HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ジャズ喫茶
2013/11/19

よく来られるお客様で、高校生の頃、すでにジャズ喫茶に出入りしていた、という話を聞く。
昔は高校生の喫茶店の出入りは禁止されていたから、今となっては武勇伝である。
ジャズ好きなのだから、うらやましいと言うか、くやしいというか、乾杯したくなるような複雑な思いである。

高校生の頃、私の通学は機関車D51に牽引された汽車だった。
煙が出る、トンネルに入ると煙が車内に入って来てしまうあれ。
それで、帰りの汽車の時間が4時頃。帰宅部と呼ばれる。
次の汽車は6時過ぎ、クラブ活動の生徒である。
その次は8時半過ぎだった。学校指定の運動部の優秀生徒か、それとも遊んでいる生徒。
その後は最終が一本、これに乗るのは不良と呼ばれる。
それしか走っていなかった。
田舎は良い。 生徒をはっきり分類出来て先生も楽だ。

それで駅のホームに上がると、ちょうど上手い具合に立ち蕎麦があった。
小銭がちょっとあったり、お腹が空いていたりすると、そばを食べた。
一年生はそんな大人びた事が出来ないが、2年からは、大人に交じって蕎麦を食ったりするのが、ちょっと大人っぽくて嬉しかった。
これが当時、もっとも美味しい蕎麦だった。
今になって思えば、なぜかホームの立ち食いが一番だった。
安い・早いが一番で、それしか知らなかったのだ。
情けない、立ち食い蕎麦が武勇伝だもの。

そう思うと、昔の高校生は可愛かった。
喫茶店にも入った事が無かった。
偶に隠れてタバコを吸うくらい。
その反動で、高校を卒業した後はジャズ喫茶に入り浸り。
反動はこわい。

HOWRD McGHEE “MUSIC FROM THE CONNECTION” FELSTED
2013/11/18

HOWRD McGHEE-FREDDIE REDD "MUSIC FROM THE CONNECTION" FELSTED FL7512 (USA)
(註)ジャケも盤も米国製

非常に珍しく、当時及び当時のジャズメンの生態を伝える力作である。
この黄土色の地味な色のジャケットのこの作品こそ、ジャズ・レコード界に燦然と輝く作品である。
作曲はFREDDIE REDD(フレディ・レッド)、メンバーはHOWARD McGHEE(ハワード・マギー)、TINA BROOKS(ティナ・ブルックス)、I.CHING(アイ・チング)=FREDDIE REDD本人、MILT HINTON(ミルト・ヒントン)、OSIE JOHNSON(オーシィ・ジョンソン)の5人である。
なぜ、ピアノを弾く時だけ本人の名前を使用しなかったのか解らないが、きっと他社との契約の関係であったのだろう。良くある事なのでここはサラっと。

この作品は芝居の為の音楽で、FREDDIE REDDが音楽監督として作曲・演奏を任された。
たしか、JACKIE McLEAN(マクリーン)の話によると、マクリーンなど多くのジャズミュージシャンは、作者の要請により劇に出演した。
最初はなぜ出されるのかという疑問もあったが、苦しんでいる自分にも心当たりがあるから、という気持ちでもあった。
当初は台詞がありしどろもどろだったりしたが、馴れるに従って次第に巧くなった。
臨場感を出すために、なるべくクスリの取引に関する隠語など使用しようとしたが台本には限界があった。
しかし、何しろクスリをやっている当事者たちが出演しているわけで、台本以外の隠語がポンポン飛び出す様になり、ジャズメンが役者に教えることも出て来た。観客にはそういう受け答えやアドリブの雰囲気が大いに受けた。
最初の悪評をはねつけロングランの上演となった。
最後の方はアドリブが多くなり、特にジャズにおいては実際の彼等の練習風景の演奏があったりして、ジャズ好きに非常に好評だった。
出演はジャズメンの都合で出演者は常に変更があり、それにより却って演奏や話の流れが面白くなった。
会社や作者はそれに気をよくし、ロンドンでも上演と言う話になり、実際ロンドンに出かけたが、こちらはクソ真面目なロンドン市民の芸術趣味に合わず、なんという下品で犯罪者的な芝居かという事で悪評になってしまい、評論家にも叩かれ、早々に敗退したと。
ニューヨークであればこその作品だったという事だ。
ニューヨークの文化の懐の広さと、市民といえ犯罪何するものぞ、という気概に驚くばかりである。
その後、芝居が成功すれば、もちろん映画にもなった。
私の知合いのヨーロッパのお爺さんたちは、ほとんどが当時の映画を見ていて感動したというから、うらやましい。
その辺りも、日本とちょっと温度差はある。

