HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ジャズのヒット曲
2012/07/06

ジャズのレコードのヒットは一体どんなものがあるのだろう?
昔の本、雑誌、ネットやらでちょっと調べてみた。
真偽の保障はないが、一応は当たらずとも遠からず。

まずヒットした枚数
GEORGE BENSON BREEZIN 1,000,000枚
WES MONTGOMERY A DAY IN THE LIFE 500,000枚
MILES DAVIS BITCHES BREW 500,000枚
なるほど。
発売後50年代から現在に至るまでLPからCDへと継続して売れているのはマイルスのkind of blueは1,000万を超えているらしい。

ヒットチャートの順位。
JIMMY SMITH THE CAT 全米 12位
LEE MORGEN SIDEWINDER 25位
THE INCROUD 2位
HERBIE MANN AT VILLAGE GATE 30位
なるほど。
これらはジャズ喫茶でリクエストするとマスターが苦い顔をして嫌がっていた。
毎日、何回も掛けることになったからま、当然か。

発売当時、トップセールスの上位にいた期間
MIES DAVIS BITCHES BREW 70年 6か月間 
意外に売れたんだな、とちょっと驚いた。なぜなら日本では反感の声が高かったから。

WETHER REPORT 1971年に6か月間。
大評判だったし、ジャズのファン以外が買った。

CHICK COREA RETURN TO FOR EVER 1972年に7か月間。
これは大学生、若者に大人気になった。
続けて、ECMの SOLO は3か月間続いたと。

KEITH JARRETT SOLO CONCERT 74年2か月。 COLN CONCERT 1975年2か月間。
これは渋谷の街を青山の女子大生などが、ケルンコンサート聴いた?という合言葉と共に、教科書と一緒にジャケットを持って歩くという現象が起きた、ジャズ史上画期的な出来事だったが、トップセールスの期間が意外に短いのはクラシックのジャンルと勘違い?した人が多かったせいか。
こうして考えると、ECMレーベルはスタート直後からヒット連発で、さぞ経営のはずみになったのだろう。
羨ましいレーベルである。

VSOP ニューポートの追憶  1077年2か月間。
なるほど、ヒットした記憶がある。

渡辺貞夫 カリフォルニアシャワー 1978年 4か月間。
フュージョン全盛だ。続いて彼はモ−ニングアイランドで79年に3か月。
なるほど儲かったんだ。

話はかわり、日本のポップスのことになってしまうが。
シングル盤の大ヒットは「およげたいやき君」なのだそうだ。
400万枚を超えたとか、しかも本人は印税を放棄していたとか。
お金だけが人生ではない。
割り切れないな。やっぱり。

日本の音楽でアメリカのヒットチャートで上位に挙がったのは「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」。
なんたってビルボード一位だから。大したものだった。
その当時は日本では、それがどのくらい凄い事か全く解らなかった。
外国語の唄が一位になった事はほかに例が無いそうだ。
素晴しい。

今だったらきっと、ちょうちん行列でもやっただろうに。
ない?

Benny Goodman
2012/07/04

BENNY GOODMAN "CARNEGIE HALL JAZZ CONCERT" COLUMBIA SL160
BENNY GOODMAN "1937/38 JAZZ CONCERT NO.2" COLUMBIA SL180
豪華ボックスセット。
米国コロムビア初期の緑のラベルのフラットディスクが2枚づつ入っている。
ジャズの歴史に興味のある人たちや、こよなくジャズを愛する人たちには大変な宝物のアルバムである。
レコードを写真と同様にアルバムと言うのは、このようにアルバム形式であった事と無関係ではない。アルバムという言葉によってレコードがいかに日頃の楽しみに寄与したか、計り知れない。
もちろん豪華デラックス盤であるのは、売れ行きが良かったので、贈答用やコレクターズアイテムとして発売し直したというのが正解であるが、そこがまたコレクターやボックス物好きにはたまらない。

上記のセットが入荷したと思ったら、そこにもう1セット。
LOUIS ARMSTRONG "SATCHMO AT SYMPHNY HALL" DECCA DX108
入る時は重なる。それも2セットも。
TOWN HALL CONCERTと並ぶ47年の大傑作である。
ボックスには黒とゴールドのラベルでフラット盤が2枚入っていて、解説書が装備されている、3つとも同様の体裁である。
それもコロムビアとデッカが全く同じサイズで、やや横長の大きさの箱である事は面白い。

