HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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梅雨明ける
2013/07/06

梅雨が明けた、とテレビで言っていたがその途端、猛暑。
夏は好きだが、ちょっと暑すぎる。
虚弱な身体には辛い。


「梅雨明ける 熱射憎し 汗憎し」

淡路恵子
2013/07/05

朝コーヒー屋で会った人が、淡路恵子の話をしていた。
テレビに淡路恵子が出ていて、番組の最中にもスパスパ。
その時のセリフが。
「あたしにとって、タバコは6本目の指だと思ってます。」
感心した。

本当かとネットを探すと、本当に書かれていて、驚いた。
いいなあ。

あだ名
2013/07/04

アメリカのジャズのレコードを見ていると、色々なあだ名がそのまま書かれていて興味深い。
例えばJOHNNY GRIFFINのLITTLE GIANTというタイトルから、彼の背は低かったのだと解る。
BLIND(ブラインド)と付いて居れば、盲目の人だとわかる。BLINDと付く音楽家が昔は沢山いた。

30年代40年代のアメリカは熱狂的に浮かれまくっていて、黒人バンド、白人バンドが夜を徹して競っていたと。
音楽スターは次々と出現し、大物にはキング(王)、(KING OLIVER、NAT KING COLE等々)、 デューク(侯爵)、(DUKE ELLINGTON等)、 カウント(伯爵)(COUNT BASIE)、と呼ばれる人気者が次々に登場。
国がアメリカだけに遂に大統領(プレス)(LESTER YOUNG)とよばれるスタープレイヤーが出現する。
大統領がいれば副大統領(Vice President)も必要で、Paul Quinichetteが任命された。
この二人の作品はEMARCYレーベルにあって、膝を突き合わせたアルバムなので、膝詰談判を地で行ったジャケットである。
また、大統領にはファースト・レディがやっぱり必要で、こうなるとレディはこの人BILLIE HOLIDAYという所で誰も不満がない。
ジャズが絶好調だった時代の話である。

一方、BE・BOPの時代がやって来たが、好景気では無かったのか、超大物だがチャーリーパーカーだけは高級なあだ名ではなくヤードバードすなわち囚人と呼ばれた。
流石に囚人では悪いと思われたのかバード・鳥になった。
よほど悪いお兄さんだったのだろう、きっと。
悪いお兄さんでは可哀想なので..。いつも鶏肉ばかり食べているので鶏(ヤードバード)と呼ばれたという尤もらしい話もある。
本当の事は、その頃に戻って悪友たちに聞かないと解らない。

逃げない鳩
2013/07/03

今朝、道路に鳩が死んでいた。
車に轢かれたらしい。
最近、道路で死んでいる鳩を見かける機会が増えた。
それと関連するのかどうか解らないが、車を運転していて、この辺りの鳩が道路をうろついていて、私の車が近づいても逃げない。
見れば雛鳥でもない、立派な成鳥である。
こちらもゆっくり傍に寄って行くと、ようやくちょっとだけ端に寄るだけ。
これでは死ぬヤツも出て来てオカシクはない。
こいつら、自分の命を他人が守ってくれるのが当然だと、日本人のように思っているかもしれない。
そうか、鳩も日本人か。

だれか、自分の命は自分で守る様に教えてやってくれ。
まあ、鳩にとっても平和な世の中という事だが、なんとも緊張感のないこと。

捨てる
2013/07/02

親戚のおばさんが来て、「あなたは断捨離(だんしゃり)という言葉を知ってますか?」とのたまう。
そんな日本語は聴いた事がないので、「しらねーよ」。
「知らないの、だめねー」と。
聞くと、身の回りの余計な物を捨てて、すっきりと生きる事だと。
本が流行って、そういう生き方が広まっているそうだ。

申し訳ないが、私には無理だ。
物に囲まれていたいから。
まだ死ぬわけでもないのに、せっかく買った物を、なぜ捨てるのか私には理解できない。
欲しいから買ったのに。
本も何時か読むから積んである。
レコードも聴きたくなる時がある。
実際、時々必要があって見たり聴いたりしている。
身の回りの物は、いつか使いたいから置いてある。
捨ててしまったら、また買わないといけない。
それで、窮屈なら広い家に引っ越せばよい。

