HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| ああ許すまじ | - 2013/08/08
- 二・三日前から、TVで原爆の話ばかり。
戦争の早期終結で正しかったなど、何だかんだと正義を繕っても、広島・長崎における一瞬におけるホローコストの恐怖は世界最大にして最強であり、恐怖の大王アメリカ軍として、永遠に記録は破られることはないと思う。
それで思う事一つ。 8月6日に広島の上空600メートルで原爆が落とされ核爆発が起きて、市民が一度に推定3万人が一瞬にしてこの世から消えた。 その被害状況はアメリカ軍がはっきり理解した。 それがどんなに驚愕の規模の恐怖の武器であったか、理解したはずである。
それなのに、3日後の9日。 今度は長崎に落とす。 一瞬にして約14,000人が亡くなった。
私は思う。 「広島と長崎の両方に落とされた」ではないのだ。 なぜ広島の後に、再び長崎に落とすのか、が問題なのだ。
広島の後、長崎にも平気で原爆を落とそうと考えた神経を疑うのだ。 落とせば、何万人もの丸腰の一般市民が死ぬと解っていながら、女子供も大量に死ぬと解っていながら、また落した。
広島の後、アメリカ軍の考える時間は3日間もあった。 1時間ではない。72時間もの考える時間をもっていた。 家に帰って、ブロンドの髪の奥さんにキスしたかどうかわからないが、少なくとも夕食を取る時間もあった。 寝ながら考える時間もあった。 少なくとも、前日にチームで集まって、コーヒーを飲みながら話し合う時間もあった。
百歩譲って、1度目はまだ当時の軍関係者として理解するとして、理解すると仮定して、しかし、しかしだ、2度目は無い! どう考えても、2度目は、余りにムゴイ。 1度目は鬼畜米英の仕業として、2度目は悪魔の仕業である。 こういう国を信用するなかれ。
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| 続きと言えば、続き | - 2013/08/07
- 昨日の続きと言えば、続き。
40年もジャズを聴いてきて、今頃気が付くってどういう事だ。 頭は悪いにしても、それにしても、鈍い。 と、時々嫌になる事も多々ある。
作品を見たり、読んだり、聴いたりして、パッとイメージ出来ないという事は、どこかに問題がある。 エライ先生方であれば、ヘンなことばかりやってオカシな作家だと言い切ってしまえば、それはそれで、社会が納得する。 しかし、私のような、へそ曲がりのアマチュア達は何とか理解しようとするはず。 その時の、理解度が、本人の持ち合わせたレベルによって、全く異なった解釈になってしまうのではなかろうかと。
作品に接した時、パッと気づくものがあるだけの、共感できるだけの同じ経験を持っているか、さもなければ、人生の様々な体験・学習を通して築いて来たもの、すなわちそれがイマジネーションであるのだが、そのイマジネーションの質によって感じる事が出来るはず。
結局は、全ては学習の質になってしまうのだが、私もこうして毎日、日記にジャズの事などを書いていると、つまってしまい、そんな時つくづく、一体オレは何を見て、何を聴いていたのだろうかと、自分にがっかりするのだ。 イマジネーションというのも所詮知識の集積である。
勉強も仕事も、真剣にやって来なかったヤツは、やっぱりダメだ。 安っぽい想像しかできないもの。
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| ロリンズの事で... | - 2013/08/06
- 昨日のロリンズの事で続く。
私、最近ロリンズが大好きになった。 勿論、私のジャズ人生のスタートはロリンズである。 それが、昨日の鍵谷幸信の話しではないが、何がなんでもコルトレーンという時代があった。 評論家も、何がなんでもモードが偉い、という時代が。
そういう流れの中で、私もコルトレーンを買いそして聴いた。 といってもロリンズのレコードだってほとんどオリジナルで買って聴いたが。
最近、ロリンズのブリッジを聴いている時、ふと気が付いたのだ。 この人は決してモードでは吹く事がなく、全てコードで解決したひとなのだと。 そうしたら背筋がゾーッとして来て、サックスを習っている当店のバイト君を呼んで来て聴かせた。 「どうだ?」 「あれ、この人凄いですね。簡単に聴こえますが、実は凄い難しいコードですね」 「うん、そうだろう」 「こんな指の動きは、普通はできません。それなのに観客には、いとも簡単に聴こえますね。お客さんは気持ちいいですね」 「モードはないか?」 「すべてコードでやっていますね、パーカーの後継者って、ひょっとするとこの人ですか?」 「褒め過ぎだろ!」 という会話になって、私も感心してしまった。 私もモードが偉いと思い込んでいたもの。
