HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| CANNONBALL ADDERLEY & JOHN COLTRANE “IN CHICAGO” | - 2014/06/13
- CANNONBALL ADDERLEY & JOHN COLTRANE "IN CHICAGO" MERCURY MG20449 (USA)
内容抜群のアルバム入荷。 ジャケットはキャノンボールであろう人がサックスを首に掛けたイラスト。 首は太く、身体はガッチリしている。 さぞ凄い音色のひとであろうと想像は着く。
昔はキャノンボールなど馬鹿らしくて聴けるかと言われていたのだが、オリジナル盤を入手した事をきっかけに聴いて見れば、なんという出来の良いアルバムか、なんでもまずは聴くべしと反省したのである。 このアルバムは圧倒的なハードバップかつ、非常に出来の良いアルバムである。 メンバーがキャノンボールとコルトレーンと大物が揃ったところも良い。 1959年2月、裏のライナーによると、シカゴのSUTHERLAND HOTELにマイルス・グループが出演した時の、サイドメンだけによる演奏である、と書かれている。 このホテルは幾多の有名ジャズメンが出演したホテルで、今も存続しているようだ。
さて、そのサイドメンは今となってはサイドメン等と言えない大物だが、上記二人に加わえ、ウイントン・ケリー、ポール・チェンバース、ジミー・コブで、こんな大物が出演したライブなど夢のような話である。 と思いながらレコードを聴いて見ると確か、期待に違わない出来。 リーダーはあくまでキャノンボールとなっている。
A−1はウイントン・ケリーのスピーディーなソロから引き継いで、キャノンボールがフィーチャーされた演奏で、きらびやかで流暢なアルトサックスのサウンドに親しむ。途中から引き継いだコルトレーンも負けていない。 快調に飛ばした好演奏。 A−2「アラバマに星落ちて」。これの始まりから良い。キャノンボールは闇から飛び出すかのように、フワッと浮かび上がるアルトは見事。ソフトな低音から高くスラーット伸びあがって行く所は、当代随一のアルトサックスだったことが伝わって来る。趣味の良いバラードで一番の聴き所。 A−3は、ミディアムテンポで二人の仲の良い所にもうっとりする、巧い〆方。 感心してB面に進むと、 冒頭はアップテンポで始まり、エキサイティングな快演。 B−2は、A面同様にスローバラードで、ここはコルトレーン一人のバラードをたっぷりと堪能する事になる。 コルトレーンのバラードの巧さを満喫できる。 A面もB面の、アップテンポで乗せて、バラードで口説いて、ミディアムで〆るといういつもの手段。 こうやって聴かせてもらうとファンは納得するのさ。
59年は、彼等に取って勇躍、新たな大手レーベルと契約を取り付け、大物になりつつある時期。 そんな時期の狭間に、このような作品が生まれた事は、有り難いかぎりである。 こうして聴くと、両面とも聴き応えがあり、熱気を感じさせる好演奏。 ハードバップ好きなら、是非聴いて置いて頂きたい作品である。
|
|
| どれが原盤か | - 2014/06/12
- 今日は雨で暇だったのでちょっと考えていた事。
オリジナル盤の条件論争の話。 まず、アル・ヘイグ(AL HAIG)のミント盤 例のラベルがグリーン・ミントからブラック・ミントかという話。 これはどちらか、はっきりしていないので、憶測で正しいの正しくないのと言い合っても仕方が無い。 これについてちょっと面白い、「ジャズとレコードとオーディオと」というブログ。 この方のブログは良く参考にさせていただいている。 その中で、あちこち調べて書かれている。その中ある方の理由が述べられているのでそこを拝借する。 「黒ロゴをAL HAIGの奥さんより譲り受けたのはF.COHEN氏だったと思いますが、その時にAL HAIGの奥さんは黒が先と言っていたので、黒がオリジナルだとCOHEN氏は言っていたと記憶しています。