HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 夕食はひとつで | - 2014/11/20
- NAT KING COLE “SINGS FOR TWO IN LOVE” CAPITOL
英国の再発盤を聴いていて、そうだこんな曲が入っていたのだ、と聴きなおした。 “Dinner for one please, James”(夕食はひとつで、ジェームス)というとぼけたタイトル。 歌詞は Dinner for one please, james, The madame will not be dining. Yes, you may bring the wine in, Love plays such funny games 夫婦2人で取るはずであった夕食、ウチのマダムの分はいらないよ、いやワインだけは持って来てね。 愛はこんなおかしなゲームさ.... という、夕食が一人分になった事を執事に告げる旦那の気持ち、それも淡々として威厳を失うことなく、サラッと言う男の心の孤独さ。 そのあとで、執事に向かって、そう落胆するなという所など、己の悲しさを執事の表情に被せた、男の辛さが津々と伝わって来てこっちも悲しくなる。 それをナット・キング・コールは丁寧に、しかも一点醒めた様子で、さらっと歌い過ぎる。 見事な仕事である。
この歌を聴くともう一つどうしても思い出してしまう歌があって、それは ELLA FITZGERALD が歌っている “Miss Ortis Regrets“ (ミス・オーティスからお詫びの...)。 これも情景に執事が絡んでいる。 こちらは、女が主人公になっていて、歌詞は Miss Otis regrets, she's unable to lunch today, madam, Miss Otis regrets, she's unable to lunch today. She is sorry to be delayed, 申し訳ございませんが、ミス・オーティスは本日のランチに来られません、マダム。 申し訳ございません。 お許しください、と。
その理由は、先程の旦那とは異なっていて、彼氏が浮気したとかで、逆上してしまったのが発端。
追いかけて、彼女はそのビロードのガウンの下からピストルを出し男を撃ったのです、マダム。 (とマダムに報告する形式である。) その彼女の事件を知った群衆が、檻の中から彼女を引きずり出し、柳の木に吊るしてしまったのです。 その時に、死ぬ瞬間、ミス・オーティスは「今日のランチにお伺いできず、申し訳ありません」と言づけたそうです。 という話だが.....。 壮絶というか激しすぎて、もうお笑いになりそうでなんとも混乱してしまう、歌詞である。 こちらもエラは馬鹿丁寧に歌っている、見事な仕事である。
しかし、同じように相手の心変わりを知った時の反応が男と女との違いを見せられたような気がするが、現代では、果たしてどうなのか。 こういう所を歌にするアメリカ人というのは、おかしな人達だけど、きっとユーモアの範疇に入るのだろう、 こうやってジャズとか映画から、私は人生を学んできたのだ。
しかし、想像すると美人のガウンの下は素肌だったのか知らん。 そこだけ、どのあたりまでの衣類を身体に付けていたのか、昔から気になって....。
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| 近所で交通事故 | - 2014/11/19
- 新宿にいて、車を運転し左折・右折して道に入る時、歩行者がいつまでも渡っていて、通行する事が出来ない。
黙っていると一体何分経ったかと、つい時計を見てしまう事がある。 一応、道路交通法においては歩行者優先となっているので、その合間をぬって侵入すればそれは違反で警察に見つかれば切符を切られてしまう。 それで黙って待つしかない。 しかし、広い通りからの右折の場合、早く通してくれないと対向車が来たりして、それがもし接触ですれば非常に危険であり、傍にいる歩行者にも被害が及ぶ可能性が高い。 なので、私など車中にいて対向車が迫って来ると焦ってしまうが、まず歩行者に通してもらった事がない。 相当遠くにいる歩行者が、なんとなく繋がっているというだけの理由で、延々と私の前を通り過ぎて行く。
そんな意地悪な人達に対する復讐は、ほんのささやかなもので、せいぜい心の中で轢き殺すくらい。 今日も3人ほどやっつけた。 イエーイ!
