HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| やなせたかしさん | - 2013/10/15
- 知合いと、漫画家のやなせたかし氏が亡くなった、という話をしていて。
あの方、アンパンマンだけではなくて、昔作っていた本があって、それが「人を見る目」と言うのだけれど。 多くの人がそれで救われたと言っていた。 「人を見る目」というのなら、それは生きるのに役に立つからね。と話していて...。
友人「ちょっと違わない?」 私「人を見る目、でしょ」 友人「詩とメルヘン」 私「.....」
似ているけど、違う。
|
|
| 体育の日 | - 2013/10/14
- 今日は体育の日。
体育の日とは10月10日だったが、政治のご都合主義でハッピーマンデーにされ、月曜日になってしまった。 なんの意味も無い体育の日。
あの64年のオリンピックの開会式の日。 私の目が、遠くを見るような目になってしまう。 気象庁のだれかに聴いた所、最も晴れの多い日だと指摘され、開会式に選ばれたと。 しかし、実際はエイヤッと決めたに違いないが、もう一つ10月10日という節句の意味合いもあったのではなかろうかと、私は密かに思っている。 だって、節句は区切りの良い日だもの。 そういう日にやらない手はない。
しかし、日本のオリンピックが再びやって来る事になって、本当に良かった。 もう一度、10月10日に開会式をやるかい?
|
|
| ホームラン60本 | - 2013/10/13
- 今年は色々な記録が生まれたプロ野球。
ヤクルト・スワローズのバレンティン選手がホームラン60本の記録達成。 新記録が生まれ野球ファンとしては誠に喜ばしい限りである。 よくぞ、55本の記録を乗り越えたと言いたい。 日本のファンの心情として、56本であったら多分生まれなかった、であろう記録である。
野村元監督がテレビで、外国人に打って欲しくないと言う台詞を聴いて、ついでに「メジャーのお払い箱」という、自分の人生すら貶める、最低の発言もあった。 あんただって何度お払い箱になったのだ、おまけにヤクルトの監督時代もあったのに、自分勝手で愛情の少ない人だ、と私は怒った。 例のイチロ−選手の4000本安打記録達成時の外人の反応で私は怒ったが、こういう時には、やっぱり同じ事をいう野球関係がいる事に、失望させられる。 55本の王貞治だって元は日本人ではないのだから。大した違いはない。
もっとも賛否両論の中にあって、60本の大台に乗せたのだから、55本など霞んでしまった。 ホームラン記録は飛ぶボールのお蔭、などと書いた人もいるようだがこれも勘違い。 実は飛ぶボールと言っても、3年前より以前の違反球と呼べる低反発ボールを、去年・一昨年と反発係数を下げ過ぎたので、今年はちょっと戻しただけなのだが、それを勘違いして、飛ぶボールとマスコミが言ってしまったので、思い込みをしている人がいる。 正確にはそれほど飛ぶわけではない。その証拠に2位以下とパリーグの記録を見れば一目瞭然。 2位のブランコ(中日)が41本、3位の阿部 (巨)が32本。パリーグの1位が31本なのである。
また、王選手の時は圧縮バットという高反発のバットと、更に当時の球場の狭さ、という好条件があった。 投手のテクニックも進んだ今の方が、達成の困難度は高いと思える。
どの国も自国の選手が可愛い。 それは、ごもっともであるが、スポーツはやっぱり見る方も公平でないといけない。
|
|
| 新宿の客引き | - 2013/10/12
- JR新宿駅から当店に歩く3分の間、一体何人の客引きに声を掛けられるのだろう。
毎日、毎日、歩く度に本当にうんざりする。 客引きが道を塞いで通行人の邪魔になる。 声を掛けられて嫌気がさす。 また、客引き同士の喧嘩もある。 客引きをさせているのが、立派な飲食関係の企業なのである。 グラック企業とは、こういうのを指して欲しい気分だ。
これが歌舞伎町に行くと、更に黒人達が客引きに加わる。 中には「女、オカマ、なんでもOKよ」などと声を掛けて来るのもいる。 歌舞伎町の入口からジャズ喫茶「ナルシス」まで、うんざりして足が遠のく。 そう言うのは客引きと言わずに、昔は「ポン引き」と言った。 もう、新宿に居るのが恥ずかしい。