しかしAL HAIGの奥さんがラベルの事まで記憶しているとはにわかには信じ難いので、どちらにしても信憑性は薄いと思います」と。 成程と思える。 しかしと、ここでちょっとアメリカのこういう仕事をしている奥様方を舐めてはいけない。 私が会ったある奥様は、以前の旦那がレコード会社に勤務していて、その仕事ぶりを結構細かく覚えていたのである。 今になって、もっと細かく聴いておけば良かったと思えるが、今は昔の話になってしまった。モトエ。 それを日本の奥様のように旦那の事は知りません、と言える環境とは一緒に考えるべきではない。 あちらの奥様は旦那の帰りが遅いと会社まで迎えに来てしまう程なのである。 当然、仕事の事は詳しい。また契約の社会に生きる人たちを簡単に否定するのはいかがかと思われる。 それを、日本式に奥様のいう事など信用出来ないと一蹴して良いとは、私は思わない。 従って、黒と言った人が奥様という事は、それは非常に信頼性が高いと言う所からスタートするべきなのである,と考えを進めたい。 もし、信用出来ないのなら、もっと何か違う、裏の裏を読みたいと思う。 これに勝る洒落た仮説を期待したい。
もう一つ。 インペリアル盤(IMPERIAL)ソニークリス(SONNY CRISS)のゴーマン(GO MAN)。 たしか、ユニオンの店員さんの意見が広まっているようだが、最初はスタンドが無かった、二度目の時にジャケットのスポット修正を忘れてそのままになった。だからオリジナルはスタンドの無い方だと。 これも成程、そうかも知れないね。 しかし、せっかくの趣味の世界。もっとイマジネーションが感じられる仮説が立てられないかと思っていたら、ちゃんといらっしゃった、こんな方が。 あのジャケットに使っているのは、当時人気が出て来たイタリアのバイク「ベスパ」。 実はベスパの売りはイージーな取り扱いだけでなく、あのスタンドの装着にあったと。 それまでは、壁に寄りかけていたり、それこそ倒していたのだが、スタンドを付けてより人気が高まったのだとか。 それで、写真にベスパを借りてきたジャケット写真を作った。 スピード感が出るように走っている姿を強調しスタンドをスポットで消した。 しかし、その写真がメーカー側から不評で、「スタンドを付けた写真にしてくれないと特徴がでない」言われ、急きょスタンド付きのジャケット写真にしたのではないかと。 うーん、素晴しい想像力、たとえ正しくとも、そうでなくとも、それに文句をつける人はいまい。
今となっては、証拠も無ければ、証人もいない原盤論争。 したがって、深ミゾだけを証拠にしたりする勝手な決め付けだけで、結論づけて良いのか大いに疑問が残る。 今後、研究者が現れて来る事を祈る。
ただ、今更ながら思う。 大してお金があるわけでもない私が、なぜブルーノートやプレステージの高額盤を沢山持っていたかというと、それはオリジナルの条件がはっきりと伝わっていなかったので、それほど高額でなかった事による。 オリジナルがどうのこうのと大騒ぎするにしたがって、相場は当然上昇する。 昔、マニアと一部の店主だけが理解していたので、それは黙っていれば、価格に変化がなく、何となく入手する事が出来たのである。 それが自慢げに騒ぎ立てる人が現れ、知識として広まってしまえば、当然価格は倍になる。 明確になってしまえば、セカンドプレスなどブランド品にはならず、見向きもされなくなる。 安価にそれなりの高音質が楽しめるものを、もったいないことである。
そうなるとお金が無いと、高額のオリジナル盤など購入は無理だという事になる。 あまりに白黒はっきりさせることが、正しい事だったのであろうか。 マニアの世界はひっそりと、良く分からないと言いながら、その内にみんなが良いコレクションになって行くのが一番だが、そういう時代も終わったのだろうかと、忸怩たる思いが残る。
|
|
| 夏のハット | - 2014/06/11
- 今年の夏用のハット。
いくら夏物のハットと言え、いままでは数年は使う事が出来た。 しかし、一昨年、去年と暑さが半端でなく、帽子も流石に傷みが激しく一年しか持たない。 汗の出方が激しいのだろう。 汗の汚れを拭き取っても追いつかなくなって、ワンシーズンで終わり。