そうしたら、先日この近くの交差点で本当に轢き殺した事件があった。 実践したんだね。
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| EVAN PARKER-PAUL LYTTON “COLLECTIVE CALLS” INCUS−5 | - 2014/11/18
- EVAN PARKER - PAUL LYTTON "COLLECTIVE CALLS" INCUS−5 (UK)
副題が付いていて(URBAN)(TWO MICROPHONES)。
以前もこのアルバムについて書いたと思うが、自分でも忘れてしまったしそれを探すのも面倒なの、もう一度書こう。 久々にオリジナル盤が入荷した。 英国フリージャズを代表する数少ないアルバムである。 60センチ以上の一枚の大きな紙を二つに折って、簡単なジャケットにしてしまった、このアルバム。 シンプル故か、なんという素敵なジャケットであろうか。 中のヴィニール盤を見ると黒いラベルが貼ってある。 こういうオリジナル盤を見ると心が弾む。
ところで、今日は暇だった。 それで、一枚くらい私も店で買い物をしようかと思い立ち、たまにはフリージャズのレコードが欲しいと思い、順番に色々聞いた。結構エヴァンのレコードは在庫としてあるから。 それで、最後に思い立ってこれを聴いた。
結果、この72年のエヴァンとポール、って親しげに書いても誰も知らないか、モトエ、エヴァン・パーカーとポール・リットンの2人で演奏した、当アルバムは断トツに良かったのだ。 なにより「新鮮」さが際立つ。 どうしたってフリージャズは演奏者が持っているイマジネーションがどれほど沢山持っているか、又それをどれほど吐き出し、同時に新しく構築して見せるかと至難の業の連続でもある。 そういう観点からいうと、フルージャズ運動を奨めようとしていた彼等の身体の中のサウンドの量は、とてつも無い数量のエネルギーとなって蓄積していたのだと思う。 フリージャズといえ、何度も演奏していれば、同じフレーズはどうしても出てくる。 そういう意味でもサウンドは「新鮮」そのもので、キレがある。 そういう意味でもイマジネーションを一気に吐き出したこのアルバムは、二度とないほどの表現だったと言いたい。
このインカス・レーベルは当時、毎年のように再発をくり返していたので、白ラベルの物は時々出て来ていたが、最近はそれすら見なくなった。 一応書いておこう。 オリジナルは、ジャケットは二つ折、盤は黒ラベル。 2度目は同じジャケットだが通常の作りで、盤は白ラベル。 その後は、スタンパーも変わるが、知ったとて人生に影響はないので省く。 最初のプレスは工場がメジャ−だったと思われ、音質も良好である。
ともかくこのアルバム、ビニ焼けがある事がオリジナルの証などと悪口を言われるほど、綺麗な盤がない。 それが今回は、全くビニ焼けが起きていなかった事が奇跡とも思えて、大変素晴らしい。 こんなアルバム、私も欲しい。
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| 古葉監督猫 | - 2014/11/17
- 今朝、歌舞伎町の裏を歩いていると、いつもいる猫が一匹もいない。
ニャーと呼んでいると、ひょっこり一人顔を出した。 写真を撮って良く見ると、耳が切れている。 あそうか、不妊手術を受けさせられたんだね。 人生の目的が半分終わってしまったか。
そう言えばこの猫のポーズはどこかで見た事があると思っていたら、思い出した。 古葉監督だったか、昔の広島の。 漢字も思い出さない。
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| 村上春樹「セロニアス・モンクのいた風景」 | - 2014/11/16
- 村上春樹の「セロニアス・モンクのいた風景」を読む。
