HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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コーナー型スピーカー
2014/08/30

オーディオ仲間の家で、ちょうどヨーロッパのジャズを掛けていた時、友人が「やっぱりアメリカのカートリッジでは明るさが出てしまって、風情がなくなるね」と言って、ヨーロッパのカートリッジに取り換えた。
すると、すっとヨーロッパの哀愁が表現されて、二人でこれほどにスッと変わるのかね、と驚いた。
機械一つで音はガラッと変わる。

かく言う私も、スピーカーを替えてからは、ボーカルが良く鳴る様になり、歌の風情が感じられるようになったので、ボーカルばかり聴いている。
また、同時にピアノなどのきめ細かいニュアンスも出るようになり、毎日、新しい発見がある。
言ってみれば音楽家のしゃべりはしないが言葉の端々というのか、ジャズだからサウンドの端々に、ああ、そうだったのかと思える事が沢山出て来て、一人で感心している。
ベースのドーンという一音にもそうかと頷く事があり、リー・ワイリーの声の素敵なニュアンスさがようやく分かったり、ビリー・ホリデーのコロンビアの最後の方の録音で、この人はなんという良い声の持ち主だったのかと、跪きたい気持ちになる時さえある。
音楽家が演奏で言いたかったのは、こういうだったのかと、いちいち心に響く。
カートリッジひとつ、スピーカーひとつで、装置による音楽の表現の違いは恐ろしいほど変わるのである。

それで、その時、試聴に使用したスピーカーは大型のコーナー型で、イギリス製とアメリカ製のふたつ、両方とも50年代のものである。
と言う長いイントロがあって、ようやく今日の話。
話が長すぎるって、今日もお客様に指摘されたんだ。
いけねぇー。

コーナーデラックス。
モノラル時代の完成に近づいていた欧米では、各社それぞれ製品が出されていた。
バイタボックス、JBL、ALTEC等々、名器は数ある。
名器と呼ばれるだけに、たたずまいもりっぱで、大型の箱に入ったコーナー型である。
コーナーという点が実に感心させられる「ミソ」で、モノラルのスピーカーから出た音が左右の壁を利用してサウンドに広がりを感じさせる所が素晴らしい。モノラルでも、驚く事に音に包まれる感じになる所がよい。
音を聞いていると、すでにステレオ・サウンドに近い概念でモノラル・スピーカーを作っていたのだと驚く。
モノラルの時代に、そうとう良い製品は出ていて、当時すでに完成の域に達していたと思われる。
中には、工作が困難と思われるような折り曲げたホーンを有している装置もあって、出てくる音は、室内でピアノを弾いたかのように反響を意識したような、遅れて来る音まで出そうとしたかのような、奥行き感というのか、そういう音響を持っているのもある。
聴いていると、その先のステレオ音響まで見据えていた事が伺える。
当時の技術者が相当高い音響理念を持っていた事に驚く。
私はこういう一群の大型の製品をコーナー・デラックスと呼ぶことにしている。
現代のステレオとは別の次元である。

それなのにコーナー型の大型スピーカーが何故消えて行ったか。
考えて見れば簡単な事だった。

それは、自動車などと違って、スピーカーは一度購入すれば、そうそう壊れるものではない。
買い直しの必要がないという最大の欠点がある。
ゆえに企業は儲からない。
また高性能を目指した結果、高額になってしまったので、庶民に手が届かない。
それを一挙に解決したのが、1958年のステレオ録音の開始であった。
高額な一本のスピーカーに代わって、小型の箱を1セット(2個)購入すれば、あなたの部屋は、更に素晴らしいステレオフォニックという未来の音響が得られるという事になり、皆飛びつく。
企業は新規でかつ素晴らしいマーケットを獲得したのである。
それにより工業の歴史そのものの、コストの削減と安価な製品の大量生産。
絵に描いたように、ステレオ・ブームがあり。
音楽は各家庭に入り込んで行った。
それゆえに、我々も恩恵に与ったのであるが。

もちろん、マニアはそんな小さな箱に疑問を持ち、大型スピーカーを部屋に持ち込むのだが、マニアの事はまた別の次元である。

今になって、当時のコーナー型の音を聴くと、私には音を聴くのではなく、音楽を部屋で楽しむ事とはどういう事かと考えさせられる。
きっと娘がいて、ピアノの練習した事を、広い部屋で、夜、両親に聞かせている、そんな様子を再現しているスピーカー。
当時の空気がひしひしと伝わって来て、私は感動するのである。
今、聴くと非常に新鮮である。