この人は、世間がモードだ、モードだと騒いでいた時に、たった一人で、むつかいフレーズでも、全てコードで解決しようとしていたのだ。 そういう事であれば、苦労は並大抵ではなく、一時引退するくらいでないと、こういう音楽にはならなかったのかと思ったら、彼のジャズに対する信念の強さは、大スターの中にあっても、並大抵ではなかったに違いないと確信した。 素人には、何でも無く聴こえたメロディーが、実は人並み外れたハイレベルの技術とセンスあってこその結果であった。 だからと言って、どっちの方が凄いとか、エライとかの話しではない。 でも、今更だがロリンズって本当に良いね。
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| 夜食は.. | - 2013/08/05
- 夜食はラーメン
あまり行くと店員に顔を覚えられてしまう。 そのうち、「お客さん、来てくれるのは嬉しいですが、毎日食べると体に悪いですよ」と、また言われてしまいそうだ。
最近は食べることも面倒になってきた。
ところで、昨日の日記の続きになってしまいそうだが、ロリンズの事。 むかし、鍵谷幸信という先生がいた。 なかなかの筆先鋭い人で、気に食わないジャズメンなどぶった切って歩いた。 ある時、雑誌か何かに、「コルトレーンはいても良かったが、ロリンズはいなくも無くても良かった」と。 さあ、読者が怒った。私も怒ったが、他の読者がもっと怒った。 それで、雑誌にケシカランという投書が沢山行った。 本人は困って対応に追われ、しどろもどろに言い訳した。 その様子は読んでいてなかなか面白いものであった。 あれ程の強い口調の文章も、気弱な文章に変わるものだと。
その内に、あまり先生の文章も見なくなった。 というより、私自身が買わなくなってしまったのだろう。 時々、買取で一緒に入荷する先生の本を読むと、なるほど文句の多かった人だなと、可笑しくなる。 もちろん、あまりの好き嫌いの多さにすぐ疲れて、読んでも先に進む事はない。
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| SONNY ROLLINS “NEXT ALBUM” | - 2013/08/04
- SONNY ROLLINS “NEXT ALBUM” MILESTONE MSP9042 (USA)
1972年の作品
60年代終わりから70年初めまで、彼は2度目の隠遁生活を送った。 最初の時の復帰作はあの名盤ブリッジだった。 二度目の時がこの「NEXT ALBUM」であった。
一回目の方は、私の歳では雰囲気だけでも追うにも、時代背景が違っていて、見当が付かないので置いといて、私の先輩達に譲るとして。 二度目の方の年数をもっと細かく見ると。 East Broadway Run Down IMPULSE A 9121 1966年の事で、翌年は録音記録がなく、翌々年の68年はヨーロッパに出かけて、ちょっと演奏しているが、ほぼ休業状態。 そのままお休みが続いて、およそ5年。 ようやく重い腰を上げたのが1972年である。 7月になって、どういう雲行きになったのか、遂に沈黙を破ったのがこの作品。 雑誌の記事で見たか、噂だったかうろ覚えなのだが、発売になるのを待って購入したのだ。 確か、買えたのは、既に冬になっていたような気がする。 嬉しくて、電車に乗っている間、待ちきれなくてウズウズし、ラズウェル細木先生の漫画ではないが、電車の中で見てしまった記憶はある。 そして家のスピーカー、三菱ダイヤトーン2S−305から流れて来たその音は、期待に違う事はなく、豪快なテナーは相変わらず健在であった。 その日以来、しばらく毎日聴いた。 1曲目は豪快なテナー、2曲目になんとソプラノを吹いており、その音色がコルトレーンに似ていた気がする。 B面は得意なカリプソ。そして最後は名曲「SKYLARK」でしっとりバラードでありながら、決して情緒に流されていない。 というラインアップ。 いや、今と違って私、あの当時のジャズ純情青年は、嬉しくてなんども聴いた。
今でも、レコードを掛けるとその時の、あの時代の、私の歴史の一駒がパラパラと脳裏に浮かぶ。 パラパラと浮かぶとなると、もうすぐ私は死ぬのかな。
ところで、当時みんな、ロリンズの引退の理由を、後輩たちが出世したため落ち込んだ結果だとか、性格によるものだとか、精神病だとか、喧々諤々であった。 評論家まで色々予測した。 実際、その後本人の談話があったらしく、当たり障りのない「病気の事、音楽の事、等々」という話であった。