かつて出された文庫本に加筆したものらしい。 という事は、一度は読んでいるのだが、すでに忘れていたし、新鮮な気持ちで読んだ。 ここ10年の内、読んだジャズの本の中では面白さはトップだった。 仕事の合間や食事時にせっせと読んでしまった。 評論家達の面目がないやね。
その中で、特に気に入った箇所 ジャズ界のスピード狂としてならす連中と夜中のドラッグ・レースをし、何度も敗れたあと、ニカ夫人はロールスロイスを手放しベントレー・S1コンチネンタル・ドロップヘッド・ク−ペを購入。 最高速度120マイル。 当時の4座としては最速だった。それは「ビバップ・ベントレー」とよばれ、多くのミュージシャンの回想録に出てくる。ハンプトンホースの書いた本もその一つだ。 午前3時、ニカがモンク夫妻、ハンプトンを乗せて走っていると、マイルスがその隣にメルセデス・ベンツのスポーツカーを停め、窓から例の小さなしゃがれた声で「レースするか?」といった。 挑戦を受けて走ったあとニカは後部座席を振り返りいつもの英国なまりの気取った声で言った「今度こそあのマザーファッカーを負かしてやる」と。どちらが勝ったかは知るべくもないが...。 ニカは死ぬまで愛車ベントレーを駆ってニューヨークの街をかっ飛ばし続けた。 2001年にクリスティーの高級車オークションにこのビバップ・ベントレーが出品された時、25万ドル(2500万円)が付けられた。云々。
桁違いの人生だ。 私はジャズやモンクの話よりベントレーが気になってしまって、その「BE-BOP BENTLEY」をネットで探すとあっさり見つかった。 絵に描いたような見事な車である。 因みにドロップ・ヘッドとはオープンカー(カブリーレ)のことである。 最高速120マイルとあるが、じっさいは170キロ位のものらしい。しかし当時としては素晴らしいスペックである。 ところで、一方のマイルスのメルセデスのスポーツカー。 とすると300SLという事になろうか、すると最高速は230キロは出るので加速も勝負にはならない事になるが、ニカ夫人も解ってやっている事だと思われる所が、好感が持てる。 アメリカ人は当時、スピードに狂っていた事が良く分かる話で、60年になっても同じだったようで、映画アメリカングラフティーの中でも夕方から街に繰り出して、レースをしては警察に目をつけられている様子が伝わってくる。 何人も死んで。 みんな、「スピード・スター」だったのだな。 良いなあ。 そういう私もいい歳をして、スピード・スターの一人でいたいといつも思っているもの。
1957 Bentley S1 Continental Drophead Coupe (Be-Bop Bentley) と紹介されている。 2,500万円か....。
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| ANDY WILLIAMS “YOUNG AT HEART” | - 2014/11/15
- 封筒が届いて、誰かと思ったら先日ジャズの店アディロンダックで会ったSINATRA SOCIETYの三具さんから。
中から「アンディ・ウイリアムス」のCD。 手紙が添えられていて、「先日お話のアンディ・ウイリアムスがジャズに縁がない歌手と思われていますが、そうではありません」と。 ちょっと話をしただけなのに、私の事も話の内容まで覚えてくれて、おまけにCDまで送っていただき、こちらが恐縮してしまう。
早速CDを聴くと。 バックのメンバーはジャズメンのHANK JONES, MUNDELL LOWE, BARRY GALBRAITH,等そうそうたるジャズ・プレイヤーばかり。 音質も良く、ソフトな声にスイング感のある歌で気持ちが良い。 ジャズプレイヤーはさすがにリズムがしっかりして、こういうサウンドが支えていると、雰囲気が変わるので私も急に耳を傾けてしまう。 リズムが立っていない時でも、リズミックな様子がちゃんと残っているので気持ちが良い。 ハンク・ジョーンズは良い。、 気に入って朝から何度も聴いた。 アンディ・ウイリアムスの歌は、昔ラジオからよく流れて来たので懐かしさが半分。 当時の歌なら即あの時に戻れるの、ぼく!
