HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 一杯のコーヒー | - 2013/07/28
- ちょっと面白いニュースがあった。
かい摘んで。 「場所はカナダはエドモントン。ある日の事、20代の男がコーヒーとドーナッツを買った。 しかし男は更に、コーヒー500杯分の代金を支払って立ち去った。 後続の人たちに、どうぞコーヒーを差し上げて下さいと。 あっけに取られた店長は、きっとロトにでも当たったのだろうと、思った。 まあ、滅多にない太っ腹な話だ。
ところが、一件で終わらなかった。 カルガリー、オタワと、連続5件のおなじような話が続いた。 あれよ、あれよと騒いでいると、ある人物が名乗り出た。 その方は、エドモントンで800杯のコーヒーを購入したらしいが、病院にあるコーヒーショップでの事。 「父親の面倒を見てくれた病院スタッフに恩返ししたかった」と。
太っ腹で、良い話だな。 自分の為や、キャバクラの女の為には使う男は多けれど、なかなか他人の為に、それも見知らぬ人の為に、お金は使えるものではない。
偶然というか、何と言うか。 同じような話だが、少し前のテレビで、イタリアのカフェでの話があった。 それは、そこのカフェでコーヒーを買った人が、プラス・ワンというと、2杯分の代金を頂く。 レジの後ろのメモに、日本だったら「正」の文字を書き込んで行く。
そこにお金の無い人が来て、「例のコーヒーをくれ」というと、ハイよと只で出て来る。 レジの裏のメモから棒一つ消す。 という仕組み。 それが永々と続いているのだそうだ。 自然にそういう仕組みが出来たら、人間の社会としては最高だなと思う。 そのコーヒーを頂きに来たおじいちゃんが、「今はお金がないんでね。有難いよ」と、やや卑屈な言葉とは裏腹に堂々と楽しんでいた。 これは良い。
私もやりたいけれど、日本人として考えると、お金を払う事が出来ない人達や、老人でもいいけれど、そういう人達が果たして平気な顔をして、コーヒーあるかい?と、店に入ってくるだろうか? また、そういう人達を店が受け入れる事ができるだろうか?
|
|
| 金柑 | - 2013/07/27
- 近くで見つけた、金柑(キンカン)の花。
かすかに漂う優しい匂いに心誘われて、振り返り見れば、可愛らしい白い花。 しばらく前、確かこの木には金柑の、黄色い実が生っていたはず。
ガサツな私は気付かなかったが、金柑の花がこんな可愛らしい花だったかと、ちょっと感動。
思わず写真をパチリ。 日記に書こうと思いながら、そのまま3日後、今日見ると花は全て落ちていた。 意外に短い、あわれ花の命。
人知れず頑張っていたとは。
|
|
| トランジスター・グラマー | - 2013/07/26
- 知合いと話をしていて、そばを通った女の子がいて、「あの子はトランジスターでいいね」と言ったら、
「それ何?」と言われて、昭和は遠くなりにけりと唖然。
それで、仕事中にネットで「トランジスター・グラマー」を検索すると、なんと、ちゃんと載っている。 こんな事どうでもよい言葉が掲載されている事の方が驚いた。
若い衆は知らないといけないので、説明をと。 知らなくてもいいけど。 「1959年の流行語で、背は低いがグラマーな女の子の事。昭和1955年に発売したソニーのトランジスター・ラジオにあやかった、高性能で小さい事引っ掛けた、遊びの言葉」。 速い話が、日本人の女の子でグラマーな子はかなりの割合で、そういう事である。
この単語はアメリカから来たかと思っていたのだが、日本で作られたようで、アメリカには関係が無かったのだった。 日本人の言語能力は高いなあ、ってどこがだ。