ところで、フレディ・レッドは1960年まずブルーノートに吹き込む。
メンバーは彼のトリオに大スターのマクリーンのワンホーンである。
これはマクリーンの為の作品のような素晴らしい出来で、マクリーンの雄姿を拝める作品として私も愛聴している。
ジャケットも芝居の中の写真があって、これがまた雰囲気が出ていて良い。
またブルーノートのサウンドが劇的な雰囲気によくマッチしているのも功を奏した。

しかし続く。
かくてフレディ・レッドは更に61年、こちらフェルステッドに吹き込んだ。
私はこちらの方がより充実した作品かと思う。
それは多分、前作でやり残した事、切ってよいところ、変更したい事が表現出来たのであろう。
面白い事に、こちらの方が、ブルーノートで発売した方が良かったと思われるメンバーで、なぜならティナ・ブルックスなどはブルーノートのサウンドの為に生まれてきたような人だから。
演奏はブルージーで、黒人ジャズメンの苦悩などを表現したと思われる絶妙な哀愁が感じられる、素晴らしい作品である。
ハード・バッパーのティナ・ブルックスの暗い哀愁。
ハワードマギーの過去を引きずるような哀愁。
この二管の組み合わせが、とにかく絶妙。
幸か不幸か、なんにせよ、こんな作品がフェルステッド・レーベルで発売された。
故に今となっては、幻の名盤となった、というわけ。

このコネクションは更に再度、シツコイが発売される。
CECIL PAYNE(セシル・ペイン)の監督・アレンジ、 DUKE JORDANのピアノで発売され、これも好評となった。
3回も発売されたのだから、反社会的な演劇どころか、立派なメジャー作品と呼んでもおかしくない。

さて、個人的には現役時、このレコードはオリジナルで入手できなかった悔しい思い出の一枚で、開店後もなかなか入荷がないので、諦めていた作品なのである。
珍しい、珍しい、本当に珍しい作品とはこういうレコードなのだ。
こういうレコードが入荷すると、私は心が弾む。
ブルーノート版と併せて持っていたくなる、ジャズ大名盤である。
聴きこんで行ったマニアにだけしか分からない佳い作品である。

おもちゃ
2013/11/17

テレビで「玩具」を取材していたので思い出した。

「おもちゃ」とは
wikiを見ると、「手に持って遊ぶ」行為である「もて(もち)あそぶもの」で、それが接頭語と省略で生まれた言葉だとなっている。
この説明じゃよくわからん。

私が以前、何かの本で読んだのは確か...
「もてあそびもの」。
上流階級なので、これに「お」を付けた。「おもてあそびもの」と。
すると長く言いにくいので訛って、「おもちゃすびもの」になった。これが原型だと。
やがて、これもまた言いにくくなり、よくある事で下の部分を端折って、「すびもの」が省略された。
今に通ずる、「おもちゃ」となった。
確か、こんな感じだったはずだが。

本当だったかな。
だけど、別に面白い話でもなかった。

路地
2013/11/16

若い頃はよく山へ行った。
いつも山道を歩いている時、もしこのまま道を外れて歩いて行くと一体どういう場所に出るのだろうかと思った。
熊、鹿など獣に遭遇するか、また行き倒れてそのまま死ぬのかと。
考えると楽しそうでワクワクした。

都会にいるとその代わりと言っては何だが、それは路地という事になる。
いったいその奥はどうなっているのか、道が鉤になっているだろうか、突き当りになるのだろうか、どういう場所に行きつくのかと私の心は弾む。
ひょっとして途中で大きな犬が飛び掛かって来るのか、猫が塀の上で寝て居るのか、はたまた怖い隠居が出て来て怒鳴られるのか、それとも洗濯物をパンパンと音を立て広げて干している綺麗な若奥様が会釈をしてくれるのか?
オイオイ、今はそんな綺麗な若奥様が居るはずはない。
妄想は止めて。

昔、遠くへ行きたい、という番組があって、いつも通っている道でも、知らない角を曲がったらそれは旅、というようなナレーションだったが、角を曲がっただけでは駄目で、なぜなら広い道はや先が見えるような道は風情が違うし、先が見えたら何にもならない。
先が見えないからこそ旅で、冒険。
そういう意味では路地は神秘的で良いなあ。
路地の突き当りが、東京の本質なのかもしれない。

