HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

通販リスト
2013/06/25

通販リストの更新いたしました。

今回は、色々新入荷がありますが、入力が間に合わないため、リストに未掲載のものあります。
ただし、店内には毎日新入荷があります。
もし時間がありましたら、店にもお寄り下さい。
社員一同、心お待ちしております。

しゃぶしゃぶ
2013/06/23

外人のお客様がきて、半分伝わらない会話になって。
面倒になって来た頃、好きなミュージシャンはと言ったら、先方が「しゃぶしゃぶ」
「 ?}
よく考えたら「サヒブ・シハブ」だった。

似てると言えば似てる。

JOHNNY COLES “THE WARM SOUND”
2013/06/22

JOHNNY COLES “THE WARM SOUND” EPIC LA 16015 (USA)

JOHNNY COLES(ジョニー・コールズ)の大名盤。
だが昔は、名盤百選には入っていなかった。
リーダー作がブルーノートの“C”という大きな字体のアルバムがあるだけである。
その後は、ずっと下って70年代にも2枚ほどあったか。と思われるほどの少なさ。
それは彼がスタジオの仕事やバンドメンバーとしての仕事が多かったことや、リーダー作に対する欲があまり無かったのであろう。
しかし腕は確かで、何しろ、ギル・エバンスやミンガスの所にもいたほどであるから、大した実力者である。

作品をたった2枚しか探されないミュージシャンというのも寂しい気もするが、ある意味2枚も欲しがってくれるジャズメンも成功者ともいえる。
人生としては羨ましい人生である。

私がこのレコードを最初に知ったのは、73年頃出された「幻の名盤読本」という雑誌である。
たしか、「地味で、大きな注目を浴びないがジャズが解る男には、心からの愛聴盤となろう」と言うようなことが紹介されていた。そうだ違いのわかる男のコーヒーではないが、違いのわかる男には必要欠くべからざる一枚である。と
、それこそ通好み! の一枚と刷り込まれた単純な私は、当時の再発ブームもあり、EPIC盤も国内盤で相当数リリースされたので、ついでにそれらを全部まとめて買って聴いた。
一方で、せっせとアメリカのオークションやセットプライスのリストを探して、やがてオリジナル盤を入手したのである。
その時はジャケットの上の方が割れていたが、問題ではない。男はサウンドだ。
しかし、お金もないのに、良く買ったものだ。

この作品も、知名度があがり、いつもの間にか大名盤に押し上げられた。
ムードある演奏が良かったのかもしれないが、なによりジャケットが良い。

見るからに真面目でかつ素朴そうな黒人青年が、きらりと光る眼差しを前方に向けて、一心にトランペットを吹いている姿を横から写した写真は見事に彼らしさを描き切った。
素朴という表現しか思い浮かばないジャケ写は見事である。
その姿がカラフルなバックの色の波の中に浮び上がっているのである。といってもジャズのアルバムだからトーンを落として、やや暗めにしてある。
上部が更に暗い色調に沈んでいき、そこに赤い文字で「THE WARM SOUND」!
良い仕事だ。

演奏はジャケットの素朴な風貌と、正に一致したサウンドで、素朴さと、タイトル通りの暖かな音に、聴けば幸せ感がふわふわと漂って来る。
今も変わらぬ暖かさがここにある。
オレの帰る場所があるんだぜ。
しかし、今のオレはこのレコードを持っていない。

CHET BAKER & CREW
2013/06/21

CHET BAKER “CHET BAKER & CREW” PACIFIC JAZZ 1224 (USA)

久しぶりに良い状態の、オリジナル盤のアルバムが入荷した。
このレコードは何となく好きだ。
それはこのジャケット写真のチェットは、いつになく健康的であるから。

PACIFIC JAZZというレーベル故、きっとロサンゼルスの港で撮影したのであろうか。
大きなヨットにバンド・メンバー全員が乗船し、船を出した。
向って左側にどっかり座ったのがJIMMY BOND(bass)、その横がPETER LITTMAN(drums)、右奥で笑っているのがBOBBY TIMMONS(piano)、一番右に映っているのがPHIL URSO(ts)であろうか。
正直なところURSOかLITTMANか、どっちか分からない所もあるが、大体こんな感じだ。
そして我らがチェットは帆に上り、左手をワイヤーに掛け、身体を弓なりに反らし、右手でトランペットを持ち、口に当てて頬を膨らませている。
これから出発だと言わんばかりである。

