HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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DON CHERRY 東宝レコード 2枚
2014/10/15

DON CHERRY “DON CHERRY” BYG(東宝レコード) YX-4012/3 (日本)
DON CHERRY “BLUE LAKE”  BYG(東宝レコード) YX-4022/3 (日本)

さても揃った、傑作珍盤、それも2枚一遍。長くレコード屋をやっていて良かった。
それも珍しい事に、ヨーロッパの某レーベル・オーナーのコレクションであったのを、逆輸入という事になった。
関係が無い訳ではないので、2枚一遍に紹介しよう。

ところで、このアルバムは2枚共、東宝レコードで発売された。
その時の発売レコードは、セシル・テイラー、ジョン・コルトレーンなどがある。
特にこのブルーレイクの方は来日記念盤として発売された。
という事で、レコードショップに並んでいる、レコードを本人が見てしまった。
さあ、怒ったのはドン・チェリー本人、「俺は日本での発売など聴いていないぞ」と。
さて焦った東宝は、即発売中止とした。
という噂が流れ、その後殆ど人目に付く事がないレア盤になったのである。
日本盤なのに、何故入手が困難なのかと大騒ぎになったのである。
訊く話によると、セシル・テイラーもまた怒ったと言う話もある。
どうもフランスのBYGが契約を結ぶ前に、日本側に売ってしまったらしいのだが、真相は良く分からない。

当店が店を開いた2000年当時は卵焼きのジャケットの方が、時々は出て来た。
その後は、ブルーレイクの方が時々出て来た。
今はどっちも見ない。
それもそのはずで、海外のコレクターの間でも非常に人気が高く、どんどん流出してしまったのだ。
それが今回のように、却って来る事もある。

さて、一枚目の方は、ジャケットの写真が何と卵焼き、そこに蟻が一匹たかっている、という大胆不適なデザイン。
正に、サルバドール・ダリが卵焼きの黄色が大好きで、目玉焼きをそのままスーツの胸ポケットに差して歩いたといわれるところの、目玉焼き。
良いデザインである。
2枚目のブルーレイクの方は、これまた宗教的でもありそうな硬質なデザイン。
不思議なアフリカンな極端なデザインである。
しかし、両方とも素敵なジャケットで、見ている内に良いなあ、良いなあと話している内に、私も欲しくなってしまう。

それもそのはず、演奏だってこの時期はとても充実している時期なのである。
その辺りをちょっとなぞると。彼は68・9年頃からのヨーロッパにいて、作品をリリースする。
MU PART1-PART.2  1969
Live In Ankara   1969
Human Music 1969
Don Cherry(当レコード)1971
Blue Lake (当レコード)1971
Organic Music 1971/2
Actions 1971
ジャズ史に残る重要作品ばかり、たったこれだけで如何に充実しているか理解できよう。
奥さんのモキ、新しい家族とのスエーデンでの生活の始まり、アルバムには彼女の作った刺繍の作品を使用、またアルバムには子供らも参加するなど、愛情にも恵まれ、公私ともに充実していた時期でもある。
そんな時期の作品は悪いはずもない。
いとも簡単に演奏している雰囲気さえ漂って来る。
なによりもブルーレイクに見られるようにアフリカやアラブの民族音楽などにも興味を示し、ダラー・ブランドとオカイ・テミスの曲に注目し、取り上げて演奏している。
今に繋がる国境なき演奏家達のハシリでもある。
ジャズはかつて民族音楽であったのが、進化を遂げ音楽芸術として認められるに至った。それをドン・チェリーが再び民族音楽と融合しようとした、不思議な親父なのである。

いや、日本も素晴らしいレコードを出していた物である。
今となっては、拍手喝采。
更に今回は帯付。

「目玉焼き」だけに、今回買付の「目玉」!