いづれにせよ、東京における生活の場という意味に於いて、路地と言う場所は、実に魅力的である。
路地こそ東京。
侘しい話になってしまった。


枯葉と猫 伴に走るや 路地の先
裏通り 路地へと積る 枯葉かな

台湾
2013/11/15

そういえば、最近、特に東北地震の後からなのだが、「台湾」という呼称がテレビに出て来るようになった。
今までは、台湾の事などまず出て来る事などなかった。
それまでは、奴隷のように中国にへりくだったマスコミは、台湾を無視して来たのだが、これなどネットの世論のお蔭かもしれない。
多くの義捐金を送ってくれたりした事への、人々の自然な気持ちの流れだったのだろうと思う。
隣人台湾の人気が上がったのは良かった。

私も旅行会社にいたのだが、中国の旅行を取り扱うために、本当に下らない事なのだが横暴な中国の言うがままに、日本航空はじめ、それに旅行各社も追随し、台湾を切った。
ウチは台湾旅行などしませんと。
あれほどドル箱だったのに。
バサッと切ったのだ。
そう言えば、小さな台湾の国旗の写真が、会社のカレンダーに載ったからと、朝日新聞にでかでかと叩かれた事もあった。
まず騒ぎ始めたのが、社内の中国旅行部署だったが、きっと彼等も無意識の工作員だったのだ。
中国べったりの行動に、すっかり朝日などが嫌いになった。
ついでに左翼思想も冷めた一つのきっかけになった。

それと比べ、以前は朝鮮民主主義人民共和国とくどいように必ず言っていたのが、拉致事件から、あっさり北朝鮮と言うようになった。
私の若い頃は、北朝鮮などというと注意されたものだ。正式な国名を言えと。
ソ連はそのままだったし、東ドイツなどもそのまま言っていたから、何だかヘンだった。
それが、拉致事件が明らかになるやあっという間に、あの朝日のTVが、北朝鮮と言う時の女性のアナウンサーに軽蔑の表情が浮かぶのだが「お前、そこまでひっくり返って良いのか」と突っ込みを入れたくなるほどの、手の平の返しよう。
あれほどに、庇い続けたのが嘘のよう。
それがまた私には不思議で仕方が無い。

結局、あのマスコミと言うのは思想などという物は一つも無くて、その時、その時に社会に受けそうな姿勢に持って行くだけの事なのかと理解した。
そういえば、あそこは大東亜戦争の時の、大本営発表を最も誇張して伝え、もっとも戦意高揚に貢献したらしいが、戦後はいち早く、反戦・反日に走った事は間違いない。
純情な私など、ころっと騙されていたから。

あんまり台湾いじめを続けていると、その内に友達が誰も居なくなる。
他人の国境にちょっかいを出す国が、友達であるはずが無い事を、今頃理解した人もいるようだ。
いやいや、国会議員の中には、まだ友達だと勘違いしている人もいるそうだ。
というより、反社会的な世界と同じで抜けたくても尻尾を掴まれ、もはや抜け出すことが出来ないのだろう。
自分を見失わないようにしっかりしないとな。

ステレオ放送
2013/11/14

今日のお客様の話は実に興味深かった。
その話とは、少年時代に従弟といっしょにステレオ放送を聴いた事。
「1955年頃、近くに住んでいた従弟から、ラジオを持ってウチに来い」という話があった。
ラジオを持って行くと、NHKのラジオ放送でステレオという放送があるらしいと。
それで、ラジオが二つ必要だと説明されたのだそうだ。
子供時代にそういう情報を得て、聴いて見たいと思う所が素晴らしい。

さて、当時の再現を...。
1952年から試験は始まっていたのだが、54年からは定期的に放送が始まった。
勿論AMラジオを使っての事である。
まずラジオのスイッチを入れると、放送で設定の指示がある。
その指示にしたがって、片方のラジオをNHK第一放送にして左側に設置、もう片方をNHK第二放送にして右側に置く。
やがて、音楽が流れると、それは今まで聴いた事のない、音場が広がる放送であった。
それが初めて聴いた「ステレオ」という音の出し方で、本当に驚いた。

その時の興奮は想像に難くない。
素晴しい経験であったはず。

その方が帰られた後、必死にネットで調べると。
調査の結果、58年からはなんと日本放送と文化放送が民放二波を使用し、ステレオ放送を行っていたと記録にある。当時の放送関係者の、気の入れようが伝わる話で、放送業界全体が必死になって、良い音を追及して涙ぐましい努力をしていたのかと思うと、震えるような感動を覚える。