思えばチェットのアルバムで、これほど健康に満ちた写真が他にあろうか。
身体的にも充実した様子の写真など他に思い当たらない。
これを見ると、私はチェットが青空の下、青い海の上にヨットを浮かべ嬉々とした姿は実に健全であり、きっと精神的にも充実した幸福な時であったに違いないと、思うのである。
それどころではない、私には、チェットがとても眩しく映ってしまうのである。

確かにこの時期は55年のヨーロッパツアーの大成功で、意気揚々とパンナムの飛行機で帰米した後、PLASYBOY(PJ1234)、QUARTET(PJ1232)等々、幾多の傑作を残すことになる。
どれも甲乙付けがたい全盛時の演奏ばかりである。
その中でも、最もウエスト・コーストらしいと言える、秀逸なジャケットの一枚である。

演奏を聴けば、RUSS FREEMANかと思ってしまうほどのウエスト・コースト調のピアノを弾くBOBBY TIMMONSのサウンドも粋である。
テナーのPHIL URSOも軽快で流暢なサウンドを聴かせてくれる。
チェットの柔らかなトランペットの音も、実にウエスト・コーストらしい光を振りまいた、眩しさを感じさせる出来なのである。

チェットの良い作品だ。

「みやましい」
2013/06/20

梅雨でしとしと雨が降り、店は暇なのでちょっとサボってコーヒータイム。
その前に掃除とか片づけなどたくさんやる事はあるが、なんとも腰が上がらない。

そう言う時に、私は「みやましい」という言い方を思い出す。
私の故郷では、丁寧な事をみやましいといった。
丁寧と言っても仕草などの事ではなく、仕事のやり方や出来上がりの事をさす。
例えば、私は工作をしていると母が、「その仕事は駄目だに、父ちゃんはもっとみやましいに」等と言われる。
掃除の仕方も、私はみやましくないと常日頃言われた。

祖母などは、それは綺麗好きで朝の掃除は、たすき掛けで、床などはしっかり絞った雑巾で拭く。
雑巾は絞る時水が跳ねないように、片手がバケツの水の中に入っていても、しっかり絞れている見事さで、それで拭くものだから床が光る。
その後は、今度は柱、戸などをから拭きする。
柱などいつも黒光りに光っている。
囲炉裏があるので、乾拭きをすれば綺麗だが、乾拭きを怠るとたちまち部屋の艶が失われる。
したがって家々で光り方の違いが出て、この家はどの程度か、子供心に良く観察した。
そういう仕事だから、「祖母さまの仕事はみやましい」とされた。
それを見習えと言われたものだ。
しかし、怠け者の私はそういう事は出来なかった。
祖母に、「お前は、四角い角を丸く掃いて」と言われるのだった。

あの「みやましい」という言い方が、いかにもあの当時の、あの地域において、家に働き者の女がいないとどうにも行かない生活の基本や、男の職人としての仕事ぶりを表すにピッタリで、今思っても、良い言葉だったと思うのである。

ANNA MOFFO “SINGS BERLIN”
2013/06/19

ANNA MOFFO “SINGS BERLIN” RCA-ITALIANA EPA 30-365 (7inch)

イタリアでつくられた、ちょっと珍しいEP(7インチ)。
中々の美女ジャケである。
ジャズの世界では聞かない人だと思って裏のライナーを読むと、な、なんと。
彼女はアメリカ生まれのソプラノ歌手であると。
CHIO-CIO-SAN(蝶々夫人だ)でデビューを果たしたとなっている、オペラの大スター、プリマドンナだった。
60年代、イタリア語も得意だったので、イタリアとアメリカの両方の国では大人気のプリマドンナとして君臨した。
おまけに絶世の美女だった。
仕事にも恵まれ、イタリアのテレビでは番組も持っていたようだ。
その彼女がオペラ以外に吹き込んだのが、このEPである。

