HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ヴァイナル・ファミリー
2013/11/26

昨日、ひょっこりDion Tucker(ディオン)さんが来店。
愛想のある顔が印象的だ。
かれはニューヨーク在住でトロンボーンをやっている。
時々、今も継続しているデューク・エリントン・オーケストラでトロンボーンを担当していて、昨日はブルーノート東京で、今日はコットンクラブに出演、どこかの音楽学校を訪問して、明日は札幌で、そのままニューヨークに帰ると言っていた。
彼は日本に来ると店に寄ってくれてレコードを試聴したり、音楽の事をしゃべったり、気に入ったレコードを買って帰る。

店にあったBENNY POWELL(ベニー・パウエル)のトロンボーンのアルバムを見つけ出し、これが私のジャズの先生だという。
それならば、と試聴すると大喜びで、所々でイエイとかヤーとか声を入れる。
ビッグバンドのアレンジャーに、トロンボーン出身者が多いと話していた。
面白い指摘だ。

その内に、「前回来た時、にこの店に入った瞬間に掛かっていた、スライド・ハンプトンのUMEA BIG BAND(ユメア・ビッグバンド)が忘れられない」と、あれから見た事も無いと言う。
あの時は、ちょっと彼の思った価格と合わなかったらしく、買わなかったのだ。
それならば、私が一枚持っているからそれでいいなら、という事でそれを渡すことになり、ピックアップするために今日もう一度来店したのだ。
友人を連れて来て、友人も一枚買って帰っていった。

帰りがけ、友人に「ここはレコード・ファミリー、いやヴァイナル・ファミリーなんだよ」と笑っていた。
そう言って頂くと、私も嬉しい。

瞳孔がひらく
2013/11/25

昔渋谷の会社にいた頃、昼食の帰りにヤマハに寄ってちょっとレコードを見た。
その時、付いて来た先輩と同僚が、「お前な、仕事の時にあんな顔をしたことがないぞ、真剣そのもので顔つきが変わっていたぞ」。
それを聞いて本末転倒で大いに恥じた。だが、その後レコード屋になったから、元に戻ったのだろう。

レコード屋が本業になったので、趣味が車だけになった。
ハンドルを持った瞬間に顔が変わると人に言われて、これはイカンと思うようになった。
ハンドルを持った瞬間にアドレナリンが分泌されてしまうのだ。
でも流石に年齢からここ数年は大人しくなった。

高校で野球をやっていた知人は、頼まれてグランドに立つと、目がかっと見開いて顔が変わると仲間が言っていた。本当の居場所はグランドだと、本人も言っていたから間違いないだろう。

ジャズの世界では、ホレス・シルバーがいつもにこにこしているが、鍵盤に向かった瞬間たちまち悪魔の形相に変わると何かの本で読んだ。
アート・ブレイキーの演奏中の表情を見ていて写真を撮ろうとして、変わってしまった形相に気持ちが悪くなった人もいるらしい。

真剣になるという事は、瞳孔が開き、本質がさらけ出される。
実に見苦しいかもしれない。
だけど人間そういう瞬間、自分の全パワーが噴き出る瞬間、または噴き出なくてはならない瞬間が無いようでは、人生を全うしているといえない。
遊びでも命がけの時がないと。
命がけとはちょっと大袈裟になってしまう、夢中になれる真剣さが欲しいという意味。
そういう仕事の仕方なり、もし仕事が不可能ならサイドビジネスなり趣味なり、瞳孔が開く、一生懸命にならないといけない事を持たないといけない。
と最近、思う今日この頃・

ケネディ暗殺、三島由紀夫
2013/11/24

金曜日に来た知り合いが「JF.ケネディの子供がアメリカ大使として来日したけど、22日はJ.F.ケネディが暗殺された日」だねと電車の隣り合わせた人が話していたと。

そう言えば、あれは私が高校生になっていた頃で、ニュースで見た。
もう一度言うと、私はニュースでしか見ていない。
その後社会人になってから、会社で仕事中に例の無駄話の最中に、その話に及んだ時、一人の後輩が「あれは日米間で初めてテレビ中継が行われた時の輝かしい画面の中の、驚くべき事件だったのですよ。私は朝早く起きて中継があると言うので、親と一緒に見ました」という人がいて、そんな事があったのかと初めて知ったと同時に、世の中には子供に、価値ある技術の進歩を子供に見せて上げようとしている立派な親が居るものだと、両方とも感心した記憶がある。
その後の暗殺計画・陰謀説なるものは、色々本を読んだ。
一生けん命に読んだ、それは、ひとえに私のへそ曲がりの性格による。