しかし、当時の状況をそのお客様が帰られた後、暇に任せて一日考えていたのだが、こうしてつくづく思うと当時の都会と田舎の、新しい文化に接する事の出来る差は相当開きがあった。
その前に、お金の豊かさが違うのだけれど。

当時の私の田舎はラジオの電波の入りが悪く、そんな状況はまず考えられなかった。
何しろ昼間にラジオが聴けなかった。
しかし、ステレオ化の波はひたひたと音も無く訪れていて、私が中学生だった60年頃。
友人が遊びに来いというので行くと、なんとステレオがどんと置いてあって、そこでステレオたる音を聴かせてもらったのだ。
真ん中の上蓋を上げてレコードをセット、針は自動で動く。
まずSLが左から現れ、右に走り去って行く音の動き、それと音楽の広がりある音を聴かされ、「進んだ家の子は違うわい」と感心する同時に、ひどくコンプレックスを抱いた記憶がある。

多分、今こうしてレコード屋になったのは、その時の記憶が、私に働きかけているのだろう。きっと。

今日は良い日だった。

中古盤のグレーディング
2013/11/13

お客様から当店の商品、すなわちレコードの状態を表したグレーディングに付いて質問される事がある。
それで、当店のポリシーを確認しておくと。
大体三つのグレードに分けている。
N(new)
EX(excellent)
VG(very good)
の三種類となり、それぞれ − 及び + を付けて表す事になる。

これはアメリカにある、レコード・コレクターズ・ガイドのゴールドマインというガイドブックに準ずる。
その中でも、それぞれのショップやディーラーに因る所がある。
当店の場合は昔あったロサンゼルスのジャズ・オークション・ディーラーのレオン・レビットというケチ親父のオークション屋のグレーディングや、その他有名だったいくつかのオークション屋の表示が一緒で、それに馴染んでいたので、そのまま便乗にさせてもらった。

Nはニュー(New)なので、その通り新品・新品同様と言う意味であり、文句なく綺麗であり、これ以上のグレードは無い。
いや、時々あるFS。
これはファクトリー・シールという事で、開けられないので、中がどうなっているのか解らない。
内容に関して責任を取る事が出来ないと言う意味でもある。
Nに戻って、人によってはM(MINT=ミント)と称して、よりN度を強調するショップもある。
最近はネット・オークションが盛んになって、こちらの言い方が広がっているようだ。
私は、あまり装飾は好きでないのでNに留めている。
従って、Nに−を付けて、N−と言うのは、未使用ではないが綺麗な状態で傷があっても極小さなもので、傷音に出ないものという状態である。
当店ではN−と言うのは状態としては綺麗である。
従ってNに+は存在しない。
知合いのヨーロッパのディーラーでN+と付ける人がいて、この人のNは傷だらけ、N−となるともう問題外という凄さで、Nの本来の意味の「ニュー」は何処に行ったかと、私はいつも怒っている。
日本にも同様のグレーディングを付けているショップも在るようで、N−で傷だらけのレコードを売っているようで、ヒドイといつも怒っているお客様もいる。
ま、それも人それぞれ。

EX(excellent)、そのまま日本語訳すると最優秀と、相当良い状態であるはずが意外にそうでもなく、まあまあという感じである。
+を付随したEX+(またはE+と表示)というのがミソで、これこそ中古としては仕方が無いではないか、という時々、或いは継続的にチリチリと出る。
綺麗でも一つか二つ傷があってこれが深いというような状況である。
したがって、このEX+( E+)と言うのが、世界的な中古市場における、中古だからこれで良いのではないかという、みんなに取ってちょうど良い塩梅で、まあ中古だから仕方ない、とお互いにいい加減な状況とも言える。
ある意味、最も広い範囲のキズの程度を表してしまう事になりやすい。
従ってE−とは相当な傷がある事になる。
この辺りまでが当店に関した状態である。

中古レコードの世界全体ではどうなっているかと言うと。
EXの下がVGという。
VG(very good=大変よい)という意味であるが、実際はそう楽観できるものでもない。かなりランクは下だと、話の流れで理解して頂いている通りである。
但し、ショップによってはEXとVGとを同義語で使っているか、またはEXを飛ばして表示している場合があるので、注意をして購入しなければならない。
良心的な人でVG+と言うと、大変綺麗な盤であったりするので、訳が分からなくなってくる。
VG++等、+が二つ付く場合は、N−と同じケースさえある。