御あとがよろしくないかも。



(売れてしまいました。悪しからず)

ジャズの聴き方
2014/10/14

私たち年配者はジャズの聴き方と言う点に置いて、スイングジャーナルほど貢献した雑誌はない。
また、それは我々の耳をリードする点においても非常に大きな役割を果たした。

言って見れば、我々はあの雑誌の言うがままに教育、悪く言えば洗脳されていたのである。
それはそれで、今となっては、リードしていただいた方向性がそれほど間違っていた訳でもないので、善しとしよう。

ただ、聴き方について今つくづく考える事がある。
我々も、彼らのようにジャズに対峙した際の姿勢があまりに評論家を真似る事が普通であったのではなかったか。
要するに、あら捜しをするような聴き方ではなかったかという事。聴く行為があたかも音楽を「評価」する事がカッコ良いと思い込んでいたのではなかったか?
自分が評論文を書くかのように、あら捜し、批評といった観点から聴くのを、カッコ良いと思っていなかったか。
それは当時のジャズ評論家の地位が、我々マニアにとってあまりに高く、彼のようにありたいと思う気持ちがそうさせた。

私はレコード屋になって、正反対の聴き方をするようになった。
それは一生懸命に長所を見つけ出し、それをお客様に伝えようとする聴き方。
そういう聴き方を、多分マニアの方は商売しやがってと、小馬鹿にしているだろう。

しかし、敢て言うと、そういう聴き方をしたお蔭で、音楽から何かを嗅ぎ取ろうと姿勢でいなければならず、時には忍耐も持って聴き続ける事もある。
その結果、音楽の要素、例えば哀しみ、明るさ、楽しさ、風情、心地よさと言った「感情」の表現が如何に大切かと思い至った。
そんな事は当り前だと思っていた事が、実は哀しみにもさりげない中にも深い感情もああったりするのだ。
また、サウンドで聴かせる演奏家、メロディーで聴かせる演奏家。リズムの良い演奏家というかビート感の面白さ。ト−タルで上手くまとめあげる演奏家。センスの良い演奏家。
独創性のある演奏家、等々、いくらでも聴き方の方向性はある。

とにかく大切な事は、自分で「本物」のジャズのマニアであると言える人は、好意的な気持ちで対峙して頂きたいと、心から願う。
決してあら捜しから入るような、批評家になるなかれ。
アマチュアは永遠にアマチュアであれ。
私も今、聴くことに関して、素人で良かったと思う事が多々あるのである。

台風
2014/10/13

台風なので、早めに帰った。
しかし、歩いていると、確かに雨は強いものの、風が強い分けでもなくこれなら別に早く帰るほどの事も無かった。
と思ったものの、早く帰って、レコードを聴くことが出来る。
雨音が強いので、きっと周囲の家でも、ステレオの大きな音にも文句も言わないだろうと言う、浅はかな考え。


でも、まあ沢山聴くことができて良かった。


関口宏のテレビ番組
2014/10/12

日曜日の朝なので、ついTBSの関口宏の番組を見ていて、張本元プロ野球選手が出ていて思い出した。

昔、会社にいた時に、駄洒落や小話を言い合っていたので、私もひとつ作った。
小話を思い出すと。

「昨日ホームラン打ったの誰や」
「張本や」
「なんでや」
「張本人や」

と言ったら、お前は馬鹿だといわれた。
ほんまやな。

ほくほ栗
2014/10/11

私は、お昼は基本的に一人である。
それで昼食の後、口淋しくて何となく近くの小田急百貨店の食品売り場をぶらついて、その日の気分に合ったデザートを購入してしまう。
ただし、饅頭でもケーキでも一個だけ。
売り場の人に悪いので「一個だけど良いですか」と訊いてしまう。

そんな感じで、最近のお気に入りは「ほくほ栗」。
早い話が栗きんとん系の和菓子。
広島の「共楽堂」という菓子屋さんだという事を始めて知った。
だって看板の字が読めないんだもの。

栗の菓子と言えば、岐阜県中津川市の「すや」という菓子屋にトドメをさす。
秋になったら中央道を飛ばして、2・3度は買いに行きたい。
素朴な中に強さを秘めた古風な味わい。
人もこうあれ、と言われる気がする菓子である。

ところが、この「ほくほ栗」はそこまで言わない。
なんとなく美味しく、なんとなく甘く、しかししっかりしている。
食べた後も幸せ感がある、巧い造り。
普通に美味い所がよい。
そうそう、ここのお菓子屋で気に入ったのがあって「ひとつぶのマスカット」という葡萄のまわりに砂糖をまぶしたお菓子。
これも夏から初秋の味わいで良い。
なんたって、売り場には珍しく試食品が置いてあって、店員さんと目が合うとにっこり笑って「どうぞ」、と言われ味見すれば、買わないといけない気持ちになってしまう。

EGIL MONN-IVERSEN “THE PASSIONATE DEMONS”
2014/10/10

EGIL MONN-IVERSEN “THE PASSIONATE DEMONS” WARNER BROS NE 20 000 7 inch (NORWAY)

