HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ポーランドのジャケットの事
2014/09/25

昨日のジョン・チカイのレコードのところで、書こうと思ったのだが常日頃、話が脱線しすぎるので、止めた事がひとつあって...。

ポーランドのジャケットの事で、よく輸出用ジャケとか国内用ジャケなど、という言い方がある。
輸出用とよばれるものは、ジャケットに写真などが使われたりちゃんとデザインされて作られていて、裏には英語のライナーが記されている。
国内用は一般的に汎用ジャケットともよばれレコード会社の社内統一デザインのもの。
だとされている。

それで、昨日のジャケットの下の方を見ていたら書かれていた。
For free Catalogues write to :
ARS POLONA, KRAKOWSKIE PRZEDMIESCIE 7, WARSZAWA, POLAND

そうだったのだ、気に入ったらオーダーして下されば、フリー・カタログも送って差しあげますよ。
60年前半といえ、当時すでに外貨獲得でレコードを自由主義国に売る事も働き掛けていたのだ。
せっせと輸出用に体裁の良いのをつくっていたのである。
という証拠であった。

また、私の経験で恐縮だが。
昔はヨーロッパに行くには、アンカレッジ経由が花型であった頃、ついにモスクワ経由が飛び始めた。
それで、私も旅行会社にいたので、乗って見た。
モスクワの空港に降りて、ショップをブラブラしながら、ロシア盤のレコードがあったので、パラパラと見ていると、オバサンが来て、どんなジャンルの音楽が好きなのかという。
ジャズだと言うと、こっちはジャズ、あっちはクラシックと説明してくれた。
薄い粗悪な紙質で、いわゆるペラ・ジャケというあれで、何となく買う気にならなかった記憶がある。
だって、私の近くにゴツイ小機関銃を構えた兵士が、両足を開いて。こっちを睨んでいたから。
それが女兵士で、美人で可愛かったので、余計に不自然であった。

今になって思えば惜しかった気もする、ひょっとするとフルトベングラーのメロディア盤のオリジナルが混ざっていたかもしれないのに。

JORGEN LETH QUINTET(JOHN TCHICAI
2014/09/24

JORGEN LETH QUINTET(JOHN TCHICAI) – IGOR CAPLINSKY “JAZZ JAMBOREE 1962 VOL.4”
10インチ盤 (POLAND)

さても、珍しい名盤である。
1962年のポーランドで開催されていたジャズ・フェスティバルの録音とされていて、このアルバムには二つのグループの演奏が収められている。

一つはヨルゲン・レッス・クインテット、もう一方はイゴール・カピンスキーのギターカルテット。
演奏は両方とも素晴らしいが、本日の主役は、ジョン・チカイである。
名前が JOHN TSCHICAI と印刷されている。
ジャケットは珍しいオリジナル・ジャケで、左側にアフリカンな感じの彼がいる、ジャケットにJORGEN LETH QUINTETと書かれているので、メンバーを見てもそういう名前のミュージシャンはいない。
それもそのはず、ヨルゲン・レッスという人はデンマークのジャズ評論家で、その名前のバンド名なのだ。
ややこしいな。

チカイのアルトサックスが聴ける演奏は、ここでは2曲「Blue Monk」「Night in Tunisia」しかない。
しかし、最初期ながらすでにフリージャズ風なサウンドを聞く事が出来る。
こういう時期のフリージャズ前夜の演奏は本当に良いなあ。熱い!

メンバーを見ると、本人、MAX BRUEL(bs,ss), NIELS BRANSTED(p), BJORN ALKE(b), RUNE CARLSSON(dr)
と言う、その後のヨ−ロッパを背負って立ったプレイヤーばかりである。
どうもリーダーはマックス・ブルエルだったようで彼はバリトン、テナー、ソプラノと吹いている。
チカイは新人として参加したのだ。
その時の様子が、ちょうど裏のライナーが運よく英語で書かれている。ポーランド語は念力でも読めないから。

当日出演のこの二つのバンドは、フェスティバルの最後のほうだった。
特に彼らが出演したのは深夜1時であったと。
観客は疲れ切っていた。しかし、皆聴き入った。
その様子を観客の一人はこう言った「LAST BUT NOT LEAST」。ダジャレがうまいね。
最後だからと言って、どうでもよいバンドでは無かったと。
暗闇迫る深夜の一時! フェスティバルが依然として続いていて、そこになんとチカイのバンドが出演するなんて。
その状況を想像するだけで、オジサン興奮島倉千代子。
あの時、あの場所に行きたい。
モトエ。

