HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 葬式 | - 2014/11/05
- 誰かが言っていた。
「人はいつかは死ぬ、生きているうちにも人に死なれる。死なれれば葬らないといけない。それは残った人の定めである。」 弔いを儀式として営んできたし、それに疑問など挟む人はいなかった。
さて、家族社会から解放され個人の世の中になり、葬式の意味合いに疑問も出て来た。 葬式は無駄、お金が勿体ない、人の集まりは不要と思う人も出て来た。 かつてのこういう事も含めた「地獄の沙汰も金次第」と笑って済ませていたが、そうは行かないらしい。 何しろ、お寺が遠い、近くても遠い。 科学優先の合理的な思想が広がり、一般的に宗教が遠くなった。 葬式など合理的に考える人などかつては居なかったが、合理的に考えてみれば、その通りである。
それで、かつてはどうであったか考えてみた。 かつて我々の祖先は、人は死ねば野に捨てていたらしい。 川の傍、山のふもと、野原などにそのまま放置したらしい。それが「野辺送り」という。 いまも葬式の事をそう呼ぶのは、その名残であるう。 まして自然環境も厳しく飢饉があればたちまち多くの人が死んだ。 それが農業の進歩で米が作られるようになり、人口も増え、住む場所も定められて、墓地も決められ、徐々に家族の愛も深まれば葬式くらいはしてあげたいのは人情、先祖代々の、弔いの儀式化は当然の事となった。 そして家によって葬式にも格が出来る。 それが今に至る。 家の存続という意味合いを重ねれば、それは大きな意味があった。
我々子供の頃から、そういうしきたりを封建社会の名残として、さかんに否定してきた側面もあり、自由な今となっては、原点に返る事、その文字通りの「野辺送り」で良いと考える人達が出て来たのは、皮肉な結果である。 葬式の大きさで家の存在を示す要のない庶民としては、そうでもしたい所。 人生をシンプルにしよういう生き方もあるからには、死もシンプルにしたいのだろう。 もう、好きにしたらいい。
私も遠い田舎にあるお墓など、一体誰が来てくれるかと考えると、どうしようと悩む。 だけど葬式や墓は自分の骨の片付けには良い機会で良い場所でもある。というと、自分の骨の捨て場所と同じ意味しか持たない事になってしまう。 罰当たりな話でなってしまった。 しかし、死んだ事を考えているようではイカン、今をしっかり生きる方が重要だ。 人生いたるところ青山あり! と言うものの、死んだらあの世で自由だと思いたいのだが、死んだ後も本人の意志とは無関係に、残した財産は法律に縛られると言う不可思議な社会。 人間は厄介だ。
しかし、「野辺送り」という本当に淋しい葬り方から、やっと葬式ができる豊かな世の中になったと思ったら、今度はお金がもったいないから、「野辺送り」に戻りたいとは、本当に人間とは不思議な生き物だ。 大体死んでゆく人間が自分の事の葬式など気にするな、黙って死んでゆけと言いたいところである。
(後日) 知人の話によると。 今はお墓を持ったとしても、石屋さんと寺とが組んで課金システムが出来上がり、年間使用料はじめ、買う時、放棄する時などいちいち多額のお金が取られる事になったと。 そんな多額のお金の支払いを、後に残った人たちに払わせるのは忍びない、一層の事、お墓は要らない。 という事であった。 そりゃ、その辺に捨ててくれい!という気持ちにもなるわな。
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| 安倍総理大臣危うし | - 2014/11/04
- 株価を吊り上げ、必死に景気回復をアピールし、消費税を10%に値上げをしたくて仕方ないらしい。
見え見えの策も危うし。 オマケに女性登用に頭がいっぱいになっていたのか、女性閣僚5人も登用した内閣改造も、法務大臣の松島みどりの「うちわ」配布で違反、看板だったはずの小渕経産相の不正資金問題と、ふたり一遍に辞任。 続く人事も野党の追及厳しく最早、しどろもどろ。 一体何のための内閣改造だったのか、国民もガッカリ。 中国には領土荒らされまくり、北朝鮮拉致問題の先は見えず。 すでに改造内閣終焉の様相すら呈してきた感がある。 こんな程度だったのか、安倍内閣?