しみじみとジャケットを見た後に、ひっくり返して裏ジャケの曲目を見る。
THEY SAY IT’S WONDERFUL
HOW DEEP IS THE OCEAN
BLUE SKIES
CHEEK TO CHEEK
中々いいラインアップ。
聴くと、正統的な声楽の雰囲気が色濃く残っている。
しかし、上手い。声が良い。
バックはFRANCO PISANO(フランコ・ピサーノ)トリオとある。
メンバーにはGINO MARINACCI(ジノ・マリナッチ)なども参加している。

変わり種、名盤といおうか。

ストリートビュー
2013/06/18

グーグルの道路の写真を撮影している車が、新宿を走っていた。
屋根にプラネタリュウムのような球体を載せていて、ちょっと異様な車であるが、車体の横にストリート・ビューと書かれているので、ああ、これかと理解した。

グーグルのあの、道路の写真はどうやって撮影しているのだろうか?
深い疑問であった。
今日、現物を見て納得した。

写真を取ろうと思ったが間に合わなかったので、ネットから探した。
他人の写真である。
まずいかな?

BREEZE AND I
2013/06/17

EDDIE LOCKJAW DAVIS のLIVE AT MONTREUX ’77  PABLO  2308 214

以前、「そよかぜと私」という曲の事を書いた。
その時に、ちょうど良いレコード・アルバムがなかったので、YOU TUBEの動画をアップした。
http://www.youtube.com/watch?v=Eq-WvB7kPIE

だが、あの演奏は77年のMONTREUXのライブなので、アルバムが出ているはずだとそれとなく探していた。
そうしたら、何のことはない。
店内の売り場に置いてあったと。やっぱり僕は迂闊だなあ。
というわけで、もう一度、アップする事にした。

この曲は私たちのもっと上の世代の人たちは知っているはず。
ステレオの流行り始めの頃、戦後30年代から流行った映画音楽、ムード音楽集のアルバムの中には必ずと言って良いほど、入っていたから。
またエレクトーンの流行り始めの頃には、楽譜集にはこれまた、必ず入っていたのである。
ムード・ミュージックのスタンダードだった。 
「そよかぜと私」というタイトルも当時、受けそうな名前である。
だが、ジャズではあまり演奏されなかった。
きっとメロディーが甘すぎたのか。

そういえば、我々は「風」と一言で片付けるが、英語の風は沢山あったはずだと思い辞書をひくと。

BREEZE そよ風
WIND   風
BLOW   強風
BALST 突風
VORTEX 旋風
TORNADO 竜巻

日本語は風に何かを繋げて単語にしている。小さな工夫の跡が見える。だが、英語はそれぞれの呼び名があって、表現の多様さは日本だけではないと実感。
必要に応じて言葉も色々。
人生色々。

このレコードの事を何も書いてない。
このアルバムは、77年モントルー・ジャズフェスティバルでのライブで、
OSCAR PETERSON, RAY BROWNなどとのワンホーン。
彼のLOCKJAWという通名は、まさにアゴという名前からして凄い。
彼のサウンドは日本では下品とされて人気がないが、欧米ではジャズのスターとして評価は高い。
この辺りの音楽の好みは国民性で別れるのが、面白いところである。
というわけで日本人が聴いても、受け入れられそうなレコードをさがしていたのだが、これならイケルと思った次第である。
出来は良いので、ぜひ聴いて欲しい。
パブロのこの辺りは軽視しがちだが、聴けば意外に出来が良いのが多い。

生活保護
2013/06/16

昨日の続きで、人口の話で、
戦争が終わった時の、生活保護者の人数を、最近の受給者の人数の方が上回ったというニュースをやっていた。
戦後は、戦争で破壊されてしまったのは街や秩序だけでなく、市民の生活そのものだった。
故に生活苦から生活保護の必要があった事は理解できる。
あれから60余年。
国連開発計画(UNDP)の発表では日本は世界大10位の豊かさ。
基本的に米国より豊かな国である。
日本は米国より貧富の格差が少ない。
マスコミが指摘する程、格差社会とも思えない。

