HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 転勤 | - 2013/03/30
- 昨日の日記の続きで。
今日は初めて来店して下さり、音楽が好きで従業員とも私とも話が盛り上がったお客様がいた。 楽しかったので「また来て下さい」と送り出そうとすると。 「4月から福岡の方に転勤なんです」という。 せっかく知り合ったのに、なんとも残念。 春は最も希望に満ちた明るい季節なのに、またも別れの話かと、感傷的になった。
花に嵐の例えもあるさ さよならだけが人生さ
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| 3月 | - 2013/03/29
- 3月は淋しい。
お客様で新潟から東京に転勤で来て、仲良くして頂いた方が転勤で地元に戻って行った。 淋しいねと従業員と話していた。 次に来店された方が、4月1日から大阪に転勤になると言う。こちらも音楽に詳しい方で楽しくお付き合いさせていただいた。 そんな時期だね、などと感傷に浸っていたら夕方、近くで働いている女性が寄ってくれて、4月1日から新宿であっても転勤だと挨拶に来てくれた。
次々と転勤がある3月。
人間は「別れ」という言葉から離れる事は出来ない。 会うは別れの始まり、とはよく言ったもの。
人生は 会って別れる 桜かな
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| EARL COLEMAN RETURNS | - 2013/03/28
- EARL COLEMAN “EARL COLEMAN RETURNS” PRESTIGE 7045
このレコードは新入荷ではない。在庫としてもう数か月ほど経つ。 売れないのは、どうでも良いレコードと思われている節がある。 では、どうでも良いレコードかと言われると、全くそうではない。 まず作品として。 男声ボーカルとして中々の良いレコードで、彼の歌は柔らかく上品である。 黒人ボーカルとしてはやや上品過ぎ、大人し過ぎるが、聴く側のセンスが試されるような素晴らしい作品である。 バックのメンバーも申し分無く、アート・ファーマーにジジ・グライスと来ては、50年代中頃の最も充実した時期の演奏で、各人のソロを聴けば、納得の好演奏である。 だが、今は男声ボーカル不遇の時代。これもまら例に漏れずに人気のない、不運のアルバムである。
だが、ここで私が、ぐずぐずとアルバムの不運を嘆いている訳にも行かない。 ジャズのレコード・セールスマンとしてはお客様に良い点を示さないと。 どんなアルバムにも長所はある。といつも言っている通りである。 と、おもむろに話を進めると。
このレコードはとんでもない、重要な能力を秘めたアルバムなのである。 ある曲において、彼の歌が終わった後、後ろの方で数人がしゃべっているのである。 その話声が聞こえるかどうかで、持っているオーディオの解像力が分かると言うオーディオ・チェックとしての仕事が出来るアルバムなのである。
自分のステレオ装置がどの程度の解像力か 誰でも知りたいと思うはず。 ところが御誂え向きのアルバム等、そうそうあるものでは無い。 オーディオ・チエック・レコードだって、繊細な音になると、そうは行かない。 そんな時に、ぴったリなアルバムなのである。 試してみる価値はある。
しかし、このジャケット、上からど真ん中に青い色の矢印を塗っているが、これが無いとすると、同レーベルの名盤、ALL MORNING LONG (7130)のような、かなりのレベルの、ニューヨークの港の風景写真なのである。
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| 看板 | - 2013/03/27
- ちょっと前の事。
同じフロアの斜前に若い姉ちゃんのネイルサロンが入った。 それがいきなり看板をドアの外に出した。 看板は中段に植物の植木鉢も入った手作り感のある、高さ1メートル弱だが出っ張りが結構ある。 実はビルの通路に物を置くと、消防署の指導でなんだかんだと管理人がうるさい。 他店でも通路の看板は傘立て程度にしている。 これはまずいと判断したので、その姉ちゃんに「これだけ大きいと、多分、管理人や理事会の役員から文句が出ると思うので、もうちょっと小さいのにした方が良いよ」と軽くアドバイス。 すると、むくれて「あそう」といきなり看板を引っ込めて、ドアをバタン。
この辺りの不動産屋は小さなショップが賃貸を探していると、看板は歩道に出してやりなさいとか、店の前にちょっとぐらい許される等と、営業トークに使っている。 不法な事などおくびにも出さない。
