HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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イチロー4000安打
2013/08/22

午前中、用事で銀座にいく。
地下鉄を出た所で、号外、号外と新聞を配っているので近寄ると「イチロー4000安打」。
朝日も読売も同じ見出し。
一枚もらう。
他人事だけど、なんだか嬉しい。
日本人にとって、アメリカの地で日本人選手が活躍し尚、大記録を残した事は本当に痛快である。

数日前の深夜、NHK・BSを付けたらちょうど大リーグのニュース解説をしていた。
司会者の姉ちゃん、解説者 田口元選手もいたが、もうすぐイチロウ選手の大記録が出ます。
となって、なんとピートローズにインタビューに行った場面。
すると傲慢のピートが「日本の野球はレベルが低いから、記録として認められないだろう」。
私は見ていてカチン。
日本のスタジオに画面が変わって、何事もなかったかのように、司会の姉ちゃん、解説が、「いやー、ピート・ローズ選手は本当に素晴らしい選手でしたからね」だって。

お前ら、ヘラヘラしてないで、反論があるだろう!
低レベルと言われて、何も言う事が無いのか?
そうか、我々は今まで低次元の日本のプロ野球を見させられてきたのか。
ならば金返せ!ついでにNHKのお金も。

怒りついでに、イチロー選手の記録を見た。
日本での在籍わずか9年。
91年18才でプロに入る。92、93年の最初の2年は35本しかヒットは無い。
94年にいきなり210本を打ち、それからであるから事実上は7年である。
それで日本時代は1278本
残りの2722本は13年に渉るメジャーで作られた記録で、盛りを過ぎて来つつある30歳代での記録である。

で、記録にもどる。
26歳(99年)オリックス 141本。
27歳(2000年)オリックス 153本
2年で、294本。普通に偉いが、しかし、彼の中ではちょっと低迷と言える。
それで、マリナーズに移り、28歳(01年)アメリカで 242本。

上記の記録から考えると、人生の全盛期、オリックスでの最後の2年間をもしアメリカにいたとすると、合計400本は達成した可能性があり、294本との差は106本。
メジャーのみに在籍していたとすると、ヒットがもっとあった可能性が非常に高い。
タラレバは禁句だが、まず年間試合数が違う。さらに日本でプレイをしていた場合、きめ細かで、非常に戦略的な野球においてここまでヒットがでたか?
きっとメジャーのような記録は無かったのではないかと思うのである。
それを思うと、日本が低レベルなどと野球賭博の犯罪者に言われる筋合いはない。
NHKよ、犯罪者のピートローズにインタビューに行き、犯罪者の彼を褒め称えるために放送しているのか?
日本人をけなすために放送したのか?

あの放送を見た時は怒った。
しかし、今はいかった、良かった。

映画「原爆の子」
2013/08/21

テレビのニュースで、漫画「はだしのゲン」がどこかの市の図書館で小学生に対して閲覧禁止令がでたと。
自由の規制とマスコミが騒いでいた。

漫画で騒ぐことがあるのかと、ちょっと唖然。
漫画など、所詮漫画である。
今や、この漫画が原爆の悲惨さを訴える格好の教材だそうで、大モテ。

原爆の悲惨さを知りたいのであれば、漫画など見ないで、井伏鱒二の「黒い雨」でも読んだ方がどれほど役に立つか。
資料としても、漫画ごときで良いのかと、ちょっと心配になる。


しかし、私が子供頃は原爆の資料的な作品と言えば、映画「原爆の子」だった。
小学校の時、学校の講堂で、巡回映画を見たから良く覚えている。
うろ覚えだったので、一生懸命にyou tubeを探すと、映画全編をアップしているのが見つかり、思わず最後まで見てしまった。
なんと52年の映画で、よくもまあしっかりと作り込んだものだ。
監督が「新藤兼人」。乙羽信子が若く、初々しいのがいい。
ちょい役の殿山泰司が良い味だ。
直接的な残酷さをあまり見せないで、原爆投下と被害者子供たちを中心に、その7年後を描いた作品である。
苦しみや、やるせ無さを淡々と描く事で、観客は余計に悲しくなる。
こういうのは今の映画には無い。

