そうっと近づくと、急に察したのか驚いたのか、ハッと顔を上げ、互いにしばらく目を合わせたまま。
いや、なかなか可愛い顔だった。
注意して観察していると、基本的に3匹は一日中ここで残飯を漁っている。
身体も大きいし太っている。

この辺りは、以前は野良猫が3家族ほど生息していて、エサを運ぶ人、掃除をする人等がいて、街としては面白い場所だったが、なぜか猫嫌いがいるらしく、野良猫退治に力を注いだ立派な人々のお蔭で、殆ど野良を見なくなった。
ま、その結果は当然、ネズミの増加。

しばらくネズミ君の活躍が見られそう。

コーヒー業界用語
2011/10/25

タリーズのお姉さんたちが仕事中の会話で、「COD」がありません、などという言葉を時々聞く。
なんのことかと尋ねると「Coffee on todayと申しまして、本日のコーヒーの事なんですよ」。続けてお姉さんは親切に、首をちょっと傾けて「コーヒーは一日に2回異なるブレンドでお売りいたします。
とご親切に説明。
ありがとう。

私はCODとはcash on Delivery(現金引換え)の事しか知らずに生きてきた。
それでは、「ハルズは商売でレコードを売ってけしかん」というクレームを受けるはずかも。
世の中、お金だけではない! と判っているつもりだが。


「鬱の朝 コーヒー苦し 口苦し」 

店の写真
2011/10/23

当店の店内がジャケット写真に使われた。
イェーイ!

「DISCO2」という知り合いのグループのEP。
音楽?
インスト・ヒッピホップ・ブレイクビーツという当店及び、当店に関係のあるお客様に置かれましても、あまり馴染みの無い音楽ジャンルかも知れない。
だが、音楽のネタはジャズ・ソウルからピックアップしているので、あながち無関係とも言えない所はある。

ウチの狭い店舗の写真をというだけあって、苦労して脚立を掛け、カメラも人も高い位置から撮影しながら、パソコンで出来具合を確認しながら、作った苦労のジャケ写。苦労の割には報われなくて、レコード会社ではあえなくボツになったものの、製作者の強い希望でEPに復活したようだ。
いったいこの写真のどこが良いのか製作者に聞くと、店の親父があくせく働き、客が動いているのがとても良いと。ふーん!

面白い事に、通常当店の壁に掛かっているレコードはその筋のネタ物のレコードに変えてある。
またこのEPのネタは写真のどこかにあるという念の入れ方。

これからも海外の有名サンプラーに負けないよう頑張って欲しいものだ。

このEPはそのうち、店内でも扱うつもり。
(註)ジャケットは二つ折りにし、盤を挟む形となる。

GIORGIO BURATTI
2011/10/22

GIORGIO BURATTI "JAZZ FORMS FOR EXPORT" DURIUM D30-070 ITALY

イタリアに行ってきたので、ついイタリア盤の話。
このレコードのタイトルが「JAZZ FORMS FOR EXPORT」なに?「輸出のためのジャズ・フォーム」とでも訳したらよいのか?
アメリカからの輸入としてのみ存在していたジャズを、これからは俺たちがその音楽形式を模索し、再構築し、造り、そして外に出そうではないかという意気込みがもろに出た意欲作品である。
それほど、彼はこの作品に対し熱い思いをたぎらせ、世に問うたのだ。
いつまでもミンガスのフォロワーなどと下らぬ批評などいらぬと、彼自身の存在を世に問うたのである。

ジャケットを見られたい。
何処を掘ってもローマ時代の遺跡が出ると言われるイタリアだけあって、建造物の雰囲気に重厚感がある。
石造りのビルの外階段、それもそうとう大きな階段に5段置きにメンバーを立たせたアイディアと力の入ったジャケット、そして茶色の色合いは音楽の重厚感をも増す。彼は真黒いサングラスで目を隠し、パイプを咥えベースに両手を着いた、男らしい出で立ちである。アメリカのジャズメンたちの紙巻タバコに比べパイプのカッコ良い事。
思わず引き寄せられる立派なジャケットである。

音楽の事は評論家が嫌というほど書いているので、遠慮する。
一言、彼のガツンガツンと鳴るベースはミンガスに負けない、見事なサウンドである。オリジナルを聴けば十分解る。

リーマン・ショック以前は15万以下では買えなかった逸品である。
その後に続く震災、原発事故、なんという世の中であろうか、という小市民の私のボヤキは置いといて。

当時イタリア・ジャズ界に置いても社会主義思想は浸透していて、相当な数のミュージシャンがそういう状況下であったらしい。特に彼は思想的に激しい方であった。
ある日、ロマーノ・ムッソリーニからセッションと録音を誘われて、ロマーノの自宅に行くことになった。
ガチガチの左翼の彼は、ロマーノの父親があの第2次大戦の3つの悪の枢軸の一つ、イタリアのムッソリーニ首相の息子という事を知らなかった。
それもそのはず、当時ロマーノはマスコミなどの問いにも明快な回答を避けていたし、知り合いにも伯父とか祖父・親戚などと曖昧にしていたらしいのだ。
そして自宅に入ったジョルジオが見た物は、立派なお屋敷の玄関ホールの正面に掲げられた、そのムッソリーニの肖像写真。
それを正面に見た彼は、写真とロマーノを見比べ、一言も発する事もなく、踵を返し玄関から出て行ったそうだ。

それが書きたかったのが、今日の日記。

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