さて珍しいEPの登場である。
あまり聞いた事のないミュージシャンの名前のEPなど、私もちょっと取り上げにくい。
しかし、試聴して行くと、急に凄いサックスが出て来て、あれっと思い、ジャケットを読むと出ている、出ている。
なんと一曲のみであるが、あのテナー・サックスのドン・バイアス(DON BYAS)が参加しているのである。
思わぬ収穫。
1960年 オスロにて、録音と。
だとすると、これがオリジナルという事になろう。
それもワンホーンでバリッとしたサウンドを聴かせてくれる。
これは有り難い。

それで気分が良くなって、またA面から聴き直すと、アイナー・アイバーセンの名前が。
それだけ読めば、問題はない。
ノルウェー本国では超のつく才能あるピアニストで、作品数は少ないので、レコードはレア盤なのである。
そのなかで、本日のこのEPはさらに珍しいものなのである。

ところで、このEPはノルウェーの映画のサントラで、映画の題名は「非行少年の夜」というらしい。
カンヌ映画祭で賞も取っているし、日本でも公開したらしい。
62年ではさすがに私も見ていない。

ところで、目を皿のようにしてジャケットのライナーを見つめていると、コンダクターがEGI MONN-IVERSENとなっている。
それで、ピアノがEINAR IVERSEN。
これってひょっとして兄弟?親子?
因みにネットの情報によると、EGILは1928年生まれ。
EINARは1930年生まれ、それなら兄弟だろうかと思って調べると、1890年生まれと言う同名のジャズミュージシャンも出て来てしまって、オジサンあっさり降参。
ノルウェー語など解るはずもない。

面倒な時間を掛けて損した1時間と半だった。
いやいや損などない、ドン・バイアスは大変な拾い物!

ジャズの店「アディロンダック」
2014/10/09

今夜は暇だし、9時になったら急いで行こうと決めた神保町のジャズの店「アディロンダック」。
閉店に間に合うように行ったら、結構客が入っている。
なんだ、儲かっているじゃん。

この間行った時、横に座った人が注文して出て来たハンバーガーが分厚くて、とても美味しそうだったから、勢い込んで、今日はハンバーガー! と注文。

厨房で焼いた牛肉が厚い。
アメリカ風のポテトがいっぱい付いてくる。
ケチャップを掛けて、全部いただき。
アメリカンな味わいで大いに満足。

まさか、ジャズ喫茶でハンバーガーに出会うとは。
流石アメリカ仕込みの技、

店主はアンプが壊れて修理中なので、音がちょっとキンキンして駄目だと言っていた。
でも、そんなに悪くは無い。
温かみのある風情のある音で安心した。
こういう音で聴かせると、お客としては落ち着いて店に居られる。

ねんごろ
2014/10/08

昨日だか、黒海じゃなくて、本当の国会で。
山谷えり子国家公安委員が、「在特会」の元幹部らと写真に写っていると、民主党の小川氏が追及した。
そこに、民主党議員からヤジが飛んで、「ねんごろの関係じゃねえか」と。
それが、セクハラ・ヤジと考えた議員たちが、問題ではないかと、大騒ぎ。
議会は騒然、審議は一時中断とまでなったと。

ところで、「ねんごろ」って悪いのか?
ねんごろとは仲の良い事である。
私の知っている限りにおいて、昔から男同士でも仲良しを示す言い方であった。
ただ、その意味を歪めてオヤジ達がいやらしく使う事があって、男女の関係の性的関係を「ねんごろ」と呼ぶ事はある。
「ねんごろ」という言い方に、即、男女関係に向いてしまう、議員さんて凄いね。
ただ、議員さん達は清く正しい方々だが、きっとこの時ばかりは、きっと性的関係のある男女に行ってしまったに、違いない。
本当はみんな根はエッチなんだな。
しょうもない人達だ。

土井たか子
2014/10/07

今更の話ではあるが、9月に土井たか子さん死亡。
社会党の党首を務めた方で、「山は動いた」の発言も有名で、一時は国民に大人気で90年頃には「おたかさんブーム」があったほどで、社会党の絶頂でもあった。
お笑いの山田邦子による、ものまねも大ウケだった。
それが、北朝鮮の日本人拉致問題に関して、北朝鮮側の味方に付くような姿勢や、朝鮮総連との親しい関係など、結局は社民党没落の要因となった。
それだけで、すべての実績が霞んでしまう。
いったいこの方にとって政治とは何だったのか?