ところで、その知合いの話は、そこではなくて「私はね、そんな事より25日の三島由紀夫の自殺の方が印象的でしたけど」等といきなりヤバイ話。
話によると「その日は給料日だった。早く頂かないといけないので、急いで昼に合わせて会社に帰った。帰って来たところに、ちょうど外出から戻った営業の人が騒いでいたから忘れないという」という話。
注釈を付けると昔は、給料は現金手渡し。大体昼ごろ貰えるので、その日は仕事どころでは無く気もそぞろ。

一方、私はその日、赤坂にある会社にいて昼食から楊枝をくわえてのんびり帰って来た。
営業の人が帰って来るなり、市ヶ谷で大騒ぎになっていると言う。
中には市ヶ谷で降りてきたという人もいる。
まず自衛隊でクーデターがあったとか、三島由紀夫が立てこもったとか、自殺だとか、無理心中だとか支離滅裂。
だが、社員の帰社する時間がたつにつれ、徐々に新しい情報がもたらされた。
それによると三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊本部に立てこもってクーデターが失敗、私兵の部下と割腹自殺を遂げたとなった。
確か号外が出て駅に貰いに行った。
びっくりした。
三島由紀夫がこれほど男らしい人だったのかと思った事に加え、こんな恐ろしい事をした人なのだという思いが交錯した。
今時、昭和の戦後になって、切腹などする人がいたかという感動も入り混じって、片やとても気持ちが悪かった。
あれは私が新入社員の時の事だから昭和45年か?

近いから見に行こうか、などという話をしながら帰ったが、結局行かなかった記憶がある。
今思えば、行けばよかったのに。

イチゴの猫
2013/11/23

帰りに安売りのスーパーでイチゴを買った。

食べようとすると、尻尾が付いて居るイチゴがある。
それと一緒にハートの形をしたイチゴもあった。

二つのイチゴを並べて、あちこちから眺めていたら、猫の後姿に見えた。

可愛くねぇー?

昨日の続きで..
2013/11/22

リストラによる人減らし政策は、今も多くの企業で日常的に行われている。
依然不景気の世の中企業も生き残りに必至で、人件費と家賃が無ければ会社はやって行ける、私も支払日にはそう思っている。

だが私もリストラがあった時、会社を辞めたので、辞めた側の経験はある。
実際、いざ辞めるとなると勤務が長いだけに後悔の念が湧いて辛い。
過去の実績と培った人間関係、仕事への愛着、家族の反応や世間体、自分は落ちこぼれかという辛さ。
様々な思いが交差し、そこに勤務数十年という長さが今度は仇になる。
当時、去る人と残る人とで飲みながら、「行くも地獄、残るも地獄」と笑い合ったが、それこそが本音であった。

辞めたとて幸せが転がっている訳では無く、残ったとてどうせ日本の企業、陰湿ないじめが待っていると皆分かっていた。
いづこも同じ秋の夕暮とはよくいったもので、人生の秋になって、なぜこんな不幸な目に合わなければならないと、呪ったとて自分を救えるのは自分だけ。
そう考えて新天地に向かうしかないと思った。

最近、リストラ話が知り合いのブログなどの書込みに頻繁に出て来る。
「サラリーマンしか才能がないので、私は残る事にしました。」
「賛成です、私もそうします。」
というネットの会話が多い。
しかし、私はいつも思う、企業のリストラと男女の恋愛とは全く同じ。
彼女に「別れてくれ」と言われてしがみ付くか?
さっさと次を探すものだろう。
嫌われてもそこにいる神経が私には理解できない。
お互いに不幸で、悪いけれどそこに「いじめ」が起きるのは自然の成り行き。
それよりも、自分の才能を再評価して新天地を目指したい。

いつも言うが、「自分の才能を、お金に換える努力をあなたはしていますか?」
自分しかできない、自分の仕事なのだ。
それが自由な社会に生きる人の、やらなければならない事なのだ。


そうは言ったものの、思えば辛いもので、皆がみんな、辞めてハッピーというわけでもない。
残ってこその人生もある事は私も承知している。
ただ、気持ちだけでも辞めたつもりで、気持ちを新たにして新人と同じに、再出発のつもりで、一から頑張って頂きたい。

行くも地獄、残るも地獄、人生は辛い。
辛い心に、こんな歌を

http://www.youtube.com/watch?v=fww8k6bj5O4

http://www.youtube.com/watch?v=7FHVJN3xDUE

転職
2013/11/21

今日来られたお客様が、転職したと言っていた。
会社のリストラがあったのだが、それを機に会社を移ったという事だった。
この転職難の時期に良く成功したと感心してしまった。

ちょうど同じ時期に、大学生の息子さんが3年で中退し、やりたい事があったからと自衛隊に入った。
あっさりと人生を切り替えた後姿を見て、感ずる所があった。
親の後ろ姿ならぬ、子の後姿。
それを見て「ならば自分も」という思いが湧き、前向きになった。
踏ん切りが付いて、転職先を探したそうだ。