おもえば、「美しい国」のスローガンの元、2006年誕生の第一次安倍内閣は、この時も松岡農水大臣がお金の問題で野党の追及を受け結局自殺に至った。 その後を受けた大臣もお金の問題で辞任。防衛長官の「原爆しょうがない」発言もミソを付けた。 なんやかんやでたった1年で総理辞任。
あの時の、状況と似て来た感がある。 議会解散で、選挙で勝って消費税10%狙いか? もう、消費税の値上げは勘弁。 安倍ちゃんは、もうちょっと経済の事を考えていると思ったのに、意外に真剣でなかったようだ。 我が世を守るためと噂の立った今回の内閣改造、無念だが裏目に出たな。 己の事やら、消費税やらを優先しては、正体見えたりと言うところか?
首相・官僚といった、国のリーダーに最も大切な事は国民を「俺」が守って行くんだ、という意識。 ここの所が、欧州のリーダー達との違いかな、といつも思う。イタリアを除いてね。
残念!
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| 吉本隆明「開店休業」 | - 2014/11/03
- 吉本隆明の人生最後の本かどうか知らないけれど、「開店休業」。
本人が書くと、それに彼の長女がエラそうに注釈をつける、という算段。 それはそれで面白いのだが、注釈も本の半分ほどまで進むと親子と言えど、それはやっぱり他人の揚げ足取りであって、けっこう読手は疲れる。 まあ、吉本の本なのでそれはそれで結構。吉本の名前だけで、有り難く読んでしまう習慣だから。
でも、その中に気になった所が、 それは、群馬の方に名物をいただいたと。 想像すると多分「焼きまんじゅう」であろうか。 その解説に長女(ハルノ宵子)がこういう箇所がある。
「群馬の名物や五平餅、長野のお焼きなども、粉やごはんや味噌、余った野菜や漬物さえあれば、いつどんな時代でもお母さんが作れたおやつ.....。“貧乏っちい”おふくろの味だったり、余りものだったりするのだろう」
ここはちょっと馬鹿にし過ぎだな。 私の田舎においては五平餅が名物の一つであるが、これは余りものではない。 断じてない! それどころか神に捧げる意味合いさえある。 今年収穫できた新米をありがたく頂戴するお祝いでなのである。
収穫が終わったところで、近所が適当に集まり、新米をつぶして五平餅をつくる、串に差し焼き上げて、前日から作った胡麻や荏胡麻、また甘味噌のたれを掛け、何度も焼き上げたもので、余り物でちょういょいと作ってしまう程度の物ではない。 親父達は客間で飲み、母親達はお酌に廻ったり、一緒に席に着いたり、台所で子供に食べさせたり、大忙し。 子供心にも楽しい一夜の集い。
群馬の焼きまんじゅうも中々の名物である。 それぞれ、準備しないと作れない食べ物である。
まあ、見た目がお洒落な方々から見れば、雑な食べ物にしか見えないかもしれないが、我々には違うんだな。 我々は貧乏だったけれど、貧困ではなかった。
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| 元寇 | - 2014/11/02
- 今日はもう東京に帰るので、時間がない。
無いが、何しに福岡まで来たのかと思い、廻れるところは廻ろうと、まずレコード屋これは当然の事。せっせと廻った。 これが本来の出張の目的! といっても3・4軒
それから私の念願の「元寇」、蒙古襲来関連の史跡を見る事。 まず、元寇史料館、これは正直に言って今一つ。元軍の軍服というか当時着ていたであろうと思われる物が展示してあって、見る物はそのくらいか。 まあ、それでも貴重な資料である。 次に防塁跡。 これはタクシーの運転手さんに頼んで連れて行ってもらった。 何とかいう高校の横に、石垣が残っていた。 20数年前に、会社の出張ついでに、もっと遠くの防塁を見に行った事があるが、防塁は当時の人々の苦労を偲んでオジサン感動。
元寇は日本史の中で、現代に続く日本人の心の在り様にも関連したり、戦争遂行に利用されたりした大きな戦争で、それも勝ち戦であった。 当時の世界最強かつ残酷と言われた蒙古軍が二度にわたって押し寄せたのだが、当時の武士の戦術と活躍、土塁を築いた戦略などが功を奏し、更にそこに台風が来たという運の良さが重なった結果、世界トップの蒙古軍を壊滅・撤退に追い込んだのだ。 特に二度目の弘安の役軌の際は、ゲリラ戦法も用い効果的な戦いぶりで、船を拠点とする元・高麗連合軍を苦しめ、そこに台風と人と自然の力を最大限に利用した戦いは、類がないほど見事で、そんな話は歴史好きにはたまらない。