今年のハットが必要なので、銀座トラ屋で購入してきた。 今年も一年持つだろうか。
|
|
| 寿司屋 | - 2014/06/10
- 親戚のおばさんが、たまには青葉台の寿司屋でご馳走してくれというので、行ってきた。
そこは、田園都市線、青葉台駅近くの「福助」という寿司屋。 ウチの先代からの行きつけの店である。 どこが良いかと言うと、ご主人が水商売っぽくなく、ぺらぺら話しかけて来ない事。 (実は、こういう店は大変少ない) 味は銀座のそこそこの店に引けを取らないのに、そこそこな値段なこと。 値段に味が勝っているという事。
寿司屋と言うのは、そこの味と香り、主人と固定客がいて、その環境で出来上がった店の独特の雰囲気がある。 場所と人気(ヒトケ)、そこに味と両者の雰囲気と価格の接点があってこそ、常連客がいるのである。 一見さんが、どうのこうのと言っても、どうしようもない雰囲気がある。
新宿でも、時々行く寿司屋があるのだが、そこの主人が怪我をして2か月ほど休んだ。 すると他にもあるからと思っていた寿司屋が、味と価格と雰囲気のちょうどのぴったりの店が見つからず、私は往生したのである。東洋一の繁華街の新宿でさえ、好みの寿司屋はあるものではない。 金さえあれば、幾らでも良ければそれなりの店はある、しかし、予算に限りも有れば、味の好みもあれば、自分に合った雰囲気の良い店に出会うのは奇跡だと思う程である。
そう言う意味に於いても、この店は、本当に貴重な店で、ここがなくなったら青葉台のちょい悪親父達または、上品なご年配の親父達は行く所が無くなってしまうのである。 ウチは先代のオヤジも、味と人柄が気に入って、週に一度は来ていた。 それを引き継いで、私も行きたいと思うのだが、新宿にいてはままならない。 私の息子達にも引き継ぎたいのだが、彼等がまた、どういう事になるのか見当もつかない。
|
|
| ジェネリック | - 2014/06/09
- 青葉区役所から手紙が届いた。
開けてみると、なんだこりゃ。
要するに、 あなたは、いつ、どこの薬局でこういう薬を処方しています。 しかし、もし、ジェネリックを使用すれば、何百円の得になっていますよ。 というお知らせ。
それを見て、カチンと来てしまった。 ジェネリックの説明をネットで製薬会社のHPを見ると。 「ジェネリック医薬品(後発医薬品)とは、これまで有効性や安全性が実証されてきた新薬と同等と認められた低価格なお薬です。」 なんだい、これが説明か?
研究開発した会社の特許が切れた事を理由に、関係ない企業が作ってしまう薬である。 我々のレコードで言えば、海賊盤のようなもの。
後発の企業は情報さえ入手すれば、研究費・開発費・などスタート時に膨大な経費がないため、当然安価である。 安価であり、効果は同等とは言うものの、製造工程が全く同じとはいえず、その安全性は不明である。 オリジナルを作っていた会社は最後のちょっとしたコツまで、事細かに情報公開しているわけではない。
しかし、私が薬局で順番を待っていると、薬剤師さんが何も知らない若者や年寄りに、「ジェネリックって知っていますか?効き目は全く同じでこちらのほうが安いですよと」盛んに誘導している。 私など、横で聞いていて、思わず話に割って入って行きたい衝動に駆られる。 新宿の風俗の客引きより、ある意味タチが悪い。 そういう話を聞いていると、へそ曲がりな私は、KB(キックバック)が相当出ているんだろうなと思う。
しかし、認可に相当うるさくて、各国で認可済の薬が今だに日本の厚労省の認可が降りないものも相当ある。 それなのに、その厳格な日本の厚生省が、よくもさらっと認可したものと、不思議である。
研究もせずに、期限が来たからといとも簡単に製造に乗り出し儲けようとは、企業人の風上にもおけないヤツ、。 しかし、役所たる所が、ジェネリックを推進するとは、一体どういうことなのだろう。 おい、儲けが出るからって、いい加減にせんか!
