HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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オリンピックが終わって
2012/08/19

ロンドン・オリンピックのメダルを取った選手のパレードがあるらしい。
銀座に行こうかな。
ところで、最近の選手は人間が洗練されているというか、小馴れているというか、マスコミの受け答えも卒がなくて感心してしまう。
なぜなら、たった今試合が終わって、勝った選手はいいけれど、惜敗した選手にもどんな気持ちですか?って、そんなもの、選手にしたらインタビューの野郎を殴りつけたいに決まっている。
それでも「悔しいです」とか、「すみません」とか、オリンピックの勝負の場の精神的なプレッシャーは例えが無いほど凄いのだろうと思うが、それでも冷静になってしっかり受け答えをしているのは、本当にエライ。
それを見て、もう少しまともな事を言えないのか、とブログに書いているのを読むと、国民もまた残酷だなと感心する。所詮、マスコミも国民の鏡であることに変わりはない。

そういえば、オリンピックでの選手バッシングで忘れられないのは、92年の水泳の岩崎恭子さん。
レースが終わったばかりに向けられたマイクに向かって思わず「今まで生きてきた中で一番幸せです」と言ってしまった言葉尻を捕まえられ。その後、延々とマスコミのバッシングを受け、それに乗せられた国民もまた、14歳の少女を叩くという、考えるのもおぞましいいじめがあった。
私は最初の言葉尻を捕まえたと思える番組を見た、と確かに思うのは、その時優勝のニュースを流した何かの番組で、それを聞いたコメンテーターの小沢某とかというおばさんが「14歳の子供にさ、今までの人生で一番幸せなんて言われたく無いわよ」と言った時、本人はもちろん司会者はじめその場にいたコメンテーターも皆大受けだった。私もそれを見て笑った。ホントだなあと。
だがそんな調子で、見て一瞬笑って済む話ではなくなり、その日の夜の他局のワイドショーでも猛烈に、その言葉への批判が始まり、それは戦争に向かったときのように、抑えが利かない人々が突っ走る群れのようになっていった。会社でもその話題になった。更に遅れて出る週刊誌の記事でも叩き続けたのである。
まるで、彼女がこの世の悪を一身に背負った魔女裁判のように。
その後、彼女の成績もパッとしなくなると、あれはフロックだったとまた叩くのであった。

思えば彼女は、国の代表としてオリンピックに出場したわけで、日本の観衆はテレビを見ながら、みな自己新記録を出し何でもいいから優勝してくれ、3秒世界記録に足りなければ今3秒短縮してくれと思って見ている訳で、フロックでもなんでも良いと思っているわけだ。ところが今度は、実際3秒という信じがたいタイムを短縮して勝てば勝ったで理由を付けてこき下ろす。それも言い訳の出来ない中学生の子供を捕まえて。
あれは本当に恐ろしい出来事だった。

その後、千葉すず選手は「だったらあんたが泳げば!」という発言をし、マスコミの気に食わなかったらしく、これも猛烈なバッシングへと進展し、ついに国内選考会で五輪参加記録をクリアして優勝しても、マスコミを怖がった連盟が選ばなかったという悲劇まで生まれた。
比較する理由は無いが無理に比較すると、こちらはちょっと挑戦的だったことがいじめにつながったのだろう。だが岩崎の場合は、「幸せだ」と言ったことが気に食わないといじめにあった、これはまた壮絶ないじめだった。

その後も、いや今も昔もマスコミの気に食わない選手へのバッシングは後を絶たない。その結果、選手は一様に優等生的な発言しかしなくなった。
タレントの様なテレビ受けと、きれい事は国民の願いだから、それはそれで良いのだと思う。
野球もそうだが、インタビューを受けると必ずチームのためと判を押したように言う。
私はいつも、テレビを見ながら選手より先に「チームへ貢献できて良かったです」と画面に向かって言う事にしている。
そういう私も社会に貢献したいな。

新宿
2012/08/18

朝、店の近所でパトカーが2台来て、何をしていると思ったら、酔っ払いを連行している所。
連行っていうと何だが、酔っぱらって道路に寝てしまったオジサンを、警官二人が両側から肩を組んで、結局三人共千鳥足で歩いて寝ちゃだめだ、と励ましながら車の方に誘導していただけなのだが。「本人はうるせーな」とどなっている。制服でも着ていなかったら十分な酔っ払いの友達。
周囲に付き添いの警官数名。眺めていると制服は重要だ。

