HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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BILLY TAYLOR “TAYLOR MADE PIANO”
2014/11/10

BILLY TAYLOR “TAYLOR MADE PIANO” ROOST 2222 (USA)

ちょっと面白いアルバムが入荷。
今更ビリー・テイラーなどと馬鹿にしたものではないのだ。
まず、このアルバムの構成は3つに分かれている。

1つ目、それはB面なのだが、チャールス・ミンガスとのトリオで3曲。
ミンガスとの演奏だけあって、緊張感もあり演奏は素晴らしい。
All the thing you areなど、彼独特のメロディ感もあって聞かせどころは多い。
私としてはミンガスの事は最初に書かないといけない。

2つ目 A面の3曲 Mundell Loweのギターをフィーチャーしたクァルテット。
なかなかスイング感であって良い。

3つ目 A面の3曲 Chuck Wayneのギターをフィーチャーしてあるのだが、こちらはコンガとパーカッションのクインテットという編成。
ところで、そのクインテットに何とZoot Simsがクレジットされているので、一生懸命に聴き耳を立てると、ついぞ最後まで、ズートの華麗なテナーのサウンドが無かった。
なんだインチキか?と思いながらよく見るとMaracasと書かれている、それってマラカス? カラオケ・スナックなどに置いてある、あのマラカス。
噂話によると、どうも録音の時に、近くで出演していた彼らが遊びに来て、そのまま楽器を持たされて演奏したものだと。
なるほど、そういう事か。
ズートのマラカスだけで参加したアルバムなど、ちょっと珍盤である。
ここの所が最も面白いところである。

アルバムのタイトルはビリー・テイラーだけに、「テイラー・メイド」とは上手い。
どこにでもあるような、吊るしのジャズではないよと、訓練を積んだオリジナリティー溢れるジャズがあるのだと言いたいのだ。
気合が入っている。
逆にジャケットの写真の彼は、歯を見せて笑っていてあまり気合が入った様子はないが、真面目そうで好感が持てる。
彼のメガネはいつもこんなメガネだが、モンクのメガネ・ファッションに影響されたのか、なかなかの存在感のあるメガネである。

元々、10インチで発売されていたものを、12インチするにあたって、ルーストではビリー・テイラーの録音が少なかったので、無理やりに入れたのであろうか。
何しろ当時のアメリカに於いて彼は相当な人気だったのである。
何がなんでも発売にこぎ着けたのかったかもしれない。

彼の演奏はアメリカ的な演奏というか、明るさがあって、弾むような感じがあって、ノリノリという所は流石である。
1952年当時の最新ジャズ・ピアノであった事は間違いない。

BUD SHANK “ FLUTE n’ ALTO” WORLD PACIFIC
2014/11/09

BUD SHANK “ FLUTE n’ ALTO” WORLD PACIFIC WP-1286 (USA)

このアルバムは好きだ。
何処が好きかというと、ジャケット写真が大好きだ。
とくと、見て頂きたい。
前景に子供が居て、蕾の付いた桜の枝を上の方から引っ張り下したのであろう、顔のあたりでしっかり両手で握りしめている。
子供の指先に力が入っている。
ポーズをカメラマンに言われたのか、しっかりカメラ目線である。
その彼の髪はちょっと縮れていて、茶色がかっていて、それをグリスを付け八・二に分けたお洒落なスタイル。
そんな感じがなんとも言えず可愛い。
将来が女を泣かせるような男の子になるのではないかと心配させるような、小まっしゃくれた感じが良い。
良いモデルである。
その向こう側に、今日の主人公がフルートを吹いてポーズを取っている。
だが彼の姿はぼかして写してある。
ぼかしているが、主人公はバド・シャンク。
その雰囲気は柔らかな音楽であると、全体を淡いクリーム色の色調にしている。
上の空いている場所に「BUD SHANK」と書き入れ、左下の場所に本当に柔らかな音楽ですよと言いたげに「flute n’ alto」と書き込んでいる。
これほどの柔らかな雰囲気と、ほのぼのとした気持ちにさせるジャケットは、そうそうある物ではない。
主人公の姿はぼかして、脇役の子供にピントを合わせた。
写真の主役は子供だが、レコードの主役はバドだと。
ジャケット芸術として見事な写真である。

この写真を取った人はウイリアム・クラクストン(WILLIM CLAXTON)というカメラマン。
彼の記憶によると、「ある日曜日の朝、私はバドのジャケット写真を撮りにサン・フェルナンド・バレーの彼の家に出かけた。どんな写真にしていいか全く定かではなかった。植込みのまばら彼の家の際で撮影を始めると、そこに通りかかった近所の少年が見物を始めた。私は芽を吹き始めた桃の小枝を持たせて前景に置き、背後にバドを立たせ少年を撮った。この音楽の雰囲気を巧く伝えているように思えた」(写真集:JAZZ WEST COAST 美術出版)