薬剤師も薬剤師なら、役所も役所。 あなた達は信頼される仕事ではなかったのか? 本当に、この世は終わりだ。
|
|
| ノルマンディー上陸作戦 | - 2014/06/08
- ニュースで70周年記念式典があったと。
もう70年が経ったのだ。
オバマ米大統領は演説で、「70年前、自由を守るために危険を顧みずノルマンディーの海岸に上陸した米軍人らに敬意を表する。同盟国が自由の存続のために大きな犠牲を払ったのかを改めて思い出している」と。 勝った方は良いよな、綺麗事ですむから。本当は自分の利害で動いたくせに。 70年経っても同盟国と言っているのだから、我々日本やドイツは今でも敵国扱い。 オレは絶対パールハーバーの見学など行くもんかと固く決意。 その話はおいといて。
ノルマンディ上陸作戦は、私も高校生の頃、ノンフィクションで読んだ。 日本の敵国の話だという事を忘れてしまうほど、感動してしまった記憶がある。 それと、ジョン・ウェイン主演の「史上最大の作戦」という映画も上映され、何回か見た。 テレビでもやっていた。 上陸作戦であるから、上陸用舟艇という船を始めて映画で見て感動した。 映画の話が進む内に、ドイツ軍の軍服が非常にカッコ良かった事。 また負けて行くドイツ軍が可哀想だったこと。 日本と同盟国だったのにと、負ける側の哀れさがひとしお、心に沁みたのであった。
ジョン・ウェインが中佐かなんかで、これが叩上げという感じだったのだが、中佐に叩上げはいないから、そういう雰囲気だったのだ。それで上陸を今や遅しと、飛行機の格納庫かなんかで、西部劇で鍛えた、例のちょっと孤独感のある渋い顔で、ただひとり金属カップのコーヒーを飲んでいると、明日上陸の知らせがはいる。 感極まったジョン・ウェインは持ったコーヒーカップを辺りに投げ捨てる。 カラカラカンとコンクリに響いたいう音と、テーマ曲と共に、よく覚えている。
そういう上陸作戦だったのだ。 それでは分からないので、もうちょっと。 ソ連のドイツへの進行が徐々に進んだ頃合いを見たアメリカは、いよいよドイツも弱体化したとみて、遂にヨーロッパ上陸の運びとなる。 それがノルマンディ作戦で、ドイツ軍側としては、パ・ド・カレーが連合軍の目標と想定していたところ、ノルマンディ海岸に米国、英国、カナダの連合国が殺到。待ち構えていたドイツ軍との間で激しい戦闘があった。
その時のある指揮官の言葉、「まず自分を守れ、余力があるなら他人も守れ」。 現実的で素晴らしい言葉である。 嫌なアメリカにも時々、こういう凄い人がいるね。 現代の我々の実生活にも、そのまま当てはまる。 時々、何かの時に思い出している。 モトエ。
第2次大戦の大きな転機となり、その後ドイツの負け戦は加速して行き、8月にはパリ解放となったのである。 アメリカ嫌いのフランスで、アメリカの男が唯一モテた時と言われる所以である。 それから一年後の45年、ついに最強を誇ったナチス・ドイツ軍も降伏し、最高のデザイン軍服姿は見られなくなったのである。 世界史の勉強になるな。
しかし、あんなにカッコ良い制服というのは、制服史上、二度とないと思われる。 男のファッションとして上から下まで完璧だわ。 映画を見ていると、ドイツの応援してしまう。 ファッションは大事だ。 うん。一人納得はオイトイテ。
勿論スパイ合戦でそのような情報もあったのだが、ドイツ側のスパイが不利と見て寝返ってしまっていて、ドイツは孤立していたらしい。 負けて行く側は、いつも空しい。
おもえば、その時のアメリカ側の戦死者約2,000人。 日本との戦いの硫黄島では、アメリカの戦死者6,800人、日本側の戦死者20,000人。 いかに硫黄島戦が凄惨だったか。 日本は可哀想。
|
|