そんな事を騒いでいた頃の当時、私の友人がぼそっと言った。 「私はね、歯だと思うよ」と。 楽器を扱うのに歯が悪かったらどうにもならない、歯で噛むマウスピースを使う楽器は、それこそ、歯に問題があれば、それで終わりだから、という理由だった。それを聞いて、周囲はまた変わった奴が、ヘンな事を言っている、と笑った。 歯でなんか引退しないと。
当時、その友人はサックスを練習していた。昼休みに会社の屋上で練習して社長の顰蹙を買った事もある。 それがある日、歯槽膿漏になって思うように吹けなくなった。 あちこちの歯医者に行ったがパッとしなかった。 それで、間違いないと思ったらしい。
私もそう思った。 なぜなら80年代からの、近代の若手ジャズマンは、たいへん歯を大切にしている事を知ったから。 時代が変わったのだ、と思った。 それまでのジャズメンといえば、ギャンブル、薬、酒、女と来て、ま、そうやって身体を鍛えていたのだろう?? とすると歯が悪くなれば、不運として片付けていたのではなかろうかと思うのである。 近代になれば薬などダーティーな事は御法度、その代わりに精神と肉体の鍛錬という事になるのだが、そうなると健康管理の出番と言う事になる。 歯も大切にするようになる。 それが現代である。 このように健康などに気を使うようになったのはつい最近の事。
ただ、あの時の一時引退の理由の事は本当の所、納得するような答えはない。 無くてもいいのだ、本人の問題だから。
ロリンズが、多くのジャズ・ジャイアンツが亡くなってしまった中で、まだ健在なのが嬉しい。
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| ラーメン | - 2013/08/02
- 仕事が遅くなったので、面倒だから今日のディナーは向かいにある、ラーメン屋。
札幌味噌ラーメンに卵入り。 800円也。
こってり味のスープに、にんにくと豆板醤を各小さじ一杯入れて。 店を出ると、ああ、喉が渇く。
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| 憲法9条 | - 2013/08/01
- 今年の夏も戦争。 戦争といえば今年の流行は、憲法9条。
その前に、私自身も9条の条文を記憶していないので、もう一度中学生に戻って復習と。 これを読まずして判断もつかない。 日本国憲法 第2章 戦争の放棄 安全保障 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。
ネットの情報によると、あの憎っくきマッカーサーの原案は、もっと手足をもぎ取る程の原文であった。 「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」
お前は神か?これはもう、近所の不良少年に対するお叱りそのもの。 しかし国際間にはあり得ない状況で、近隣から侵略されても、やられっぱなしで文句を言うな、という意味で、国の体をなしていない。 この場合、当時、近隣諸国は問題外なので、完璧にアメリカの植民地としての話である。 ところが、ひ弱な日本においてはそれが素晴らしいと刷り込まれ、それが平和と勘違いして今まで運に恵まれてやってきた。 実際、現在は問題があるにしても、近隣諸国は表だって攻めてこなかった、感謝だ。 マッカーサーの話は置いといて、憲法に戻って。
9条、第1項は解釈すると「日本国民は、戦争はしない」。 第2項は「日本は兵隊を持たず、戦争を交える事はない」。 と、一般の市民の解釈はこうなる。官僚のいかがわしい解釈は無視しよう。 これぞ、絵に描いた餅そのもので、精神的には最高にして最強の防衛思想である。 中学生の頃から日教組の先生方に習ってきたから、全く間違っていない。 しかし、苛められっ子らしい解釈である。なんという弱々しく力の無い憲法だこと。 これで日本の男は弱くなって、欧米に行けば殴られ放題で、いつも悪い奴に狙われているのも当たり前とオジサンは思ってしまうが、これは戦争の話だから置いといて。
かつて、私が好きだった日本共産党は、この自衛権の放棄に大反対で、ずっと国民皆兵を謳って来た。 野坂参三は「自衛権なくして民族を守れるか?」と疑問を呈した。 しかし、平和な世の中の継続に、共産党も総崩れ。 いつの間にか、平和なおばさんたちの意見を取り入れ保守勢力に変わった。どこが野党だ。
ところで、憲法の精神とは裏腹に、日本には軍隊がある。 実際に存在する。 これの武力がまた隣国の間では相当の強いレベルだという。
その軍隊を、政府すなわち自民党も、かつての政権政党の社会党も民主党もこれを軍隊といわず自衛隊と呼び、合憲だと言う。 しかし政府が、いくら軍隊では無く自衛隊だといっても、扱っている道具はどうみても、飛行機は軍用機であり、船は軍艦であり、兵器であり、服装は兵隊さんであり、訓練は戦争そのものである。 なんで、これが軍隊でないと言えるのか?