それが本年9月から、新宿区に条例が出来、客引きが禁止になった。 確かに、区の関係者と警察が一緒になって客引き取締りの現場も見た。 喜んで大歓迎。
あれからひと月、何故か一向に改まった様子はない。 いや、歌舞伎町にはここの所行っていないので断言はできない。 だが、新宿駅西口の辺りは相変わらず元気に客引きが闊歩している。 変わっていない。
「客引き禁止」立て看板が空しい 新宿の夜空。 ま、そんなもんだ。 これが新宿だ。
|
|
| LESTER YOUNG “THE LESTER YOUNG TRIO” ALADDIN | - 2013/10/11
- LESTER YOUNG “THE LESTER YOUNG TRIO” ALADDIN AL705 10inch(USA)
(King Cole ; Lester Young ; Red Callender)
なんとも言い難いアルバムである。 それは見た瞬間に憧れと、畏れ多いという気持ちが入り混じった不思議な感覚に捉われる。 私にとっても近寄りがたい一枚である。
ジャケットには KING COLE, LESTER YOUNG, RED CALLENDERと書かれていて、真ん中にはピアノ、ベース、サックスの3種類の楽器が何となく描かれているだけである。 その無造作な様子が、今となっては10インチというサイズ感と相俟って、われらコレクターが学んだレスターの人生模様が投影され、何とも言えない近寄りがたさになった。 マニアにしか理解できない世界である。
このアルバムはロサンゼルスで1942年7月15日に4曲が録音された。 後ろのライナーによると午後となっている。 演奏曲は、「BODY AND SOUL」「INDIANA」「TEA FOR TWO」「I CAN’T GET STARTED」 ゆったりした「BODY AND SOUL」「TEA FOR TWO」が個人的には好きだ。 1942年と思えぬモダンなテナーを聴く事が出来る。 ナット・キング・コールがジャズに専念して、まだ唄っていなかった時のピアノも風情があってイケる。 ついでにライナーによると「我々はこれがリリースされ商売になるとは思ってもみなかった」。 と言っているのだが、演奏したミュージシャンがモダン・テナーの始まりの人であれば、世界は放っておくはずがない。
最初、PHILOレコードからSP2枚として発売された。 たった一年の間のみしか存在しなかった会社のSPレコードを持っているのだろうかと思ったら、しっかりと持っている、私より若いマニアの方がいて本当に驚いた。 当初PHILOレコードと言ったのはフィルハーモニックから取ったらしいのだが、それが権利関係の問題が起きて、一年でALADDINと改名したのだ。 そして、ALADDINでもSPを2枚出し、バラで売られたり、セット物のアルバムにして売られたりした。 やがてLP時代の到来により、54年に10インチで発売に至ったという。
彼の演奏は、35から40年までが絶頂期と言われるが、残念ながらSP音源であり、楽団そのものの演奏スタイルもモダンという訳には行かない。かといってSP盤も入手困難ある以上、我々が楽しめるかどうか諸手を上げて賛成とは行かない。 その後の絶頂期は44・45年の間に取られた兵役の、前と言われると、要はLPとして鑑賞できるのはこのALADDINの作品のみとも言える。 有り難い事である。 その後の演奏は50年からのVERVE関係となって、周知のとおりである。 今となっては、どれもが楽しめ、どれもがコレクションの対象となる、立派でマニアの思いが詰まった作品ばかりである。
彼もまたあの頃のジャズメン同様、実人生と音楽人生がほぼ一致している音楽家である。 子供頃から音楽だけの人生で、苦しみにつけ、哀しみにつけ結局は音楽と共に歩んだ人生だった。 それが短い人生であるゆえ、一枚一枚の作品が貴重である。
私も40年以上にわたって音楽を聴いて来たが、歳を重ねるほどに、哀れさが人生に沁みて、好きになる。 いや好きになるのではなくて、レスター・ヤングの音楽の音に、己の心の情が同化して来た。