ウエスタンのシステムも感動するところはあるが、ちょっと劇場的に過ぎて、私にはあまり家庭的な感じが無かったので、遠慮したい感じである。
元々四畳半的な趣味なので。

しかし遡って思うに、オマケに当時のアメリカ人など、いま言う所のあの廃盤の独特の音質のレコードを安価に購入出来た訳で、それを聞いていた人たちの耳が羨ましい。

今月は
2014/08/29

今月は全然儲かっていない。
暑過ぎたせいか来客がすくなく、暇だった。

週末はお客様が来てくれないかな?

MICHEL PETRUCCIANI “MICHEL PETRUCCIANI”
2014/08/28

MICHEL PETRUCCIANI “MICHEL PETRUCCIANI” OWL RECORDS 025 (FRANCE)

一昨日、本当はイタリア盤の「ESTATE」と一緒に書いてしまおうと思ったのだが生憎、手元に無かったので、書く事が出来なかった。
それが今日はちょうど入手したので、追加でこのアルバムの事。
いや、出来の良いアルバムである。
彼の作品中、ESTATEと共に決勝に残った2枚である。
どっちが上とか下とかの話ではなく、双璧という事。

ところで、このレーベル、OWL(アウル)という会社の作品は感心する事に、どれも出来が良い。
こうなるとフランスという国は、みんな音楽センスが良いのかな、と思い込んでしまう。
それほどのセンスの持ち主の社長なのである。
そういうレーベルからリリースされたアルバムは、当然出来は良い。
どういう風に良いかは、評論家、ネットに嫌と言う程出て来るので、説明は不要であろう。
一言でいうと、冒頭の彼のオリジナル曲から、次元の異なる人間の作った上質な音楽である。


話は変わって、このアルバムで忘れられない、当店の事件。
もう7・8年も前の話。
ある日、お客様がレコードを抱えて入ってきた。
袋を開けながら初老の男性は、大きな態度でこう言った。
「お宅で買ったレコードなんだけどね、返品したいんだよ」
見るとこのアルバム。

ところで彼はその少し前、アメリカのジャズばかり聴いていたが、ヨーロッパのジャズも聴きたいと試聴し大いに気に入って購入されたものだったが、それを返品したいという。 
理由が、「このジャケットの写真が曲がっているんだよ」
「えっ!」
「曲がった写真使うわけない」
「そういうデザインです」
「あなたね、ごまかしていけないよ。フランスの一流レコード会社が、そんな斜めに曲がったのを、レコードにして売るわけない。そんなもん常識だろ」と社会の常識を強調して、なんども言い張る。
馬鹿真面目なジジイの発想の恐ろしさ。
自分のセンスに自信があるらしく、これが製品としての出来上がりだと言っても聞かない。
返品は簡単だけと、こういう状況になると、私もごめんなさいとは言えない。
そうこうしている内に。
「オレはね、プロに聞いたんだよ、紙がズレたのを貼ったと言ってたよ」
プロが出て来ちゃった。すごいプロがいるものだぞ。
待てよ、プロってだれだ? そういうプロが世の中にいる事に驚いたし興味津々。
私も一緒に説明を聴きにご一緒しましょう、と言うと、ウンと言わない。
そのプロに絶対に会わせたくないらしい。
それなら期限を付けようと考えた。
「では今から1週間以内に返品を受け付けます」
「なに言ってんだ。1週間だなんて決めるなよ。あんたが悪いんだから」
とにかく返品する事、そしてプロに調べてもらってから、再度あんたに謝らせると。
それから電話すると、その一点張りなの、面倒になってきた。
「今、返品でも良いすよ」と言ったが、とにかく、私に誤らせたい一心らしい。
それで、肩をいからせて、帰って行った。

その後電話は無いし来店はない。
何だかんだといいながら、結構気に入っているらしい。
でも、私は今でも結果を待っているのだが。
ミス・プリントのジャケットだとアドバイスしたプロという人の話は、もっと聞きたい。
このアルバムを見る度に、あの時の会話が思い出される。
一人で思わず、苦笑してしまう。
あの時、話などしないでハイハイと返品してしまえば良かったな、とも思う。

さて、それにしても出来の良いピアノ・トリオである。
JENNY CLARKのベースもいい、ALDO ROMANOのドラムのイカシてる事。
ピアノだけが良いから、良い演奏という事では無い。
これほどにも揃いも揃って、良い演奏が行われる事は稀である。
3人とも常人と思われないバイブレーションを感じながら演奏したに違いない。

