HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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雑誌
2012/03/05

最近の愛読書は、って雑誌だけど。
R25とBIG-ISSUEが多い。
週刊誌はあまりに記事が過激で攻撃的なので、草食系のボクにはきつ過ぎてちょっと購入をひかえ気味。

R25は街中に置いてあって0円。
只にしては取り上げた記事は、世の中の問題点の鋭く突いていたり、なかなかエライ。だが記事の内容はあまり鋭く書かないでサラッと肝心な点をスルーしてあったりする所の、処世術の感性に感心。
只だから当たり前。広告が無くなったら終わりだもんね。これはこれで良しと。

BIGISSUEは浮浪者が街角で売っていて、300円。
その売り上げの半分が売り子の収入だそうだ。アイディアが良い。
通りがかると買う事にしている、買ってもらった時の彼らの笑顔がうれしい。こちらもうれしくなる。応援したい気持ちをクスグった良い企画だ。
ただ、記事を書いている内容や書き手が左翼ばかりになってきていて、もう買うのを止めようかな。
なんだか、左翼独特の主張の仕方がチラホラ目につくようになって来た。
私達だけが正しいのだよって。
こういう雑誌に思想はいらんだろ。

だったら、売り子の横に募金箱でも置いといてくれた方がましかな。
いまのをBIGISSUE−LEFTにして、BIGISSUEーRIGHTって、右翼にも作らせるとか...。
中立の人にはCENTER版とか。
私のアイディアが悪いというか、古いな。
自分で言うのも何だが、古さが目立つようになって来た。

暗算
2012/03/04

ネットを見ていたら、数字に弱いと思っている人がかなりの割合になっているらしい。
男でも6割近い人達が弱いく、女性になるともっと増すと。

思えば、日本人は世界でもっとも数字に強いと言われた時代があったのに、近年のこの凋落ぶりはどうだろう。
ソロバンがあり、100年以上も昔からスラスラと暗算もしたので、外人が驚いた話などいくらでもある。

それが、今は外人が暗算で計算しているのに、日本人が計算機を出してしまう。
これは、本当に拙いかもしれない。
日本人の良い特徴が無くなりそう。

息子の受験
2012/03/03

ここの所受験シーズンで生徒、子供の受験、先生方いろいろな話を聞く事が多い。
そんな時、私は次男の大学受験を思い出し、毎年、色々な人に話してきた。しかし、何度も話して相手も疲れただろうし、話すのはやめよう。

もう15年も前の事。
彼は国学院高校に通っていたが卒業間近に学校から呼び出しが来た。
先生から「お宅のお子さんは成績が60人中58盤全体でも下から10番くらいで卒業の可能性が低い」と告げられた母親は悲しがっていたが、結局は再試験を受けたりして無事卒業できた。

そんな状況下、どう間違ったか彼はやっぱり大学に行きたいと。どうせ駄目元で好きにさせたが結果は6校、桜散る。同様に入試に失敗した近所の悪友が集まり、皆で都心の予備校に通う相談をして、浮かれていた。
いよいよ予備校の受験になった時、何か思う所があったらしく、彼はひとり横浜の予備校に申し込んだ。
仲間から色々批判があったらしいが、孤独になってこそやり遂げられる、と告げたらしい。

それからの彼は、予備校を含め一日10時間の勉強、日曜祭日は地区センターの勉強部屋で、食事のあとは近所のモスバーガーで。
モスに悪いので、私が店長さんに迷惑かと聴きに行くと、店長さんが優しい人で、いつもいてくれるので認めていますから気にしないで下さいと。優しい人だった、いまでも感謝している。
正月くらい休んで一杯やるかと言ったが、断って勉強していた。

そして大学の発表。
まず専修大学は合格。「もうこれで良いだろ、入学金払ってやるぞ」と私。親の本心。
続けて中央大学合格。「もう結構、入学金いくらだ」と私。出来過ぎな気持ち。
さらになんと上智大学合格。「もうこれ以上はないから、入学金の支払い、支払」と大喜び。
一応、他校の発表の前にここが締切りだったので入学金を支払う。もう夢のよう。
ところが彼は「もう1校手手応えがある」と、冗談は顔だけにしろよと言いながら発表を待つと、何と本当に慶応大学合格。なにかの間違いではないかと通知が郵送されるまで信用しなかったが、通知の封筒が来たときには大変に驚いた。