しかし、新宿は朝酔っ払いが異常に多い。
こういう新宿の街の事情を知らない、正義感の強い若い女性などが通りかかると、それっとばかりに救急車を呼んでしまうのでその辺りは大騒ぎになる。たまたまそういう正義の人と目が合ってしまうと、ちょっとちょっとと声を掛けられて仲間に入れられてしまうから、なるべくシカトして歩くに限る。
酔っ払いで道端に寝るような人は一度きりっていう事がなくて、何度もそういう状態なので顔を覚えて置く。それで分かりやすくなっているので、本当の病人かどうかは、遠くから服装や体の動きを観察して見当を付ける。
たまには一見さんって事もあるが。

これって、昔からこうだったのかと考えてしまった。
新宿もここまで酷くなかったような気がする。

赤坂
2012/08/17

赤坂の続きで。
昭和45年旅行会社に入社し最初の勤務地が赤坂だった。会社は赤坂東急ホテルの7階で、中は広くてなかなかデラックスなオフィスだった。
赤坂は当時とても高級な場所で、昼ごはんが1,000円の店しかなかった。コーヒーが350円で一日の昼食代が1,300円〜1,500円必要だった。東急ホテルのコーヒーハウスのハンバーグ定食が1,150円でこれが一番安いメニューだったかもしれない。
給料が3万円だったが、先輩や同僚たちは金持ちのボンボンが多かったのか、普通に食事に行くので一緒に行くと、あっという間に昼食だけで給料が無くなる。
仕方なく実家の仕送りをしてもらった。
親は、就職したからもう仕送りが終わったと思っていたのに、「会社に入ったから金を送れ」と言われるとは思わなかった、と嘆いていた。
思えば、現代の現役サラリーマンより高額な昼食を食べていたことになるのが不思議だ。
新宿・渋谷などの街と赤坂などを比較すると、いまよりはるかに価格に格差があった。なにより雰囲気と食事の内容は確かに高級だった。

赤坂と言えば、今になって思うと最も不思議な場所があった。
山王ホテルというホテルがあって、その一階にガラス張りの広い店があった。
時々前を通っていて中を見ると雰囲気が良さそうだから、同僚と行ってみようかという事になった。
中に入ると広いフロアがあって、手前に大きなカウンター、奥にはテーブル席があったが、何となく僕たちはカウンターで立ったままビール等注文した。
綺麗なお姉さんが手持無沙汰にしていて、ビール一杯だけでも、ちょっと話し相手をしてくれる。
それがモデルやら女優のような本当に美人ばかりで、僕たちは喜んでいた。Hootersより数段上だから。
2・3回行った時、女の子がやってきて、「あなたは昨日も来たでしょ」
「来たよ」
「あのね、ここはあなた達が来る所ではないのよ」
よく理解できずに、きょとんとしていると、「まあいいわ今日は、でも混んで来たら帰ってね」。
周囲の客を見ると、確かに外人ばかり。
それで翌日先輩に聞いて理解したのは、ここは進駐軍って古いな米軍の関係者だけしか入ることが出来ない米軍に接収されたままになっている珍しい建物だったのだ。その昔は2・26事件の舞台になったホテルでもある。
一階の店はアメリカ人のためのバーだったというわけで、確かに日本人は入館禁止だったが、当時は取締も相当ゆるくなっていたらしい。それで何も知らない馬鹿な僕たちが紛れてしまったのだった。
私はそれ以来、行く事は無かったが、友人はそこの女の子と顔見知りになり、時々入れてもらっていたらしい。
しかし、あの時代は子供時代の栄養事情も良くないので、言ってはいけないが今のように美人が多くない時代だった。
それなのに背が高くて、胸の位置の高い、あの超のつく美人達の群れは一体何処から来て、何をしていたのか、ちょっと今でもヘンな想像をしてしまう。
別に意味はないけれど。結局、姉ちゃんたちが気になっただけの話だな。

ちょっと前に近くを通った時に、その山王ホテルの建物があるのだろうかと、目を皿のようにして見ていたが、建物も消えていた。
時代は変わる。

Hooters
2012/08/16

夜、御飯を食べることになって赤坂方面に出かけた。
時々赤坂に行きたくなるのは、サラリーマン生活の最初の勤務地が赤坂だったからである。
ところが夜も遅いせいで、どこも空いてないので、赤坂東急ホテルの2階にあるHOOTERS。混んでいて15分ほど待った。

ピチピチのセクシーなお姉さんたちが一杯いて、目がキョロキョロしてしまうわ。
メニューは鶏の手羽だか足だか、フライドチキンのようなスパイスの利いたのが得意らし。
店内の看板に「best breast and wings」と書かれている。
最高の胸と手羽か?
胸って所に反応してしまうな。