ところで、当時のポップスのヒット曲があった。 ALMA COGAN(アルマ・コーガン)のPOCKET TRANSISTOR(ポケットトランジスター)という曲。 トランジスター・グラマーという流行と、全く重なる事がなく、全米で大ヒット。 歌詞は、「彼女がトランジスター・グラマーで、僕はとっても嬉しいな・・・・・。」 という歌かと思ったが、残念ながら全く違っていた。
「彼女が持っているトランジスター・ラジオに夢中で、公園なんかで二人でヒットパレードを聞くと、僕はワイルドになってしまう」、などという、他愛のない歌。 当時アメリカで、ソニーのトランジスター・ラジオがいかに若者に受けたかという証明でもある。
それを森山加代子が日本語にして歌って大ヒット。 こちらは相乗効果が、あったと勝手に推測する。 当時のテレビでよく見た。 ちょっとさわりだけ、YOU TUBEにあった。
ところでトランジスターは、グラマーでも小太りではいけない。 引っ込むところはひッこんでいないと。
https://www.youtube.com/watch?v=LX-aKzEPniU&spfreload=10
|
|
| VA “JAZZ IN TRANSITION” TRANSITON 30 | - 2013/07/24
- DONALD BYRD, JOHN COLTRANE, SUNRA AND OTHER “JAZZ IN TRANSITION”
TRANSITION TRLP 30
珍しいアルバムの入荷である。 幻の名盤ブームの奔りの一枚であり、私にとっても、あこがれの一枚であった。 当時はそれほど珍しいアルバムだった。
今回のレコードには両面ともラベルがちゃんとついている事、ブックレットが付いて居る事の2点は文句ない。 ラベルがちゃんと付いて居るのは当たり前だと言われる所であろうが、ここの会社のレーベルは簡単に剥がれてしまい、ほとんどが紛失しているのであるからして、マニアとしては非常に心配なのである。
さて、このアルバムが当時なぜ、垂涎盤として君臨していたかというと。 まず、コルトレーンの一曲がここにのみ聴く事ができるのであって、他に聴く手段が無かったからである。 この演奏は56年のボストンでの演奏であるが、なぜか3曲しか記録がなく、一曲はここに収録されたが、他の2曲はしばらく未発のままであったが、その後、ブルーノートの再発シリーズに入れられて聴く事が可能になった。 ただ聴く事は出来るが、音質はこれに敵わない。 というようなわけで、一々示さないまでも、同社の未発表がほとんど収録されている。 DONALD BYRDはというと、やや古風な「CRAZY RHYTHM」を演奏し、これも珍しい。 また、サンラの56年の演奏も聴く事が出来る。
さて、このアルバムのジャケット。 いつもと異なり、まず裏側にひっくり返す。余りに迫力なので。 全面赤一色で、見つめていると目に青い光が浮かび上がってきて、オカシクなる程の勢いで、同社の頑張りが伝わる。 左側の入口にシールがあって「ALBUM NOTES INSIDE」とある。なるほど、ブックレットが無いといけない理由がわかる。 さて、再び表側にひっくり返す。 黄色に赤い線のイラストがあり、右側に収録されたミュージシャン名が羅列されている。 そしてプライスの $1.98という価格が、50年代当時の雰囲気に浸る事が出来る。 また、ジャケットの表面はビニールコーティングがあり、作品に深みが増す。 70年代に日本でこのアルバムが再発された事があるが、そのジャケットの色合いが軽薄で「何だこんな程度のレコードだったのか」とがっかりした記憶があるが、オリジナルの方の出来は、黄色の色合いも濃く、重厚感がある。
一方このアルバムには小冊子(ブックレット)が付いていて、これもまた紛失してしまうので、完品であれば、マニアにとって有り難い。 そのなくてはならない所のブックレットは、28ページに渉る立派な造りで、中には参加ミュージシャンの写真が沢山掲載されている。