アンディ・ウイリアムスは素敵な声の持ち主で当時アメリカ本国のみならず日本でも女性ファンも多かった。 そのムード歌手がハンク・ジョーンズの粋なピアノをバックにスイングして見せたアルバム。 よくもここまで、音源を集めたものだと感心しながら、ライナーを読みつつ、聴くとどの曲もジャズのテイストがあって驚く。 三具さんの言っていた事がよくわかる。
だけれども、考えて見たら当時のアメリカを代表する歌手が、リズム感だって素晴らしいし、アメリカという国にいればジャズのテイストが無いなどと言う事があるはずがない。 ジャズ的とか、そうで無いとかいう事ではなくて、結局ジャズバンドをバックにして歌った作品が無かったという所だったのであろう。
こんな良い音源が掘り起こされて、聴く事ができるのが有難い。 そういえば、このCDはまだ売られているのだ。 興味がある方は、ネットのシナトラ・ソサエティーで購入が可能。
ANDY WILLIAMS “YOUNG AT HEART” SSJ XQAM-1053
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| CHARLES MINGUS “MIGUS AT MONTEREY” | - 2014/11/14
- CHARLES MINGUS “MIGUS AT MONTEREY” CHARLES MINGUS ENTERPRISE JWS 001/002 (USA)
1COVER・2LP
このレコードは大変なレア盤で....、とここまで書いて、詰まってしまった。 何故なら、別に珍しくないじゃん、と誰かの声が聴こえて来そうな気がしたから。 日本という世界の廃盤をリードする一大マーケットにおいては、意外に目にする機会は多いかもしれない。 しかし、しかしだ、負けず嫌いむき出しで言えば、このジャケットすなわち、カンガルージャケットと呼ばれる内側に仕切りがある簡単な作りのもので、綺麗な物を何回見たかと言われると皆、黙るかもしれない。 また目にする殆どはカラー写真になったセカンドプレスか、そのあとのファンタジー・レーベルに移る直前から移籍後の青い海に突き出た岬の写真、によるものであろうか。 それでも中に入れられたレコードは結構オリジナルままの事が多いせいでもある。
個人的にいうと、70年当時といっても発売してまだ5年しか経っていないにもかかわらず、既に廃盤でこんなジャケットは誰も見たことが無い、夢のようなオリジナル盤だったのだ。 私は入手したファンタジー盤から、遡って2度ほど買い替えて、遂にオリジナル盤を買ったものの、そのジャケットはユーザーの使用に耐える事が出来なかったであろう事を表していて、真二つに分かれていたのである。 そういう入手困難なコレクターの夢の一枚であった。 おまけに当時はミンガスの作品とあらば、一生懸命に聴き学習したのだ。 今のように、モンクと並んで、面倒な一人とは思われていなかった。いや、いなかった訳ではない、多くの人は面倒がっていた。 ただ私の周囲では、モンクとミンガスを嫌いなヤツは信用しないなどと言っていたのだ。
そのミンガスの会心作がこれ。 ミンガスもレコード会社の言う通りに出来ない一本気な性格、きっと自分で自分の作品をありのままに作りたかったのであろう。そんな念願の自己名義レーベルの誕生である。 ジャケットはモンタレーの海岸だと思われる。 その海岸を魚眼レンズで切り取った。 丸く膨らんだ遠くの海の盛り上がりが意味ありげである。 そして、色合いをセピア色に仕上げた所が、素敵。 ジャケットの作りは、厚いボール紙を重ねてカンガルーにして2枚のビニールを一遍に入れた。 マニアにはそそられるジャケットである。
