HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ART FARMER “MODERN ART”
2012/08/26

ART FARMER “MODERN ART” UNITED ARTISTS UAL4007

私も何度となく昔は良かったという話を書いている。
その流れで行くとこのアルバムなど正にそういう類のレコードになる。
それは廃盤ブームが来た74年の「幻の名盤読本」が発売される少し前の頃。 まだ廃盤、廃盤と騒ぐ前の頃の事。ジャズ喫茶で聴いて、これなら手が届きそうと、レコード屋に行って「モダンアートのオリジナルありませんか」と尋ねている客をよく見かけたのである。
それでも1万円はしていたから、廃盤・モノ盤の結構な上位にランクされていたのである。
私自身もこのレコードを買った時の喜びは格別であった。

あれから40年。
廃盤番付の上位から落ち、今は欲しがる人が少なくなってしまった。
コレクターのプライドをくすぐる事のないアルバムになってしまった感がある。
今もベーシック・コレクションとしては上げられるかどうか知らないが、実に寂しい限りである。
商売上、それも判らない訳ではない。彼のレコードの「PRESTIGEのFARMER MET GRYCE」「ARGOのART」など、ちょっと探せば結構見つかる様になり、ある程度の金額を出せば入手も決して困難でもなくなった。インターネットなど便利な時代の流れの中では仕方のない事かも知れない。
では、このアルバム、興味を失う程の凡庸な作品か?

たしかに録音が大人しいせいか、ハードバップの元気さがあるわけでもなく、今の人が聴けばメリハリはやや乏しい事は否めない。
しかしこのアルバムは実に素晴しい作品で、BENNY GOLSONのアレンジ能力と、二人の共演の効果は評価に値していたのである。
特にBENNY GOLSONのアレンジによるA−2「FAIR WEATHER」のイントロの部分の入りと繋がりは絶妙で、感心してしまう。高々数小節だけであっと思わせるアレンジを施すとは見事で、その数小節だけのために購入しても良いレコードは存在するのである。
サックスだけ聴くと何をしたいかちょっと分かりにくいが、全体のサウンドの中に置くとトランペットを下から支え続けるテナーのサウンドは抜群である。彼は音楽家である。
この作品にはBILL EVANSも参加していて、「なんだ、ハードバップのピアノも出来るんだね」という観客の声も聞こえて来そうなほどサポートに徹している。
全体的にゆったりした曲調も、リーダーのトランペットの柔らかな音色が堪能できる好アルバムなのである。

何を言いたかったのかというと、昔はこういうちょっと気取った、おとなし目のモダンジャズのトランペットの音を贔屓にしていた人がいたのである。
この二人の演奏者の出す音すべてに耳を傾ければ、解る音楽である。
録音でもう少し粘りのある音になっていたらさぞ人気盤になったに違いないアルバムかもしれないが、仮定形で話しても埒も開かない。
傑作はいたる所にあるという事で。

八月は
2012/08/25

八月はどうしても戦争や国の事を考えてしまう。
それでひと月前に行ったスエーデンで、スエーデン在住の日本人と話したことを思い出してしまった。
それは私が常日頃考えていることを質問した事から始まった。
まとめると話の内容はこんな感じ。
スエーデンと言う国は、最も成功した社会主義国家ではなかろうか?
社会主義の最も良い点、すなわち社会保障を取り入れ福祉に力を注いだ結果、国民が安心を手に入れた国を作り上げた事。そのため40%という高い税金・保険料があっても国民は満足している事。
そこで、世界トップクラスの社会福祉があるからには、相当な数の左翼の人々がいて、それが選挙でも相当数の左翼議員が選出されたはずで、それがなぜ共産国家にならなかったのか?と長年の疑問をぶつけると、常に微妙なバランスを取っていて決して、どっとそちらに流れてしまう事がないそうだ。それは国民の政治と民主主義に対する意識が非常に高く、常に冷静に判断された結果であると自慢気だったのが印象に残った。

