HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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DONNY HATHAWAY “LIVE” ATCO
2014/12/13

DONNY HATHAWAY “LIVE” ATCO SD 33-386 (USA)

昨日、従業員がこんなアルバムが一遍に3枚も入荷したと、持って来た。
ソウルのアルバム。
それで見た瞬間、「じゃ、一枚買っても良い?」と訊くと。
「いいよ」
「いくら?」
「1万円」
「やった」という訳で、一枚しか入ってなかった財布から全財産1万円も払ったんだ。
その後、もう一枚のレコードに貼る値札を、パソコンで印刷していると、¥9,000円になっている。
オレの方がお客より高い金で買わされたのかとムカッとして、文句を言うと、好きなのを取ったんだから良いでしょ、だって。
3枚とも、みな綺麗だったけど、客に悪いから、オレはその中でも下位だと思うコンディションのを取ったのに、一番高い金額で買わされたのか。チクショウ!
まあ、いいか。
手に入ったから。

それで、家に帰って聴くと、なんというカッコ良さ。
低音がドスドスと弾けて、近所からクレームが来たって構うもんか。
「オレ」も70年代の青春に帰るぜ、ちょっと薹の立った青春だけど、よく聴いたもんさ。
71年にこのアルバムがリリースされた事になっている。オレも会社に入って2年目、勤務先の近くにあるレコード屋で買った記憶があるからちょうどそんな年か、翌年か。
そのこレコード屋のねえちゃんが可愛かったから時々行ったんだ。
そうしたら先輩に見られて「オマエはあの子狙いで行ってんのか」と言われ恥ずかしくなった。

ソウルと言えば、テレビでソウル・トレインの放映もあって、60年代のオレ達の青春時代のオーティス・レディング、アレサ・フランクリン、サム・アンド・デイブ、とかウイルソン・ピケットなどから、ジェームス・ブラウンが王様になり、まさにソウル・ミュージックの時代に移って来て、もうオレ達のリズム・アンド・ブルースの時代ではなかった。
踊りも狭い店の中で、ステップで踊る暗くてマニアックな時代から、大型ディスコの時代に移行し、赤坂の「ムゲン」などステップも知らない女の子達やその取巻きの男が溢れていた。
ソウル・ミュージックもより大衆化が進んでいたのだ。
そんな時に出た、会心ヒット作。
このアルバムの良いところは、冒頭のソウル大名曲「What’s goin’ on」につきる。
このアルバムの凄い所は観客のノリノリの歓声と雰囲気。
こんなライブ・レコードを聴いていると、会場に居る気になってワクワク・ドキドキ、オレもあの場に居たかった。
A面最後のキャロル・キングの名曲「You’ve got a friend」など観衆の叫びと一緒に歌った声とを、共に聴きながら、まるで映画のシーンを見ているかのゆな錯覚に陥る、このレコーディングと臨場感。
オレの心も熱く、かつ哀愁の悲しさに、ただ、どうしようもなく胸が切ない。
行き場のない青春の心の彷徨がまざまざと胸の浮かび上がる。
しかし、観客の声なのに、聴いていてこれほど、心が揺さぶられるアルバムと言うのも他に知らない。
こんなソウルのアルバムもあったんだよな。
久しぶりに興奮シマクラチヨコ。

聴いてソウル・ブラザーになろうぜ。


THE SPONTANEOUS MUSIC ENSEMBLE "CHALLANGE"
2014/12/12

THE SPONTANEOUS MUSIC ENSEMBLE "CHALLANGE" EYEMARK RECORDS EMPL1002

本日、入荷のアルバム。

レア盤も数えれば色々出てくるのだが、フリージャズのレコードの中において、名実ともに揃った名盤でかつレア盤は数少ない。
個人的に言えば、私の長いコレクターズ人生、かつショップ人生の両方を含め、2度しか見た事がない。
ショップやコレクターの中には運が付いて廻るので、若干、差異はあるものの大体人生で、出会っても2,3回までではなかろうか。
かと言って、あまりにレアなので他人に言っても、別に欲しがらない所が実に可笑しい。
そういう珍しさなのである。
珍しさを示す表現がこんなもので良いのか大いに疑問であるが、仕方がない。
知っている人は相当のマニアという事になる。

まず、メンバー、JOHN STEVENS, TREVOR WHATTS, KENNY WHEELER, PAUL RUTHERFORD,BRUCE CALE, (JEFF CLYNE)。
スティーブンス、ワッツ、ラザフォードの3人はなんと英国空軍音楽院の出身、それも同期の桜であったらしい。
それがどうしてそうなったのか、卒業後エリートの道が約束されているにもかかわらず、エリートとは大きな違いのアナーキーの道を着々と進み、遂に国を代表する音楽アナキストとになった。という訳だ。
そしてこれが65年演奏の彼らの初アルバムとなった。
聞くところによると、なんでも数百枚しかないという話であった。