演奏は1964年9月、42歳の働き盛り、モントレー・ジャズ・フェスティバル出演の記録となっている。 この頃は非常に充実していた時で、63年頃までインパルス・レーベルに録音などしていたのだが、一時休止し64年にヨーロッパへ演奏旅行を敢行し、スエーデン、ドイツ、フランスなどで大歓迎される。 その時の記録はヨーロッパのレーベルに充実ぶりが残されている。 その帰国後の、ジャズフェスであれば当然気合が入ったと思われ、彼は時間を掛けてたっぷりと練習し、準備し、フェスティバルに臨んだ。 また結果は、それだけの事はあって、しっかりした構成、アグレッシブなサウンド、力強いベース、統率力と問題など一つも感じられない演奏である。 彼はデューク・エリンントンを尊敬していたと思われ、62年にもマックスローチと共にMONEY JUNGLEを録音しているし、ここでは最初の半分はエリントン・ナンバーを取り上げていて、それもただナゾッっただけでは無く、見事にミンガス・サウンドに作り上げた。 聴いていて、改めてミンガスの底力に感心してしまった。 レコードは 1Aから2A、2Bと進み、1Bに戻って演奏は完成する。
ところで、この人、翌年のモントレー出演を誰よりも楽しみにしていたはずが、もちろん出演依頼があったものの、 持ち時間が少ないと喧嘩し、出演キャンセルした話は今となっては可愛いと思わざるを得ない。 その時の内容は「MUSIC WRITTEN FOR MONTEREY,1965” MINGUS RECORDS JWS0013,14」で、聴く事ができる。 そのJWS 013-14と、当ルバムJWS 001-02の2作は、いわばシリーズのセット物とも言える作品なのだ。
いや、いまでも心が躍る。
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| アルテック・スピーカー | - 2014/11/13
- 昨夜遅く、オーディオ友達から電話があって、今からスピーカーを運ぶと。
横幅110センチ、高さ120センチの、アルテック 820Aという50年代のコーナー型大型エンクロージャー。
慌てて体制を整え、待機。 ワゴン車でやって来て3人で下す。 2階なので狭い階段の手すりを外したり、通り道を開けるのに大騒ぎ。 それで、やっとの事で時間を掛けて上げたものの、エンクロージャーの後ろ板を2枚忘れて来るし、電動のトルクレンチは忘れて来るし、組み立てはまた次回。 その他に38センチのアルテックのスピーカーユニットは2個、高音用ドライバーと大きなホーンも一度に積むことが出来なかったらしい。 ワゴン車でも一個分が入らなかったと。 部屋にスケルトンの木枠だけのエンクロージャーがどんと置かれたまま。 ユニットが付いていなくても、これが又重い。
この片側の一個だけは、既に部屋に運び込んである。 まだ、人様に聴かせるほどに音質は完成していないが、一応聴けている。という事ではなく、音をつくるために毎日聴いている、という方が正しい。
モノラル用なので、一つで聴いたらどうかという話もあった。 しかし、モノラル用1個とステレオ用2個のスピーカーを同時に部屋に置く事は困難、なにしろアンプ類もモノラル用に1セット必要なわけで、狭い部屋ゆえにそれはどう考えても無理。 ここはテレオ装置を一つで行こうという事になった。
何はともあれ、ようやくステレオで聴く事が出来ると嬉しい。 こうなるとクラングフィルムの方をどうするか?
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| ヘイト・デモ | - 2014/11/12
- ここの辺りは、デモの通り道。
近くの公園が集合、解散の場所にもなっているので、毎週のようにデモ隊が来る。 こちらもデモ馴れしてきて、どんなデモかなんとなく様子が解る。 ところで、最近デモの様子が変わった。 今までの、リ−ダーが「○○を倒せ!」大勢が「○○を倒せ!」とゆっくりしたリズムであったのが、 最近のは、テンポが大変速い。 そういっても分かりにくいので、音楽の速さで言うと、今までは民謡調の2拍子。 最近は90くらいの速さ。 鐘や太鼓が先頭で。チャンチャカ、ドンチャカと行進曲風に進む。 リズムに合わせて、一斉に叫んで進行する。 垂れ幕も英語で書かれた物が多い。 なんのデモかと思うと、アベ倒せ、アベ辞めろ、というデモ。 組織的で・戦闘的で、これはプロとしてデモをやっているのが伝わってくる。 どうも、顔は我々と同じような顔つきだが、明らかに外人の雰囲気。 見ていると、気持ちが悪くなる。 なぜ、外人は日本の首相にケチを付けるのかと。 これってまずくない?
