HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ジャズ喫茶のスピーカー
2014/09/13

知り合いが、御茶ノ水にあるオリンパスという名前のジャズ喫茶でレコード・コンサートを開催するから来い、というので出かけて行った。
遅れて行くと、既に半分程過ぎていたようで、その日掛ける予定の半分ほどのレコードは聴いた。

暫く聴いていて、終わりの方になって、カウント・ベイシーのレコードが掛かったとたん、霧が晴れたようというか、非常に気持ち良く鳴った。
明るさと、くっきり感、ノリがぴったり、どうだと言わんばかり。
それで、ああ、ここのマスターはきっとカウント・ベイシーが好きなのだろう、と思ってしまった。
帰りがけに「カウント・ベイシーはお好きなんですか?」とマスターに訊いたら「ベイシーはすきだけど、別にベイシーだけではありません」と、にやっとしていたので、私はきっと、ベイーシーが好きなのだと、解釈しておいた。
だって、ベイシーの時が最も生き生きとした音色になったから。

オーディオはどうしても、好きなミュージシャンに焦点を合わせてしまう。
合わせるのではなく、そちらの方向に行ってしまう。
それが、その人のオーディオであり、音なのだと、思う。
どんな機械でも使っていると、その人の音になる。
その人が歩んできた音になってしまう。

人生そのものとも言える。
であるから、少しはオーディオに凝った方が良いと思う。
自分の音にしておかないとね。居場所がなくなる。

アルテック
2014/09/11

アルテックのスピーカーは、まだ片方、すなわち一本だけしか運んでない。
ところが、その一本だけで聴くのが素晴らしい。
コーナー型である事が、十分に満足できる。

それで、聴かない事には音が馴染んでこないし、ずっとこちらばかり聴いていた。
それでは、今までのマランツ7と8に悪いので、スイッチを入れてあげた。
あら不思議、電源ランプが付いたり消えたりとゆっくり点滅している。
こうなった事を友人に報告すると、かれ曰く。

「あるんだよね、新しい機械を入れたとたん、古い方のが不調になることが」
まさかと話していると
「機械物だが、解っているんじゃないかな、と思う事が多々ある」と。
そんなものか。

それは悪かったと謝りながら、しばらく聴いてあげていたら、直ってきた。
毎日、掛けて上げますよ。
マランツ7は、電源が点滅するときは機械の調子も悪いのだ、と聞いた事がある。
ただの電源ランプにあらず。
調子は保ってあげないと。

ステレオ盤とモノラル盤は、それぞれの装置が要るから面倒だわ。
それで、結局ステレオ・セットにしてしまうのだ。
置き場所もないし。

アルテック
2014/09/10

今日も仕事はほとんどしていない。

スピーカーの台をどういう風にするか、とそればかり考えている。
それで、材木屋に見に行ったりしていたら、近くの店でポプラの木を売っているのを見つけた。
さっそく交渉開始。
箱の底の大きさに切り揃えてもら事になった。

ポプラは非常に良いらしいと、以前から使った人に聞いていたので、私もやってみよう。
この木は良いのではないだろうか。
って、人様には薦められないが。

実は、台の素材は木はもちろん、石、金属、ゴム、はたまたコンクリまで様々な素材があり、人それぞれに薦められている。
インシュレーターも同様である。
しかし、私の経験によると、あくまで個人の経験なので、薦めはしないが。
「安い素材は、やっぱり安い音である」。

ゴムはゴムの音、コンクリはコンクリの音、レンガ、ブロック、みなそういうことである。
金属は金属の音になる。
高級といえ、金や銀が一番とも言えないと思う。といっても金のインゴットを使った事が無いので私は何とも言えない。ひょっとすると最高などと言い出す人がいてもオカシクナイ。
金属の中でも鉛は所詮鉛の音になる。
真鍮の中にサンドイッチにして挿んで使っても、やっぱり安い音が入ってしまう。
であるから、ヘンな物を買うなら、生け花に使う剣山の方がマシと言われる所以である。一個百円でも売っているし。

自動車のエンジンオイルに安いのを少しでも混ぜると、全てが駄目なオイルになってしまう事と、全く同様な事態である。
私の結論である。
スピーカーの後ろの壁板も、同様である。



そして、
こうやって仕事をサボったりしている内に、夜になった。
遅い時間に神保町のジャズ喫茶「オリンパス」にカレーを食べに行った。
あそこの前がパーキングになっているから、それがいいんだな。