つい私が「日本の左翼は、左翼イコール反日という状況なので、左翼が出て来ると日本の国に不利な状況が作られたりしますが、スエーデンの左翼は反スエーデンという事はありませんか?」と聞くと。
「とんでもありません、こちらの左翼はとても愛国心が強いです。ヨーロッパ諸国では左翼が多いのでグローバル化を進めたい人はいるけれど、皆愛国心は強くて、他国に隙があらばさっと付け込む国ばかりです」
国民が政府を信頼している事は間違いそうだ。
それが何ゆえ、日本では自国を愛していない議員や左翼の群れになってしまったのだろう?と、最後は笑い話になってしまった。
まあ、戦争に負けるという事はこういう事だ。

暑い
2012/08/24

お盆が終わっているのだが、増々暑くなっていく。

日ごと暑さがつのる。
8月が終わろうとしているのにヘンだな。

休み
2012/08/23

今日は、平日の昼間にはめったに来たことが無いお客様が次々に来店した。
不思議に思って聞くと。
休みを取ったと。

残り少ない夏に休みを一日だけいただいた方、やってられるか休んでやると一日休んだ方、色々。

私の経験でも、平日に一日休みをもらって好きな事に使うのって、嬉しいものだ。
しかし、話を聞いていると、日本人は相変わらず働き者で感心してしまう。
本当にエライ!

原発の事で
2012/08/22

私は原子力発電所そのものについては反対でもない。かといって賛成もしない。
原発に依存してここまで来てしまった訳でもある。今すぐ停止と言ってもどうしようもない問題が残されている訳だし。その最も大きな問題は、核燃料廃棄物ともっともらしく呼ばれるが実は「死の灰」で、それが原発を停止したとしても、死の灰は貯まって行く。
その死の灰の処分は、決定的な方法が確立されていないというなんとも頼りない現実。
どこの家庭でも薪ストーブがあれば捨てる方法や場所が決まっているのが当たり前。
日本の国は灰の捨て方を知らない、無責任な国なのにストーブは欲しい。

原子力発電所というと私は、子供の頃泳いだ、ふるさとのあの美しい木曽川を思い出してしまう。
中央アルプスと御嶽山の間の急峻な谷を流れ下るのでどうしたって川の流れもまた急である。
それでも、その川の流れも所々に溜りの様な場所が出来る。淵と呼ばれる場所である。
そういう場所に子供たちが集まって、上級生を中心にして泳いでいた。
まず、岸辺で泳ぎを覚える。次に向こう岸に横断する事に挑戦する。それが出来るようになると上流から流れに乗って下流まで流されながら泳いで下るのだが、これが深い所で潜ったり、渦巻くところは力を抜いて身を任せたり、それはスリリングな遊びだった。
そのまた上級者は高くそびえる岩からのダイビングがあった。その岩は長方形を空に向かって立てたような岩で、僕たちは立岩(たていわ)と呼んでいた。岩によじ登るのも英雄的行為であり、その岩の上に立ちあがった雄姿もカッコ良かった。その競争にも似たダイビングが始まるとみな泳ぎを止めて、それぞれの贔屓というか親分というか、日焼けした近所の兄ちゃんたちの雄姿に見とれるのだった。僕たちは取りあえず下の段から飛び込みを練習していた。
私は小学校前から喘息などで虚弱児童と呼ばれていたので、それを隣の3つ上の兄ちゃんが心配して、泳ぎは体に良いからと毎日川に連れて行ってくれたおかげで、小学校2年の時に向こう岸に泳げるようになっていた。クラスで向こう岸に行けたのは、一番強いと思われていた子と私の二人だけだったので、その時ばかりはクラスでも一目置かれたのが嬉しかった。