盤と言い、ジャケットと言い、コレクター魂が揺さぶられる体裁に、今でも、手に取って見ると、心が浮き浮きしてくる。いや、今だからこそ、余計に心ときめく逸品である。
私がこのレコードを欲しいと念じた75年当時、安い給料では、入手など望むべくもなく、ひたすら雑誌を眺めて、ため息を付いているばかりであった。
|
|
| CHARLES LLOYD “LOVE-IN” | - 2013/07/23
- CHARLES LLOYD “LOVE-IN” ATLANTIC SD1481
久しぶりに聴いた。 このアルバムは、東京に出て来た頃、狭いアパートの部屋でよく聴いた。 それもそのはず、2・3枚しか持ち駒が無かったからである。 このレコードが私に取って当時の新譜であり、かつ最も進んだ音楽作品であった。 時代の先端かと言われると、確かに先端で、このジャケット・デザインはサイケデリック。 サイケ・サイケと言われ、若者の心を捉えたデザインで、ロックのアルバム等ほとんどこのような調子になった。 一方のジャズにおいては少数派ではあるが、それでもサイケなジャケットは作られた。そういう中でトップクラスの出来の良いジャケなのだ。
さて、私が当時このレコードを買ったのは、訳があった。 ちょうど1967年の7月にコルトレーンが無くなった。 コルトレーンの死は、今後の不安がジャズ界を覆った。 私も、これからどういうジャズを聴いて行ったら良いのかと一応悩んでみた。 それで新宿のレコード屋のお兄さんに聞いた結果、奨められて購入したのが、同年に輸入された斬新なアルバムだった。 コルトレーンの死と同年の作品は、それだけで意味があった。一応そういう事で。 それで、コルトレーン亡き後、一生けんめいというか、なにげなくというか毎日聴いて、BGMとなった。 演奏もビートルズの曲をひとつ演奏している辺りは、なるほど当時の新しさに他ない。
今、見るとジャケットはサイケデリックといわれる通り、カラフルな色使いと、ハートのマークの中に彼らの演奏風景の写真がある。当時は横尾忠則先生の絵も大人気で、街中にサイケの色使いのポスターなどが出て来て、カッコ良い時代であった。 実は、この時のライブ演奏の片割れが「Jouney Within SD1493」として発売されていて、これで一対の作品である。 こちらもまた、カラフルな丸が空間に浮遊して、その中央に彼らの写真がある。その写真のバックは植物が生い茂っていて、フラワー・チルドレンである事の証明も忘れない。
ところで、それほどサイケな音楽かと言うと、意外や意外、しっかりした腰の据わった演奏である。 実際、ジャズにはあまりサイケの影響は無かったわけでもある。 多分、レコード会社がサイケを利用したかったのであろう。
内容をみると、ピアノにはその後のスターKEITH JARETT、ドラマーにJACK DE JOHNETTEと大したメンバーで、今聴けば、音楽性の高さも相当。 確かに、黒人達のハードバップとは一線を引き、半分はフルートにし、リズムはきめ細かさと軽快さでスピード感がある。ピアノのメロディーも芸の幅は広く、一筋縄ではいかない巧さと正確さがある。 なるほど軽妙かつ、しっかりした新しいジャズであった。 ビートルズの一曲がサイケ感を醸し出しているだけである。
なるほど、計算された作品である。 当時は、これからのジャズはこうなるのだろう、と思った。
|
|
| CLARK TERRY & TERRY POLLARD “CATS vs CHICKS” | - 2013/07/22
- LEONARD FEATHER PRESENTS
CLARK TERRY - TERRY POLLARD“CATS VS CHICKS”MGM E3614