彼が帰り際に、「動いた」からこそ今がある。
動かなかったら、転職先もなかったと。
「動いたから」。
久しぶりに聞いた、いい言葉であった。

本当に素晴しくて、感動して、最近吸ってないタバコを喫煙コーナーで一緒に吸った。

http://www.youtube.com/watch?v=95QoDc_obN8

ジャズ喫茶で
2013/11/20

昨日のジャズ喫茶続き。
ジャズ喫茶に通っていて、そこで聴いたジャズが僕のジャズ知識の勉強になったかと言うと、全くそんな事がなかった。なにしろ、私の姿勢が為っていない。
ただ通っていただけで、あの時の事を、今になってしみじみ思うと、あれは雰囲気とか、女の子を連れているとか、そういう事だけで十分だったのだ。
そこでコーヒーを飲む事、苦がったとか、何時間もいたとか、漫画をよんだとか、紀伊国屋で買った小説を一冊読んでしまったとか、むしろBGMとしてあったのだ。
もちろんBGMにしてはもう少し重いし、聴いてはいたが、学習するほどにはなっていなかったのだ。

だから無駄というのではなく、
大いに基礎になった。

しかし、学習となると、身銭を切るという事に尽きる。
自分で投資しないで身に付く学習など無い。
仕事でやっていれば、また別の意味はあるのであろうが、いづれにせよ「金」無くして真剣になろうか。
いや、なるはずもない。
人という物はそういうことである。

ただ、その時に先達なり師匠なりは必要である。
しかし、師匠は選ばないと。
誰かの本に、師匠を探すのに練習の2倍掛けても惜しくないと言うのがあった。
良い師匠でも、自分と合わないとどうしようもない。
なんの道も、ジャズの道も演奏はもちろん、鑑賞もそういう事だろうと思う。
道は遠いのだ。
私もまだまだ。

ジャズ喫茶
2013/11/19

よく来られるお客様で、高校生の頃、すでにジャズ喫茶に出入りしていた、という話を聞く。
昔は高校生の喫茶店の出入りは禁止されていたから、今となっては武勇伝である。
ジャズ好きなのだから、うらやましいと言うか、くやしいというか、乾杯したくなるような複雑な思いである。

高校生の頃、私の通学は機関車D51に牽引された汽車だった。
煙が出る、トンネルに入ると煙が車内に入って来てしまうあれ。
それで、帰りの汽車の時間が4時頃。帰宅部と呼ばれる。
次の汽車は6時過ぎ、クラブ活動の生徒である。
その次は8時半過ぎだった。学校指定の運動部の優秀生徒か、それとも遊んでいる生徒。
その後は最終が一本、これに乗るのは不良と呼ばれる。
それしか走っていなかった。
田舎は良い。 生徒をはっきり分類出来て先生も楽だ。

それで駅のホームに上がると、ちょうど上手い具合に立ち蕎麦があった。
小銭がちょっとあったり、お腹が空いていたりすると、そばを食べた。
一年生はそんな大人びた事が出来ないが、2年からは、大人に交じって蕎麦を食ったりするのが、ちょっと大人っぽくて嬉しかった。
これが当時、もっとも美味しい蕎麦だった。
今になって思えば、なぜかホームの立ち食いが一番だった。
安い・早いが一番で、それしか知らなかったのだ。
情けない、立ち食い蕎麦が武勇伝だもの。

そう思うと、昔の高校生は可愛かった。
喫茶店にも入った事が無かった。
偶に隠れてタバコを吸うくらい。
その反動で、高校を卒業した後はジャズ喫茶に入り浸り。
反動はこわい。

HOWRD McGHEE “MUSIC FROM THE CONNECTION” FELSTED
2013/11/18

HOWRD McGHEE-FREDDIE REDD "MUSIC FROM THE CONNECTION" FELSTED FL7512 (USA)
(註)ジャケも盤も米国製

非常に珍しく、当時及び当時のジャズメンの生態を伝える力作である。
この黄土色の地味な色のジャケットのこの作品こそ、ジャズ・レコード界に燦然と輝く作品である。
作曲はFREDDIE REDD(フレディ・レッド)、メンバーはHOWARD McGHEE(ハワード・マギー)、TINA BROOKS(ティナ・ブルックス)、I.CHING(アイ・チング)=FREDDIE REDD本人、MILT HINTON(ミルト・ヒントン)、OSIE JOHNSON(オーシィ・ジョンソン)の5人である。
なぜ、ピアノを弾く時だけ本人の名前を使用しなかったのか解らないが、きっと他社との契約の関係であったのだろう。良くある事なのでここはサラっと。