YOU TUBEに映画を、日本人の方がアップしたのかと思いきや、なんと外人らしい方がアップしていた。
ちょっと感動。

そもそも、漫画でいいのか。
日本人よ、漫画ばっか見とったらイカンぞ。

宮沢昭 “FOUR UNITS”
2013/08/20

宮沢昭 “FOUR UNITS” TEICHIKU-UNION UPS-2008J (日本)

珍しいレコードの入荷である。
厚いボール紙のダブルのジャケットが何だかうれしい。
私は日本人のジャズはフリージャズ以外あまり聴いていなかった。故に日本人のレコードはあまり買っていなかった。
だが、宮沢の作品は買っていて、これは持っていた。よく聴いたものだ。
開店当時、これも売ってしまったが、商売だから当たり前のこと。
また入手できると簡単に考えていたのだが、それは浅はかな思いで、入手など望むべくもなく今に至る。
今更ながら、彼の作品の稀少さに驚いている。

ところで、この時期と言っても69年、70年の両年は宮沢にとって特別な2年だった。
作品を見れば理解できるはず、ちょっと羅列してみよう。

1969年4月録音、まずこの作品「フオー・ユニッツ」が幕開き。
メンバーは宮沢本人、佐藤允彦、富樫雅彦、荒川康男(b)。
その勢いで、同年7月にビクターから「いわな」を発売。
メンバーは同じ 佐藤允彦、 荒川康男、 富樫雅彦。
翌年70年3月、「木曽」。同様のメンバーだが、こちらはドラムが森山威男になる。
これには事情があって、70年はじめに富樫が女性トラブルで半身不随の事故にあったためである。
木曽以前の作品は、富樫の全盛時の音楽力を聴く事が出来ので、これもまた有り難い事である。
他の共演者も当時の若手であるが、その後の日本のリーダーとなった人達である。

これらは、宮沢の心身ともにもっとも充実した時期で、もっともイマジネーションとそれを表現する身体と指の動きと緊張感が見事に出し切れた作品群である。
従来のジャズのフォームに捉われず、演奏に自由を求め、かつ成功した例ではないかと私は思う。
演奏に自由を求め、求めすぎた結果、聴く人にガッカリさせた作品は数知れずある。
しかし、宮沢のこの時期の作品には、まったく失望する事がない。
見事である。
日本人として、日本人によるジャズとして、最も成功したジャズではなかったかと私は思う。
聴き終わって、私はアメリカなどに、被占領国の日本人として劣等感を感じることなく聴く事が出来る、これらの作品群は誇らしく思えるのである。
この「FOUR UNITS」はそれら最初に来た作品として意味は大きい。

もうひとつ、この時期は日本のレーベル各社は高音質のレコード制作に力を注いでいて、世界に誇る事ができる立派なサウンドで、一聴の価値がある。
それはジャケットの内側にくどいほど説明しているので私ごときが説明する事ではない。

土取利行 "ORIGINATION"
2013/08/19

土取利行・高木元輝 “ORIGINATION” ALM AL-4 (JAPAN)

珍しいレコードの入荷・
このレコードもまた例にもれず、日本のマイナー・レーベルで作られたフリージャズの宿命で、数少ないプレスであり、発売当時であっても買い漏れてしまえば、その後の入手は困難というコレクター泣かせな一枚であった。
しかし、風格のあるジャケットである。
この演奏は75年、土取はまだ現役でいるが、片方の高木が亡くなってしまったのが惜しい。

このジャケットの絵は「土偶」である。
土偶が彼らにとってオリジナリティーなのかどうかはわからないが、意味合いから考えると、あるかも知れぬ
土取は、縄文・弥など日本の初期の時代における音楽研究などが趣味であったようで、当然土偶に寄せる心が想像できる。
縄文土器の発見者は、ある意味岡本太郎だと言われるとおり、土取もまた原始時代の音楽に関して発見者の一人であると言える。

この作品のタイトルは「Origination」である。
土取の言葉によると、「それは万世不変の優しさや想像力を生み出すエネルギーの根源力」であると。
更に、解説の間章先生の言葉が続く、「高木は...未明の一季節が産み落とした真性のフリージャズミュージシャンたるべき存在である 彼はあらゆる信条や理念よりも肉体の闇と情念そして無意識の凶暴な静まりにだけ聴き入り忠実であるという意味において、まごうことないアナーキストであり自己錯乱者である」と。
続けて「土取は...ドラミングにおける彼の存在性は時として律法者であり法治者であり組織者であり破壊者である」と。
間先生が太鼓判を押すだけの事がある、二人は間違いなくアナーキストなのだ。
間先生の言葉は続く「そして私は私の最大の優しさを持って高木へもう一度地獄めぐりして来い、もう一度、晒されて来いというだろう 彼等二人が創出し得るオリジネイションはその旅の果てにこそあるはずだからなのだ、始まりのないものに終わりも死滅もない...」と意外に愛情あふれる優しいお言葉が聞けるのである。
ただその後のお言葉は長々と続き、ますます私の頭の中が混乱するので、この辺りで止めて置く。
丁度、読み終わった時に、演奏も終わると言う、見事な演出なのである。