彼をたった一つ認める所があるとすると、あの時の勉強に没頭していた一年だったのかもしれない。
映画、好きな音楽、遊びなど一切を忘れ、正に一年間、一日も休むことなく10時間の勉強をした事だけは認める。だから今も信用しているとも言える。

おい、あの時のつもりで仕事しろよ!
仕事は1日10時間が一生だから。

2012/03/02

昼前から雨が降った。
ちょうどランチに行く時だったので、下のコンビニで399円のビニール傘を購入。 
和食屋には私の他、定年間近の親父2名。
親父2人組の方が早く席を立った。入口で傘立ての傘をごちゃどちゃといじっている。
しばらくして私も食べ終わって、店を出ようとしたら、案の定、同じようなビニール傘だが、先端には錆びが出ていて見るからに使い古した傘が一本。
またやられた。

こういう事は、ここのところ3回目。
ビニ傘は好きではないので、取られてもどうでもいいが、根性が気に食わない。
いずれも同じような年齢の親父。

3回目ではっきりと思ったが、どうも確信犯。
判らないと思っているかもしれないが、ちゃんと判っているんだよ。
社会の大先輩が、こんな小さな事で、得しようとしていては、後輩から尊敬されるはずもない。

399円の傘で、ちょい悪親父とは正にこの事。
ちょい悪では、ほめ過ぎだ。
馬鹿親父か。
同じような年齢として淋しいかぎりだ。


コンビニの ビニ傘軽し みぞれ降る 

手洗い
2012/03/01

私はトイレに入るときに、先に手を洗う習慣がある。
それは以前の仕事から来る。

旅行会社にいる時に発券(TICKETING)と呼ばれる業務にいたことがある。
仕事の内容は、運賃計算と国際航空券の発券。
運賃はIATAと呼ばれる航空会社の世界的な組織があり、そこの約款に元づいて発行された分厚いタリフがあって、それの複雑な規則に基づき計算をする。そして発券をする仕事である。
以前はコンピューターやプリンターがまだ無くて、すべて手書きの航空券だった。それが赤いカーボンが塗ってあって、一仕事すると指先など真っ赤になる。そこに大人数の団体旅行の発券でも入ると、それはそれは大変だった。

ある社員はワイシャツに着いたらしく、帰宅して奥様に赤い色はなんだと、口紅かと問い詰められ、事情を話したが納得してもらえなかった。
シャツだけでなく、パンツも赤くなっていては問題でないはずもないが、結局その後毎日パンツも赤い色が付着していたので、納得してもらったそうだ。

というわけで、指が赤いままでパンツも赤くなっては具合が悪いので、先に手を洗うようになったのだ。
それ以来一仕事した後は、先に手を洗う。

どうでも良い話だった。
風邪のシーズは手洗いが一番という事で。

ストーンズ
2012/02/29

ジャズの話ではない。

ランチタイムから帰って来ると、従業員が暇を良い事にROLLING STONES"GET YER YA-YA'S OUT"を掛けている。
「なんだよ、これ」
「いや、ヨーロッパで見つけたので、自分用に」
「ち、ちょっと、ちょっと自分用じゃまずいだろ、会社の金で出張したんだから」
「....」
「じゃ、オレが買うからな、な?」
「6、000円だったけど.....」
「はい、はい、はい、6000円、じゃこれで」
強引に畳み掛けてと。

という訳で、強引にゲット。
欲しかったんだ、オリジナル英国盤のこれ。
私の青春の一枚だな。

ストーンズはいいね。
ブルースだもんね。
サウンドに汚らしさがあるもんね。
でも、ちょっとだけ洒落てるもんね。
男だもんね。
アメリカに一泡吹かせちゃてるもんね。
会社なんかかサボったっていいもんね。
これ聞いたら昼からビール飲んじゃうもんね。
不良だもんね。