62年のこの時の演奏が評判になったのか、彼はフリージャズの世界で猛烈に活躍をする。
63年にはArchie Sheppや Bill Dixon(tp)などと演奏し、歴史に残るグループNEW YORK CONTEMPORARY FIVEをSONETレーベルに残し、勢いを駆って、RUFUSをFONTANAに残す。
64年にはESPにNEW YORK ART QUARTET。
65年、なんとコルトレーンのASCENSIONにも登場する。
フリージャズな彼の才能の勢いはまだ続く。
オランダのフリージャズ・レーベルICPに2番と5番の重要作品に、ちゃんと名が残っているのである。
凄い。
当時、私も目を皿のようにして血なまこで情報を追い求め、目が千葉真一か。モトエ、
当時の無い情報の中、手探りのようにして一生懸命にレコード漁りをしたのである。
その時、先輩に「お前な知らないだろうが、最初の演奏はこれだから、買った方が良いぞ」と言われて購入したのが、このアルバムなのである。
確かその時のアルバムは汎用ジャケットに入っていた気がする。
その後、専用のこのデザインを見て買い替えた。

おもえば、私も真面目に一生懸命にジャズを聴いたのだ。
世界の片隅の私でさえ熱く聴き入ったという事は、考えれば幾多の演奏者たちが世界中で、熱気を持って何万、何十万という演奏をして来た、その結果、その記録なんだと思うと、心が熱くなる。
ジャズも一日にしてならず!

そうかもしれないが、一個人としてつくづく思えば。
これではサラリーマンとして、出世するはずもないわな。

今日は何の日
2014/09/23

今日は秋分の日。
そもそもの祝日の中で、戦前の祝祭日をそのまま、ではなく、呼び名を変えてまでも残したものは、紀元節
→建国記念日、春季皇霊祭→春分の日、秋季皇霊祭→秋分の日、天長節→文化の日、新嘗祭→勤労感謝の日、となって辛くも残ったというところである。
紀元節などは、戦後に一度廃案になった物を、紆余曲折あって昭和40年過ぎに復活劇があった。

私が若かった頃、すなわち親や祖父母が生きていた頃であるが、祖母など、明日は紀元節だとか新嘗祭などといっていて、勤労感謝の日!などと言うと、それは違うときつく言われたのである。
私も高校生になるとちょっと左翼めいて来ており、そういう祖母の言い方に諦めと供に大いに不満があった。
なぜに過去の悪しき習慣を引き継ぐのかと。
まあ、共産主義において神も仏も認められるものではないわな。

また20年も前の事であるが、当時、義父が「今日は天長節だ」等と言いながら国旗を立てていた事が思い出される。
といっても近所で祝日に国旗を揚げるのは、ざっと見渡して2・3軒しかなかった。
通りがかりのお年寄りが「いつも上げてくれてありがとう。でもウチでは上げようとすると息子たちに止められるんでね」等と不満を言っていたから、まあそういう社会になっていたのだ。
今、新宿の住宅街を歩いても国旗など、正月でさえ絶対に見る事はない。
それなのに、カボチャの飾りだの、クリスマスなどと飾りまくっていて、オジサン胸糞が悪くなる。
まあ、国旗など下手に揚げれば、右翼だと警察にマークされるだけの事らしいからな。
それは置いといて。

しかし、思えば、仏教的な極楽浄土、彼岸の思想を祝日にした事は、政教分離をうたった近代日本において、非常に不思議というか、禁止したはずの宗教的な行事を政令によって祝日とした事は、良くぞ残ったと、今となっては感心する。
せっかくの祝日に、家族そろって、あるいは御祖父ちゃん、お祖母ちゃんをお墓参りに連れて行ってあげる、または親戚のお年寄りが集まって先祖の墓に参るという、心が洗われる行いが出来ると祝日と言う素晴らしさ。

お蔭で首都圏周辺の道路と言う道路は、車が混み合い、今日と言う日だけは、絶対に車で出かけるもんかと学習している日でもある。

しかし、春分の日や秋分日は花を持った人たちが行きかう、何となく、ほんのりとした街の風情が感じられる祝日でもある。

PUCHO & THE LATIN SOUL BROTHERS “TOUGH!”
2014/09/22

PUCHO & THE LATIN SOUL BROTHERS “TOUGH!” PRESTIGE 7471 (USA)