さて演奏は3つとも、よく訓練されて並々ならぬ、冴えに冴えた腕前の音が次々と浮かんでは消える、音の空間をしみじみ聴く事が出来る。
ジャズを作った初期の人たちの気概と、当時の熱気が伝わる、演奏する人の心が伝わる、観客の興奮も伝わる、レコードを作った人の気持ちさえも、それもひしひしと時間と共に徐々に強く伝わるのである。
30〜戦時中の年代のトップクラスのジャズを堪能できる。

こんな音楽を聴くとアメリカなどに戦争を吹っかけては勝てるはずはないと、いつも自重するのである。

個人的にいうと、これら3セットはどうしても欲しいアルバムであった。
ハルズの開店時に売ってしまったものでもあり、買い戻したかった。
ちょうど店頭に出して3週間たって売れなかったので、私が購入しようかな。

たまには買っても良いよね。

昼食
2012/07/03

あの食べ過ぎが続いて胃腸の調子が良くない日々。

2時近い遅い昼食だけどやっているかな、と覗いてみた和食の店。
店員さんは帰る支度を始めていたので、「じゃ、また」と帰ろうとすると。
「いいよ、いいよ、今私も食べようと思った所だから、私のを半分上げるから」。
じゃ、まあいいかと、席に座る。
出て来たのが、ヒラメの刺身など豪華だったんだが、その他のおかず。
焼き魚の大きいのが2匹。

申し訳ないけど食べられないからと断ったが、「大丈夫だから食べてよ」。
またまた、通常の3倍ほどの食事。

私はよほど飢えているように見えるのだろうか?
私の顔に食物の難の相が表われているのだろうか?
みんな優しくて嬉しいのだけれど...
もう、お許しください。
これ以上食べられません。

紙袋、完成
2012/07/02

当店の手提げの紙袋。
2代目が完成。

景気が悪いので、製作を見合わせようかとも思ったが、せっかくご来店のお客様にも気分良く帰って頂きたいし、袋は店の顔と言われ思い切って作った。

なかなか良い出来だと思う。

アベ・マリア
2012/07/01

昨日の結婚式で。
教会で歌ってくれた女性の方の「アヴェマリア」が、高い声も綺麗で、しっかりした歌でとても良かった。
側にいた方も素晴らしい声だと感心していた。
感動してアヴェマリアはいい歌だな、と思っていると、ちょうど今日、近所の山田電気のビルの大きなスクリーンにテノールでアヴェマリアの唄が流れていて、思わず立ち止まって聴き入ってしまった。

素朴で、下積みというか人生の重さというかそういうものと、宗教の救いというか、不思議な感じが、じわっと滲み出てこれが素晴らしい。
山田電気もやるな。ってただの宣伝?でも良い物は良い。

昨日の女性の唄はもう聴くことが出来ないので、山田電気の方を。

http://www.youtube.com/watch?v=Bm0f5GuYqR0

結婚式
2012/06/30

従業員の結婚式に出席。
会社の上司代表で参加。

新郎新婦入場の音楽が、自分たちの好きな曲だそうで、私としてはメンデルスゾーンの結婚行進曲の大オーケストラの音楽で入って欲しかったな。
大音量で。

人の好みだから。
まあ、いいか。

此処で、私が二人に流してあげよう。
http://www.youtube.com/watch?v=McUTJkHfUrM

夜食
2012/06/29

数日前、夜11時過ぎに仕事が終わりお腹が数いたので夕食をどうしようかと思い、なんとなく彷徨って結局焼き肉屋に行き、カルビ一人前、ユッケジャンスープ一人前注文すると、二人分ほどの量。
残したら店の人に悪いので、やっと食べた。明らかに食べすぎ。

で翌日はお腹の調子が悪い。
その日も、夜11時過ぎに終わり、また深夜の夕食を探すとカレー屋さんがあったので入る。注文してカレーとナンを食べようとした所に、インド人のご主人、黄色のご飯を一皿持って来てこれで今日は終わりだから食べて下さい。
食べられないからいらないと、必死に断ったものの、どうぞどうぞと親切は断り切れずに、頂いてしまい、フーフー言いながら食べた。
明らかに食べ過ぎ。
ありがたい話だけに困った。

