HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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夜食
2012/06/29

数日前、夜11時過ぎに仕事が終わりお腹が数いたので夕食をどうしようかと思い、なんとなく彷徨って結局焼き肉屋に行き、カルビ一人前、ユッケジャンスープ一人前注文すると、二人分ほどの量。
残したら店の人に悪いので、やっと食べた。明らかに食べすぎ。

で翌日はお腹の調子が悪い。
その日も、夜11時過ぎに終わり、また深夜の夕食を探すとカレー屋さんがあったので入る。注文してカレーとナンを食べようとした所に、インド人のご主人、黄色のご飯を一皿持って来てこれで今日は終わりだから食べて下さい。
食べられないからいらないと、必死に断ったものの、どうぞどうぞと親切は断り切れずに、頂いてしまい、フーフー言いながら食べた。
明らかに食べ過ぎ。
ありがたい話だけに困った。

胃の調子が悪いのに、余計に拙い事態になった。
ちなみに、その焼き肉屋さんは知り合いに聞くと、お嬢さんが女子プロレスにいたとかで、とにかく量の多さで有名な店だとか、気を付けて下さいよと念を押されてしまった。

食に関する文句は通常、量の少なさ等の方が多いと思うが、量の多さで連続して参ったのは生まれて初めて。

しかし、歳を取ると食べられない。
というより深夜ご飯を食べる習慣を止めないと。

田原俊彦
2012/06/28

田原俊彦が久々のチャート30位に入ったとニュースに出ている。

ずーっと前、代官山で、すーっと入ってきて私の前に駐車した赤いポルシェが止まり、左側のドアが開いて、そこから下りてきた人がいた。
それが背が高くて、足が長くて、スラッとしてバランスが取れた身体で顔もキリッとしてカッコ良かった。運動神経も良さそうで妙にカッコ良くて、ポルシェの横に立った後姿を眺めながら冗談で「俺よりポルシェが似合うカッコいいヤツっているもんだね」と笑いながらしゃべっていた。
その人が振り返ったらなんと当時人気絶頂の田原俊彦さん。急に「さん」付けになってしまう。

という話をして、冗談で「私はポルシェが似合う人を見たことが無いんだけどね、本当に似合う人を一人だけ知っている」という事を、行きつけの美容師の先生に話したら、笑いながら「今度言っときますよ」。
あはは、と笑いながら話は済んで。

翌月、その美容院に行ったとき、「あの話をしたら、田原俊彦さん喜んでましたよ」。
「なにそれ?」
「いえ、私が田原さんの頭をやらせていただいていますので」
「えっ!」
「田原さんにに、あの話をしたら、喜んでいましたよ。ポルシェはマニュアルで乗る車なんだよ、ってね。また乗りたいなって、以前は959も持っていたんですけどね。ちなみに色は黒でしたよ。池田さんによろしくって言ってましたよ。」
びっくりしたな、もう。
よろしくって言ってましたよ、に大喜びで帰ってきた。
私は単純な人間なので、何だか急に親しみが湧いてしまう。

世の中ヘンなことは言えない。
いやホント。

DORIS "DID YOU GIVE THE WORLD SOME LOVE TODAY,BABY"
2012/06/27

DORIS “DID YOU GIVE THE WORLD SOME LOVE TODAY,BABY” EMI/ODEON E062-34193

ジャズ以外に興味の無い方々には申し訳ない、これはジャズのアルバムでは無い。
ドリスという名前だけしか記載されていないが、フルネイムはDORIS SVENSSONという。
1970年スエーデンのEMIオデオンから発売になった英語のPOPSアルバムである。

そのまま大した注目を集める事もなく過ぎ去り、あれから30年、日本のクラブミュージックで大騒ぎになった歌手、META ROOS(メタ・ルース)がボサノバを歌い白いジャケだの茶色のジャケだのと、にわかDJ達も大騒ぎでレコードを探し回り。我々レコード屋もそれっとばかりにスウェーデンのショップやら音楽関係者から一生懸命に買い入れて、それが無ければ他の歌手はどうだと紹介している内に、本国でも日本でのスェーデン・ポップス・ブームはなぜ到来したかと騒がれ出し遂に国営放送が取材に来て渋谷のレコード屋を取材し、放映され多くの人が見たらしい。