そもそも、この世の中には、お金だけにしか興味の無い人が沢山いる。
そういう人種はモノを要らない。
そういう人種の言葉に惑わされてはいけない。
そういう人種は必ず「モンゴルの人たちはモノがない暮らしをしていた」と言いそうだ、だが今やモンゴルだって電化製品だらけの生活になって、皆喜んでいる。
モノは文化のバロメーターだから。

私は、金よりモノだもの。

僕は明日死ぬわけではない。だから好きな物に囲まれていたい。
何か文句あるか?
勝手に、いかがわしい日本語を作るな!と怒った。
大体、辞書に載ってないぞ。

夏来る
2013/07/01

今日から夏。

耳にタコというのは分っているが、いつもの俳句。

7月は 脳を休めて 水飲んで (動火)

夏は休もう。

雑音の事
2013/06/29

レコード鑑賞で、一つの問題点があって、それはノイズ。
ノイズには色々あるが、ここで私が取り上げたいのは、傷による雑音である。

傷の箇所を針が通過する度に、プッチン・プッチン、またはバリッ・バリッ、またはドカン・ドカン、とノイズが入る。
それが気になると音楽の鑑賞どころではない。
私も極力、そういうノイズの出ないレコードすなわち、綺麗な盤を購入して来た、そしてついでにジャケットも綺麗な物を購入してきた。

最近、私も人生が終盤に近付いたので、出来たらレコードを買って聴いてみたくなった。
それで、時々レコードを購入する。
ところが、綺麗なレコードはお客様用なので、私はちょっと難があるのを買うようにしている。
そういう物は、どうしてもノイズが入る。

その傷のあるレコードを聴いていて、ここの所ノイズがあまり気にならなくなった。
何がそうなったか、考えてみると。
オーディオ装置が変わった事が一番の理由であるが、音の出方が変わったのだろうと思う。

以前の装置は、日本盤のエコーが掛かったレコードの音が部屋中に広がる感じであった。
それはそれで悪くは無い。
が、試行錯誤した今のオーディオはもう一歩ではあるにしても、エコーの感じは無くなった。
すると同時に、ノイズの「ドン」という音が、「ドゥ」という風に変わり、ノイズの響きも無くなった。

それともう一つ、音の消え方が速くなったので、きっとノイズの音も小さくなったのではないか。
立ち上がった音が、すっと消えて行く事は大切だと思う。

すっと消えるという事は例えば、コーヒーなども口に入れた瞬間は苦くても、飲み込んだ後はすっと苦味が消えた方が良い。
魚の味も、魚特有の香りも飲み込んだ後は、すっと消えた方が良い。
多分、趣向の問題はすべてそうなのではないかと思うのである。

音がそういう事であるのかどうかはしらないが、少なくとも私は、すっと引いて欲しい。
それで色々やって来た結果、大袈裟に増幅された故に、傷音までも大袈裟に増幅されていたのが、余計な増幅が無くなった事により、ノイズの音が聴き苦しくなくなった。
音の立ち上がりが気にされるが、消え方を気にする事はあまり聞かないが、きっとそれはあるはずだと思う。

音は、迫力は大切であるが、余韻を作り過ぎない方が音楽としては良い気がする。
よし、私のオーディオも、もう一歩。
だが、他人に聴かせるにはまだまだ。

DUKE ELLINGTON "女王組曲"
2013/06/28

DUKE ELLINGTON “THE ELLINGTON SUITES” PABLO 2310-762 (GERMANY)

邦題「女王組曲」なので、つい女王組曲と言ってしまうが、原盤の米国盤はTHE ELLINGTON SUITESという、ほかに組曲が二作収録されているから。
だからと言って何か文句があるわけでもない、素晴らしい作品が何と呼ばれようと、文句などあるはずもない。

録音されたのが59年。
やっと、これがリリースされたのが70年代後半。
既に本人はこの世に無い。

ついに世紀のレコードの、待ちに待ったリリースだった。
私が、エリントンの音楽が好きで、せっせと購入して、聴き入っていた頃。
あちこちで「エリントンは良いぞ」と言って歩いて、エリントン談義に花を咲かせていると、ある人が「エリントンはエリザベス女王に一枚だけ作って、差し上げたレコードがあるらしい」と教えてくれた人がいた。
何で知っているかというと、ディコグラフィーに載っていると。