このメンバーはその後も活躍を続け、層の厚い大英帝国フリージャズ界において中心的な役割を果たし、そして現在に至っている事は言うまでもない。

1曲目の「E.D.'S MESSAGE」という曲のE.Dとは、もちろんエリック・ドルフィーを表していて、2曲目の「2.B.ORNETTE」はもちろんオーネットであリ、当時の彼らに影響を与えた偉大な先輩達である。
ジャケットの絵は、当時の芸術家仲間による作品で中々のシンプル・モダンな前衛的作品である。
当時の芸術家たちの音楽も美術も一緒に活動しようとした心意気が伝わる。
65年当時に戻って聴けば、将来を背負って立っている彼らの展望、野望、苦悩がまざまざと浮かび上がってくるのである。
ため息の出るレコードである。

旅人の...
2014/12/11

今日は雨が降って、新宿の街もなんとなく憂鬱な気分だ。
ちょっと沈んだ時に、ヨーロッパへ買付けに行き、一人で歩いていた街角の風景を思い出す。

私が年に何度もヨーロッパに行き、どこかの街の通りをあるいている時、例えば、ストックホルムの郊外の家がまばらになっている小路を歩いている。
家と家の間にはリンゴの木が植えられていて、花が咲いている頃、私はひとりで歩く。
葉が出て来て青々をしてきた頃も。
青い実がやや大きくなって来た頃も。
赤い大きなリンゴがたわわに実ってきた頃も。
そこに雪が降り、落ちたリンゴの赤い色が点々と見える頃も。
雪が吹雪いていて何も見えない頃も。
私はその家のカーテンが閉まっていたり、夜に明かりが漏れているのさえ知っている。
そういう街の小路の子供達も時々顔を見ているのに、私は何度も何度も、何年もそういう小路の人たちを見ているのに、あの人たちは私の事を誰も知らない。

一体これは、なんという孤独なのだろう。
私はこんなに季節の変わり目も見ながらいつも、この町を想いながら歩いているのに、誰も私の事を知らない。
あの人たちの家が幸せそうに見えるば見えるほど、私は孤独。
こういうのを本当に、孤独というのだという思いをいつも感じていた、
寂しさとはこういう事をいうのだろうと、いつも思っていた。

そう言う時に、突然思い出す俳句がある。
季節的に今ではない、春には遠い、いや春には遅すぎたか。



      「旅人の 我も数なり 花ざかり」 (井月)



PHIL WOODS “WOODLORE”
2014/12/10

PHIL WOODS “WOODLORE” PRESTIGE 7018 (USA)

私が好きなアルバム入荷。
彼の作品の中でも圧倒的な人気を集めている作品でもある。
同レーベルにありがちな、10インチ盤のカプリングとか、裏表よってメンバーが変わるとか、ちょっとづつの変化がないので、一貫した気持ち良さがある事も挙げられる。
また、初期の作品でもあり、ハードバップとしての完成形でもあり、ワンホーンで吹き切っており、更に聴く人誰にも等しく心地良さを感じさせる耳触りが良い事も大きい。
これは55年の11月の録音で、12インチとしては初リーダーである。
その前に、2枚あってそれは、54年の10インチ「NJ-1104」と、55年2月の「PRLP 191」で、いづれもJON EARDLEYとの、若さにあふれた素晴らしい共演盤があるが、そちらが12インチとして発売されたのは60年を過ぎた頃なので、コレクターとしては、残念ながら若干不満が無い訳ではない。
という意味においても、この作品は初期の彼の若々しくも、すでに完成した彼の音楽性を堪能する事ができる。立派な作品なのである。
私も20代の頃から愛聴盤で、いま尚、愛聴盤である。

ジャケット写真は暗闇の中に、彼がサックスを口に咥え、演奏している姿をやや上から撮っている。
左の真横から光が当たり、頭の上に後光が差したか微かな光、その光だけで彼の姿が、画面に浮かびあがる、見事な写真である。
そして、左上にはタイトルの文字「Woodlore」と。
WOODLOREとは聴きなれない言葉であるが、WOODとLOREを組み合わせた造語あることは予測がつく。
すなわちトラッド音楽を FOLKLOREという如しで、「森の伝統音楽」というか、WOODSの音楽であるといっているのであろう。
柔らかな語り口と鋭いサウンドに魅了される。

このアルバムは聴き所のピークがいくつもあるのだが、特に二つ、厄介な事にA面とB面に分かれている。
であるから片面だけ聴いて、ああ満足という訳にはいかない、面倒と言うか嬉しいと言うか....。
所がA面なども結局全部聴いてしまい、あっと言う間に終わってしまう。
B面なども「スロウボート・トウ・チャイナ」だけという訳には行かない。
最後までうっとりして聴き入ってしまう。
最初から最後まで良い作品という物は、稀にある物なのである。