それから数年後、クラブミュージックも落ち着きそうになり、我らショップも、もう探すレコードなど無いよねと笑っていた時に、あるDJから「ドント」って曲知りませんか?」と聞かれたのが最初の出会いである。
恐る恐る、向こうの人に問合せをすると、しばらくして送られて来た。

ここまでのレコードはポップスといえどボサノバをやっていたのが、こっちは完全にポップス。
ウチでは無理だろう、と思いながら聴く内に好きになってしまったというわけ。
彼女は47年生まれだから私と同世代。60年代から歌っていたようだ。
この音楽も私が聴きまくっていたポップスそのもので、驚く事にそれもアメリカの60年代のポップスそのまま、いやそれ以上のアメリカン・ミュージック。
いやはや同じ時代に、遠く離れた場所でアメリカンポップスが生まれていたのだ。
ティーンエイジャーという世代の希望と、悲しさと、素晴らしさをを遠く離れたスェーデンでもレコードを通して十代に伝えていたとは感慨深い。

彼女の声は綺麗で可愛くて、それが高音になるとハスキーでシャウトした感じにころっと変わる。それが、何とも言えず可愛い。
2種類の声が完璧に可愛い歌手はちょっといない。
それが、A−5の「DON‘T」はなるほどパンチが効いた今風に受けるクラブ・テイストという事なのか?。
時代の流れや人の好みは全く解らないものだ。
B面冒頭の「ベースラインがちょっとWayne Shorterの Footprintに似てますね」などとウチの従業員がいう、音楽的にもなかなか凝ったアレンジで、一体だれが音楽担当だろうと裏ジャケをひっくり返して見ると、BERNDT EGERBLADH。それもほとんどを手掛けている。
いやはや、これはセンスが良いはずだと感心したのだった。

このアルバムは他のポップスと違いほとんど見ることがない、現地でも超の付くレア盤であるが、近年再発されたので、音源として入手し聴く事は可能になった。
日本はなんでも再発するリイシュー王国だ。
ついでにブート天国だ。置いといて。

所で、彼女はその後も売れっ子なのかどうか、ストックホルムのさる年配のミュージシャンに尋ねた。
即座に「彼女?いま故郷のイエテボリにいて、中央駅のキオスクで働いているよ」。
行けば会えるぞと言われた。
こういうの、いいねぇ。

CHARLES MINGUS MUSIC WRITTEN FOR MONTEREY
2012/06/25

CHARLES MINGUS “MUSIC WRITTEN FOR MONTEREY,1965” MINGUS RECORDS JWS0013,14
“Not heard… Played in its entirety, at ucla, vol.1 and 2”

このレコードは大変なレア盤で、欲しいと思えどなかなか叶わない。更にジャケットが綺麗なものがない。それもそのはずカンガルージャケットと呼ばれる内側に仕切りがある簡単な作りなので、大概ジャケットが割れてしまったものばかりである。最初から割れていたものもあったようだ。
個人的に言えば、ジャケットの壊れていない物は自分の物以外見たことが無かったのである。

私はミンガスの事を書く時に、CHAILIEとは絶対に書かない。必ずCHARLESと書く。
それは昔、彼が「俺の事をチャーリーと呼ぶ奴がいるけど、俺の名前はチャールスだ」と言っていたのをどこかで読んでからで、それ以来必ずCHARLESと書くようになり、尊敬の気持ちを込めて、そのまま今に至る。

そういう尊敬するジャズの巨人であるからして、70年代当時このレコードを買おうと思った。
最初、よくレコード屋で見かけたのは”AT MONTEREY”MINGUS JWS001/002である。1964年の演奏で、もちろんジャケットは大きな海岸の写真で、ミンガスレコードなので満足していたが、それがもっと古い発売があって、それはカンガルージャケットのものだと聞かされ、コレクターの血が騒ぐのであった。今日はこのレコードの話では無かった。