きっとお姉さんが、近所の嫌な親父があたしの看板にケチを付けた。 どうしてくれるんだ、入居の際の話が違うと、不動産屋にでも怒鳴り込んだら面倒になる。 これはまずい事を言ったかな、とちょっと心配していると。 あにはからんや。 翌日、ビル管理組合の理事長が部下約1名を引き連れて、当店にやって来て、「お宅の看板引っ込めてよ。こんなの認めてないよ」とエライ高圧的。 10年間消防署がチェックに来る時以外はお互いに「まあいいか」でやって来たのに、看板は撤去、撤去と威張りまくり。 急にどうしたのですか、と聞いても、規則だからと。 結局、ドアの前に旗を立てていた店も、小さな看板を出していた店も全滅。 これからは厳しくして、看板を通路に出したら罰金100万円と紙も貼っている。
なんだか読みの通りになってしまった。 想像でしかないが、私がへんな事をいわなければ、こんな事にならなかったのであろうと思うと、ちょっと後悔。
この辺りは人通りも増え、歩道の看板も道路交通法の対象として、警察の取り締まりも増えた。 それでもなぜか中国系のマッサージとか、家賃未払い即鍵交換の最近の不動産屋は、継続的に看板を置いている。 厳しい中、なぜそのまま看板を継続できるのか理解に苦しむ。 警察もレコード屋にはエライ厳しかったのだけれど、あっち系には弱いらしい。 ま、弱い者に厳しいのは世の常、という事で。
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| カッコオいい白バイ | - 2013/03/26
- 朝、歌舞伎町の近くの交差点で、白バイが停まって、違反車を探しているようだった。
ちょうど先の小さな信号を、赤信号にも関わらず横断して行った自転車がいた。 即、出動と思ったら、びくとも動かない。 なんで?
車だったら鬼の首を取ったように、蹴っ飛ばされたように走って行って捕まえるのに。 車が多くて、危険な横断だったにも関わらず、自転車や歩行者は御目こぼしとは、さすが白バイ隊員は太っ腹。 カッコイイ。
うん? それとも、お金にならないからかな。
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| 一時停止 | - 2013/03/25
- 新宿の歌舞伎町の近く、道路の角にお巡りさんが二人立っている。
何をしているのだろうと思っていたら、脇道から出て来る自動車の一時停止を見ているのだった。
それなら、近くで見ていれば良さそうなものを、広い道路のフェンスの陰から見ている。 ちょうど、そこに出て来た自動車が、止まったか止まらなかったかの、微妙な停車で、ゆっくり曲がって行ってしまった自動車の運転手が捕まっていた。
事故防止を願っているなら、近くに立っていて注意すれば良いものを。 正義の味方のお巡りさんも、結構いじわる。
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| 桜とくれば辛夷 | - 2013/03/24
- 知合いが「コブシ咲く春なのに、あなたは来ない〜」と口ずさんでいた。
何か落着かないので、口ずさんでみた。 ちょっと考えたらそれはコブシではなくて椿だった。 ジャズ親父でも知ってる歌だったので、「椿だよ」とやさしく教えて上げた。 日本と韓国を混同しては拙い。 日本の方は「コブシ咲く あの丘北国の ああ北国の春〜」で、唄う不動産屋、と言われた千昌夫。 北国の春は大ヒットした。 カラオケでも私のような歳の人が集まると、先に歌った方が勝ちという状況になる。 あの曲で良いのは「季節が都会では分からないだろうと」とか、「兄貴も親父似で無口な二人」の所である。 郷愁は故郷のみならず、過去に対する想いでもある。ヒットした当時すでに過去への郷愁が大部分であった。 それを演歌で唄うところに、聴く人にも地方出身ならではの郷愁がある。
だがこれも昭和の事で、風景も遠のいた。
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| 開花宣言 | - 2013/03/23
- 桜の花が満開宣言だって。
3月のうちに満開とは恐れ入った。 新宿でもお彼岸の前に、コブシとサクラが一緒に咲いていた。 寒い冬が一気に暖かくなると、あらゆる木の花が一斉に咲くのは、北国の風情と同じである。
そういえば、コブシとサクラの咲く時期は近い。 だが私はコブシが終わると、桜が咲くと記憶している。
以前は上野毛にある五島美術館のコブシをよく見に行った。 建物の裏側の、多摩川段丘の崖下を少し下ると木があって、そのコブシが見事な大木であった。 その鮮やかな白い花びらに茶色の色が出て来ると、コブシの花の命は終わる。 そうすると次は桜だなと思っていると、桜はあっという間に満開になる。 時期は4月の上旬という事であった。 それなのに、今年は卒業式に桜が咲くという事態になった。 いや、それならばお別れだから、桜散るというのか?