JBLの高級スピーカーのオリンパスは昔どうしても欲しかったけど、高くて買えなかった。

アルテック
2014/09/09

今日も、スピーカーの面倒に付きっきり。
部屋の除湿は入れっぱなし。
温度も24度を保つ。
搬入3日目だが、男性ボーカルが良い感じになり始めた。
女性ボーカルは、イメージにはもう半歩か、一歩か。
ただし、ニーナ・シモンなどは、いい感じで鳴るようになった。

仕事は何もしない。

TOROLF MOLGARD “INTRODUCING TROMBONE !
2014/09/08

TOROLF MOLGARD “INTRODUCING TOROLF MOLGARD TROMBONE ! “ SONET SLP 37 (DENMARK)

久しぶりにこんな良いアルバム入荷。
これは個人的に忘れられない一枚である。
30年以上も前に、中古レコードの壁に飾られていて、ジャケットを見てピピッと来るものがあって、店員に訊くと内容は抜群だと答えたので、即購入。
それでもある程度の値段はついていた。

家に帰って聴くと、なるほど出来は良い。
トロンボーンと思えぬ、超の付く上級者のテクニック。
音の柔らかさもさることながら、メロディを吹いても心地良さがある。
またトロンボーンのユニゾンも心地良い。
すっかり愛聴盤になったのである。

ところで、当時はリーダーの「トローフ・モルガード」などという人の名前も知る由もない。
ローカル・ミュージシャンの一人かと思っていた。
それが、店を開いて、ヨーロッパに買い付けに出かけるようになってから、デンマークに置いては、それは大した人気であり、作品も数出されている。
1972年の作品「Lone Rider」など、ジャケットの写真の見事さと演奏の良さが兼ね備わった傑作。
それらはどれも、聴けばノリは良いしクラブ・ジャズとしても大名盤と呼ばれるものばかり。
そこで初めてこの人の名前も、私の中に定着したのである。

このアルバムは1953年と64年の録音を一枚にしたもの。
60年代にリリースされたようだ。
メンバーはベント・アクセンはじめ、モーゼホルムなど当地の一流ばかり。
ジャケットの写真が見事で、スタンド椅子に座り、彼はトロンボーンを両手に、膝に2本、そして床に一本立てかけた。
そう、私こそがトロンボーンの楽器の名手なのだと。
なかなかの演出。
ジャケットの作りもまた見事で、ジャケットはガチガチの厚紙で、その縁取りが緑の布。
ソソられるコレクターズ・アイテム。

いいねえ。
トロンボーンなのに上品なの。
こういうの好きだ。


デング熱
2014/09/06

デングの感染広がる・
ここのところ、毎日毎日新たな患者が現れて、14の都道府県で合わせて74人の感染が確認された。
当初は、NHK近くの代々木公園周辺での感染に留まっていて、消毒もチョイチョイで済んで、これで収束かと思いきや、あにはからんや、俺も私もと患者が出現。
明治神宮外苑と千代田区の外濠公園でも、感染源でなかろうかと、言う事になった。
それがついに、ここの地元の浮浪者のメッカ新宿中央公園でも、その可能性が高いと。
そうこうしていると、新宿御苑は封鎖だと。患者はいないが封鎖とは解せないが、予防と言う事か。
東京は壊滅状態になるのか?
その前に、新宿・渋谷は厳戒態勢。
ヤバイぞ!

アルテックの続き
2014/09/05

実は、簡単にこういうユニットになった訳では無く、当初はフルレンジのALTEC-603BにJBLのドライバー375の組み合わせはどうだと考えた所からが始まりである。
だが375の個性が強すぎてあっさり退散。
それで375の実力に恐れ入った次第。
では175はどうかとおもったのだが、これはちょっと音色の方向が合わない。
初期の175が見つかればという話もあったが、巡り合わなかった。
JBLのユニット群は、個性的で断トツに素晴らしい。
しかし、今回は目的が違う。
603Bに巡り合わなければ、こんな苦労もなかったと思うが仕方ない。
JBLの物が使用不可能となれば、ドライバー探しも大変で、本来のALTEC製にはちょっと心が動かず。
それならEMILARという、かつてALTECにいた人が作ったドライバーとホーンがあるけど、どうだと、これは友人がエラク気に入って勝手に決めた。