話は戻って、こちらのアルバムの事は情報がない、再発もされないとあって、存在すら伝わってこなかったが、紆余曲折があって、やがてアメリカのメール・オークションで購入したのである。
現在の金額に直せば、同等の価値である。
10年もたってから、何処かからEPのオマケ付きのダブルジャケットで再発された。
最近これをオリジナルと称して売っているらしいが、それはイケない。ただこちらは、内側にミンガスのイラストというか漫画が印刷されているので、そういう興味では大いに奨められるので、併せてコレクションすると良いかもしれない。

この作品、1964年に続き、翌年もミンガスに出演依頼があったものの、演奏時間が少な過ぎると、芸術家魂がそうさせるのか、頑固で我がままの性格がそうさせるのか判らないが、出演を蹴った。蹴ったものの上げた足を下せなかったのか、演奏家として、やはりそれでも演奏したかったのか、わざわざ1週間後にUCLAで演奏したのである。その時の記録である。
司会、録音など大学側による進行であったらしく、管理面ではややプロと思えない箇所もある。だが、オリジナル盤は意外に良い音質なので、ここの所は強く確認して置きたい。
彼はよくワークショップとして勉強会や演奏の準備などをしていたので、ここでもそういう演奏が延々と収めれている。
従って通常のレコードと同様の演奏のプライウリティーを求めても、それは見当違い無駄な事。むしろミンガス教の信者として、尊敬の念と、大いなる興味を持ってお聴きいただきたい。ここでは己の好奇心の導くままに聴かれたい。
大きな喜びが与えられる事が約束されるのである。
求めよさらば与えられん!

ホッジスとエリントン
2012/06/24

Duke Ellington and Johnny Hodges “BACK TO BACK” VERVE MGV-8317
Duke Ellington and Johnny Hodges “SIDE BY SIDE”  VERVE MGV-8345

さて、ジャズの傑作が2枚。今回は2枚入荷したので一緒にまとめて登板だ。
これらは一対と思われる作品で、そのとおり58年と59年の録音で作風も似ているが、録音も同じ日の物が混じる。
タイトルの付け方も正に一対となった感じ。

SIDE BY SIDEのジャケットはグリーン地に二人の顔を互いにそっぽを向いた感じで並べてある。
HODGESの写真がやや若く、被ったハットが伊達男である。
BACK TO BACK はパイプ椅子を背中合わせに二人が座り、余裕しゃくしゃくの表情で二人は互いに左足を組んでいる。流石に着ているジャケットも高級そうで、靴も高級さが見て取れるオシャレさが憎い。さぞ売れていたのだろう。
写真の椅子がパイプいすというのが、ちょっと意外でプロレスのように乱闘が始まる勢いで、バトル合戦を連想してしまう。

両者のちょっとの違いは、SIDE BY SIDE は58年の録音で中に半分の演奏にBEN WEBSTERがおり、アルトだけの演奏に、WEBSTERの渋いテナーが加わったことで一層作品に深みを与えている。
WEBSTERは大物らしく貫禄があり、大らかで男らしいサウンドが聴事ができる。
最初に作られたBACCK TO BACK は59年の録音であるが発売の番号は早い。商売という物は面白いものである。

ところで音楽はHARRY” SWEETS”の甘く切ないトランペットが入っただけの少人数の編成で、これも大袈裟にならず、まとまった作品に仕上がった大きな理由であろうか。またELLINGTONが出しゃばらず、サイドメンとして徹した感じが、これも大いに貢献してHODGESの力が十分に出されたのであろう。
互いの長所を活かす様に、互いのサウンドをいたわる様に、陰になったり、支えたりという密着度の濃い所がサイド・バイ・サイドであり、バック・トウ・バックなのであろうか、とにかく演奏はスムーズであり、これでもかという情緒たっぷりで、何度聴いても飽きることがない。
これほど「たまらない」という表現がぴったりなレコードは他に無い。