このレコードはジャケットを見れば見るほど、面白くなってしまい、ジャケットの解説を読み始めれば長引き、聴き入れば長く、遂にパソコン入力に半日を要してしまった。 どこが面白いかというと、男と女の喧嘩腰のジャケット。男は眉を吊り上片手にトランペットを持ち、片手の握った拳を突き上げている。 その相手は、なんとヴィブラフォンのスティックを両手に持ち、こちらも負けじと、男に向かって突き上げている。 だが、服装は両者とも至ってフォーマルである。 そしてタイトルは「CATS vs CHICKS」。 すなわち、「猫 対 ひよこ」となっているのだが、キャットは男性ジャズメンであり、チックスは姉ちゃんとでも言おうか。 それもそのはず、チックスの方はメンバーを良く見ると、全員女の子!、そのリーダーがTERRY POLLARD(テリー・ポーラード)という訳。 一方の男のリーダーはクラーク・テリー。
ジャケットをもっとよく見ると、レナード・フェザー・プレゼントとなっていて、このバトルのプレゼンター。 裏ジャケにすると、戦いのアナウンスがある。 赤コーナー、デトロイト出身、105パウンド、ミス・テリ〜・ポ〜ラ〜ド!と紹介がある。48キロ程の華奢な女の子だ。 続けて青コーナー、セントルイス出身にして、デュークエリントン楽団出身、輝かしいジャズ・トランペッター、185パウンド、クラ〜ク・テ〜リ〜。90キロに近い大男。 第一ラウンドと紹介があって、対戦曲は「CAT MEETS CHICK」 第二ラウンドの対戦は「MAMBLUES」 第三ラウンドは「THE MANN I LOVE」とそれぞれ演奏をする。 第四ラウンドは、全員のバトルロイヤル。 その後は、当然判定があって、LEONARD FEATHER, NAT HENTOFF,BARRY UINOVと三人の判定があり、結果はひいき目があって、ミス・ポラードが勝ちとなっている。 その後はリターンマッチで、B面になって、男女対抗のジャズ・バトルが続けられる、という仕組み。
力を入れた企画だけあって、演奏は双方とも、個々のプレイもアンサンブルも素晴らしく、出来のよい演奏を聞かせてくれる。 男性陣はLUCKY THOMPSONはじめ、メンバーにも恵まれ、個人技など聴き所は多い。 一方のポーラードは半分ヴィビラフォンで、半分はピアノを弾き是も又、見事で上品なジャズで、共演の女性たちのチームワークは良く、演奏は見事である。 それにしても、このポーラードのピアノはしっかりと弾き切って、スイング感も抜群で、当時の女性プレイヤーの中でも相当期待されたに違いない。だが、ベツレヘムの作品以外、彼女のリーダー作を知らない。
しかし、白人好みであるがジャケも音楽も楽しめた、良いアルバムだった。
|
|
| 映画、華麗なるギャツビー | - 2013/07/21
- 仕事をサボって、レオナルド・ディカプリオ主演『華麗なるギャツビー』を見た。
大好きなF・スコット・フィッツジェラルドの原作であるから見ない訳には行かない。
75年頃の前作に比較すると、あれから40年、時代も経った。 どんな解釈を見せてくれるかと思ったが、意外にも、面白くもなんともなかった。 ロバート・レッドフォードの方がずっと、1920年代の優雅と狂乱の時代に相応しい力があった。 一言でいうと、前作は哲学的であるが、こちらは単なる娯楽映画。
ロバート・レッドフォードが、ミア・ファローに向かってワイシャツを次々と投げるシーンは見事な美しさで、男物の服でここまで美を表すのかと驚いたものであったが、だが、今回のは肝心なシーンなのに、見せ場が見せ場でなく、美しさもなく、ただのワンシーン。 また、ボーイがテーブルで氷を割るシーンでも、コンクリを割るようなドカン・ドカンという大音響で、大袈裟もいい加減にしろと言いたいような、風情の無さ。 ハリウッド映画産業よ、イカン!