それが良いか悪いかは別にして、日本の戦争でのいかなる逆境に陥っても決して負けない神も味方するという、不敗神話は何しろこの時の「神風」神話のたまもの。 大東亜戦争の神風特攻隊の名称にもなった。 日本人の心にも残ったこの事件が、福岡県という一地方だけの事件だった事を思うと、灌漑深いものがある。
鎌倉時代は歴史の中で、最も面白い部分だ。 私ですら、日本史の授業で鎌倉時代の1274年の文永の役、リベンジ戦の1281年弘安の役は、年号も忘れない。ここは「イギナシ」1274年と覚えるのだ。
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| 今日は休んで | - 2014/11/01
- 福岡に行った。
知り合いが、スペシャル・オリンピックスという知的障害者達の日本大会があって、そこの仕事に行くから手伝えと言われたから。
スペシャルオリンピックスとパラリンピックと違って、オリンピックの組織に属していない。 それはいつでもどこでも開催しようという、地域活動の積み重ねだからである。 元になるのはアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの妹さんが始めた事によるもので、それが徐々に広がったものだと。
それで、福岡市の陸上競技場に行って見ているとなんと、米国大使のキャロラインさんがおられた。 親戚が始めた世界に広がった運動といえど、来るのはエライな。
正面に来たので、ハーイと声を掛けると、コンニチハと日本語と笑顔が帰って来て、おじさんドギマギしてしまった。 英語で来てくれたありがとうと英語でどうやって言おうと思たが口から出なかった。 すぐに、そのあと、マラソンの有森裕子さんが来て、お疲れ様って、にっこり笑って挨拶してくれた。
びっくりしたなもう。 緊張して写真も撮る事など考えもつかなかった。
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| DON GAIS “JAZZ AT THE ATLANTIS” | - 2014/10/30
- DON GAIS “JAZZ AT THE ATLANTIS” GRAMMO CLUB GC 658 (SWISS)
10インチ盤
スイスの非常に珍しいピアノ・トリオのアルバム入荷。 スイスのアトランティスといえば、あのエルジー・ビアンキの10インチで今や日本でも有名なクラブ。 それで出されたアルバムだった。 それに、このドン・ガイズというピアニストは別にスイス人ではない。 れっきとしたアメリカ人である。 ちょっと探したところ、1919年NY生まれで、REX STEWART(レックス・ステュアート)楽団に居たようで、50年前後にはヨーロッパの演奏旅行をしていて、その時の記録が48年にフランスのBLUE STAR(ブルースター・レーベル)から78回転SPが数枚発売されている。 その後数年経って、1958年彼はスイスにいて、このアトランティス・クラブでのライブ録音という事になる。 何しろレコードの少ない人だから。
それで、このピアノ・トリオを聴いていたら、出来が良いので、興味を持って調べてしまったというわけ。 それで、1958年と言う所は分かった。 メンバーは、Don Gais(p) Paul Girard(b) Pierre Favre(ds)。 あれっ?ドラムがピエール・ファーブルと来たら、これは放っておけない。 何と言ってもフリージャズ・ドラマーの第一人者、確かに彼もスイス生まれ。 これはひょっとして彼の初録音かと思ったのだが、彼は1937年生まれで、天才といわれ17歳からプレイををしていたというから、21歳で初録音では無いかもしれないが、ひょっとしてそういう可能性もある。 フリージャズの人たちは、得てして初期の演奏を隠したがる傾向があるから、まあそんなものかもしれない。 私は初録音と見た! 所で、彼等は60年代に結構トリオを組んでいて、何年かは分からなかったが、確か女性ヴォーカル・アルバムのバックを勤めてもいたはず。 それなりにクラブなどで仕事はあったのだろう。 こうやって見ているとジャズのレコードに関する興味は尽きない。