それが6年に上がる前に、ダムが出来る事になり、水泳は禁止になった。
やがて工事がはじまり、青々とした水をたたえ、アユも一緒に泳いでいた美しい淵も、あの水の側にやや傾斜し空に向かってすっきりと立った「立岩」もダムの水底に沈んだ。釣ったり取ったりしていた魚たちに触れる事も無くなった。
泥と砂で白っぽく濁った水がそういう景色すべてを飲み込んだのである。
それでも地元では村に対する税収の大きさや、関西電力に電力供給して社会に貢献しているからと、美しい景色と引き換えの満足はしていた。ダム建設は当時、何十年という長い間仲の良かった村の人たちを二分するほどの激しい論争があり、それでもなし崩しに建設が決まった。
それからしばらくして、時々帰郷すると何となくダムの辺りが活気がないというか、錆びっぽい。
母親に聞くと、水力発電はもういらなくなった、ということだった。
ではダムを壊して元の故郷の姿に戻すのかと聞くと、それはもう無理だと。
要はそのまま放置されるのだと。そういう話をしながら、美しい景色も失い、社会貢献もなく、不要だと言われたダムだけが残ってしまい村の人々の空しい思いと敗北感を母の話から聞いた。

そうこうしている内に、日本のあちこちに原発が出来上がった。
昭和45年頃からの話である。

熱中症
2012/08/21

夕方、休憩でジャズ喫茶ナルシスに行った帰り、歌舞伎町の街頭テレビのニュースで「今年、今日までに熱中症で無くなった人数が関東地区だけで32人に達した」と言っていた。
暑さで毎年人が死んで行くのに、それを黙って見ている事は、一言でいうと政府の怠慢だと思う。
毎年暑さで無くなる人の数を、ここ数年だけでも足すと何千人となる。
国民の目線でなどときれいごとを言いながら、それでも対策が打てない政府など、やっぱりカッコだけなんだろうな。
真剣味が無いわな。
イカン。

売ったレコード
2012/08/20

私はレコード屋なので、売ったレコードを後から売らなければ良かった等という女々しい後悔はしない。
特にジャズ専門店なので、ジャズに関しては間違いない事にしている。
事にしていると言うのが、ちょっとはあるとも取れるが、やせ我慢ともいう。

それでもジャンルを広げると、売ってしまったが後悔しているレコードが実は一枚ある。
クラシックのレコードでオイストラフ” ベートーベン・バイオリン協奏曲”英国コロンビア盤オリジナル。
数年前、何かの話でお客様に見せてしまった。すると美品だし、どうしても欲しいという事になり、売りたくなかったのが3万円で買うからと言われ、安い金額では無いし、売り上げの為にウンと返事してしまった。
その後、もう一枚持っていたモノ盤のオリジナルはどうせ安い物だし、やけくそになって売ってしまった。

ところが、自分で言うのもなんだが私は意外にロマチックな性格なのか、時々どうしてもこれが聴きたくなる。
あの甘い音色のオイストラフのあの演奏が。
それで、知り合いのクラシックの店に電話して価格などを尋ねると5万ならあるという、それだったらモノ盤でも十分に良かったのにと、よけいに悔しいので買わずにいる。

しかし、オイストラフという人は写真の顔を見ると旧ソ連の首脳部の人のように恐ろしい面構えで恐怖政治でもやりそうな感じなのに、あの演奏のバイオリンの響きは甘くてとろけそうで、なんという気持ちの悪いアンバランスな人なのだろうと思うのだが、演奏は大のお気に入り。

悔し紛れの文句は置いといて、もう私には入手は不可能だろうと思っている。
CDでは聴く気にならないし、オリジナルのレコードでなければ欲しくないし。
だれか売ってくれないかな。

オリンピックが終わって
2012/08/19

ロンドン・オリンピックのメダルを取った選手のパレードがあるらしい。
銀座に行こうかな。
ところで、最近の選手は人間が洗練されているというか、小馴れているというか、マスコミの受け答えも卒がなくて感心してしまう。
なぜなら、たった今試合が終わって、勝った選手はいいけれど、惜敗した選手にもどんな気持ちですか?って、そんなもの、選手にしたらインタビューの野郎を殴りつけたいに決まっている。
それでも「悔しいです」とか、「すみません」とか、オリンピックの勝負の場の精神的なプレッシャーは例えが無いほど凄いのだろうと思うが、それでも冷静になってしっかり受け答えをしているのは、本当にエライ。
それを見て、もう少しまともな事を言えないのか、とブログに書いているのを読むと、国民もまた残酷だなと感心する。所詮、マスコミも国民の鏡であることに変わりはない。