味?
胸肉の味はケンタッキーの方が好みかも....
胸はHootersで。

BENNY BAILEY "HOW DEEP CAN YOU GO?"
2012/08/15

BENNY BAILEY “HOW DEEP CAN YOU GO?” EMI/HERVEST 7C-062 35278

このレコードは店を始めてから40枚ほど売った。そのレコードが全てスェーデンから買い入れて輸入したものであり、その一つ一つが私の苦労のすべてであると思っている。13年間スェーデンに通った歴史である。演奏者や製作者たちに知り合いが居る訳でもないが、たったそれだけで、私にとって切っても切れない縁のある思い入れの強いレコードなのである。もちろん単なる個人の思い込みである。
数えてみると40枚と言っても13年間で割ると約3枚という計算になる。以前はもっと頻繁に入荷があったと思うのだが、平均すると一年にたった3枚しか入荷していない。
やっぱり、そんなに沢山ある物ではないのだ。

この作品は、扱いの数に応じてそれなりに良く聴き、内容も好きになった作品で、私もまたベニー・ベイリーの判りやすいトランペットの特徴を聴き、そしてクラーク・ボーランド楽団の中でも皆勤賞と言われるほどすべてに参加して、如何にも楽しげな演奏の数々を髣髴とさせる、楽しさも憂いもある傑作である。
昔のスイングジャーナルに「彼はアメリカで仕事がなかったからヨーロッパに渡った駄目なジャズメンの典型」などと書かれた意地の悪い文章を読むと今でも悲しくなる。
クインシー・ジョーンスの作品に「MEETS THE BENNY BAILEY」という曲がある。その曲がなんだと現地の記者に聞かれた時、彼は我々の気持ちなど全く理解してないと怒って記者会見の席を立ったという話もあるほど、アメリカの楽団のリーダー達から渡欧を惜しむ声が高かったのである。
クインシー本人も一時は永住を覚悟した事もあるらしいから、スェーデンはアメリカから行ったジャズメンには居心地が良かったのだろう。姉ちゃんは綺麗だし。

このレコード、まず1分ほどの前奏曲がある、曲名は「PRELUDE FOR THE WIFE AT THE GAS STATION」ガソリン・スタンドにいる妻のための前奏曲とでもいうのだろうか。
2曲目は「GASOLINE,MY BELOVED」ガソリンは私の恋人とでも言うのか?前奏曲の妻とガソリンを対比させた作品なのかどうか解らないが、この曲の流れが、この作品の流れを決めた素晴らしい曲である。その後は気分よく最後まで聴く事が出来る。
ピアノのLARS SJOSTENはこの曲の作曲者でもあり、音楽センスは抜群である。
本国最高テナーのBERNT ROSENGRENも好プレイで盛り立てる。ベースはRED MITCHELLとメンバーに不足はない。
76年の作品で充実している時期なので、是非聴いて欲しい一枚である。
因みに内袋が重要で、なぜならそこには彼の約70枚に及ぶディスコグラフィーが記載されているのだ。

昼食難民
2012/08/14

昼食に出て、店を探すとみなお盆休み。東京なのに旧盆で休み。
とんかつ屋はやっているので行くと、超満員。
側にいた客が、昼食難民だとつぶやいていた。

明日も難民か。


ノンアルコール
2012/08/13

サッカリンのコ−ラの続きで、最近のノンアルコール・ビール。
従来の海外から輸入していたノンアルコール・ビールは、ほぼビールに近かった。だから0.5%などとアルコールが少しであっても含まれていた。
現在日本で出回っているそれらの種類のノンアルコールはビールではない。
私は車で出かける事が多いので、喜んで飲んでいたら、友人が「そんなもの飲まない方がいいぞ」と言うのでよくよく裏のラベルの説明を読んでみると、なんだか薬品の名前がいっぱい書かれている。
友人曰く、それは薬を混ぜ合わせて作った全く人工的な飲み物で、味を似せたものであってノンアルコールなどと言う方が間違っているものだとか。
企業の姿勢を疑った方が良いものだそうだ。
そう言われて見ると、確かにビールでも何でもない。

飲むのを止めよう。
そういいながら、ほぼ毎日飲んでいる。

コーラ
2012/08/12

近くにもバーガーキングが出店して、新宿はバーガーキングがいっぱい。
久しぶりに違う店に行こうと思い、お気に入りの青山のハンバーガー屋さんに昼行く。

「飲み物はいかがいたしましょう?」と聞かれたから。
「コーラ」と答えたら。
「ZEROですがよろしいですか?」
「普通のコーラはありますか?」
「いえ、今はこれだけです」
「じゃあ、セブンナップで」
ちょっと怒りが湧く。

サッカリンの味のコーラなど、飲めるか!
嫌な世の中になったものだ。

コーラという物は糖分が多くて、これが体の吸収に良い。だから体が弱っている時に、最高の栄養補給剤としての働きもある。
マラソン選手の中には、ドリンクとしてコーラを飲む人もいるそうだ、炭酸も含んでいるので水分の補給にも効果的だとか。
それをサッカリンにしてしまったら、どこがコーラだ!