日本は本音と建て前の国と言われてきた。 表は駄目だが、裏では天国。 こういう嘘を隠しながら、矛盾を抱えながら戦後を生きて来て、真正面から人生に向き合うと、どうも心に引っかかる。 真面目に考えて、子供たちに向かって「嘘はイカン」と言える大人が一体何人いるのであろうか。 日本の最大の「嘘」は憲法9条であり、日本中のあらゆる人々の嘘の源はここにある。嘘の原点に他ならない。 これを正直に糺さずして、どこに教育があり、清潔な社会があり、国に平和があろうか。
私は、この9条だけは直して頂きたい。 そうでなくては、戦後の占領が終わらず、日本国の独立はない。 背中にナイフを隠しながら、話合うのが外交といわれるが、ナイフが竹光では相手に舐められる。 武器なくして、外交無し。 隣国に脅されてばかりでは、どうもうまくない。
そうそう、 天皇陛下におかれては「国民の象徴」のままで良いかと存じます。
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| 以前の会社の.. | - 2013/07/31
- 以前いた会社の女性が、近くを歩いていたらハルズという看板が見えた。
「これって噂に聞いた池田さんのお店」 と思って来てくれたと。
私が退職して15年。それでも寄ってくれるとは、嬉しい。 出来の悪い先輩だったのに、昔と変わらぬ人情に感謝。 申し訳ない。 と同時に、綺麗な方とお茶が出来て感謝。
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| 原発 | - 2013/07/30
- さて、参議院選挙が終わりひと段落して思った事。
原発問題を政治家達の政局にしてないか? これを政治問題にしないよう出来ないかという事。 思ええば、福島原発事故を受け、ドイツではただちに国民投票が行われた。 遠く離れた、いわば他人事である。 それなのに、国の将来を考えた人達がいた。
一方当事者の日本では今も汚染は続きながらも、全く収束に向かって進展がないばかりか、選挙の運動にもこれが使われるのみである。 エネルギー問題がなぜ政治問題になってしまうのか? きっと、これが議員の人たちの飯のタネになっているのではあるまいかと思うのである。
民主主義であるからこそ、当事者の日本において、なぜ、エネルギー問題が国民投票で解決できないのか。 法律を作って国民投票にしようという動きは、まったく無い。 賛成派は一刻も早く再開したく、安全だと繰り返すだけ。 反対派は、ただ、反対、反対と言うだけ。 反対というと国からお金がでるのか?
原発が無くなると、エネルギー政策はどのようにかわるのか? また、これに代わる発電システムはどうなって行くのか? またそれによって工業生産がどう変わるか、どうしても原発が必要なら、危険な状況の説明と影響についても、公明正大に示すこと。 反対・賛成の両意見を示したうえで、その上で国民が、日本の経済活動と電力の重要性を鑑み、自分達で決定する時期が来たと私は思う。 いずれにせよ、腹を括らないと、日本の進歩はない。
アメリカが終戦当時言った事。 ドイツ人は、一時誤ってしまったが本来は冷静で理性的な国民である。 しかし、日本人は中学生程度の知能である。 私など、ずっと悔しい思いをしてきた。 それが、世界でたった一つの原子爆弾の被害をうけ、それがまた原発の被害国になった。 被害を受けていないドイツが国民投票で反対し、被害国である日本が方針をまだ決められない。 オカシクないか?
これを乗り越えないと。 放射能の除染技術の開発と復興。 そしてエネルギー問題を解決して、世界に範たる国家であることを示す絶好のチャンスである。
そうだ、もう天下国家の事は言わないと誓ったのにな。
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