ところで、あの舞台になった20年代はジャズ・エイジと呼ばれた特異な時代。 話の舞台として面白くないはずがない。 20年代の事をちょっと確認しておくと、1920年に禁酒法が始まった事からすべては始まる。 米国は宗教の国であるから、酒を禁止すれば清潔な国が建設できると信じたらしい。 政治家はどこでも阿保だ。 ところが、人間の欲望を禁じた法が守られるはずがなく、見事に当ては外れた。 ニューヨークだけで3万件以上と言われたもぐりのバーが出来た。更に凄い事が社会に及ぶ。 酒を嗜む事のなかった主婦達が、それほど悪い事なら試してみようと逆の働きが生まれ、女性たちが酒を口にし初め、遂に、酒を飲むのがカッコ良い習慣にとなった。酒とくればタバコとなるのも当然の流れである。悪法に反発することがカッコ良い生き方であった。 女が酒を飲み、タバコを吸い、働きにも出た。 女も男と同様に遊ぶようになった時代ともいえる。 密造の酒は大量に作られ、それらはブートレグと呼ばれ、我々の業界のレコードのブートの語源となっているので、無関係と思われない。 また、20年代は機械文明が発達し、自動車の生産は進み、電気が普及し、ラジオ・映画が人気を呼び、一挙に近代化がすすんだのである。 女性らしさが失われた時代とも言われ、音楽はジャズがはやり、踊りはチャールストンが流行り、スカートの丈は短く、薄着になり女性のファッションは変わった。 まさに変革の時代であり、景気はうなぎのぼりで、勝ち組には狂乱の時代であった。 バブルを経験した我々は、ちょびっと理解できるかな?
その狂乱の時代の、上流階級の風俗を知ることができる絶好の映画なのである。 そういう意味では、俳優たちの演技以外でも見せ場はある。 そして主人公のギャツビーの死によって映画の幕は閉じるが、それはあたかも20年代の終焉であり、29年の世界大恐慌による、狂乱の20年代の死でもあったのだ。
ところで、映画はどんな映画でも、見れば中に入り込んでしまうし、面白いものである。 映画はいいね。 映画館で見るのが良い。 文句を言いながら、実はまた見ても良い。
|
|
| 駐車料金 | - 2013/07/20
- 銀座で見たコインパーキング。
10分で600円。
目ん玉が飛び出た。
|
|
| NHK | - 2013/07/19
- NHKの深夜のニュース。
税金の使い道はどうなっているか、という特集。 女性アナウンサーもここぞとばかりに鼻の穴を膨らませて、追求する立場。 なかなか鋭い。 そのうちに地方の公務員にもインタビューをして追求は厳しい。
だが、私はその時に別の疑問がフツフツと。
NHKの視聴料の使い道。 こちらの方こそ、どうでも良い所に、たくさん使っていないか? NHK視聴料こそ国民に取って一番の負担!
|
|
| 新子 | - 2013/07/18
- 夏になったので、新子(小肌の稚魚)を食べたくなって、田園都市線の青葉台の福助という寿司屋に行った。
行く前に「新子は入ったかい?」と電話で確認。 「ありますよ」という気持ち良い返事。 ならば、拙者は行かねばなるまい、と出かけた。
ありがたく食べさせていただいた。 まだ、小さくて一個にぎるのに、5枚付。 一貫食べたから10匹食べた事になる。 一度に5匹を口に頬張るとは、可哀想にと思いながら、私も生き物を殺して生きている生臭い動物だという事を確認すると同時に、今年も無事に夏を迎えられた事に感謝。
本当ならば江戸前の新子は8月、旧盆の近くのほんの一瞬が旬である。 それが近年の流通革命のお蔭で、7月早々から九州、四国、東海と順に送られてくる。 今は、食べたければ夏の間中お金さえあれば、ずうっと食べることが出来る。
しかし旬が2か月もあるとは、長すぎる。 わがままを言えば、それもまた風情がない。 新子がほんの短い夏の間だけの風物であって欲しい、と思うのは私の勝手な言い分である。
まあ、そのおかげで沢山入荷するので、貧乏な我々の口にも入る。
|
|
  
|