なーるほど。
素晴しいカメラマンだ。
ところで、桜では無くて桃だったのね。まあ、いいか。

音楽は勿論文句はない。
無いが一応、後で怒られといけないので、注釈が必要かと思う。
このアルバムは2枚のアルバムからの寄せ集めである。2枚購入すればこのアルバムは必要ない。
だが私のようなコレクターでへそ曲がりにはこのアルバムはとても価値がある。
それは聴けば解るのだが、このジャケットを見ながら聴いた時に、とても音楽とマッチしていて、耳に入ってくる音楽と目から入ってくるジャケットを通したイメージが良く合うのだ。
CDでは多分、意味は無いと思うが、12インチ四方のLPサイズの画像=写真の持つ、イマジネーションの凄さである。
いかなる状況にも惑わされる事なく冷静に聴く事が出来る方々を除いて、興味ある方は是非試して頂きたい。
きっと納得される事と確信している。

良いレコードだねぇ.....。


JOHN COLTRANE “BLUE TRANE” EP
2014/11/08

JOHN COLTRANE “BLUE TRANE” BLUE NOTE 45-1691 (USA)

今日の一枚はちょっと違う。
あれっ!番号が違うぞと思った方は通。
そう、こちらはEPなのである。
コルトレーンの初期の大名盤ブルートレーン(BN1577)のタイトル曲を、シングル・カットしたもの。
それも、Van Gelderの刻印があるから、彼のカッティングである。
米国のEP故か、ジャケットは付いていない。
ないが、こういうのを見るとコレクター心が躍る。
なにしろ、LPとどう音が違うのかと。

それで、聴いてみた。
私だって早く聴きたい。

途中フェード・アウトして、B面にひっくり返さないといけないが、そこはそれ7インチ盤であるから、当り前田のクラッカー、嫌がらずに手間を惜しまないように。
これぞ趣味の道である。

聴いた結果、なかなかの良い音質である。
ちょうど店内の壁の花になっているオリジナル盤と聴き比べてみると。
LPの方が強烈になっていて、よりジャズの激しさを感じる。
EPの方が自然な音色。
うん、RVGのEPも恐るべし。

オジサン、コルトレーンは40年以上聴いて来たが、こういうのを聴くと、また興奮シマクラチヨコ。
感動した。
どちらも負けていない。

好みでどうぞ。
いや、この際、2票どうかな?

万引き犯
2014/11/07

下北沢のサボテン・レコードに行く。
顔を見るのは久しぶり。
しばらく話をして帰る。
儲かっているようで、羨ましい。

歩いていると、突然ス−パーマーケットから走り出た青年。
それを叫びながら追いかける紺色のスーツ姿のおばさん。
当然追いつかないと見たか、おばさんが進行方向の先にいる男性たちに何か大声で叫んだ。
するとおじさん達が通せんぼをする。
犯人青年はUターンしてこちら側に戻って、走りぬけようとする。
そこに居合わせた青年、両手を広げ、正面から来た犯人青年をしっかり受け止めると、体を入れ替え見事な体落し。
きれいに決まった。
背中が付いたところで即、首を締め上げる。
犯人まいった。
周囲の人が犯人の腕を押さえて、地面に座らせる。
オバサン慌てて、もういいですから。
そばにいた一人が、110番で警察に電話。
見事な連携プレイの勝利。
オジサンの出番、いっさいなし。
万引き犯よ、ざまあ見ろ、と言う感じ。

いや、ウチもこうやって犯人を捕まえたかったな。

アマゾンの本
2014/11/06

アマゾンで時々、本を買う。
それで価格を見ているとおかしなことがある。
それは新品の本が在庫であるにも関わらず、中古の本の価格が、新品の価格を上回っている事が多い事。
なんで?
初版とか、おまけがあるとか、特別なセット物なら分からない訳ではない。

新品があるのに、なんで?
ヘンだ。



葬式
2014/11/05

誰かが言っていた。
「人はいつかは死ぬ、生きているうちにも人に死なれる。死なれれば葬らないといけない。それは残った人の定めである。」
弔いを儀式として営んできたし、それに疑問など挟む人はいなかった。

さて、家族社会から解放され個人の世の中になり、葬式の意味合いに疑問も出て来た。
葬式は無駄、お金が勿体ない、人の集まりは不要と思う人も出て来た。
かつてのこういう事も含めた「地獄の沙汰も金次第」と笑って済ませていたが、そうは行かないらしい。
何しろ、お寺が遠い、近くても遠い。
科学優先の合理的な思想が広がり、一般的に宗教が遠くなった。
葬式など合理的に考える人などかつては居なかったが、合理的に考えてみれば、その通りである。