と、ここまで来て、古い資料に本当に掲載されていたかどうか、調べようと思い本棚を漁ったが、ディスコグラフィーが見当たらない。売ってしまったらしい。仕方ないので、ここは飛ばそう。

話は戻って。
それで、曲を聴きたくて仕方なかったが、やがてそれが叶う事になった。
PABLO(パブロ)という、ノーマン・グランツがプロデューサーをしている米国のレーベルから遂に目出度く発売の運びとなったのである。
嬉しくて購入した。
その当時はドイツ盤の方が、音が良いから、ドイツ盤を買おう等と言っている場合ではない。
取りあえずオリジナルの米国盤で良しとする。

購入すると、ライナーノーツとエリントン本人の写真があって、英文のライナーを一生懸命に読むと「一枚だけ作ってエリザベス女王に差し上げた」とある。
やはり本当だったのだと感動した。
聴いた時の、感動。
あれ以来、何度も聴くがその都度感動して、あれからおよそ40年。
未だに、聴く度に感動してしまう。

しかし、流石にエリントンはデュークと呼ばれるだけの事があり、女王らしさというか、クラシック以外で、厳かな雰囲気を出して見せたのは彼以外に居ないのではないかと、私は思うのである。
それほど、気品に満ちた、威厳・荘厳あらゆる堂々たる表現を持って称える、女王様ぶりを詠った曲である。
また、王様は人々の憂いも知らねばならず、その裏には悲しみの心も忘れずひょうげんしてみせた、見事なエリントンである。

今の世に生きて、英国の女王と同じ演奏を聴く事が出来て、私は幸せである。

ゴキブリ
2013/06/27

昨日の帰りがけ、一階から出ようとすると、大きなゴキブリが一匹速足で歩いて来る。
見つけた所で、間髪を入れず、足でぐちゃと踏みつぶした。
ぺっちゃんこだ。
どうだ。

そのまま帰って、今朝出社してみると、まだ床にそのまま置いてある。
自分でつぶしたゴキブリであるわけで、自分で始末するかと。
その辺にあったチラシを持って拾おうとして、ふとした弾みでゴキブリが正しい姿勢に戻ったとたん、な、なんと手足を動かして歩こうとする。
昨日は「ぐちゃっ」という音がしたのに、まだ歩く事が出来ないまでも、逃げようとしてもがいている。
という事は、生きているわけだ。

生命力の強さに恐ろしくなった。
次回は徹底的にやっつけるんだ。

日記
2013/06/26

最近、自分が書いた日記を読み返すことがある。
まずひとつは、知り合いから相変わらず誤字脱字、変換間違いが多いと指摘されることがあるので、その指摘によって直すこと。
次に自分にとってもっと重大なことで、私はこんな事を書いてしまって良かったのかという疑問や不安を感じてしまうためである。

書いてしまった事は後へは戻れない。
実際、キーボードで入力した文字ではあるが、書いてエンターを押して確定したものは、私に取って、発表してしまった印刷物と何ら変わることがない。
日記を直したり、削除することに抵抗がある。
それで、後で大いに後悔することがある。

なぜなら書くと言うことは、自分の心の中で、書きたくて仕方がなかった思いがあって、抑えることができなかったからである。
それで、書いてしまったものの、やはり稚拙だったとか、当たり障りがあるかもしれないとか、読み返してから、思うことがたくさん出てくる。
書くときには、どうしても書かずにいられない気持ちや怒りが、収まらない。
それゆえに、書き終わった時に、後悔する事になる。

それでも、やや冷静な日は、アップのエンターキーを押す前に、はっと気がつき、書いた文章を消すこともある。
そういう日は、もう書く事がなくなる。
だが、心の中にはくすぶりが残っていて、翌日も書く気にならない。

実際、正直に自分の気持ちを書く事は大変難しい。
私のように開けっ広げな性格の人間は、なんでもどんどん書いてしまうから、あとで大いに恥ずかしい思いや後悔をする。

もっと、気持ちを抑えて、大人にならないといけないと思いながら、私は60歳を超えた。
人間、変わらない。

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