これを聞くと気が大きくなって、オレって、オレでも、オレでさえ不良になれるような気がする。
今でも。


電気自動車
2012/02/28

最近の自動車のCMを見ていると、電気自動車のCMが目に付く。
あんなのがカッコいいの?
私は、本当に自動車会社はそれで良いのかと心配している。
電気の消耗が激しいとか、充電に時間が掛かるとか、そんな心配もある。
アメリカのように広大な土地では電気では不安が消えないはずである。
そういう話は置いといて。それより自動車会社がエンジンを捨てるという事は、どういう事かと考えたい。

なぜなら私は、自動車はエンジンが全てと思って来たからである。
エンジンの良い会社の自動車は売れたのである。信頼性があるから。
自動車メーカーの最も大きな仕事と言うのはエンジンの生産であって、その部品たるやかなりのパーセンテージに上がる。もし電気自動車に替えると、自動車メーカーはエンジン部門の人員が不要になる。そうすると何十万の膨大な数の失業者が巷に溢れることになる。
日産自動車など、本当にそれで良いのかと私は心配で仕方がない。

モーターの製造に人員配置などと考えるのは無理があって、モーターは電気メーカーの仕事なので、それは所詮無理な話。
逆にモーター部門を持つ電気メーカーが自動車産業に進出するのは目に見えていて、そうなると今の数倍の自動車の販売合戦が待ち構えていて、価格競争が激化する。

そんな状況で自らがエンジンを放棄するとは私は信じがたいが、そういう会社の本当の企みはわからない。
エコブームの便乗だけではそこまではしまい。

日本という国は明治維新の際も武士が、武家社会を自ら破壊したのが、私は不思議でならないが、ここにきて日本の中心的産業の自動車メーカーが自らエンジン製造を放棄して、それが時代だとして平然としているとなると、やっぱり日本人って不思議な国民だと考えてしまった。

自殺願望か、滅私奉公か?
そういう血なのかもしれない。

誰か、本当の狙いを教えて欲しい。

仰げば尊し
2012/02/27

もうすぐ3月、卒業式のシーズンだ。
私の大好きな映画のひとつで、高峰秀子の映画「二十四の瞳」。卒業式のシーンで歌われている「仰げば尊し」を聴くと、今でも思わず泣ける。恥ずかしいので人前で見ることが出来ない映画である。
学校嫌いで、かつ出来が悪るかった私と言えど、卒業式の歌は「仰げば尊し」が良い。
これは譲れない。

ところが最近の学校は、この名曲「仰げば尊し」を歌わないそうだ。
びっくり仰天で、ネットを検索すると、出てくるは出てくるは歌わなくなった理由が。
封建的だとか、良心の安売りだとか、強制は自由を侵すとか、民主的でないとか、中には、教育基本法10条1項に抵触する不当な支配だと頑張る者など、もう歴史的に継続した事への反発は留まるところを知らない。既に歌われなくなっていて、もはや議論の余地など無さそうなものだが、それでも今なお、皆さん真剣な反対論でいっぱい。
特に2番、「身を立て 名をあげ」は立身出世で戦時中を思い起こす、との言いがかりも立派な主張とみえる。あなたは戦争を知らないでしょ。
私などこの年齢であっても、今から身を立て、名をあげもう一旗挙げたいが、
現代は己の未来が「名も無く貧しく美しく」が、希望なのであろうか。きっとそうなのだろう。

やっぱり日教組かと怒りに震える手で、なおもキーを叩くと時々あれっと思うような話がポツポツとでてくる。
それは、日教組絶頂時代もこの歌は歌われていたので、政治的な問題では無かったのではないかと。なるほど冷静だ。
むしろ先生方が、それほどの唄を歌っていただく事の方が恥ずかしいと遠慮する風潮があったのだそうだ。それに加え子供が文語調でない親しめる歌にしようとした、そういう側面もあるらしい。
どうもこれが良い意見かもしれない。私の一人合点がいけない。