こういうデモは、マスコミは知らん顔している。 外国人がデモして、日本の警察が守っているってなんだかオカシイ。
そういえば、ヘイト・デモ。 ヘイトスピーチとして、舛添都知事はじめ左翼文化人や、今もマスコミが悪い悪いと大騒ぎしているデモ。 うん、悪いよね。 ところがあれは、見ているととんでもない事態で、デモの参加者は少人数で、そこにその倍以上の在日外人たちが攻撃を仕掛けていって、その暴力は非常に危険な状況であって、機動隊が守っているから済んでいたけれど、ちょっとでも遅れれば多分、何人も大けがいや死者が出た可能性がある。 もう、攻撃力・暴力が桁違い。 飛び掛かる周囲の半デモ隊の方がもっと悪く、はるかに危険。
それがマスコミのニュースには一切出ないで、ヘイト・デモだけが、いかにも悪そうに報道されている。 私など店を閉めて見に行くのだが、目の前の出来事と比べると、報道されたデモの状況の違いは、一体なんだかなあという気持ちになる。 正しい報道などない。 公正であるなら、反対勢力の行動の恐ろしさも示すべきで、また川向うで行われている日本に対するヘイト・デモもまた、きちんと報道しそれは、悪い事と反論して欲しいのだが。 なんだかウヤムヤ。
いや別に味方をしている訳ではない。 ありのままを。
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| Violets for your furs | - 2014/11/11
- 昨夜の仕事の終わりが遅かったので、車を運転して神保町のアディロンダックに行った。
暇だったとかで、店を閉めて寿司屋に行こうとしていた所だったと、ニヤニヤしながら迎えてくれた。 それで、その場に居合わせた方を「三具(サング)さん。知らない?」と紹介された。 フランク・シナトラの研究者として、ずっと以前から雑誌「レコード・コレクター」に研究成果を発表されていて、一体どんな人なのかと興味津々だったので、とても嬉しかった。 最近はまたSSJというレーベルもやり、大活躍。 そうだ、Beverly Kenneyの未発表のLP、余っていたら売ってくれ!
さて日付が変わって、 出勤した今日はまず、掃除もしないでどこかに置いたはずだと、再発の英国盤「フランク・シナトラ Songs for young lovers(capitol)」をバックヤードの棚の中から探して来て、昨日の会話で三具さんが話してくれた、「Violets for your furs」を聴く。
この曲は、歌手のマット・デニスが作ったもので、三具さんはロサンゼルス滞在中、マット・デニスが出演していると言うので、聴きに行って、本人にあの歌の中の歌詞、スミレはニューヨークの冬にあったのかと訊いたそうだ。 凄い所に着眼点。 意表を突いた質問に、一瞬沈黙があって、やがて「あった」と答えたそうだ。 それは、1940年当時、マイアミなどでは盛んに栽培されていたそうで、そのスミレの花は空輸でニューヨークに来ていたのだった、という事が解ったそうだ。 あの貧しいとしか思っていなかった、あの時代、それなのにすでに花を空輸していたとは。
スミレというと、パンジーも入れてのヴァイオレットという事になろうか。 パンジーと言わずにヴァイオレットと言った所が詩的でいいなあ。 スミレというと紫の色が、なんだか悲しそうでロマチックでいいなあ。
スミレはニューヨークの冬の街角で売られ、この歌のカップルのように、雪がちらつく街を歩きながら、ちょっとした気まぐれでスミレを買い、彼女の毛皮のエリに向かって息がかかるほどそばによって、やり難くそうな様子で、ピンで付けて上げ得意げになっていて、彼女は笑ってる情景が浮かんで、そういういう所を想像している私も幸せが溢れてしまう。 歌の、そしてあなたが甘く微笑んで、私たちは恋に落ちたんだという、冬の中の僅かな時間の春を感じさせる歌は、洗練さにほど遠い聴いているだけの私たちにも、甘い思い出を作ってくれているような気がする。 決して有りもしない事だけど。
実はこの歌は、最近私が時々聴いている針飛びのある、「Billie Holiday、Lady in satin」の中でも歌っている。 シナトラは若い時、彼女から歌の情感の出し方をそうとう学んだらしい。 学んだというとちょっと違うかもしれない、だってどちらも情感を出す事に関しては世界一だから。
しかし、聴くとホントに良いねぇ。
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