VERVE永遠の名演奏として永遠に記憶に残る作品である。

DINAH WASHINGTON
2012/06/23

DINAH WASHINGTON "DINAH!" EMARCY MG36065

個人的に大好きなボーカル・レコード。
私は彼女の歌が大好きである。
特にこのレコードはジャズ・ボーカルとして非常に出来が良いと思っているし、また曲の選択が上手いのも好ましい。
ちょっと後にもう一枚あって、「What day different day makes」というアルバムも好きだが、どちらか決め難いが全体的にはこれが好きだ。
といっても、もちろん他の作品も皆好きである。

以前、フォノグラムだったか、セット物全集が5セット発売された。
それで5セットは高額だが決心して購入した。
通常、セット物などとても一箱続けて聴く事が出来ない、だがこのセット物は全部頑張って続けて聴いた。
途中で飽きることが無かった。エライ!
その中で彼女が駄目になったと、みんなが言うところの後期でさえ、類まれなる超絶なジャズボーカリストであることだった。
彼女の結婚歴の多さだの、酒癖の話ばかりが語れるが、彼女は曲に潜む情緒、作者の思い、聴いて欲しい核心、など全く完璧な声と技術は当たり前で、聴き手の胸に秘めた人生の思いにぐさっと入り込み、憂いや悲しみを唄に乗せて一緒に連想させてしまう能力は計り知れない物がある。

私は好きでない曲の時でさえ聴き進む内にいつも感心してしまう。
多くの歌手の、群を抜いて素晴らしい歌手である事は間違いない。

以前、あるレコード店の開店があって、私と今レコード製作会社をやっている友人と一緒に手伝いに行った時、じゃお礼に何でも好きなレコードを一枚持って帰ってと言われて、二人で同時に指差したのが、ブルーノートの1500番でもなく、彼女の一枚のレコードだったので、その場で大笑いになった。
それほど昔から彼女のレコードは入手困難だったのである。

この作品の曲は「LOOK TO RAINBOW」「ILL WIND」「ALL OF ME」「SMOKE GETS IN YOUR EYES」など全編聴き入ってしまう歌ばかりで、本当に良い作品である。A面の冒頭のルック・ルック・ルックトゥ・ザレインボーと聞くと、もう胸がそわそわしてくるのである。

ところで、彼女の全集を聴いていて思った事。
彼女の声が衰えて行く中間辺りに、なぜか美空ひばりによく似ている事があって、とても驚いた。
それで美空ひばりは素晴らしいのかと思って、こちらのジャズ作品を一生懸命に聴いたが、美空ひばりがDAINAHに似ている個所は一つもなかったのである。
変だが、共通点は見いだせない。
そういう事だったのだ。
ま、違う次元の歌手だったという事か。


この方はやっぱり
2012/06/22

ジャズDJの須永辰緒さん来店。
何枚も試聴をして、あれがどうだ、これがああだ、と話をした。

ある曲を聴きながら、須永さん。
始まりのシンバルの感じがちょうど良いと「リズムいいね」。
流れがいいところで「いいね」。ここまでは別に普通、だがこの後。
「このあたりから4ビートに変わってくれるといいね」
すると、すかざずレコードは本当に4ビートに変わった。
「このままで行って」
良い感じの4ビートのサウンドが心地よい。
「エンディングは8ビートに戻ってよ」
すかさずレコードの方も、8ビートに戻り、間もなくエンディング。

初めて聴く曲なの?と聞くと、そうだと。
当時の作った人達と同じ感覚で、先へ先へと予測するサウンドを要求している。
ぞーっとした。
やっぱりこの人って、一流のDJだけど、実は一流のプロデューサーだったんだ。
とにかく、よくレコードを聴いているし勉強している。
私も勉強になった。

私がこんな事を書いたら須永さんに失礼だが、まあいいか。

帰国
2012/06/21

ストックホルムのメインの空港アーランダ空港でチュックイン。
中に入って一安心、出発までまだ2時間もあるからちょっと休憩とカフェに座って、ワンビアー アンド サーモン アンド シュリンプと注文。