| 白ジャケット | - 2014/06/07
- ちょうど白ジャケが使い終わって注文しようかと思っていて、ふと開店当時を思い出してしまった。
50年代の古いレコード・アルバムは、経年変化でジャケットが壊れやすい。 それでレコード盤だけ無地のいわゆる「白ジャケット」通称「白ジャケ」と呼ばれるものに、別にして売ろうかという事になった。 ところが、当時は白ジャケを扱っている会社も知らないので、どうしようかと悩んでいた。 ちょうどお客様でディスク・ユニオンの店長の誰それと親しいから、良かったら業者を訊いてみてやるよ、という事になって、扱っている業者を有り難く、紹介していただいた。 下請けと思われる業者に連絡して、見積もりを下さいとお願いした。 その営業の、ちょっと態度が大きいなとは思っていたのだが、見積もりが届いてびっくり。 ディスク・ユニオンで、定価で売っている価格よりも、当店への卸値が高い。 それはオカシイと、担当者に電話すると、そういう価格だと言う。 「では、当店には売る気が無い訳ですよね」と聞くと。 その担当者は即座に「やっと気が付いたの、そういう事ですよ、相手にしたくないわけです」とあっさりしたもの。 「ユニオンで買えばいいじゃないですか」と。 しかし、卸値の方が、ユニオンの売値より高いとは、非常識。 小さな会社が、いかに苛められているのかという事を、まざまざと知った。 そんな会社はいつか見返してやると、決意を新たにして、負けてなるものかとやってきた。
私が以前いた会社は一部上場企業で、社会的には何不自由なく過ごしてきたのだが、独立してみるとクレジットカードは作れないわ、現金を300万持って行っても銀行の口座すら作ってくれないわ、弱いものというのかどうか知らないが、個人の力のいかに弱いかと言う事を、50歳になってやっと知ったのであった。
あれから15年 最近は従業員も売り上げはもっと少なくて良いと同業者が言っていると言われ、本当にその気になっているらしく、店はますます小さくなりそう。 会社の外も敵なら、中も敵。
|
|
| 秋吉敏子「黄色い長い道」 | - 2014/06/06
- 最近、お金も乏しくなってきたので、私は心を入れ替えて、仕事中のコーヒーはインスタントにしている。
最初は頂き物を探して飲んでいたのだが、それも尽きてス−パーに行き安いのを購入。 それが安いのはあまり美味しくない、それで捨てるのももったいないので一生懸命に飲み終わり、次はデパートでネスカフェのを購入。 価格は結構なお値段だが、さすがに飲める。 ちょいとお湯を沸かして入れれば、熱くて苦くて甘いコーヒーに舌鼓(したづつみ)、有り難いことである。
ところで、インスタント・コーヒーとは、第2次世界大戦の前線にいる兵隊さんたちに、ぜひコーヒーをという市民の意見を取り入れ開発したもので、それを戦後ネスカフェが商品化したものである。 当事者のアメリカの前線の兵隊さんではなく、戦敗国の日本人が有り難がって飲んでいた。 今更だが、何だか、やや空しい。
と書いていて、ちょっと知り合いのブログを読んでいたら、ソノシートを購入したという話がのっていた。 それは絵葉書のレコード(ソノシート)だったようだ。