このアルバムは、いつも自分で買いたい衝動に駆られる、レコード屋として拙い状況になるのである。

しかし思うのだが、どの評論家の文章も、素人も含めたブログも、必ずペトルチアーニの身体の事を上げているのだが、音楽に如何なる身体も関係は無い!
音楽は聴こえてくる音だけがすべてである。


(後日)
知り合いからの指摘で、当アルバムは表だけでなく、裏ジャケもまた曲がっているので、安心して下さい、との事であった。

カートリッジの事
2014/08/26

知合いがカートリッジの修理を頼みたいのだが、だれか知合いがいないかと言うことで、持って来てもらった。
見ればかつての名門「FR」社の製品。
それなら預かるということになった。
修理に来られたオーディオ・ファブさん、カートリッジを見るなり「おお、懐かしい私も設計した製品で思い入れがあります」と。

数日して、嬉しそうに修理が上がったと持って来てくれて、試聴しながら話を伺うと。

時代が進み、ステレオ・レコードの録音の帯域が広がり高音質対応が求められるようになったので、会社でも高域・低域共に対応を広げたカートリッジの開発の必要に迫られた。
それで、やってみるかと社長に言われて、設計に取り掛かったのだという。
忘れがたい作品となったとの事。
こういう物が修理で帰って来ると嬉しいらしい。
どうりで1週間で上がったのだと大笑い。

ところで、試聴をして思った事。
50年代の有名なモノラル盤などを掛けると、レコード自体の帯域が狭い、そのため、こういう新し目のカートリッジで掛けると、入っていない帯域の部分の音を拾ってしまうので、そこがサーフェスノイズとして出てしまう。
やはり、こういう物はステレオ時代、それも帯域が広がった高音質盤の為にある事がわかった。

思えば、当店から購入して帰ったお客様から、サーフェスノイズが出るとクレームが付く事があるのは、そういう事なのである。
傷があれば当然であるが、綺麗な盤でもシャーという音が、ジリジリと出ると言うのは、そういう事なのだ。

50年代のモノラルには、それなりのカートリッジを使用して頂きたい、と思うのである。
オーディオはそれなりに面倒である。
道楽とはそういう事で。

MICHEL PETRUCCIANI “ESTATE”
2014/08/25

MICHEL PETRUCCIANI “ESTATE” RIVIERA RECORDS RVR-1 (ITALY)

ミシェル・ペトルチアーニの名演奏。
久々にオリジナルが入荷した。
なんとも、うれしいかぎり。

彼の作品として出来の良いのは沢山あるが、OWL盤と並んで好きな一枚。
かつては、よく聴いた。
特にこちらは、テレビ画面のようなジャケットが変わってしまったので、オリジナルはまず見ることがない。
どうしたって、根がオリジナル・マニアだから気になる。
気になると、それ以外の物は欲しくない。
所が、イタリアに行っても、そんな転がっているような不人気なアルバムではないので、見つけにくい。
厄介だのう。

このアルバムはイタリア製作なのだが、日本の某レコード店でもライナーを入れて直輸入盤として発売した事があるので、以前は時々目にすることがあったのだが、殆どが二度目のプレスであった記憶がある。
珍しいという話は置いといて。

曲はESTATEのような、いかにもイタリアらしい音楽性に富んだ名曲ばかりで、演奏は冷静で、知的な上に、なぜか情緒があって妙。
こういうのは良い。

ところで、彼の映画「情熱のピアニズム」を観ていないので断言はしないが、見に行った人から聞いた話。
スタインウェイだったと思うが、会社に行くことになった。
前日、プロデューサーだったか、彼も一応音楽は相当のレベルであるが、会社に先乗りしピアノが並んだ倉庫に案内してもらって、時間が掛かったりしては面倒だからと、気になるのを引いて廻り、一応これならイケルと思われる数台に目付けておいた。
さて翌日、倉庫に案内されてきた本人は入ってきた。
どれの前に座ると思いきや、いきなり一番入口に近い一台に座り、弾き出した。
ちょこっと弾いた後立ち上がったので、順番に触って見るのかと思いきや、いきなり遠くにある「あれがいい」と指差した。
奇しくも昨日プロデューサーが目を付けていた、もっとも良さそうな一台であった。
なぜか?
これが良さそうだと思ったと。
私も絶句する。

