| ALBERT AYLER “IN GREENWICH VILLAGE” | - 2013/05/09
- ALBERT AYLER “IN GREENWICH VILLAGE” IMPULSE A-9155
このアルバムが新譜で入って来て、日本で出回り始めた頃、私は学生だった。 最初に、このジャケットを見たのは吉祥寺のジャズ喫茶ファンキーで、入口に窓に飾ってあった。 赤地に黄、水色、青、緑、紫、茶と表だけで10色は使っていて、それらがうねって画面一杯にのた打ち回わり、激しさが全面に出たサイケデリックなデザインに、新し物好きな私は、これぞ我が意を得たりという気持ちであった。 それでファンキーに入ってこのレコードを聞いた。
思えばちょうどあの頃、付き合っていた彼女がファンキーにバイトに行ったが、そこに居たバイト君と出来てしまったので、私の短い恋は終わった。 私はそれ以来、何となくファンキーには足が向かなくなった記憶がある。 どうでも良い話ばかり思い出す。どうでもよい、関係のない話は置いといて。
当時の日本は借り物ヒッピー文化真っ盛り、私も長髪にして細身のジーンズを穿き民族風のシャツや素肌にセーターなどを着て、新宿などを歩いた頃で、大いにアメリカのヒッピーにあこがれた。 汚らしいからフーテンと言った方が正しい。 サイケデリックが最新流行語で、ポスターなどを喜んで集めたりした。 サイケデリックと呼び、たしかサイケという略語はなかった。 その時に見たのがこのジャケットであるから興奮した。 勿論サイケデリックと言われたデザインのジャケットはロックを除けばジャズではCharles LloydやHerbie Mannなどにあったが軟派ジャズには興味がないので、ジャズ硬派な我々には問題外。 そこに前衛と言え、伝統を踏まえた腰の据わった音楽とデザインの融合作品が現れたわけで、我々はこれぞと認めたのである。 これは断トツに前衛であり、サイケデリックであった。 何を持ってサイケというのか、今になってみると良く分からないが、そういう事で。
兎に角その後、自分で購入して一生懸命に聴いた作品になった。 真面目なジャズ青年だったのだ。 まだ輸入レコード屋に行けば、70年初めでもオリジナルのオレンジラベルと、セカンドの赤黒ラベルが入り混じって売られていたが、乏しい生活費からの出費が厳しい私はバーゲン・コーナーで見つけたがそれは、当然セカンドの方で、後になって大いに悔しい思いをしたのである。
ところで、このデザインはRobert Flynnとなっている。 ブルーノートのリード・マイルス(Reid Miles)やベツレヘムのゴールドブラット(Burt Goldblatt)に比較すると目立つ事はないが、彼はプロデューサーのクリード・テイラーと共に、60年から69年まで、ボブ・シール(Bob Thiele)がFlying Dutchmanを設立するまで共に働き,同レーベルのデザインを手掛けている。 だがこんなサイケデリックな作品は他に類を見ず、もう一つARCHIE SHEPPのMAGIC OF JU-JU(9154)で頭蓋骨に花柄サイケ文字という興味深いジャケットがあるだけである。 他に数枚、アイラー本人のLOVE CRY(915)などにややサイケ調な雰囲気が認められるだけで、あとは実を取った腰の据わったデザインが多い。 だが物の意味を伝えるという視覚的な仕事を彼は外していない。 それはレーベルとしてビジネス的に実に好ましい仕事であった。
という事から思うに、ここまで激しさを表現したという事は、この作品の音楽が、いかにデザイナーにも刺激的だったかという証拠でもある。 もう一つ、なぜこのアルバムがこれほどのサイケ調になったかと言うと、私がESP盤やDEBUT盤など数々のオリジナル盤を入手した結果解ったのだが、アイラーがいかに音楽と美術の融合に力を注いでいたかという事を、デザイナーが理解したからではないかと、私は固く思うのである。
アイラーは1970年に亡くなっていて、その死因が溺死とも他殺とも言われ、フリージャズを作った一人としての苦悩を偲ぶと共に、当時の私など若者の心を大いに刺激した。 いつか、アイラーが死んだというあの橋の上に立ってみたいと、青年達は語り合ったのである。
良い時代、良い音楽であった。 青春は女の子に振られたとしても、それでも良い時代なのだ。
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