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| 新宿再開発 | - 2013/03/22
- 新宿区富久町。
新宿から靖国通りを進み昔栄えた厚生年金会館の少し先、坂の頂点から右に外苑西通りが始まる大きな信号辺りが富久町である。先日間、あの辺りを歩いていたら、相当広い範囲で再開発の工事が始まっていた。
新宿では再開発とは高層ビルを作る事で、相変わらず昭和の高層ビル絶頂期のままである。 大手建設会社にとってこんなに美味しい国はなかろう。
国民もそんな流れを苦々しく思っていると思えば、意外に歓迎ムード、今度のビルの50階に住めると、喜んでいる方々にも会った。彼等に取ってとてもラッキーな自慢話なのであろう。 綺麗になると喜んでいる人もいる。 だから他人の私が反対する理由はない。無いがオジサンは心配なのだ。
ああいう、高層ビルが出来ると街の景観は一遍に変わる。 妙に余裕のあるアプローチと人が入る事を禁止された芝生。 そこだけ広い道路。 申し訳程度に、チェーンのスーパーマーケットがポツンと入る。 とても清潔。
だが、大きな建物は特有な圧迫感がある。 そういう圧迫感を感じている周辺の住民や、大きなビルの日陰の寂しさは、ビルの周りを歩けば一目瞭然。 遠くまで見渡せていた人が住む家々の屋根が消え、生活の場として機能していた小さな商店や路地も消える。 そういうものが新宿区において、不要なものとして切り捨てられているのだが、本当に捨てる程ひどいものだったのか、考えてしまった。 高層ビルは綺麗で、小さな家屋はゴミか? そういえば、一度頓挫したゴールデン街も、いよいよ新宿区の念願の再開発が始まるという噂も聞いた。 新宿が味気無い、つまらない街になる。
未来に残そうというキャッチコピーは高層ビルの事だったのか?
再開発をしたいのなら、バスターミナルの再構築はいかがだろう? 現在私が見ていて、新宿で最も問題なのは、地方とを結ぶ長距離バスやリムジンバスの乗り場の少なさ。 便数が増えたのだが、その乗場が不足しており、至るところに適当に駐停車している大型バスの多さ。 それらの解消に、昭和40年頃に完成した新宿駅のロータリーを再開発したらいかがかと思う。 2〜3階建てにして、甲州街道、青梅街道、小滝橋通り、高速道路へのアプローチ等の整備と併せて行えば、東京のバスのターミナルとして、都庁に接した玄関として大変な場所になれる可能性があるのだが。 これこそ新宿の未来に残せる一大事業。
結局は大手ゼネコンにくっ付いただけの開発は、所詮高層ビル建設だけなのだろう。 そんな事を考えながら、小田急百貨店の見晴らしの良い喫茶店で、外を眺めていて、新宿も魅力が無くなったと思った。
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| お供え | - 2013/03/21
- 昨日の日記の、「進ぜる」という言葉は、日本でどのくらい使われているのだろうか。
東京では「そなえる(供える)」という。 私は、よそ行きの「お供え」と、口の中でしか発しない「進ぜる」を使い分けている。
だが、長野の田舎で育った私は仏様には「進ぜる」という言い方が好きだ。 風情が違う。 供えるは、ただそこに物を置くような、仕事というか義務感が付きまとったような感じ。 それに対して進ぜるは、差し出すという積極性・心の情景が出ているような気がして好きだ。
子供の頃、どこからか季節の物を頂いたりすると祖母に、まず仏様に進ぜて、とキツク言われた。 頂いた事の感謝の気持ちと、仏様への惧れを一緒くたに行動に移すと、そうしないといけなくなる。 だが私は子供心に、進ぜてしまうと、あれはきっとお婆ちゃんが食べてしまうに違いないと危惧していた。 確かにそういう事もあった。 それが好きな食べ物だったとしたら、お婆ちゃんに取られないように戦略を立てなければならない。 そこで姑と仲の悪い母親を味方に付けて、進ぜる前に食べてしまうか、進ぜた実績を作ったら即食べてしまう方向に持っていって、子供が食べてしまったものは仕方ないという、諦めさせる方向に持って行くように努力していた。 国境紛争とも、勢力争いとも言える、小さな小競り合いが家庭の中でも常にあった。 とは言ったものの、お婆ちゃんは分かっていて、そうしていたような気がする。 ただ躾の意味で、厳しくしたかったのだろうと今になって思う。
現在の家庭において孫は王様で、欲しい物がなんでも与えられるから、こんな話をしても理解は無理か。 では、こんな話は止めだ。
おはぎ消え 仏像に糺す 犯人像
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