それで、スピーカーとして「820A」の本来のシステムに戻してはどうかという話もあった。
せっかくの箱だからとALTECの38センチのウーファー803を2本にするかと。
だが、狭い部屋の中では低音の迫力を発揮できない事は明白で却下。
システムの最終結論に至るまで、私がレコード屋だから、イメージの音を聴かせて上げたい、仮説と実験を繰り返してくれ、運搬、セッティングと気安くやってくれた。
おまけにマッキントッシュのアンプは友人からの借り物である。
面倒がらずにやってくれた友人や二日間も手伝ってくれた若者に感謝。

結論からいうと、38センチのフルレンジは良い!
いままでの25センチのも良いけれど、大きさから来る音質の違いは大きい。
それでも、実は感じた事があって、何でも大きなスピーカーの方がいいかと言うと、そうでもなくて、明らかに25センチの方が向いている音がある、と言う事。
それが解っただけでも良かったと思う。

自動車にも使用目的に応じた車種があるごとく、オーディオ機器もまた同様に使用目的にぴったり合ったシステムは存在するものだと思う。

しかし、つくづく思うのだが、こういう趣味はお金がある人がうらやましい。
何しろ購入しない事には、趣味が始まらないのだから。


アルテック スピーカーの箱820
2014/09/04

アルテック スピーカーのボックス「820A」を購入。
と言っても、私のは箱だけで、中のユニットが違う。

以前、友人宅で、裸のままで聴いたALTEC603Bという38センチの1948年に発表された古いフルレンジ。
その音質に、50年代のジャズのレコードを聴くのはこれだと思い、どうしても使いたくなった。
ところが、それに合うと思われるエンクロージャーが気に食わず、どうのこうのと半年以上グズグズしていると、しびれを切らした友人が倉庫に実は820というコーナー型のボックスがあると言う。
一辺が76センチ間口1メートル余り、高さ110センチの三角形の大型のもの。
本来収納されているユニットは803という38センチのダブル・ウーファーに高域用のドライバーとホーン。
要は有名なA7に、更にもう一つウーファーを下に加えダブル・ウーファーとし、家庭用の箱に入れたもの、と言えば解りやすいか。
したがって、中の3発とも形状はホーンになっている。

余りに大きいのだが、これのボックスを活用して、603Bを家庭で鳴らすためのシステムにする事として冒険をおかす事になった。
色々紆余曲折があって、最終的に決まったユニット。

低音部  ウーファー 803A 12Ω
中音部  フルレンジ 603B 8Ω
高音部  ドライバー EMILAR  EA175−16 (500から15,000まで受持つ)
     ホーン   EMILAR 800A
ネットワークは820Aシステムのオリジナルのまま、N−800Dで、これが最も良かった。
いくつも試聴した結果、ネートワーックだけはオリジナルの初期の物にこだわった。

という、自己満足100%だが、決して他人様には奨められないであろうシステムの完成。
アンプはマッキントッシュのC−4とMC−30の、これまた古い50年代のプリとメインのモノラルアンプ。
それらを、3人がかりで運搬し、セットして音出しまで、ほぼ2日。
目的が、フルレンジ603Bを鳴らすための装置であるから、高音も低音も味付け程度にしてあるので、セッティングは面倒はない。
アマチュアなので、これ以上追及しない事、凝らない事と決めてある。

まだ何とも言えないが、兎に角高能率でボリュームは1メモリだけで堂々たる音が出る。
ちょっと油断すると、低音がこれでもかと出てしまうので、相当絞っている。
ボーカルの空気感が狙い通りで、気に入っている。
プレステージやブルーノートのシバルの音は、しっかり出るので、これも悪くはない。

音も面倒が無いように、とりあえずはモノラルひとつだが、コーナ型のスピーカーは一本だけでも部屋が音に包まれるので、全く違和感はない。

一昨日のスピーカーの話で
2014/09/01

一昨日のスピーカーの話で、モノラルとステレオの過渡期に付いて考えていたら、どうしてもアルテックとJBLについて無視できなくなってしまった。
調べてみたら、店の棚に本があったので、ちょっと抜粋してみる。
「ジェームス・バロー・ランシング物語」実業の日本社