CHRISTIAN SCHWINDT “FOR FRIENDS AND RELATIVES”
2012/08/11

CHRISTIAN SCHWINDT “FOR FRIENDS AND RELATIVES” RCA VICTOR LSP10070 (FINLAND)

昨日のフィンランド続きで。
このレコードこそフィンランドのジャズ代表作、トップテンのまず最初に挙げられる一枚。
ジャケットの写真はメンバー5人がビルの中庭に佇んだ所である。
65年の11月、北欧は既に冬、全員厚手のコートを着ている。みな20代のはずだが、この落ち着きと大人の風格は、現代の日本人にはない。
押しも押されぬ男たちが集まったフィンランドの、ジャズの明日を担う面構えである。それでいてちょっと純情そうなところも垣間見える。いやこういう男たちの方が頑固である。
ジャケット写真としてもとても出来が良い。
ただ、残念ながら写真から、誰が誰と指摘出来なかった。ほとんど知っている名前だが、65年当時の顔が繋がらないのがちょっと残念。

演奏はハードバップだと思って聴くとモードで、モードだと思うとハードバップ、という中間派。紛らわしいから新中間派としておく。きっとレコード会社やレコード屋などは「洗練されたヨーロピアン・モードの傑作」などと書くに違いない。
確かに上手くコードの下にモードで音の繋がりを支えているような感じで洗練されている。
大した音楽力である。
メンバーは当時の新進気鋭が集まっただけに、その後有名になった人は多く、ベースのPEKKA SARAMANTO、兄弟でピアノのHEIKKI SARAMANTO、トランペットのOTTO DONNERなどが参加している。ヘッキちゃんとかペッカちゃんとか名前を呼ぶと可愛いけど、音楽は可愛いなど言ってはならないしっかり者。
PEKKAのベースはミンガスにように巧みな低音の運びで、曲を支えているのが感心する。
アンサンブルも聴いていて心地よさが伝わる。
ジャケット写真・内容と、名盤は条件が揃っているものなのである。
一曲目の「HELSINKI AT NOON」はクラブジャズの名曲になって騒がれたが、こちらは再発が出て落ち着いた。

このレコード、開店当初ヘルシンキでレコ−ド・ハンティングをしていたら、店の主人が何処から来たか等と質問して来た。
日本のレコードショップで、良いものが無いかと尋ねたら、ちょっと待て、という事になって隣のカフェでコーヒーを飲んでから1時間後に来いというので、その通りにすると持って来たのがこれ等、有名廃盤数枚。
天にも昇る気持ちで買ってきたのである。
その後、数回は行く度にあったが、今はもうそんな事など全くない。皆、首を横に振るだけである。
あの頃は買付に行くのが楽しかった。あちらの人たちも私などが行くのを待っていてくれたから。

今は皆、良い物は即ネットオークションに流れてしまう時代。
そういう時代になったのだから、ここでボヤイても仕方ない。

ジャズ喫茶
2012/08/09

仕事の後、知り合いと食事してから、ジャズ喫茶に行こうと言う事になり四ツ谷の近くから戻って、歌舞伎町のナルシス。

本当は、あの辺りの隠れ家的の店に行こうと思ったのだが、先日女性客を紹介したら、マスターがその女性を食事に誘ったらしい。
私は、ちゃんとした店のマスターは客にそういう事はしないのが、商売の不文律だと思っている古い親父だから、そういう店はあまり好まない。
今はそんな事もなくて、世の中バトル・ロイヤルなんだろうけどね。 

で、ナルシス。
のんびりした感じでここはいいねぇ。
2枚目にスェーデンの70年代後半のバンド「Archimedes Badkar」が掛ってびっくりした。あまりジャズ喫茶で掛らないだろう。
今月に入って、来たのが3回目。
ただ、開店が5時ってのがちょっと遅すぎるが、一人でやっているから仕方ない。
ここは中々やる。

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