|
|
| 発音 | - 2013/10/10
- ちょっと前の日記に、PIM JACOBSの発声をピム・ヤーコブスと書いた。
延ばすと私は言ったが、厳密にいうと延ばすのとはちょっと違い、ヤァコブスと言った方が正しいかもしれない。 ただ、強調する場合は延ばす。 だから、どれが正しい等という判断は付かない。 日本語表記はヤコブスで良い。
昨日来店されたノルウェーのバンドのメンバーは、ウチの壁に飾ってある「BENT AXEN」のレコードを見て、こう言った。 ベント・アクシエンだと。 するともう一人はアケセンで良いと。 その会話は面白かった。 彼等の話は、アクセンかアクシエンかの話しだけではく、その発音の中間位の発音の仕方を言っているらしい。 彼らの中では、我々日本人には解らない微妙な母音や子音の発音が間に入るのだろう。 きっと、それがポーランドなどではもっと微妙な発音が間に入るのだろうと、想像してしまった。
こういう発音の事になると、一音づつ区切れて発声する日本語の我々には遠い話だ。 日本にも昔は「イ」と「エ」の中間の「ゑ」という字もあったが、戦後日本語教育の統一で 「ゑ」の発音も消えたりした。 もし今も「ゑ」があれば、英語の発音も相当楽だったに違いないと、発音の出来ない私は時々思う。
|
|
| TERRY GIBBS “VIBES ON VELVET” | - 2013/10/09
- TERRY GIBBS “VIBES ON VELVET” EMARCY MG-36064 (USA)
聴けばオヤッと思わせる、職人芸。 この人のヴァイブはちょっと面白い、それはあまりビブラートさせないところにある。 そもそもヴィブラフォーンはビブラートする所が真骨頂なのだが彼は、あまりそうはしない。 多分それがモダンジャズだと言いたかったのかもしれない。 たしかに聴くと斬新である。 それでいて、聴き易いのが良い。
ところで、このアルバム。 1955年の演奏で、ビッグバンドを付けてもらった録音は嬉しかったに違いない。 なかなかの好演奏で、良い演奏家であるという証拠でもある。 ゆったりと鑑賞させていただく事にする。
ところで、B面に行ったところで、昔仲間から聞いた話を思い出してしまった。 それは、B面二曲目の「BOULEVARD ON BROKEN DREAM」という曲。 いや、良く思い出した、というより聴けば自然に思い出す。 だって、そっくりだから。 さて、その話。
昭和50年頃の事、テレビでも大ヒットした曲「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」。 これが似ている。
それでというか、やはりというか、オカシイと思ったのだろう。 ととうとう権利をもっている会社が裁判を起こした、数年かかり遂に最高裁にまで持ち込まれた。 世間では「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件」として、曲のヒットと共に裁判の行方も関心がもたれた話なのである。 裁判所まで足を運ぶのはシンドイので、その話をネットで探すと、いや沢山出て来る。 興味のある方は探して頂きたい。 曲名「BOULEVARD ON BROKEN DREAM」は邦題「夢破れし並木路」と扱っている。古風な題名なところが良い。 裁判は結局、似た曲はありえると無罪になっている。 もし、アメリカで裁判があったとすれば、多分有罪になっていただろう。 日本での話で良かった。
ところで、似ているかって? はい、似ている。 だって、テリー・ギブスも歌謡曲風にやっているので余計に。
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー....。 何も言わずに.... やったな、と言いたくなる気持ちで、思わずにやっとしてしまう。
|
|
| BILLIE HOLIDAY “STAY WITH ME” | - 2013/10/07
- BILLIE HOLIDAY “STAY WITH ME” VERVE MG V-8302 (USA)