テーブルにシットダウン。その内に、アナウンスで「ミスター・ハウヒコ・イケア」と、どう考えても私の事を呼んでいるらしい。店員にSKがコールミーだからちょっと行って来るが、スーン・カムバックと、支払を心配している店員を諭して出掛ける。

以前はこういう時は必ず、オーバー・ブッキングしたのであなたはビジネスクラスにアップグレードされました。というグッドニュースであったが、今はゴールドでも無くシルバーでもなくなり、普通のマイレッジカードなので絶対に良い話などありはしない。
ならば悪い話なら尚更に確認でもしなければ、と急ぎSKのサービスカウンターに行く。

すると、本日のコペンハーゲンからナリタの983便がキャンセルになりました。付いては、グッドな話があって、これからブルーワン航空でヘルシンキに行き、そこでフィンエアーの成田行(AY073)が空いているから、ユウ キャンボーディング、それに乗れと。
そんなら有難いので、サンキュー・サンキューそうしてください。
OKと言いながら、優しそうなオバサンは私の目の前のキーボードを一杯叩いて、プリンターから新しい、ボーディングパスをプリント・アウトして出してくれる。
それで、あなたのラゲッジは一つですね、それも手続きをしたから安心しなさい。クレイムタッグは今までのままでOKだと、ペリっと剥がして渡された。
イージーな事。
ま、コペンに行こうが、ヘルシンキに行こうがどっちもどっち。エニーウェイかえって日本に近い分良かった良かった。

さて経由地ヘルシンキ。
北の国らしい良い街である、だが今はそんな余韻に浸っている場合ではない。
ここでの乗継は50分、一番後ろの席に座っていたので、機内に出た時はあと40分。
それも成田行きは36番ゲート、今降り立ったゲートは2番。端から端。
エリントンとホッジスのサイドバイサイドという訳にはいかない。
ヘルシンキといえど、さすがに空港は広いので必死に走って、途中イミグレも通り、お腹も痛くなってトイレにも駆け込み、運動会の借物競争のような状況でほうほうの体でやっと36番に着く。
もう汗はだらだら、息はぜいぜい、膝はがくがく。
汗を拭き拭き、呼吸を落ち着かせながら席に着く。
もちろんお土産も買わず仕舞。

色々あったが無事に乗り込み搭乗して12時間後、飛行機は無事に成田に到着。
だが現地のドサクサの為か、私のカバンは遂にロストバゲッジの申請をする事に相成った。
航空会社の係りのお姉さんから「カバンの中は何ですか?」
私「はぁ、着替えの洗濯物と、レコードです」
「レコード?」
「え、レコードです」
「レコードって、レコードですよね」とにっこり笑って、「大丈夫ですよ、ちゃんと探しますから」。

きっと真剣に探さないだろうな。

クインシーの風景
2012/06/20

ストックホルムの景色。
レコードのジャケットの撮影場所。
今でも健在。
携帯のカメラだけど、パチリ。

日本食
2012/06/19

前回の出張の時、泊まったホテルの近くで偶然、日本の本を売ってる店を見つけた。
今回も近くを通る予定があったので、ちょっと歩いて寄って2・3冊本を購入。
一旦店を出たが思い直して戻り、ここで日本人がやっている日本料理屋とかすし屋はないかと尋ねると店の主人が快く、斜向かいにあるよと教えてくれる。

さっそく伺ってみると。
本当に、日本人の女性がやっていた。
寿司を頼んで食べた。

ここ数年のうち、久しぶりに食事らしい食事を食べた。
みそ汁も美味しかった。
ちょうど、こちらに住んでいる日本人の方々も親切にしてくれ、話が弾んだ。
次回からはここで夕食が取れると思うと、ひとりでレストランに入れない私としては大変ありがたい。
日本語が話せて、思わず石川啄木の「故郷のなまり懐かし停車場に・・・」を思い出してしまった。



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