そうそう、ところでこの演奏。 なかなかどうして立派。 派手さはないが、じっくり聴かせる名盤である。 そんな事は当たり前で、REX STEWART楽団にいたピアニストであるのだから、当時の人たちのモノが違うと言うか、センスが違うのだ。
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| 国家的犯罪 | - 2014/10/29
- 北朝鮮国家による、日本人拉致被害。
北朝鮮と略しても良かったかな、昔は朝鮮民主主義人民共和国と言わないと、左翼青年に「おいっ、正しい名前で言え」と怒られたものである。それでちょっと民主主義が抜けてもいれば馬鹿な奴と見下されたものだ。 今は大丈夫、だってテレビ朝日や朝日新聞が一番攻撃的だから。 可笑しいよね、自分達があんだけ持ち上げて置いて、都合が悪くなったら共産国家でもこき下ろす。 本当は思想なんて無かったんだろうな。
って、そんな話ではなくて。 北朝鮮が拉致の被害者・国家の犯罪状況やらを調べて日本に報告する事になっている。 それでマスコミも連日、いつ出て来るのか、進捗告状況が悪いの、時間がかかるの、だらしがないの、と言っている。 ところで、これってヘンだなと誰も言わないが、オカシイ。 北朝鮮は国家犯罪の報告書をつくる、日本はお金を払う。 何かオカシイ。 犯罪者に自分で調べて報告しろと言われて、ハイとまともに報告する人間がいるか? そしてここでも金! いつでも金! それでは国として体をなしていない。
北朝鮮が己の国家犯罪を、そのまま出すはずがない。 日本とは何と御人好しの大ばか者か。 ここは日本政府が独自に調べないと。 今まで社会党はじめ左派が隠し通した事も含めて、せっせと洗い出し、北朝鮮の情報を調べるのだ。 情報部を作らないと、こんな時に、国民を救う事すら出来ない。 一層のこと、英国のMI5(エマイ・ファイブ)や米国のCIAにお金を払ってやってもらうか? いやいや、自国の国民は守らないと。 それが出来ない国家など国と呼べない。 考えれば、日本は弱いな。
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| ホッチキスの弾 | - 2014/10/27
- ウチの従業員、ホッチキスを使おうとして針が切れていると、「終わったらさ、入れておいてよ」という。
その度に、昔いた会社を思い出す。 そういう事をいう課長がいた。「おい、終わったらさその人が弾を入れておけよ」 ハイと頷いた女子が、その課長が居なくなった途端にこう言った。 「最後に使った人には、針が切れた事は分からないのよね」。
間違いない。 使い始めの人が、「お、弾切れだぞ」と気が付いた時に入れるのが正しい。
働かない人には、こういう事が解らないんだな。 と思いながら今朝、大小2つのホッチキスに弾を入れた。 エヘン!
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| 自動車の自動運転 | - 2014/10/26
- 最近、自動車の自動運転というものが出来て盛んにCMでもやっている。
これは、又不思議な事。 自分のクルマを運転するという事は、どういう事かというと、道路上において運転者が運転中に起きた事に対して責任を持つという事に他ならない。 これが、車が自分で運転すると言う。 オジサン考えてしまう。 そこで、自動運転とは、運転者から責任を奪う事である。
という事で運転者に運転させない自動車であれば、自動運転の自動車が事故を起こしたら、製造者が責任を取る事になるしかない。 そうでないと、説明が付かない。 運転は車がしますが、責任はあなたです、それではオカシイ。 運転者にあるのは管理責任であって、自動車会社が何と言おうと、「運転責任」はやっぱり作ったメーカー側という事になるな。
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