なかなか、いかしているアルバムの入荷。
ジャズとはいかないが、ラテン・ジャズとして、大変な実力の持ち主であることが伝わる。

PUCHOの事はジャズの世界においては、ほとんど表に出て来る事はない。
しかし、プレステージのディスコグラフィーを眺めていると、Richard "Groove" Holmes、 Don Patterson,  Johnny Hammond Smith,等とともに、ソウル、ラテン、ファンク等のジャンルとして非常に大きくフィーチャーされている事が理解できる。
同社の60年代から70年代初めの、稼ぎ頭だったのだな。
その中でもソウル、ファンク系は良く入荷もするので、私も当たり前のように聴いていた。
しかし、今回のPUCHOはラテンなので、ほとんど縁が無い。

今回、たまたま入荷したこのアルバム、ジャケットは古いアパートの前に立ち、強面の鋭い目つきのお兄さん、って彼なのだが、赤いシャツの上に黒の上下を来て、ポケットに無造作に手を突っ込んでいる。
ニューヨークの片隅で俺たちは生まれたんだぜ!だが、今の俺の音楽を聴け!と言っている。
それで、聴かせていただくという事にして、耳を傾けると、冒頭の曲などなんとも素晴らしい。
管楽器はジャズとしてカッコ良いし、リズムはラテンとジャズが入り混じって尚快活。
演奏は良い!
それに録音はまだ、ヴァン・ゲルダーが行っているので、音質も良好でメリハリがある。
これは良い。

他のレコードも買おうかなと思い、ちょっとネットを調べて見ると、なんと同様にプレステージで作られた「JUNGLE FIRE」(PR7765)というライオンのジャケットのアルバムなどは海外のネットオークションで何百ドルもする高額盤。
そうだったのか、そこまで人気の人だったのかと驚いた。

というわけで、PUCHOのアルバム。
このアルバムが彼の初リーダーなのだろうか。
故にか、スタンダード曲が多く、演奏のテクニックの良さと相俟って楽しく聴く事が出来る。
ラテン曲はもちろん、「And I love her」等のビートルズ・ナンバーもストレートに演奏していて、これも好感が持てる。
ビートルズ・ナンバーって皆意外に崩し過ぎていて気持ち悪い演奏が多いものだから。
いや、珍しい拾い物。

60年代に一時チック・コリアも在籍したらしい、ラテン音楽では高水準のバンドだったとは。
成程納得。

ラテン・ジャズの好きな方にお薦めしたいが、そういう方々には、何を寝ぼけた事を言っているのか、と怒られるに決まっている。

朝日新聞謝罪
2014/09/21

朝日新聞の捏造報道の謝罪があった。
心からの謝罪という様子はあまり伝わってこなかったが。

今回の謝罪が「吉田」問題となっていて、原発の吉田所長の「吉田調書」と従軍慰安婦捏造の記事を作り上げた吉田の「吉田証言」が同じ苗字だったので、何となく「吉田」一人にして逃げ切りたいという思いは、良く伝わった。
おまけに、その発端が池上彰氏の批判がきっかけであり、社長自らの気持ちでも無かったらしい。
ともあれ社長の謝罪となったのだが、テレビを見ていて私は清潔感を感じる事はなかった。

吉田調書の捏造記事であの日、福島の原発事故現場から、社員が逃げ出したと愉快そうに書いた意図はいったい何だったか?
また、吉田証言を利用し従軍慰安婦問題をでっち上げ、国家間の謝罪という国際的にありえない最悪の事態を作り上げ、日本という国や日本人が、世界中で信用を損ねた事の意味は一体何だったのか?
私もヨーロッパで慰安婦問題を指摘されて「日本人は悪いヤツだ」と言われた事もある。
非常にショックであった。
日本にしか居ない日本人には絶対に理解できない事である。

そういう日本人を辱める事が、新聞社の社員にとってどのくらい重要で、誇らしい事だったのか、ちょっと興味がある。
一体そういう事が、彼らに取って自慢だったのだろうか?
日本人でありながら、あの新聞社の人たちは、日本が世界中で嫌われたり叩かれる事を望んでいたのであろうか。
まあ、そういう事なのだろう。