ぜひ、難解な土取の石仏から始まる意見を読み、続けて間先生の難解なライナーを読みながら、高木と土取の難解の中に美しさを秘めた演奏を聴いて頂きたい。
彼らのアナーキーな活動が、当時の日本のジャズ界を破壊し、フリーによるジャズの再構築を目指していた心意気が十分に伝わる一枚である。

しかし、間章の文章は面倒だわい。
今だからこそ読んでみる気にもなる。

お盆
2013/08/18

昨日のお客様が「いや、時々死んだ御祖父ちゃんがそばにいると感じる時がある」という。
私も、何かのお時に祖父がいるに違いないと思った事がある。

知合いの飼っている猫は、餌と一緒に水も朝晩置いてあるのだが、それを飲まず、わざわざ階の上に行き、母親の仏壇にお供えした水を飲んでいると。
どう見ても母が、猫に飲ませて上げているような気がしてならないと。

それがこの前のお盆で、一階に「盆棚」を作って位牌も移した。
すると猫が、仏壇の水があっても何故か飲むことが無く、それどころではなく、盆棚の水を飲む。
朝、人の顔を見てニャーと鳴く、水を代えるまで、そのままの姿勢で動かない。
朝一度取り替えたのに、変だなと思いながら、もう一度綺麗な水をあげると、ようやく落ち着いてひっくり返って寝る。
夕方にも同じことをする。
自分が飲んでしまったから、母にもう一度綺麗な水をあげろと指摘されているようだと。
「何だか、お盆にお母さんが家に戻って来て、猫が母と私の仲立ちをしているような気がする。」と言っていた。

イタコの猫か。
うーん、霊か。

ジャズって
2013/08/17

ジャズはリズムとメロディの詩である。

これ、私の古いメモに書いてあった。
誰が言ったかのか、自分で言ったのか、全く分からない。
でも、良いよね

保険証
2013/08/16

ちょっと風邪を引いたので、病院に行く。
受付で、診察券のプラスティックのカードを探して出して、それから口で「保険証だ、保険証だ」と言いながら財布の中を探す。
その間、受付の若い女性の方がにっこり笑って待っていてくれる。
「この間ね、運転免許と言われた時にね、保険証出しちゃってさ、違いますよって大笑いされちゃってさ」
などと軽くしゃべりながら探してようやく保険証も差し出すと、お姉さん笑いながら「こちらが違いますね。これはスイカのカードでしたね」
傍にいた受付の方、事務の方全員に笑われてしまった。

オジサン、穴があったら入りたかったわい。

舌なめずり
2013/08/12

昼を食べて、外に出た。
目の前に、ちょうど猫がいて、何かをもらって食べたらしく、一生けん命に口の周りを舐め回している。

あらあらお行儀の悪い猫と、それを見ながらふと気が付いた。
自分で口の周りを舐め回していた。
人のふり見て、わが身を直せ。

猫に教えられるとは。
トホホ。

Krzysztof Komeda “CRAZY GIRL”
2013/08/10

Krzysztof Komeda − Bernt Rosengren  “CRAZY GIRL” MUZA No.0187
(POLAND) オリジナル 7インチ盤

これは、ポーランドを代表する音楽家クリシュトフ・コメダの大変珍しく、しかも素晴らしく、ヨーロッパ・ジャズ史上、非常に貴重で歴史的な一枚である。
EPでありながら、そこまで言い切るにはわけがある。
この作品は映画界のポランスキーとジャズ界のコメダであり、それぞれがポーランドのみならず、ヨーロッパを代表する映画・音楽のリーダー的存在で、またそれぞれに当時の社会主義国家の中に自由を求めた人生であり、次作の映画「ローズマリーの赤ちゃん」の仕事など、多分に重なり合う人生である。
そういう背景から見ると、いくらでも考える事があり、書く事がある。