昨日は「COME FLY WITH ME」で一緒に飛んでもらったので、今日は「SATY WITH ME」で一緒にここに居てもらおう。
この時期、54年から55年は彼女が意外に頑張った時で、54年はヨーロッパツアーを敢行し成功させる。 帰国後はライブ活動も行い、ニューポートフェスティバルにも出演した。 また録音も積極的に行った。 これらのレコーディングの記録は、「A Recital By Billie Holiday」、「Lady Sings The Blues」、「Velvet Moods」57年には「All or Nothing at All」で聴く事が出来る。 だが、当アルバムや、「A Recital By」「All or Nothing at All」など、ジャケットの作り方がどう贔屓目に見ても、美人に見えない。イカン! いかにも、売る気がないと言わんばかりではないか。 VERVEともあろう会社が、商売熱心なノーマングランツが、一体どうしたのであろう? 不思議でならない。 オジサン許さんと一人で怒っても、50年前以上も昔の話で、しかも海の向こうの国の事。 ここは大人しく引き下がって。
ところで、このアルバムのメンバーは、Charlie Shavers (tp)、Tony Scott(cl)、 Budd Johnson(ts)、Billy Bauer(g)、と渋い所が揃った。 Charlie Shaversはここでは大活躍でスイング感と哀愁がでる。 Billy Bauerは優しいバッキングに好感が持てる。 彼女の頑張りに、仲間のジャズメンが盛り上げる。 彼女の人生のしのぎを思いながら、しみじみと一人で聴き進む。店は私だけ。 いよいよ最後の曲「Do Nothin' Till You Hear From Me」。 エリントンの作曲のこの曲を、彼女は自分だけにある曲のように歌う。 凄味さえ感じさせる声に、昔の可愛らしさも時々を顔の覗かせると、なんとも言えない気持ちになる。 このまま、好調な昔の可憐な声に戻るのではないかという気にもなる。 トニースコットのクラリネットのソロ辺りで、なんだか涙腺が緩んでしまう。 彼女の歌は重く、精神的にも上がったり下がったりさせられ、鬼気迫る歌い方に圧倒される。 私などに彼女の人生など解るはずもないが、彼女はやっぱり歌の天才で、やっぱり世界一だったと心身ともに疲れ切って、聴き終わった。
50年代は落ち目の時期に入ると言われるが、今こうして聴くと、そういうのは簡単だが、そうでもなく、彼女に凄味が加わった時期だったという事にした。 人間、天才とていつまでも子供らしい可憐な声が続くはずもない。 これでも十分世界チャンピョンだ。
|
|
| 出世か?仕事か? | - 2013/10/05
- 私も長い間サラリーマンをやっていた。
仕事は楽しかった。 40歳過ぎた頃。 ちょっと可愛がってくれる人がいて、ある日海外で飲み会があった時に言われた。 「おい池田、君は出世に生きるか?仕事に生きるか?どっちだ」 「はい?」 「あのなサラリーマンはな、仕事か出世のどちらかだ、両方は無理だ」 「いい仕事をしたら、会社は解ってくれるのではありませんか」 「そんな新入社員のような寝言を言うな、君が良い仕事をしたとする。仕事に真剣に向き合うと出世の事を考える暇はない。逆に出世が念頭にあれば仕事をしている暇はない。君もどちらか選べ、どっちでも俺は道を作ってやる」 「そういう物ですか。わかりました私は仕事にします」 「そうか仕事が好きなら思いっきりやれ、俺は協力する。だが後から出世と言われても遅いからそれは覚悟しとけ」 という話があった。
私が、会社人生を「仕事」で良しとすると言ったのは理由があって、新入社員の時から、遅刻、サボリ、勤務態度、ラフな服装等々、社内で良い評判が一つもない事を自分で知っているからこそ出世は無いと思っていたからである。
この話はその後、会社人生の様々な場面で私の脳裏に顔を覗かせ私の頑張りになったり、後悔したりしながら付いて回った。会社を辞めるまで。 今つくづく、ありがたい言葉だったと思う。
|
|
  
|