早い話が、ジェームス・B・ランシングの年譜で、彼に触れない訳には行かない。
1927年 ランシング・マニュファクチュアリング誕生
早い! 何しろ、1925年からオーディオの研究が始まったのであるからいかに早かったか。
彼はその前から、ラジオのスピーカーの研究である。
やがてトーキーの音響機器の設計の仕事が回ってくる。
1934年 MGMの劇場用音響システムで、芸術科学アケデミー賞の受賞。
そのシステムは2ウェイで、15インチのダブル・ウーファーと高音用のドライバー。
現在にもそのまま通用する、基本理念となっているのである。
1941年アルテック・ランシング・コーポレーション発足。
彼の開発で有名なものは 15インチ・フルレンジ604。15インチ・ウーファーの515、ドランバーの288。
これだけでも素晴らしい!実にいいスピーカーを残した。
しかし、アルテックの社長キャリントンとは考えの相違があり常に対立していたが、契約の関係上5年間アルテックを止めることができなかった。
1946年ついにランシング・サウンド・インコーポレーテッド設立。
アグレッシブが人だったのだ。
しかし、ランシング(Lansing)という商標がアルテック社に属する為、急きょ社名変更。
ジェームス・B・ランシング・サウンド・インコーポレーテッドとなった。
1945年に第二次大戦が終了、アメリカはこういう文化的研究が進んでいるわけで、こういう国に戦争して勝てるわけがない、といういつもの話になってしまう。
1947年 D101発表
これは自分が関わったアルテック515のコピーだったので前社とトラブルがあり生産中止。

同年、最新鋭の15インチ・フルレンジを発表それが、今も尚燦然と輝く、名器中の名器、D130である。
その系統で 12インチのD131、8インチのD208、と発表。
しかし開発と経営の才能は一致せず業績は伸びず、49年には負債が2万ドルに達した。今に直して3億円くらいか、その10倍くらいか?
そして同年、会社の外で首つり自殺。
死後、会社は1万ドルの保険金を受けている。
1948年にはLPレコードの販売が始まっていて、もう少し我慢できなかったものかと想像して残念な気持ちになる。
なぜなら50年代、皮肉な事に彼の死後、徐々にハイファイに人々の関心は広がりを見せていた。

そこから先はマニア周知の事柄で、ランシング自身が関わった訳ではなく今更いう事はないが一応、2つの製品だけあげる。
1952年 ハーツフィールド。
1957年 パラゴン。特にこれはモノラルレコードを鳴らしてもステレオフォニックな音響効果があるようにという音響工学的なアイディアがある。
ハーツフィールドといい、パラゴンといい、単にエレクトロニクスの技術としてのみ考えず、生活の中における一つの時代の象徴とした所に音響をとらえ始めたのである。

しかし、D130は言うに及ばず、アルテックの604や515など、今聴いても心が躍り、当時のレコードの再生となると、現在の百万円台の高額のスピーカーなどよりも、不思議な事に、私などはずっと信頼を寄せることになる。

ジャズにハマれば、モダン・ジャズ全盛期の50年代のレコードやオーディオ機器を代表する物に興味が行くのは当然であり、また趣味という物は必ず歴史を遡る事であり、そのきっかけとなったりブームとなった物に惹かれるのは当然である。
当時のアンプやプレイヤーも同様で、併せて聴いてみたい逸品そろいである。



趣味の道
2014/08/31

私はジャズのレコードを聴く事が最初から楽しかったわけではない。
カッコ良いとは思ったが、何でも面白い訳ではなかった。
それではいけないと考えて、一生懸命に聴いた。
2年ほど経った時に、これは面白いな、カッコ良いな、と思うようになった。

店でそういう話をしていたら、同じ思いをしていた、お客様がいて驚いた。
そのお客様は、修業のようにジャズを聴き続け、それではいけないと考え、更に曲を覚えようと、また2年ばかりヴォーカルばかり聴いていたという。
好きでも無かったけど、と。
その結果、ある日急に道が開けた感じがしたそうだ。
それには、立派過ぎて感心してしまった。
であるから、彼はフリ−ジャズでも何でも聴く。

音楽など、なにも好きでないものを一生懸命に学習などしなくとも良いと思うのだが、我々のような昔の世代の人間は努力型だったのかと、改めて思う。
趣味でも遊びでもすべてが学習する世代なのだろうか。

私など、それが高じて遂にレコード屋にまでなった。
店をひらく際、尊敬されるジャズ喫茶の親父になろうか、はたまた嫌われ者のレコード屋の親父になるか考えた。
レコード屋の親父は、儲けやがってと言われるくらいが関の山で、尊敬された人はいないから。
それでお金だ、お金だ、と嫌われてもいいからと、儲かる方を選んだ。
それなのに、ああそれなのに、儲かっていない。
最悪だね。

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