ところで、この方が「国会」と発音すると、中の「っ」にアクセントが付く。
私はいつも、この方が気にしているのは「国会」ではなくて「黒海」なんだな、と思っていた。
だからと言って、どうという事もない。

BILLIE HOLIDAY “LADY IN SATIN”
2014/10/06

BILLIE HOLIDAY “LADY IN SATIN” COLUMBIA CL 1157 or CS 8048 (USA)

最近、大好きで毎日聴いている。
毎日聴くなら売れと言われそうだが、ちょっと売るに売れない、理由(ワケ)がある。
まず、7月頃ステレオ盤に一枚入荷した。
それが何と、長い事オートチェンジャーで掛けていたらしく、盤面が擦れてしまって売り物になりそうもない。
そして一月もしない内に、一枚入荷したのが何とモノラルのプロモ盤。
大喜びで試聴していると、これが大外れで3回も針飛びがあって、どうしようもなく、これは泣く泣く私が購入させて頂くしかなかった。
それでも、木綿針でちょこちょこと針飛びを直し、雑音があるものの家で聴くなら我慢も出来る。
むかし水道橋辺りにあったレコード屋の親父が言っていた「雑音の向こう側で聴こえるビリー・ホリディは良いねぇ」という心境である。

ところで、このレコードは大変に良い、いやいや、大変ではなくて、恐ろしく良い。
多分、ヴォーカルの通がいて、初めてこの人のレコードを聴かせたとしたら、こんな凄い歌手がいたのかと驚くはずである。
私も、ビリー・ホリディに関する、ろくでもない過去の知識を捨て去って、改めて新人になって聴いた。
その時に思った。
こんな凄い歌い方が出来る歌手がこの世にいるものかと。
このしゃがれた声から、滲み出る風情。
人生の孤独。
人生の哀しみ。
人生の空しさ。
そして、この人は人の希望にさえ、哀しみを表現する。
いや違う、哀しみぬいた、その先にこそ、幸せがある。光が見えると言っている。

どんな豊かな人にも実は必ず付いて回る「辛さ」。
こういった感情をこれほど、最初の一曲から、最後の一曲まで完璧に歌い切ったアルバムが他にあろうか。
唄は可愛い声だったり、美しい声だったりすれば良いという物ではない。
唄は心で聴くものである。耳だけで聴いてはいけない。

ところで、当時の日本のジャズ評論家の書いたスイングジャーナルなどを読むと、このアルバムにはこう書かれている。
全盛期の彼女の演唱を知るものにとって一聴するにさえ勇気がいる程痛ましい。
彼女の声が見る影も無く凋落している。
音域は狭まり、声は衰え。
あの贔屓目の大和先生でさえ、声は衰え、声に艶はなく、不安定な声をカバーするために時に鼻にかかったような声で、耳障りな節回し、云々。勿論、最後はちょっと持ち上げてくれてはいるが、そんなものは後の祭り。
改めて、評論家に質問したい!
そんなに酷いか?ビリーホリディーの晩年の歌はそんなに酷かったのか?

評論家に大変申し訳ないが、私は全く反対の事を言いたい。
このアルバムがすべての答えである。
全く問題はない!
音域が狭くなって何が悪い?
衰えて、何処が悪い?
艶が無いって、いつまでもガキのように歌えっていうのか?

その代わりに、我々の心の中にまで入り込んで、古傷を抉るほどの声の歌手がいたか?
われわれ聴き手も、年齢に関係なくいつかは消えていく。
そんな虚しさを、共有してくれる歌がそうそうあるものではない。
評論家の文章を鵜呑みにするなかれ。
歌い手の声を、心の中でしっかりと受け止めよ。

心に響く歌はやっぱり存在するのだ。
音楽を批評家になって聴いてはいけない。

わが国で、もう盛りが過ぎたとして軽く思われていたころ、欧米に置いては、その彼女を一生懸命に物真似して勉強している歌手たちが沢山いたのだ。
その頃の、我々には聴く耳のレベルが及んでいなかったと深く反省するのである。今更ながらでも、少し追いついたかなと思うようになった。

しかし、このアルバムを聴いていていつも思う。
ストリングスをバックにして、彼女はさぞ嬉しかったのだろう、と。
歌う喜びを噛みしめて、彼女が歌った事は、レコードを聴いていれば伝わってくる。

悲しくてそして、切ないほど幸せに満ちた、素晴らしいアルバムである。



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