しかし、ここでいつまでもEP盤一つに固執するのもいかがかという、気もするので、ここはサラッといこう。

このEPはロマン・ポランスキー監督処女作、ポーランドで作られた1962年の映画「水の中のナイフ」のサウンド・トラックである。
主題曲「CRAZY GIRL」(クレイジー・ガール)は、コメダの初期の代表作(曲)である。
次の作品は63年の例の大作 "BALLET ETUDES" Metronome MLP 15132。
次の主要作品としては、65年の"ASTIGMATIC" Muza SXL 0298 である。
ジャケットや音楽の内容を思い出すだけで、いかに濃い作品が揃っているか。

たしか、クレイジー・ガールの曲 は、映画の中で、船着き場から小舟が出て行くときの音楽に使われたのではなかったか。
映画の中に使われたサントラとしては、ドンピシャな出来栄えで、単独のジャズ作品としても、さすがの出来栄えである。
曲は当時のジャズが持っている暗さのある雰囲気はそのままに、そこに彼独特の芸術性と哀愁が散りばめられていて、派手ではないのに引込まれる何かがあって魅力的で見事である。
音に無駄は無く、フリージャズではないのに、実に前衛的である。
それは、やはり高い芸術性がそう聴かせてくれるのであろう。
なにより死・暗さ・強さ・希望・育ちと言ったものから生まれた故の、何かであろう、彼の独特の哀愁が良い。
これほどの曲はそうは無い。

ここではピアノはコメダ本人で、テナーサックスをスエーデンのBERNT ROSENGREN(ベルント・ローゼングレン)が吹いていて、落ち着きのある、これも見事な表現である。
この曲はその後、65年にやはりMUZAから4枚組のアルバムが出されたが、そのなかではJAN WROBLEWSKI(ヤン・ウルブルスキー)が吹いていて、こちらも負けずに立派なテナーである。
どちらがどうと言うようなレベルを超えているので、機会があれば聴いて欲しい作品である。

ところで、このEPは時々ヨーロッパでは見つけて来た。
しかし、残念ながらジャケット付きという完璧な形ではほとんど見当たらない。
今回は目玉のシンプルなジャケットも一緒で、レコード屋の親父としては、とても嬉しい。
「目」の絵画的な意味合いは「神の目」であり、何事も神は知っているという意味である。
きっとコメダは自分の事を判って欲しかったのであろう。

ところで、根が下品なせいか、またゴシップ的な話になってしまう。
コメダは、1968年12月滞在中のロサンゼルスのという事はハリウッドであろうか、とあるパーティーで、友人と言い争いになった時、Marek Hlasko(マレク・フラスコ)という作家に、高い所から突き落とされた。彼も又ポーランド人である
病院に担ぎ込まれたが、意識不明で、結局彼の妻によりポーランドに連れ戻されたものの、4か月後69年4月に亡くなった。
おかしな事に、そのマレク・フラスコもまた69年35歳で薬物による自殺という事になっている。
それでケースクローズ、問題が無い事になっているのだが、当時の社会主義国家の東側諸国の政治的な動きからすると、芸術家特に自由を求めていた芸術家は常に命の危険と共にあったのではなかろうかと、考えざるを得ない程である。
仕組まれた若死に、と勝手に解釈と。
もう一方のポランスキーはというと、69年世界を震撼させた残虐な殺人事件で妻を失う。自らも77年に淫行疑惑で逮捕されてしまうという、映画そのものような人生。
皆、凄まじい人生である。

しかし、60年代の東欧の、特にポーランドの芸術は、絵画も音楽も物凄いパワーを感じさせて、有名な人の作品でなくとも、ドキドキさせられてしまう程である。
結局はそういうパワーがづうっと続き、文化の面からも自由の希求が進み社会主義国家崩壊に繋がったのであろうと今、つくづく思う。

お盆休み
2013/08/09

今日の夜から、各高速道路の渋滞は始まったらしい。
人によっては9連休の長い休みがある。

羨ましい。
私も休もうかな。
海外は仕事で行ったから、もう沢山。
国内をゆっくり車で廻りたい。

なんだか、そんな事を思っていたら昔のTVドラマ、シカゴからLAまで旅をする話「ルート66」を思い出してしまった。

じゃ、オレは愛車で日本縦断か。

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