それで、かつてはどうであったか考えてみた。
かつて我々の祖先は、人は死ねば野に捨てていたらしい。
川の傍、山のふもと、野原などにそのまま放置したらしい。それが「野辺送り」という。
いまも葬式の事をそう呼ぶのは、その名残であるう。
まして自然環境も厳しく飢饉があればたちまち多くの人が死んだ。
それが農業の進歩で米が作られるようになり、人口も増え、住む場所も定められて、墓地も決められ、徐々に家族の愛も深まれば葬式くらいはしてあげたいのは人情、先祖代々の、弔いの儀式化は当然の事となった。
そして家によって葬式にも格が出来る。
それが今に至る。
家の存続という意味合いを重ねれば、それは大きな意味があった。

我々子供の頃から、そういうしきたりを封建社会の名残として、さかんに否定してきた側面もあり、自由な今となっては、原点に返る事、その文字通りの「野辺送り」で良いと考える人達が出て来たのは、皮肉な結果である。
葬式の大きさで家の存在を示す要のない庶民としては、そうでもしたい所。
人生をシンプルにしよういう生き方もあるからには、死もシンプルにしたいのだろう。
もう、好きにしたらいい。

私も遠い田舎にあるお墓など、一体誰が来てくれるかと考えると、どうしようと悩む。
だけど葬式や墓は自分の骨の片付けには良い機会で良い場所でもある。というと、自分の骨の捨て場所と同じ意味しか持たない事になってしまう。
罰当たりな話でなってしまった。
しかし、死んだ事を考えているようではイカン、今をしっかり生きる方が重要だ。
人生いたるところ青山あり!
と言うものの、死んだらあの世で自由だと思いたいのだが、死んだ後も本人の意志とは無関係に、残した財産は法律に縛られると言う不可思議な社会。
人間は厄介だ。

しかし、「野辺送り」という本当に淋しい葬り方から、やっと葬式ができる豊かな世の中になったと思ったら、今度はお金がもったいないから、「野辺送り」に戻りたいとは、本当に人間とは不思議な生き物だ。
大体死んでゆく人間が自分の事の葬式など気にするな、黙って死んでゆけと言いたいところである。

(後日)
知人の話によると。
今はお墓を持ったとしても、石屋さんと寺とが組んで課金システムが出来上がり、年間使用料はじめ、買う時、放棄する時などいちいち多額のお金が取られる事になったと。
そんな多額のお金の支払いを、後に残った人たちに払わせるのは忍びない、一層の事、お墓は要らない。
という事であった。
そりゃ、その辺に捨ててくれい!という気持ちにもなるわな。

安倍総理大臣危うし
2014/11/04

株価を吊り上げ、必死に景気回復をアピールし、消費税を10%に値上げをしたくて仕方ないらしい。
見え見えの策も危うし。
オマケに女性登用に頭がいっぱいになっていたのか、女性閣僚5人も登用した内閣改造も、法務大臣の松島みどりの「うちわ」配布で違反、看板だったはずの小渕経産相の不正資金問題と、ふたり一遍に辞任。
続く人事も野党の追及厳しく最早、しどろもどろ。
一体何のための内閣改造だったのか、国民もガッカリ。
中国には領土荒らされまくり、北朝鮮拉致問題の先は見えず。
すでに改造内閣終焉の様相すら呈してきた感がある。
こんな程度だったのか、安倍内閣?

おもえば、「美しい国」のスローガンの元、2006年誕生の第一次安倍内閣は、この時も松岡農水大臣がお金の問題で野党の追及を受け結局自殺に至った。
その後を受けた大臣もお金の問題で辞任。防衛長官の「原爆しょうがない」発言もミソを付けた。
なんやかんやでたった1年で総理辞任。

あの時の、状況と似て来た感がある。
議会解散で、選挙で勝って消費税10%狙いか?
もう、消費税の値上げは勘弁。
安倍ちゃんは、もうちょっと経済の事を考えていると思ったのに、意外に真剣でなかったようだ。
我が世を守るためと噂の立った今回の内閣改造、無念だが裏目に出たな。
己の事やら、消費税やらを優先しては、正体見えたりと言うところか?

首相・官僚といった、国のリーダーに最も大切な事は国民を「俺」が守って行くんだ、という意識。
ここの所が、欧州のリーダー達との違いかな、といつも思う。イタリアを除いてね。

残念!