そういうのって、左翼とも違うと思うのだが。
私も左翼の事は分かると思っていたのだが、今の左翼とは、そういうものなのか?
まるで愉快犯と同様で何ら変わる事がない。
そういう新聞社の社員が全員、川向うの工作員とも思えてしまう。

考えると、今の時代が良く分からない。

スコットランドの独立
2014/09/19

スコットランドの独立国民投票は残念ながら、独立派が敗北した。
投票率は高く、有権者97%、428万人が投票に行き、国民の関心が高かった事を示した。
それも16歳以上の人間という、高校生レベルにも政治・国家に付いて考える機会となった、大きな事件でもある。

イギリス連邦は、イングランド、スコットランド、北アイルランド、アイルランドと4つがまとめられた連邦となっているのだが、北アイルランドの激しい独立運動も終止符を打った格好になっていて、今回のふって湧いたスコットランドの独立機運は大いに興味がそそられた。

しかし、結果は独立せず!
民族が独立をしないと言う事の意味は、非常に大きい。
自分達の言語は失われ、境界も失われ、それでも善しとすることは、どういう事か。
客観的に見れば、スコットランドはイングランドに併合されているわけで、それでも良いと言う結論が出た事は、誠に興味深いものがある。

アイルランドの独立運動の時にも、アイルランド語が英語とかなり異なっていおり、宗教・民族の思いが絡み、IRAなどという過激なテロも起き相当混乱したのだが、それでも国民投票で、それにも関わらず多くの国民が現状維持を望んだ事におどろいた。
今回は、もうちょっと運動の機運が市民の間に平和的に起きていたので、もしやという期待はあった。
私は大いに失望したのであるが、民族自決運動だとか、右だ左だとか、宗教などと言うけれど、早い話が、人間のプライドが経済に負けたと言う事である。
経済の損失の心配が、人間の尊厳の損失より強い、という社会になったのである。

独立を果たす国もあれば、独立不要な国もある。
人間は不思議だ。

BILL EVANS “MOON BEAMS”
2014/09/18

BILL EVANS “MOON BEAMS” RIVERSIDE RLP428 (USA)

久しぶりに綺麗なものが入荷。
入荷と言っても先月の末から、店に飾ってある。
直ぐに売れると思ったが、2週間経ってもまだ店にあるから、意外に動かなかった。
アルバムの女性「ニコ」が、店の壁が気に入ってしまったのだろうか。
こういうのが店にあると、店内も華やかになって嬉しいものだ。
「あんたは、売れていかなくてもいいんだよ」と語りかけていた。

ところで、最近はこのアルバムの写真の女性は誰か?と訊く人もいなくなった。
以前は、良く訊かれたものだが、こういう所に興味が行かなくなったのだろうか。
やっぱり時代は変わっているんだね。

でも、話さない訳には行かない。
可愛らしいアルバムの写真の彼女は「ニコ」というパリやニューヨークを拠点にしたモデルである。
モデルかと言うとそうでもなく女優。
女優かというと歌手。
歌手かというと、そうでもない。
要は、60年代当時のキーとなる女性であることが職業、というか重要である。
アラン・ドロン、ローリング・ストーンズ、アンディ・ウォーホール、ベルベット・アンダーグランド、などといった人達の間にいた可愛い女性、と言うのが立ち位置か。
兎に角可愛かったのだ。
顔だって、ものすごく可愛くて、写真を見ただけで、ドキドキしてしまうのだった。
その時代の象徴とも呼べる女性ということである。

故に、今となっては「ニコ」とネットを検索しても、ニコニコ動画が出てきてしまうくらいである。
流行という物はそういう事かと、オジサンは今更に学ぶのだ。

まあその、流行の最先端の彼女が写っているジャケット写真こそ、価値があるのである。

個人的にいうと、ニコと思えないのである。
そもそもお金のないRIVERSIDEレーベルが、幾らかかかるか分からない、ギャラの高いトップクラスのモデルを使うとも思えないのだ。
私はそっくりさんかも知れない事にしているのだ。
だが、昔からニコだと言われているから、きっとそうなのだろう。

という訳で、こんな素敵なアルバム。
ジャス界の幾多のアルバムの中で、もっとも最先端の流行の女性が登場した写真である。
いいよね、こういうの。

こういう話を知っている私は、やっぱりオールド・スクールなのかしらん。

音楽の内容?
今更!