そういえば、オリンピックでの選手バッシングで忘れられないのは、92年の水泳の岩崎恭子さん。
レースが終わったばかりに向けられたマイクに向かって思わず「今まで生きてきた中で一番幸せです」と言ってしまった言葉尻を捕まえられ。その後、延々とマスコミのバッシングを受け、それに乗せられた国民もまた、14歳の少女を叩くという、考えるのもおぞましいいじめがあった。
私は最初の言葉尻を捕まえたと思える番組を見た、と確かに思うのは、その時優勝のニュースを流した何かの番組で、それを聞いたコメンテーターの小沢某とかというおばさんが「14歳の子供にさ、今までの人生で一番幸せなんて言われたく無いわよ」と言った時、本人はもちろん司会者はじめその場にいたコメンテーターも皆大受けだった。私もそれを見て笑った。ホントだなあと。
だがそんな調子で、見て一瞬笑って済む話ではなくなり、その日の夜の他局のワイドショーでも猛烈に、その言葉への批判が始まり、それは戦争に向かったときのように、抑えが利かない人々が突っ走る群れのようになっていった。会社でもその話題になった。更に遅れて出る週刊誌の記事でも叩き続けたのである。
まるで、彼女がこの世の悪を一身に背負った魔女裁判のように。
その後、彼女の成績もパッとしなくなると、あれはフロックだったとまた叩くのであった。

思えば彼女は、国の代表としてオリンピックに出場したわけで、日本の観衆はテレビを見ながら、みな自己新記録を出し何でもいいから優勝してくれ、3秒世界記録に足りなければ今3秒短縮してくれと思って見ている訳で、フロックでもなんでも良いと思っているわけだ。ところが今度は、実際3秒という信じがたいタイムを短縮して勝てば勝ったで理由を付けてこき下ろす。それも言い訳の出来ない中学生の子供を捕まえて。
あれは本当に恐ろしい出来事だった。

その後、千葉すず選手は「だったらあんたが泳げば!」という発言をし、マスコミの気に食わなかったらしく、これも猛烈なバッシングへと進展し、ついに国内選考会で五輪参加記録をクリアして優勝しても、マスコミを怖がった連盟が選ばなかったという悲劇まで生まれた。
比較する理由は無いが無理に比較すると、こちらはちょっと挑戦的だったことがいじめにつながったのだろう。だが岩崎の場合は、「幸せだ」と言ったことが気に食わないといじめにあった、これはまた壮絶ないじめだった。

その後も、いや今も昔もマスコミの気に食わない選手へのバッシングは後を絶たない。その結果、選手は一様に優等生的な発言しかしなくなった。
タレントの様なテレビ受けと、きれい事は国民の願いだから、それはそれで良いのだと思う。
野球もそうだが、インタビューを受けると必ずチームのためと判を押したように言う。
私はいつも、テレビを見ながら選手より先に「チームへ貢献できて良かったです」と画面に向かって言う事にしている。
そういう私も社会に貢献したいな。

新宿
2012/08/18

朝、店の近所でパトカーが2台来て、何をしていると思ったら、酔っ払いを連行している所。
連行っていうと何だが、酔っぱらって道路に寝てしまったオジサンを、警官二人が両側から肩を組んで、結局三人共千鳥足で歩いて寝ちゃだめだ、と励ましながら車の方に誘導していただけなのだが。「本人はうるせーな」とどなっている。制服でも着ていなかったら十分な酔っ払いの友達。
周囲に付き添いの警官数名。眺めていると制服は重要だ。