その下があってG(good=良い)
そのまた下が、F(fair=感じ良い)。
GもFもどちらも、私は書く必要も見いだす事が出来ない。

アメリカなどの白人の考える事はお世辞が百パーセントと言われる通り、こういう時のグレーディングもお世辞の言い方をそのまま、グレード表示にしたと思われる才能にいたく感心する。
また合理的な考え方が人々の発想を支配しているアメリカに於いて、ABCとか123等という、ごく簡単で素人にも解るようなグレーディングを使わない所が、実に面白い。
何となくマニアでないと解らないぞと、それも通でさえ、さてどっちだと考えさせる所が巧い。
ある意味詐欺と思える程の見事な言語能力。

それが、最後にやっと、否定的な表現方法が現れて、P(poor)という。
これなど針飛びも有りますという事になる。
針飛びというのは日本でよく綺麗に見えたが針飛びがありました、だからイカン等という状況ではなく、もう掛けられないほど酷いという意味、いや正しくは「掛けたらイカン」という意味、持っているだけという意味なのである。
こういう所も欧米における趣味の楽しみ方の仕組み作りが面白い。
これらの表示はジャズとロックの世界で違いがある。

さて、せめてジャズのショップだけでもグレーディングを統一出来ない物かと思っているのだが、考えて見ると今更、在庫の何千万というレコードの入力・印字・セッティングの仕事があると思っただけで頭痛がしてくる。
かと言って、某チェーン店がしゃしゃり出て、俺に合わせろと言われればカチンと来て、へそ曲がりの私など「せっかくの文化を捨てろというのか」という事で、話になるはずもない。
やっぱり駄目に決まっている。
店によって違い過ぎるのだが、だがどうしようもない。
最後に来て、自分でもどうしようもなくなった。

昼食
2013/11/12

昼は蕎麦でも食べに行こうと思って歩いて行くと、その角の手前にある日本料理屋の板さんがビルの入り口に立っていて、捕まってしまった。
「何処へ行くのよ」とにやにや。
「お昼に行こうと思ったけど、せっかくだから」という事で日本食。
断れないやね。
毎日、入口に立たれたら、気弱なオイラは断れないな。
明日も不良に待ち伏せされた高校生のように従順になってしまうのだろうか。

明日からどうしよう。
では裏道を通って。
所詮、裏道人生か。

ドーナツ
2013/11/11

昼間は通販やら何やらで、忙しかった。
ひと段落付いたので、アルバイト君にドーナツを買って来てくれと言うと、どこのドーナツ屋さんが良いですかと聞く。
そう言えば、そんなに沢山ドーナツを言っている店があるのかと、落ち着いて考えると。別に落ち着かなくてもいいが。
あるある新宿のドーナツ関連。

まず、ミスタードーナツ 靖国通りの歌舞伎町入口を通り越して区役所通りにあって、ここまで歩いて2分と半。
ニューヨーク・ドーナッツ・プラントが新宿駅西口の丸ノ内線改札口とJRの間にあって、ここまで1分と半。
スターバックスはドーナツ屋ではないが、ここまではサブナードの地下街で階段がやや長いくて疲れるものの、ここまで2分。
同様にタリーズにもドーナツが置いてあるが、ワンブロックでたったの30秒。
すっかり流行が去った南口の、フニャフニャの何とかドーナツは歩いて6分は掛かるので、問題外。

今日は、最近ちょい値下げで一個290円になった、NYドーナッツ・プラントに行ってもらった。
何も言わないと、タリーズに行ってしまうからな。

コーヒーを入れて、音楽の話をして幸せ。
ドーナツ食べて、コーヒーを飲むとこれぞアメリカという気がしてジャズにぴったり。

しかし、思えば便利なものだ。

ラフランス
2013/11/10

洋梨が好きだから、最近はよくラフランスを買う。
所が、一向に柔らかくならない。
そのうちにフカフカのまま腐ちてしまう。

確かに、購入する時に但し書きが付いている。
15日間ほど置いてくれと。
そうしないと熟さないと。
しかし、15日間という間を利用して、もっと早めに収穫しているような気がするのだ。
15日間の長いあいだの後の事は、もう知らないよと。
心に引っ掛かるんだよね。

せめて、店側で10ー12日間くらいは寝かしてくれても良いのではないか、と私は思うのである。
買う人の責任で15日間は長すぎないか。
この辺りは、店にも考える余地はあると思うが、いかがであろうか。
特に3個でいくらというやすい洋梨はダメだ。

しかし、温和なおじさんもしまいには怒るで。


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