彼岸花で
2014/09/17

近くのお寺で、彼岸花が咲いている。
白い色の花もあって、なかなか素敵である。
この花が咲くと、暑くても、お彼岸が来たのだなと思う。

この彼岸花がなぜ、お寺やお墓に多いかと言うと、別名曼珠沙華と言う通り、、花の雰囲気も何となく仏様に近い感じがするので、仏教的でもある。
しかし昔聞いた話によると、実は根に猛毒があって、動物が近寄らない。
それで、お墓に埋めた死体を動物が荒らさないため、と言う理由があったらしいのだ。

というわけで、実際に「墓守」としても高い能力があった。

ところで、この猛毒の彼岸花を我々の祖先は食べていた。
それは私も祖母などから訊いて知っていた。
水にさらすことで、でん粉が食用になる。
思えば、かつて我々の祖先はそういう毒のある植物を食べていたわけで、米などが主食になるのは、江戸時代になってからの話で、それでも貧しい農家などでは、ありとあらゆる木の実、芋などの部分を水で晒したり、灰汁で取り除いたりして食した。
そうでないと飢えてしまう。
例えば、どんぐり、トチの実、銀杏、芋類、梅、などそのほとんどが毒を持っており、それらを丁寧に毒を取り除き、食用にしていた。
私の子供の頃は、ちょっとした植物の料理に灰汁を使うなどは、よく聞いたものだ。

経済的に豊かになり、手っ取り早くて美味しいものが簡単入手できるようになった。
日本人は歴史的に行ってきた料理方法を、すべて失ったと思っても良いかもしれない。

飢饉が来たら我々は皆死ぬのかな?
もう、どうでもいいや。

ジャズ喫茶の音(続き)
2014/09/15

昨日の続きで、
ジャズ喫茶「オリンパス」の後、もう一軒行くかと、「アディロンダック」に寄った。
ここは以前は、我々と同じようなレコード屋だったのだが、飲食店に転業した。
お客様から伺った評判も良く、通っている人が多いので、私も一度行って見ようと思っていた。

それで、オーディオの事。
スピーカーはJBLの小型のが、当店のように天上付近に入れてある。
きっとウチと同様、置き場所が無かったのだろう。
しかし、音質のセッティングは上手い。
流石、長年ジャズのレコード販売に関わっただけの事はある。
何が良いかというと、音の余韻がちゃんと出ている。
「音の余韻」、こういうのは、ちょっとの事では上手くは出せないもの。

ジャズは大体が、大きな音、迫力の音の方に目が行ってしまうが、もう一つの味わいが必要で、金を掛ければ良いというものでもない。

感心して帰って来た。



ジャズを聴いて
2014/09/14

幸いな事に、私は昭和40年少し前からジャズを体験する事が出来た。
主に昭和40年、西暦1965年で、それは東京に出て来た事が大きな理由である。
1965年であるからして、すでに1950年代は終わっていた、だが、我々にはまだ50年代のジャズは現役で、そのまま冷凍庫に保管されていたかのように、開けば新鮮のまま、音は耳にほとばしった。
ジャズ・ジャイアンツの演奏は実際に見る事は叶わなくとも、幸いな事にジャズはジャズ喫茶にあった。
私は、新宿の木馬、ポニー、あかしや、ビレッジゲートに行き、渋谷ではデュエット、スイングなどがあり、東京の生活を始めたアパートのある吉祥寺ではファンキーに通った。
思えば、何処も大音量でウルサイ音であるが、それでも十分に満足でモダン・ジャズに酔いしれた。
私にとって、そのどれもが新鮮なジャズで、そこで聴いた誰の演奏もアメリカを代表する芸術である偉大な音楽であった。
私は、ジャズさえあれば満足で、ジャズが世界のどの音楽よりも斬新で、芸術的であり、民族の怒りを感じる音楽でもあり、ちょうど青春のやり場のない不安や怒りと同化する事ができた。

私の斜に構えた人生観にジャズがぴたりハマった。
とどのつまり当時、ヒガミにネジまがった私の心に、なぜか表面的な明るさの中にこそ実は哀愁がある、ジャズという音楽が無くてはならないものだったのだ。
以来40数年、そのまま、人生は過ぎてきた。
たった一つ、ジャズにレコード屋として関わっている事だけは、己の中でなんとも嬉しい。

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