この作品は芝居の為の音楽で、FREDDIE REDDが音楽監督として作曲・演奏を任された。
たしか、JACKIE McLEAN(マクリーン)の話によると、マクリーンなど多くのジャズミュージシャンは、作者の要請により劇に出演した。
最初はなぜ出されるのかという疑問もあったが、苦しんでいる自分にも心当たりがあるから、という気持ちでもあった。
当初は台詞がありしどろもどろだったりしたが、馴れるに従って次第に巧くなった。
臨場感を出すために、なるべくクスリの取引に関する隠語など使用しようとしたが台本には限界があった。
しかし、何しろクスリをやっている当事者たちが出演しているわけで、台本以外の隠語がポンポン飛び出す様になり、ジャズメンが役者に教えることも出て来た。観客にはそういう受け答えやアドリブの雰囲気が大いに受けた。
最初の悪評をはねつけロングランの上演となった。
最後の方はアドリブが多くなり、特にジャズにおいては実際の彼等の練習風景の演奏があったりして、ジャズ好きに非常に好評だった。
出演はジャズメンの都合で出演者は常に変更があり、それにより却って演奏や話の流れが面白くなった。
会社や作者はそれに気をよくし、ロンドンでも上演と言う話になり、実際ロンドンに出かけたが、こちらはクソ真面目なロンドン市民の芸術趣味に合わず、なんという下品で犯罪者的な芝居かという事で悪評になってしまい、評論家にも叩かれ、早々に敗退したと。
ニューヨークであればこその作品だったという事だ。
ニューヨークの文化の懐の広さと、市民といえ犯罪何するものぞ、という気概に驚くばかりである。
その後、芝居が成功すれば、もちろん映画にもなった。
私の知合いのヨーロッパのお爺さんたちは、ほとんどが当時の映画を見ていて感動したというから、うらやましい。
その辺りも、日本とちょっと温度差はある。

ところで、フレディ・レッドは1960年まずブルーノートに吹き込む。
メンバーは彼のトリオに大スターのマクリーンのワンホーンである。
これはマクリーンの為の作品のような素晴らしい出来で、マクリーンの雄姿を拝める作品として私も愛聴している。
ジャケットも芝居の中の写真があって、これがまた雰囲気が出ていて良い。
またブルーノートのサウンドが劇的な雰囲気によくマッチしているのも功を奏した。

しかし続く。
かくてフレディ・レッドは更に61年、こちらフェルステッドに吹き込んだ。
私はこちらの方がより充実した作品かと思う。
それは多分、前作でやり残した事、切ってよいところ、変更したい事が表現出来たのであろう。
面白い事に、こちらの方が、ブルーノートで発売した方が良かったと思われるメンバーで、なぜならティナ・ブルックスなどはブルーノートのサウンドの為に生まれてきたような人だから。
演奏はブルージーで、黒人ジャズメンの苦悩などを表現したと思われる絶妙な哀愁が感じられる、素晴らしい作品である。
ハード・バッパーのティナ・ブルックスの暗い哀愁。
ハワードマギーの過去を引きずるような哀愁。
この二管の組み合わせが、とにかく絶妙。
幸か不幸か、なんにせよ、こんな作品がフェルステッド・レーベルで発売された。
故に今となっては、幻の名盤となった、というわけ。

このコネクションは更に再度、シツコイが発売される。
CECIL PAYNE(セシル・ペイン)の監督・アレンジ、 DUKE JORDANのピアノで発売され、これも好評となった。
3回も発売されたのだから、反社会的な演劇どころか、立派なメジャー作品と呼んでもおかしくない。

さて、個人的には現役時、このレコードはオリジナルで入手できなかった悔しい思い出の一枚で、開店後もなかなか入荷がないので、諦めていた作品なのである。
珍しい、珍しい、本当に珍しい作品とはこういうレコードなのだ。
こういうレコードが入荷すると、私は心が弾む。
ブルーノート版と併せて持っていたくなる、ジャズ大名盤である。
聴きこんで行ったマニアにだけしか分からない佳い作品である。

おもちゃ
2013/11/17

テレビで「玩具」を取材していたので思い出した。

「おもちゃ」とは
wikiを見ると、「手に持って遊ぶ」行為である「もて(もち)あそぶもの」で、それが接頭語と省略で生まれた言葉だとなっている。
この説明じゃよくわからん。

私が以前、何かの本で読んだのは確か...
「もてあそびもの」。
上流階級なので、これに「お」を付けた。「おもてあそびもの」と。
すると長く言いにくいので訛って、「おもちゃすびもの」になった。これが原型だと。
やがて、これもまた言いにくくなり、よくある事で下の部分を端折って、「すびもの」が省略された。
今に通ずる、「おもちゃ」となった。
確か、こんな感じだったはずだが。

本当だったかな。
だけど、別に面白い話でもなかった。

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