胃の調子が悪いのに、余計に拙い事態になった。
ちなみに、その焼き肉屋さんは知り合いに聞くと、お嬢さんが女子プロレスにいたとかで、とにかく量の多さで有名な店だとか、気を付けて下さいよと念を押されてしまった。

食に関する文句は通常、量の少なさ等の方が多いと思うが、量の多さで連続して参ったのは生まれて初めて。

しかし、歳を取ると食べられない。
というより深夜ご飯を食べる習慣を止めないと。

田原俊彦
2012/06/28

田原俊彦が久々のチャート30位に入ったとニュースに出ている。

ずーっと前、代官山で、すーっと入ってきて私の前に駐車した赤いポルシェが止まり、左側のドアが開いて、そこから下りてきた人がいた。
それが背が高くて、足が長くて、スラッとしてバランスが取れた身体で顔もキリッとしてカッコ良かった。運動神経も良さそうで妙にカッコ良くて、ポルシェの横に立った後姿を眺めながら冗談で「俺よりポルシェが似合うカッコいいヤツっているもんだね」と笑いながらしゃべっていた。
その人が振り返ったらなんと当時人気絶頂の田原俊彦さん。急に「さん」付けになってしまう。

という話をして、冗談で「私はポルシェが似合う人を見たことが無いんだけどね、本当に似合う人を一人だけ知っている」という事を、行きつけの美容師の先生に話したら、笑いながら「今度言っときますよ」。
あはは、と笑いながら話は済んで。

翌月、その美容院に行ったとき、「あの話をしたら、田原俊彦さん喜んでましたよ」。
「なにそれ?」
「いえ、私が田原さんの頭をやらせていただいていますので」
「えっ!」
「田原さんにに、あの話をしたら、喜んでいましたよ。ポルシェはマニュアルで乗る車なんだよ、ってね。また乗りたいなって、以前は959も持っていたんですけどね。ちなみに色は黒でしたよ。池田さんによろしくって言ってましたよ。」
びっくりしたな、もう。
よろしくって言ってましたよ、に大喜びで帰ってきた。
私は単純な人間なので、何だか急に親しみが湧いてしまう。

世の中ヘンなことは言えない。
いやホント。

DORIS "DID YOU GIVE THE WORLD SOME LOVE TODAY,BABY"
2012/06/27

DORIS “DID YOU GIVE THE WORLD SOME LOVE TODAY,BABY” EMI/ODEON E062-34193

ジャズ以外に興味の無い方々には申し訳ない、これはジャズのアルバムでは無い。
ドリスという名前だけしか記載されていないが、フルネイムはDORIS SVENSSONという。
1970年スエーデンのEMIオデオンから発売になった英語のPOPSアルバムである。

そのまま大した注目を集める事もなく過ぎ去り、あれから30年、日本のクラブミュージックで大騒ぎになった歌手、META ROOS(メタ・ルース)がボサノバを歌い白いジャケだの茶色のジャケだのと、にわかDJ達も大騒ぎでレコードを探し回り。我々レコード屋もそれっとばかりにスウェーデンのショップやら音楽関係者から一生懸命に買い入れて、それが無ければ他の歌手はどうだと紹介している内に、本国でも日本でのスェーデン・ポップス・ブームはなぜ到来したかと騒がれ出し遂に国営放送が取材に来て渋谷のレコード屋を取材し、放映され多くの人が見たらしい。

それから数年後、クラブミュージックも落ち着きそうになり、我らショップも、もう探すレコードなど無いよねと笑っていた時に、あるDJから「ドント」って曲知りませんか?」と聞かれたのが最初の出会いである。
恐る恐る、向こうの人に問合せをすると、しばらくして送られて来た。

ここまでのレコードはポップスといえどボサノバをやっていたのが、こっちは完全にポップス。
ウチでは無理だろう、と思いながら聴く内に好きになってしまったというわけ。
彼女は47年生まれだから私と同世代。60年代から歌っていたようだ。
この音楽も私が聴きまくっていたポップスそのもので、驚く事にそれもアメリカの60年代のポップスそのまま、いやそれ以上のアメリカン・ミュージック。
いやはや同じ時代に、遠く離れた場所でアメリカンポップスが生まれていたのだ。
ティーンエイジャーという世代の希望と、悲しさと、素晴らしさをを遠く離れたスェーデンでもレコードを通して十代に伝えていたとは感慨深い。