しかし、日本人の奥ゆかしさが、とんでもない方向に進んだものである。ちょっと複雑な気持ちになった。

では代わりに何を唄っているかと言うと。80年頃の「贈る言葉」から始まって、まあその、要するに歌謡曲を歌っている。
卒業式に歌謡曲を歌っている方が安直で子供の将来のためにならないと心配になる。

そもそも「仰げば尊し」が教師のみに感謝と思う所が先生方もPTAも大間違い。
私は学校が嫌いで、ついでに先生方も好きではなかった。中学の時には授業中に先生から妾の子と言われた事もあるし、朝のホームルームの時間でも態度の悪さを、私を指して話していたから。

兎に角、学校が一番の嫌いな物・場所であった。毎日、日曜日になる事を願って生きていた。 
そんな私でも、卒業式の時にはあの歌が良いのである。
それは卒業に当たっては、保健室の先生、給食のおばさん、実習で来た可愛い先生、妊娠して途中休職の国語の先生、左翼の先生、一回だけ頭を撫でてくれた教頭、もう少し頑張れば成績が良くなるはずだと家に忠告しに来てくれた同級生のおばさん、道で会うと「行ってらっしゃい」と声を掛けてくれた近所の人も、それらの人すべてが師なのである。
「我以外皆師なり」なのである。それら全てを含めて学校なのである。
それらを嫌ったり、わがままだったり、反発ばかりしていた自分への反省の念も込めて、和菓子の恩じゃなくて、わが師の恩なのである。

例が古い映画ばかりで、例としていかがと思うが映画「ビルマの竪琴」で水島が竪琴で弾く「仰げば尊し」は戦友に対する感謝と別れの苦悩の心である。子供の心はそれと同じなのである。
それ故、学校嫌いの私でも、感謝の念を込めて「蛍の光」と「仰げば尊し」を精いっぱい歌い、心にこの日を忘れる事なかれと、祈る事が出来るのである。
それを教師が自分に対する感謝と真に受けてどうする。PTAが反対してどうする。
そういえば卒業式に和菓子をくれたな、紅白の。あれは校長の駄洒落だったのか?モトエ。

一度、きちんと音楽について考えて頂きたい。
子供が何十年か経った時、はたして歌謡曲が良い思い出になっているのだろうか。
だから音楽=カラオケになってしまうんだ。

子供も反対?
じゃ、しょうがねぇ。

ネズミ出現
2012/02/26

ここの所、新手のネズミが出て来て、多いときは5匹ほどでゴミを漁っている。
今日もビルの下の方でガサガサ音がする。
忍び足で1階に下りて見ると、ゴミ袋の中に3匹も入り込んでいる。
コラッと声を掛けると、急に人が現れてびっくりしたのか、袋から出口が判らなくなったらしく中でウロウロ。
袋の口を持って持ち上げるとパニックに陥りグルグル回るだけで、ハツカネズミの水車状態。
しばらく眺めていたが、コンクリの床に下してやると、慌てて一匹づつ逃げて行った。
ネズミといえど行動を見ていると可愛いものだ。

退治して猫がいなくなるとネズミが出る。
これは自然の摂理だ。

忘却
2012/02/22

日記を書こうと毎日思っている。
思っているがいざ書こうと思いパソコンの前に座ると、何も出て来ない事がある。
今日あった事を忘れているのだ。
朴念仁の私でも一日生きたからには、何かある、あったはずである。たとえば近所の弱そうな野良猫をこれまた近所の大きな飼い猫が人家の屋根の上に追い詰めて盛んに脅していたとか、どうでも良い事であっても、何かはある。
それが毎日忘れている。

人生の一日をそれほどまでに忘れる物かと考えると、きっと生きた一日もまた、夢と同じなのだと思うようになった。

きっと人生は夢のように美味しい所や、夢の中の恐怖感のような際立った所だけを記憶して、後の事は忘れながら生きて行くのだろう。
忘却とは忘れ去る事なり、って昔のドラマにあったな...。
私は単に忘れっぽくなっただけだが。

人生は 夢のごとしと リンゴ食う 

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