| BARNEY WILEN “BARNEY” | - 2014/05/08
- BARNEY WILEN “BARNEY” RCA 430.053 (FRANCE)
入荷! レコード屋の親父としては、売れなくてもいいから、店に置いておきたいアルバム。 私がいつも言う所の、ヨーロッパを代表する高音質・高音楽盤の二枚、例のイタリアの「NIGHT IN FONORAMA」と、もう一枚はこの「BARNEY」にトドメを刺す。 故に、高音質に付き物の色々と問題を抱えた盤質も出て来るのだが、何があろうと、ヨーロッパ・トップクラスの出来と、メンバーと、音質と、レア度になろうか。
彼バルネは、当時フランスの50年代を背負って立つ、テナー・プレイヤーになりつつあった。 56年にジョン・ルイスとサッシャ・ディステル共演のアルバム「AFTERNOON IN PARIS」に参加し、新人ながら、二人を食ってしまう活躍を見せた。 地の底から浮かび上がるように割って入ってくる、彼のテナー・サウンドを聴いて感心した人がいるはずに違いない。 思わなければ、今一度聴かれたい。 57年には弱小レーベルだが「GUILDE DU JAZZ」において、リーダー作を作った。 つづいて同じ57年には「TILT」を。 20才と思えぬ出来である。 そして、50年代終わりに向かって、彼にとって運命的かつ能力を世界に知らしめる出来事があった。 マイルスが単身フランスにやってきて、ルイ・マルの映画「死刑台のエレベーター」の音楽の仕事を受けたのである。 私の、フランスの知人の話によると。 「マイルスはスタジオにやってきた。打ち合わせが始まり、メンバーの話になった時、誰かテナーは居ないかといった。 先方が、ちょうど今、一人スタジオに遊びに来ているのだが、ちょっと聴いてみますか? マイルスにしては新人なので、ちょっと吹いてくれと言われて、バルネはさらっと吹いて見せた。 バルネは言葉を待った。だが、マイルスは音楽について一言も言わなかった。 ただ一言、明日から付いて来れるか?と。 バルネはイエスと言った。」と。
こうして、マイルスに付き合って演奏し、一緒に歩き、オランダなどにも同行して演奏の記録を残した。 それが彼の自信になったと思う、フランスでも人気の、マイルス楽団の一員として、立派な相棒になったのだ。 アメリカのジャズメンに注目を浴びたのか、58年には、ミルト・ジャクソンとの共演し「JAZZ SUR SEIRE」を吹き込んだ。日本ではあまり騒がれる事がないが、実は大傑作である。
そして、ついて59年4月、ケニー・ドーハムらが来仏し、このアルバムの録音となる。 ヨーロッパいや、ジャズの世界屈指のアルバムの誕生の瞬間である。 当アルバムが発売され、モダン・ジャズの輝かしい50年代は幕を閉じる。
さて、ジャケット写真を見よう。 37年生まれの、20才そこそこの天才の彼は写真の中で紫の暗闇の中に浮かぶ。 右側には漏れた光か、はたまた彼のオーラか、陶器の釉薬が白くなって現れたかのような幻想が感じられる。 上着を掴み肩に掛けて、無造作な様子を装っている。 しかし、メガネをかけた神経質そうな様子で、何よりもまだ、あどけなさが残る。 しかし、良く見れば若くあろうが、彼の顔からは冷静沈着な性格もまた見て取れるのだ。 さすが、これから世界に残るアルバムを作ろうとしている若者の凛々しい立ち姿である。 惚れ惚れする、良いジャケット写真である。
薄く柔らから髪質のジャケットを丁寧にひっくり返し、裏面をみると、DUKE JORDANとKENNY DORHAMのアメリカの大物の前で、やや痩せてはいるが、堂々と吹いている彼の立ち姿がある。 ドラムはフランスを背負って立つDANIEL HUMAIR,。 文句の無いメンバーである。
曲は「Besamo Mucho」「Jordu」など、スタンダードで親しみ易い曲でありながら、演奏はバリッとして見事。 サウンドはガツンと脳天に響く。 昔のスイングジャーナルに確か「LadyBird」が最高で、その理由がピアノのプレイが見事だからというものだった記憶がある。もちろん、その通りであるが、それにも増して、バルネが素晴らしい事の方が重要なのに、とその「KY」さに、私はムカッと来た記憶がある。 ここはピアノを褒める場面ではない。 バルネは何度聴いても飽きることがない。 彼のサックスは刺激的かつ柔軟さを持ったサウンドで、出てくるメロディが素晴らしく、音と音の繋がりに並々ならぬ才能を持っている事がわかる。 デューク・ジョーダンのプレイはそのバルネのプレイに刺激を受けた結果ではなかろうかと私は思うのである。 マイルスとの共演を経て、アメリカン・ジャズを見切ったであろう、そして得た物は大きく、彼の体内のジャズ脈動は大きく打ったはずでこの作品には、そういう力が現されたものである。
アメリカのハードバップは50年代にみんな良い物が出来てしまった、という人がいるが、世界的に見ても、そうなのかもしれない。 彼はこの後、フリージャズに行くが、やがて晩年に向かって4ビートに戻る。 しかし、どの時代の多くの作品を聴いても、一流である事は間違いない。
出来る男は、何をやっても出来るのである。 世の中はそういうものである。
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