しかし、こういうような話はいくつもある。
車の選択も幾つも並んでいる中で、乗りもしないで、いきなり「これ」というプロがいるという話も聞いた事がある。
オーディオの真空管を選ぶ時も、同じような話を聞いた事がある。

どうも達人になると、通常では理解出来ない、波動を感じるのであろうと思われる。
機械であっても出来の良い優秀な物は、かならず良いバイブレーション、波動が出ていると。
また、それを感じる能力がある。
ある領域に達した人にしか分からない話である。
しかし、無い話ではない。

そういう人達の音楽を聴いて、どうのこうのと言う我々凡人の愚かさよ。
考えれば、いやになるな。

「でん六」の豆菓子
2014/08/24

安売りのスーパー、ドキホーテに買い物に行った。
ところが目的外ではあるが見つけてしまった、好物の豆菓子「ポリッキー」。
営業用だと思われる、大きな袋。
こんなもの買ったら一年掛かっても食べきれない。

でも、買ってしまった。

淋しさにつけ、嬉しさにつけ、何だかんだと毎日食べている。
コレステロールに悪そう。
止めても身体が許さない。

MILES DAVIS “DIG”
2014/08/22

MILES DAVIS “DIG” PRESTIGE 7012 (USA)

こんな良いアルバム入荷。
最近は良い状態のものは中々入荷がないので、こういう物が入るとレコード屋としては非常に嬉しい。
先月、4年ぶりにこれの良い状態のものが入荷した。その際日記に書こうと思っていた事があったのだが、値段を付けて入力している最中に売れてしまったので、何もせず仕舞いで、ちょっとガッカリしていたら、なぜか入荷。
ガッカリするのも可笑しい。
でもまた入荷して、ああ、良かった。

このレコードは、日本に入ってきたものは、セカンド・プレスの青いジャケットばかりだった。
たしか日本盤も、青いジャケットのものであった気がする。
だからモノクロの写真のオリジナル・ジャケットを見た時に腰を抜かすほど驚いた。
当時は情報が無かったから。

こうして見ると、オリジナル盤は風格を感じる。
素肌にコットンのジャケットを羽織っただけのマイルスの写真にも感動する。
この写真は、もう一枚のミュージングの横顔のショットだとすぐに分かるのだが。
写真の右側は半分は木目になっていて、そのゲレイの色合いが、まるでアメリカ製のJBLやALTECのスピーカー、それもスタジオ・モニターの箱を想像させてくれる。
そしてそこには、型板を赤い墨で刷ったような文字が並ぶ、「DIG」、「MILES」「DAVIS」「SONNY」「ROLLINS」と。
ジャズのアルバムの中には、常にこういうワードがちりばめられているぞと。

ちょっと野暮ったいというか、工業製品だぞと割り切った様子の所が、今となっては、じわっと伝わってくる重みがある。
アメリカだね。

このレコードは、我々には特に重要な作品でもあった。
それは、青春時代に読んだ晶文社のジャズの本「ジャズを生きる」副題が「ビバップの4人」という教科書的な本で、学校の勉強には消極的でも、ジャズの勉強として積極的に読んでいたものだ。

そこには、セシル・テイラー、オーネット・コールマン、ハービー・ニコルス、ジャッキ−・マクリーンの4人についてジャズ・ミュージシャンの典型として挙げられていた。
この本に書かれている事は私の原点にもなったし、当時の友達の顔は忘れても本の内容は今も忘れない。
今回の日記を書くにあたって、古本屋で探してきた。

ちょっと抜粋すると
「モダンジャズの古典のひとつとみなされるディグはマイルスがリーダーとなって出した最初のレコードの一つである。ディグはマイルスに取って突破口となった。
ディグによって、LPはジャズのものとなった。それにより初めてワンコーラス以上のソロが可能になり、それ以前よりもはるかにナイト・クラブでの演奏を再現できるようになったからだ。」

ここの「ディグによって、LPはジャズのものとなった」。ここの所は興奮する。
まるで、島崎藤村の「ついに新しき詩歌の時は来たりぬ」という、あの古い時代の詩歌が現代に変わる瞬間を目の当たりにしたかのような、興奮に陥る。
後追いの私でも、頭の血管がプッツンするほど興奮する。
これぞ本当の、興奮シマクラチヨコ。

そうそう「更に重要な事も含んでいて、ディグはマクリーンのレコード・デビューだったばかりでなく、ソニー・ロリンズとウォルター・ビショップのデビューを間近なものとした。」
もう、ワクワクしないか?