そういう日本で生活保護を受ける人が戦後のどさくさ期よりも多いとはこれいかに。
数字をみたら、20〜39歳の受給者が14%もいる。
これって拙い事態ではないか。

消費者庁の分析によると、サラリーマンには、つらい往復時間に加えて残業がある、云々と書かれている。
あれ?我々の頃の方が、通勤時間は長く混んで残業は100時間を超える事は普通にあった気がするので、説得力はない。

早い話が、戦時中より出生数が少ない事とか、関係あるのだろうか。

豊かであることが当たり前の社会では、豊かでないと生きるのがしんどい事は間違いない。
だからといって、働く意欲を失った社会には、どう足掻いても上昇はない。
国に向かって、口を開けているだけでは、進歩はない。

団塊
2013/06/15

この間、本を読んでいたら中に、団塊の世代が作ったバブルの後遺症の片づけを40代の俺たちがやらされているのが、腹が立つ、という文に出くわした。
ここで初めてバブルは団塊の世代が作ったと思う人達がいるのだ、と感心した。

だが、残念ながらバブルを作ったのは団塊の世代ではない。
もっというと世代というものでもない。

我々はあの当時40歳ちょっと、会社でも社会の中でも、そんな良い地位に居たわけでもない。
大手企業で、せいぜい課長というところか。
とにかく、我々が会社に入った頃の課長はまだ課長だったし、部長はまだ部長のままだった。
上がつかえていたので、責任ある仕事など任せてもらえるはずもない。
現実は、昭和40年頃から、そのままの体制で企業は動いていたのである。
団塊は人数が多いのでほとんどが地位が上がっていない。
せいぜいバブルの尻馬に乗るのが精いっぱい。
当事者であればもっと儲かったのに、残念だった。

団塊が悪いと怒るのは、税金が高いと税務署の職員に咬みつくようなものだ。
咬みつく相手が違う。
かと言って、咬みつくにも、咬みつく相手がいない。

それなのに、あんな大きな経済活動というかウェーブを作った世代などと思われているとは光栄の至りである。

所が私が思うに、私は団塊といっても団塊ではない。じゃ、檀家か?違うモトエ。

団塊の世代は、昭和22年4月生まれからにして欲しい。なぜなら21年生まれとは、全く人格が違うと思っているからである。私は1月生まれだから21年の学年に入る。クラスは28人だった。翌年は45人だか50人でクラスが倍であった。
故に、団塊の人たちの学校生活の厳しさを知らない。

ところで、団塊の世代とは、いつの事をいうのか人口を調べて見た、平成23年版だが。
1947年から49年生まれを指すそうで、確かに、この3年間生まれの人口が多い。
47年組 213万人
48年組 224万人
49年組 226万人
各年で200万人を超えている。

人数が多いから迷惑だと怒られても、戦争から帰って来た我々の親父達が頑張ってしまったからで、我々が怒られても仕方ない。
続いて1950年生まれが 206万人で多いが、これを団塊に入れないのが不思議。これは入れるべきだ。
その後200万人を超える人口は1973年生まれの202万人だけである。これをジュニアというのか。
団塊とその子達の年は確かにちょっと多い。
たの世代より一割ちょっとという数字か。
一割だと、現存する数でいうと、意外に大した事はない。
年齢別にいうと、60代が1849万人、50代が1849万人、40代が1728万人、30代が1780万人となる。
大騒ぎしている割には大した差がない。
30代・40代よ騒ぐな、という印象か。
それより問題は10代と1歳代で、10代は1198万人、1歳代は1079万人しかいない。
それも一年毎に比較すると、10歳の子供が116万人で、戦時下の昭和19年(1945)生まれの142万人よりも少ない。
戦時下の厳しい年より人口が少ない!これは問題だ。
ということは、今の世は戦争中なのか?
なんの戦争をしているのだろう。個人間の激しい戦いがあるに違いない。
エライ世の中だ。
今が戦時中とは。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001