しかし、新宿は朝酔っ払いが異常に多い。
こういう新宿の街の事情を知らない、正義感の強い若い女性などが通りかかると、それっとばかりに救急車を呼んでしまうのでその辺りは大騒ぎになる。たまたまそういう正義の人と目が合ってしまうと、ちょっとちょっとと声を掛けられて仲間に入れられてしまうから、なるべくシカトして歩くに限る。
酔っ払いで道端に寝るような人は一度きりっていう事がなくて、何度もそういう状態なので顔を覚えて置く。それで分かりやすくなっているので、本当の病人かどうかは、遠くから服装や体の動きを観察して見当を付ける。
たまには一見さんって事もあるが。

これって、昔からこうだったのかと考えてしまった。
新宿もここまで酷くなかったような気がする。

赤坂
2012/08/17

赤坂の続きで。
昭和45年旅行会社に入社し最初の勤務地が赤坂だった。会社は赤坂東急ホテルの7階で、中は広くてなかなかデラックスなオフィスだった。
赤坂は当時とても高級な場所で、昼ごはんが1,000円の店しかなかった。コーヒーが350円で一日の昼食代が1,300円〜1,500円必要だった。東急ホテルのコーヒーハウスのハンバーグ定食が1,150円でこれが一番安いメニューだったかもしれない。
給料が3万円だったが、先輩や同僚たちは金持ちのボンボンが多かったのか、普通に食事に行くので一緒に行くと、あっという間に昼食だけで給料が無くなる。
仕方なく実家の仕送りをしてもらった。
親は、就職したからもう仕送りが終わったと思っていたのに、「会社に入ったから金を送れ」と言われるとは思わなかった、と嘆いていた。
思えば、現代の現役サラリーマンより高額な昼食を食べていたことになるのが不思議だ。
新宿・渋谷などの街と赤坂などを比較すると、いまよりはるかに価格に格差があった。なにより雰囲気と食事の内容は確かに高級だった。

赤坂と言えば、今になって思うと最も不思議な場所があった。
山王ホテルというホテルがあって、その一階にガラス張りの広い店があった。
時々前を通っていて中を見ると雰囲気が良さそうだから、同僚と行ってみようかという事になった。
中に入ると広いフロアがあって、手前に大きなカウンター、奥にはテーブル席があったが、何となく僕たちはカウンターで立ったままビール等注文した。
綺麗なお姉さんが手持無沙汰にしていて、ビール一杯だけでも、ちょっと話し相手をしてくれる。
それがモデルやら女優のような本当に美人ばかりで、僕たちは喜んでいた。Hootersより数段上だから。
2・3回行った時、女の子がやってきて、「あなたは昨日も来たでしょ」
「来たよ」
「あのね、ここはあなた達が来る所ではないのよ」
よく理解できずに、きょとんとしていると、「まあいいわ今日は、でも混んで来たら帰ってね」。
周囲の客を見ると、確かに外人ばかり。
それで翌日先輩に聞いて理解したのは、ここは進駐軍って古いな米軍の関係者だけしか入ることが出来ない米軍に接収されたままになっている珍しい建物だったのだ。その昔は2・26事件の舞台になったホテルでもある。
一階の店はアメリカ人のためのバーだったというわけで、確かに日本人は入館禁止だったが、当時は取締も相当ゆるくなっていたらしい。それで何も知らない馬鹿な僕たちが紛れてしまったのだった。
私はそれ以来、行く事は無かったが、友人はそこの女の子と顔見知りになり、時々入れてもらっていたらしい。
しかし、あの時代は子供時代の栄養事情も良くないので、言ってはいけないが今のように美人が多くない時代だった。
それなのに背が高くて、胸の位置の高い、あの超のつく美人達の群れは一体何処から来て、何をしていたのか、ちょっと今でもヘンな想像をしてしまう。
別に意味はないけれど。結局、姉ちゃんたちが気になっただけの話だな。

ちょっと前に近くを通った時に、その山王ホテルの建物があるのだろうかと、目を皿のようにして見ていたが、建物も消えていた。
時代は変わる。

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