というわけで、何も考えなくて良い。
ジャズを聴いて長年すると、つい、みんな評論家になってしまう、そんな事をすれば欠点も探したり、論う(あげつらう)ことになる。
音楽を受け止めるという純正性からは遠のく。
評論家がマニアと違って、まともではない事に気が付くべきだ。

ジャケットの写真を眺めて、あの当時のニューヨークのクラブを想像したり、己のジャズを聴いていた青春時代を思い出したりするだけでよい。
音楽はただ、聴けばいいのだ。

JO STAFFORD “STARRING JO STAFFORD”
2014/08/21

JO STAFFORD “STARRING JO STAFFORD” CAPITOL T-435 (USA)

ジャケットは往年の大スターの貫禄を示している。
当時30歳ちょっと、ヒット曲連発の現役の大スター。
画面中央から右側に掛けてドンと顔の大写し、白人のこれ以上ない程の美しい女性と、その首には豪華なダイヤモンドと思われる首飾り。
バックをよく見渡すと、そこは楽屋で、鏡が並び、棚には香水の壜がいくつも置かれている。
左の手前にはピンクのバラの花束。
彼女の気品こそピンクのバラが相応しいと。
きっと新婚の旦那様か、それともファンからの贈り物。
スターであると、強調されたアルバムなのである。
ここまでスター性を強調したジャケット・デザインなど、他にはない。

入荷したものを、何となく聴いていたら、あっと驚くほど旨い人だなあ、と感心した。
そんな悠長な事を言っては失礼にあたるほどの大物だったわい。
彼女は、ついこの間、2008年に亡くなっているので、意外に長生きだったのだ。
その彼女の1953年のアルバム。
唄っている歌も、有名曲が多く50年代の豊かな良い感じが伝わって来て、ノスタルジアにしたってしまった。
大体の曲にジャズっぽさがあり、美しい声と魅力的な表現力に感心する。
「The gentleman is a dope」などスイング感抜群。
良い声だ。
ジャズボーカル好きも、カントリー好きも、ポップス好きも、それぞれ楽しめるアルバムである。

私が特に、おやっと思ったのは、「RED RIVER VALLEY(レッドリバー・バレー)」。
まあ、昔は月並みのカントリー&ウェスタンのスタンダード。
アメリカのみならず、日本でも幾多の歌手どころでなくアマチュア・バンドでも、歌いまくった曲。
弘田三枝子が「赤い川の谷間」という題名で、NHKの番組「みんあの歌」でも紹介されヒットしたのである。
西部劇ブームでもあった。
その話は置いといて。
まあその、このRED RIVER VALLEYを聴いていて、感心したわけだ。
彼女は、声楽もやっていただけあって、結構強い調子の歌い方が多いのだけれど。こういう歌になると郷愁を出して、見事。曲のアレンジも良い。
良いはずだ、旦那のPAUL WESTON(ポール・ウェストン)とのコンビで、彼女の良さをちゃんと出している。
この曲が持っている曲調がジャズではないので、ジャズっぽくはないのだが、そのかわりにカントリーの郷愁感が流石、アメリカ人。
このアルバムが1953年のリリースで、彼女たちが結婚したのが52年というから、それは充実しているはず。

そうだ、ついでだがこの曲は、映画「怒りの葡萄」にも使われた。
社会改革に燃えていたから、昔は何度も見た。
良い歌、良い映画、良い時代。
昔に戻って、一緒に歌ってしまった。


https://www.youtube.com/watch?v=NlCjIbdy2tQ

CHICK COREA "NOW HE SINGS,NOW HE SOBS"
2014/08/20

CHICK COREA "NOW HE SINGS,NOW HE SOBS" SOLID STATE SS 18039 (USA)

こんな素敵なピアノ・トリオのアルバムも入荷。
アメリカのオリジナル盤は、ダブル・ジャケットでもある。
日本では二つ折りのジャケットの事を通常、ダブル・ジャケットというが、アメリカ或いは欧州では「ゲートフォールド・カバー(GATEFOLD COVER)」という。
「折込」のカバー、二つ折りという意味なのだろか。
通常のシングル・カバーに比べ、ジャケットを広げた時の気分が良いので、ちょっと素敵である。
その話は置いといて。