彼女の声は綺麗で可愛くて、それが高音になるとハスキーでシャウトした感じにころっと変わる。それが、何とも言えず可愛い。
2種類の声が完璧に可愛い歌手はちょっといない。
それが、A−5の「DON‘T」はなるほどパンチが効いた今風に受けるクラブ・テイストという事なのか?。
時代の流れや人の好みは全く解らないものだ。
B面冒頭の「ベースラインがちょっとWayne Shorterの Footprintに似てますね」などとウチの従業員がいう、音楽的にもなかなか凝ったアレンジで、一体だれが音楽担当だろうと裏ジャケをひっくり返して見ると、BERNDT EGERBLADH。それもほとんどを手掛けている。
いやはや、これはセンスが良いはずだと感心したのだった。

このアルバムは他のポップスと違いほとんど見ることがない、現地でも超の付くレア盤であるが、近年再発されたので、音源として入手し聴く事は可能になった。
日本はなんでも再発するリイシュー王国だ。
ついでにブート天国だ。置いといて。

所で、彼女はその後も売れっ子なのかどうか、ストックホルムのさる年配のミュージシャンに尋ねた。
即座に「彼女?いま故郷のイエテボリにいて、中央駅のキオスクで働いているよ」。
行けば会えるぞと言われた。
こういうの、いいねぇ。

CHARLES MINGUS MUSIC WRITTEN FOR MONTEREY
2012/06/25

CHARLES MINGUS “MUSIC WRITTEN FOR MONTEREY,1965” MINGUS RECORDS JWS0013,14
“Not heard… Played in its entirety, at ucla, vol.1 and 2”

このレコードは大変なレア盤で、欲しいと思えどなかなか叶わない。更にジャケットが綺麗なものがない。それもそのはずカンガルージャケットと呼ばれる内側に仕切りがある簡単な作りなので、大概ジャケットが割れてしまったものばかりである。最初から割れていたものもあったようだ。
個人的に言えば、ジャケットの壊れていない物は自分の物以外見たことが無かったのである。

私はミンガスの事を書く時に、CHAILIEとは絶対に書かない。必ずCHARLESと書く。
それは昔、彼が「俺の事をチャーリーと呼ぶ奴がいるけど、俺の名前はチャールスだ」と言っていたのをどこかで読んでからで、それ以来必ずCHARLESと書くようになり、尊敬の気持ちを込めて、そのまま今に至る。

そういう尊敬するジャズの巨人であるからして、70年代当時このレコードを買おうと思った。
最初、よくレコード屋で見かけたのは”AT MONTEREY”MINGUS JWS001/002である。1964年の演奏で、もちろんジャケットは大きな海岸の写真で、ミンガスレコードなので満足していたが、それがもっと古い発売があって、それはカンガルージャケットのものだと聞かされ、コレクターの血が騒ぐのであった。今日はこのレコードの話では無かった。

話は戻って、こちらのアルバムの事は情報がない、再発もされないとあって、存在すら伝わってこなかったが、紆余曲折があって、やがてアメリカのメール・オークションで購入したのである。
現在の金額に直せば、同等の価値である。
10年もたってから、何処かからEPのオマケ付きのダブルジャケットで再発された。
最近これをオリジナルと称して売っているらしいが、それはイケない。ただこちらは、内側にミンガスのイラストというか漫画が印刷されているので、そういう興味では大いに奨められるので、併せてコレクションすると良いかもしれない。

この作品、1964年に続き、翌年もミンガスに出演依頼があったものの、演奏時間が少な過ぎると、芸術家魂がそうさせるのか、頑固で我がままの性格がそうさせるのか判らないが、出演を蹴った。蹴ったものの上げた足を下せなかったのか、演奏家として、やはりそれでも演奏したかったのか、わざわざ1週間後にUCLAで演奏したのである。その時の記録である。
司会、録音など大学側による進行であったらしく、管理面ではややプロと思えない箇所もある。だが、オリジナル盤は意外に良い音質なので、ここの所は強く確認して置きたい。
彼はよくワークショップとして勉強会や演奏の準備などをしていたので、ここでもそういう演奏が延々と収めれている。
従って通常のレコードと同様の演奏のプライウリティーを求めても、それは見当違い無駄な事。むしろミンガス教の信者として、尊敬の念と、大いなる興味を持ってお聴きいただきたい。ここでは己の好奇心の導くままに聴かれたい。
大きな喜びが与えられる事が約束されるのである。
求めよさらば与えられん!

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