絵葉書レコードは、ヨーロッパに沢山あって、買付の時に色々見た。 しかし、本当の音楽というより所詮葉書という範疇か。 因みに、同様のレコードは旧共産圏にあって、骸骨レコードというのが見つかっていた。 当時の共産圏の若者や音楽家が、音楽を聴きたいのだが、物不足でレコードが入手できない。 それでX線のネガに目を付けて病院から持ちだして、自分達でカッティングしたもので、そのまま骨の写真の柄で面白いものであった。 時にはとんでもない人の若い時の演奏が聴けたらしい。 それでその、ソノシート、開発は同じく戦時中にまで遡るらしい。 戦時中、アメリカは最前線の兵隊さんにも不自由が無いように心をつくしていた。 ま、食べ物も無く死んで行く日本兵と、音楽やコーヒーの心配もしてもらえる兵隊さんとはエライちがいである。 勝てるはずが無いわな。その愚痴はやめて。 それで、上空から前線にパラシュートで物資と一緒にレコードを落下すると、SPだから割れてしまう。 それでビニール・レコードの開発も進んでいた事もあったが、それでも重量があって輸送に問題はある。 それで、軽量化という意味があってソノシートの薄さを開発したらしい。 前線にはあらかじめ「台紙」を持って行かせる事にして、音質の問題もクリアし、かなりの実用化に近づいた。 所が、戦争が終わって一応開発も止まってしまった。 それを日本においては、朝日が目を付けて商品化。それで朝日ソノラマ。 社会が貧しい間は、音楽に飢えた人々の助けになったのである。 これも、兵隊さんではなく、戦敗国の我々が有り難がっていたのは、やっぱり皮肉なものだった。 インスタント・コーヒーと同じなのである。
私など、高校生の時に、インスタント・コーヒーでもコーヒーはコーヒーだと、モダンな感じがしてうれしかったし、壊れかかったポータブル・プレイヤーでソノシートを聴いて、それでも青春だった。 そうそう、一枚だけあったジャズの作品は、アートブレイキーのブルース・マーチで、毎日何度も聴いた。
そんな時に、ソノシートで秋吉敏子の「黄色い長い道」なんかが売り出されていたのだな。 この一行で終わりか、今日は。
|
|
| コルトレーンのギャラ | - 2014/06/05
- JOHN COLTRANE “STARDUST”の所で、書こうと思っていて、資料があったはずだと探しても、どうしても見つからなかったので書けなかった。
それがお客様と試聴していた「アフリカ・ブラス」のレコードの中のライナーからひょこりと出て来た。本だとばかり思っていたら、ライナーの中だったとは。 改めて書いておこう。 忘れない内に。
1961年4月、コルトレーンはインパルス・レーベルと契約した。 当時5万ドルであった。 それも3年間で。 この金額はマイルスがコロンビアとの契約金に次ぐ2番目のものだった。 コルトレーンは、その前のATLANTICとは59〜61年の3年間であったが、最後の契約の履行がまだ残っていたので、契約最終日、そう最後の一日を使って、「OLE」を録音したのである。 アトランティック時代にはあの「GIANT STEPS」を作り一躍スターに上り詰めたのだが、その時のマッコイ・タイナー等とのクインテットは、一回のステージが3,000ドル、年間6万ドルの収入になっていた。という。
1960年は彼にとって最高の年であったが、しかし、そこに留まる事なく、次のステップを目指して、61年のインパルスという事になる。 まさに衝撃のIMPULSEレーベルなのであった。
今の金額にするには10倍すれば良いであろう。 ただし、当時の換算レートでは1ドル360円なのである。 新人としては、恐るべき評価である。
|
|
| 猫が | - 2014/06/04
- 昨日の朝だったか、夜だったか、もう忘れてしまった。
兎に角、狭い道を走っていた。 新宿だから道は狭いやね。
それで、走りながらふと見ると黒い猫が轢かれたらしく、道の際で死んでいた。 その道は一方通行で停車する場所も無く、バックミラーに後続車も数台見えたので、そのまま助ける事もしないで、通り過ぎてしまった。 悔やむなあ。 だけど、軍手も新聞紙も袋も積んでいなかったし、ちょっと無理だった。 これからは、そういう物を積んでおこう。
一日一善が途絶えてしまった。 残念。
|
|
  
|