このアルバムを見ると、ブルー・ノートから出てないのが不思議な気がする。
なぜなら、この時期、親会社はリバティーなので、他の作品は「SS」とマークを付けたまま、ブルーノートから発売されている。
しかし、なぜかこれだけソリッド・ステート。
だからと言って、どうでも良いが。

さて、ジャケットを見ていると、どこかのスタジオか、彼の家か?
壁にはピカソの絵も飾ってある。
ピアノの陰には、金属の彫刻も見え隠れする。
ピアノに向かった、彼の真摯な姿がある。
彼の後ろには、外を分断する重く分厚いカーテンがあるのみ。
この部屋には「芸術以外何もないぞ」と言い切ったのである。
チック・コリアは、今回の作品に、高い芸術性を示したぞ!と言いたかった。
その通り、非常に高い音楽性を示した作品になった。

彼のこの辺りの演奏は目を見張るものがあって、「CIRCLE」はじめ、ECMに移籍して「RETURN TO
FOREVER」、「SOLO CONCERT」と、当時のジャズに関する話題を独り占めした感がある。
目を離せない状況に会った事は間違いない。
それら一連の彼の中の、当作品が芸術の大爆発の点火であった。

いや、思えば楽しかった。
70年と言えど、ジャズはまだ前途洋々たるものはあった。
フリージャズはまだ到達点は見えず、どうなるか目を凝らして、見ている価値があったのである。
我々は、何処でどういうジャズがあり、こっちでこういうジャズが試されてと、ジャズの変化を楽しむ事が出来た。
過去のジャズと、今行われているジャズが、全く遜色なく楽しめたのである。
昔が良かったね、などと言っている場合ではなかった、のである。

ちょうど、来られたお客様が、このアルバムに使われシバルは、フラット ・トップ・ ライドというフラットな形状のシンバルで、響きを抑えている、という話になった。
ドラマーはロイ・ヘインズ(ROY HAYNES)、この作品の鍵はどうも、ロイ・ヘインズにありそう。
まず、フラットなシンバルは、音が小さく、繊細な音色、音の粒立ちがある、最近はECMの録音などに使われるらしい。
きっと、音の余韻が少なく、冷静なサウンドになるのだ。
ヘンな音色だね。

ジャズが例えば、アート・ブレイキーのように情緒たっぷりな実に生身の人間臭さがむんむんするリズムから、チック・コリアは決別しようとした。
その時のシンバルの音色に、情緒や豪華さと言った、音の刺激を排除したかったに違いない。
彼が言い出したか、またロイ・ヘインズがそれならばとこのシンバルをと選択したのか分からない。
しかし、彼等は選択した。
そして、見事に次世代のピアノトリオは出来上がった。
その後の演奏は、冷静さを追及する道に突き進む。
ジャズがオールド・スクールから、ニュー・スクールに移る時期の一つの現象
なのである。

冷静といっても、何故か心地良さがある、不思議なサウンドの傑作である。
しかし、兎にも角にも、ロイ・ヘインズがこのシンバルを使用したのは只の一度だという。
いいドラマーだよね。

寿司
2014/08/19

今年の夏は、寿司の「新子」は、まだ一度しか食べていない。
早く、もう一度食べないと、夏が終わってしまう。
夏の季節感も調子が出ない。

今年は、逆流性食道炎と診断され、兎に角、ゆっくり食べるように病院で指導された。
しかし、せっかちな江戸っ子の寿司こそ、ゆっくり噛んでなんかいられない。
魚がご飯に乗っているわけで、口に放り込んだら、二口、三口で喉に流し込むのが、実に良い。
それを30回も噛むと、どうなるかというと、口の中で寿司が残飯になってしまう。
そんな物は食えねぇ。

考えると、江戸前と言われる料理、寿司、蕎麦、うなぎ、天麩羅、どれをとっても噛んでいては、美味しいとは思えない。
蕎麦は、箸でつまんだ蕎麦の尻尾をちょいとタレに付けたら、口の中にたくし込む。
鰻だって、口の中に頬張ってさっさと食べる、残ったご飯は漬物とお汁で流し込む。
せっかく蒸して柔らかくなっているものを、わざわざご丁寧に噛んでしまったら、これまたグチャグチャした残飯をこさえているようなもので、美味しいとは言えない。

と言う訳で、今の私は、ちょうど夏だというのに、待ちに待った「新子」と「車エビ」の握りが食べられない。
何だかな。
大体、身体の事を気にするという事は、楽しくないということなのだ。

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