吉本隆明「開店休業」
2014/11/03

吉本隆明の人生最後の本かどうか知らないけれど、「開店休業」。
本人が書くと、それに彼の長女がエラそうに注釈をつける、という算段。
それはそれで面白いのだが、注釈も本の半分ほどまで進むと親子と言えど、それはやっぱり他人の揚げ足取りであって、けっこう読手は疲れる。
まあ、吉本の本なのでそれはそれで結構。吉本の名前だけで、有り難く読んでしまう習慣だから。

でも、その中に気になった所が、
それは、群馬の方に名物をいただいたと。
想像すると多分「焼きまんじゅう」であろうか。
その解説に長女(ハルノ宵子)がこういう箇所がある。

「群馬の名物や五平餅、長野のお焼きなども、粉やごはんや味噌、余った野菜や漬物さえあれば、いつどんな時代でもお母さんが作れたおやつ.....。“貧乏っちい”おふくろの味だったり、余りものだったりするのだろう」

ここはちょっと馬鹿にし過ぎだな。
私の田舎においては五平餅が名物の一つであるが、これは余りものではない。
断じてない!
それどころか神に捧げる意味合いさえある。
今年収穫できた新米をありがたく頂戴するお祝いでなのである。

収穫が終わったところで、近所が適当に集まり、新米をつぶして五平餅をつくる、串に差し焼き上げて、前日から作った胡麻や荏胡麻、また甘味噌のたれを掛け、何度も焼き上げたもので、余り物でちょういょいと作ってしまう程度の物ではない。
親父達は客間で飲み、母親達はお酌に廻ったり、一緒に席に着いたり、台所で子供に食べさせたり、大忙し。
子供心にも楽しい一夜の集い。

群馬の焼きまんじゅうも中々の名物である。
それぞれ、準備しないと作れない食べ物である。

まあ、見た目がお洒落な方々から見れば、雑な食べ物にしか見えないかもしれないが、我々には違うんだな。
我々は貧乏だったけれど、貧困ではなかった。


元寇
2014/11/02

今日はもう東京に帰るので、時間がない。
無いが、何しに福岡まで来たのかと思い、廻れるところは廻ろうと、まずレコード屋これは当然の事。せっせと廻った。
これが本来の出張の目的!
といっても3・4軒

それから私の念願の「元寇」、蒙古襲来関連の史跡を見る事。
まず、元寇史料館、これは正直に言って今一つ。元軍の軍服というか当時着ていたであろうと思われる物が展示してあって、見る物はそのくらいか。
まあ、それでも貴重な資料である。
次に防塁跡。
これはタクシーの運転手さんに頼んで連れて行ってもらった。
何とかいう高校の横に、石垣が残っていた。
20数年前に、会社の出張ついでに、もっと遠くの防塁を見に行った事があるが、防塁は当時の人々の苦労を偲んでオジサン感動。

元寇は日本史の中で、現代に続く日本人の心の在り様にも関連したり、戦争遂行に利用されたりした大きな戦争で、それも勝ち戦であった。
当時の世界最強かつ残酷と言われた蒙古軍が二度にわたって押し寄せたのだが、当時の武士の戦術と活躍、土塁を築いた戦略などが功を奏し、更にそこに台風が来たという運の良さが重なった結果、世界トップの蒙古軍を壊滅・撤退に追い込んだのだ。
特に二度目の弘安の役軌の際は、ゲリラ戦法も用い効果的な戦いぶりで、船を拠点とする元・高麗連合軍を苦しめ、そこに台風と人と自然の力を最大限に利用した戦いは、類がないほど見事で、そんな話は歴史好きにはたまらない。

それが良いか悪いかは別にして、日本の戦争でのいかなる逆境に陥っても決して負けない神も味方するという、不敗神話は何しろこの時の「神風」神話のたまもの。
大東亜戦争の神風特攻隊の名称にもなった。
日本人の心にも残ったこの事件が、福岡県という一地方だけの事件だった事を思うと、灌漑深いものがある。

鎌倉時代は歴史の中で、最も面白い部分だ。
私ですら、日本史の授業で鎌倉時代の1274年の文永の役、リベンジ戦の1281年弘安の役は、年号も忘れない。ここは「イギナシ」1274年と覚えるのだ。

今日は休んで
2014/11/01

福岡に行った。
知り合いが、スペシャル・オリンピックスという知的障害者達の日本大会があって、そこの仕事に行くから手伝えと言われたから。

スペシャルオリンピックスとパラリンピックと違って、オリンピックの組織に属していない。
それはいつでもどこでも開催しようという、地域活動の積み重ねだからである。
元になるのはアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの妹さんが始めた事によるもので、それが徐々に広がったものだと。

それで、福岡市の陸上競技場に行って見ているとなんと、米国大使のキャロラインさんがおられた。
親戚が始めた世界に広がった運動といえど、来るのはエライな。

正面に来たので、ハーイと声を掛けると、コンニチハと日本語と笑顔が帰って来て、おじさんドギマギしてしまった。
英語で来てくれたありがとうと英語でどうやって言おうと思たが口から出なかった。
すぐに、そのあと、マラソンの有森裕子さんが来て、お疲れ様って、にっこり笑って挨拶してくれた。

びっくりしたなもう。
緊張して写真も撮る事など考えもつかなかった。

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