ところで、話はちょっと曲がるが、彼フィルウッズと同じくPRESTIGEレーベルにいて、同じハードバップ運動を推進したもう一人のアルト・プレイヤー、ジャッキー・マクリーンのサウンドがちょっと似ているので、両方とも我々も大好きなプレステージにおけるレコード群なのである。
マクリーンの方がもっとグルーブ感があって引き裂き音のシャーがきつい、フィルの方が若干上品な音色である。
どちらも良い音であり、当時の頼もしいジャズのサウンドが聴ける。
彼等はその後、マクリーンがやや前衛系に行き、ウッズは斬新なヨーロッパ・サウンドの追及とそれぞれ、ジャズの音楽活動にまい進していたが、どちらも当時のジャズを牽引していた事は間違いない。
その彼らの50年代と言う、ハードバップ黄金時代の大のつく傑作を聴くと、なんとも言えない気持ちになる。
こういった50年代の良い所を聴いていると、新しいジャズを聴く気にならないのが困るわな。
私も一枚欲しい。

いや、良い時代だった。

スタバ
2014/12/09

伊勢丹の向かいの丸井の二階にスターバックスがある。
ここは朝行くとエライ込んでいる、だけど10時半になると急に客が引く。
なぜだと思っていたら、客のおばさんが説明してくれた。
デパートだと思って10時にくると伊勢丹が開いていない。
それで仕方なく向かいのスタバに入る。
10時半に伊勢丹が開店なので一斉に出て行くと。

どうでもいい新宿街角情報。

ネコロンビア
2014/12/08

この間、お客さんとレコード会社の話になって、「ねころんびあ」と、いったらキョトンとされた。
コロンビア・レコードの事だが、これも今は昔の物語か。

昔、歌手崩れのお姉さん達が、アルバイトとか、次にする仕事として水商売が多かった。
それで、時々飲みに行き、話が盛り上がってくると、どこそこのレコード会社はかならず付き合わないと仕事にならないとか、男女の関係の話題が出てきたりする。
レコード会社各社の事を何か汚い言い方をするのだが、コロンビア・レコードは「ネコロンビア」と言っていた。
プロデューサーと付き合わないと仕事が来ない、とか、コロンビア所属の歌手は尻軽だから「寝コロンビア」だと。
これだけが、何となく妙で記憶にある。

そのほか、ビクター、テイチク、ワーナー等々ちょっと小馬鹿にしたり、エッチっぽい言い方があって、それほど昔のレコード・プロデューサーやディレクターという人達は美味しい思いをしたのかと、悪い人間だと思う前に、羨ましい気持ちになったものだ。
だが、「ネコロンビア」以外は、一つも思い出さない。
昔の話だから。

DUKE ELLLINGTON “MIDNIGHT IN PARIS”
2014/12/07

DUKE ELLLINGTON “MIDNIGHT IN PARIS” COLUMBIA CL1907 (USA)

何だエリントンのレコードか?と思わないで頂きたい。
なぜなら、エリントンのレコードを収集した事のある人なら経験のある事だが、とにかく出会う事がない。
滅多に見ない一枚なのである。
他のアルバムは探していると、ちょこちょこ出てくる、しかしこのアルバムだけは滅多にお目にかかる事がない不思議な一枚なのである。
嘘だと思うなら、エリントン・コレクターにお聴きになると解ると思う。

あまり売れなかったか、観客が飽きたか、コロンビアも飽きて来ていたか、そんな年だったのかもしれないが、どうもディスコグラフィーを見ると、ひょっとするとこの作品がコロンビアでの最後の録音という事になっているのかもしれない。録音は62年6月、その8月にはインパルスでコールマンホーキンスとの共演盤をリリースしているので、
多分、そんな状況か。

しかし、聴けばエリントン本人は全く飽きたなどと思っているらしい様子は何処にも見られない。
いつもように、音楽に真摯に向き合い、メンバーを信頼し、己の音楽を神から言われた教えを守るかの如く、粛々と演奏している。
このアルバムは深夜のパリという通り、お洒落なパリの様子と遊びにふける都会の夜の楽しさ、洗練さが伝わる、素晴らしい演奏で、冒頭の「パリの空の下」など素敵。
個人的に大好きなアルバムである。
パリの深夜というから、クラブの中のセクシーなお姉さんや、タバコの煙、酒の写真かと思いきや、それが。公園の噴水の写真。
パリの街は夜も品があって美しい、という写真であった。
私の下品な考えに恥ずかしさを感じてしまった。

ところで、この頃のエリントンはコロンビアの後はインパルス、その後に9月には例の名盤、MONEY JUNGLEをUAから出し、続けてコルトレーンとの共演盤はインパルスから出すという具合に、八面六臂の大活躍。
本人としてはコロンビアと離れた事が、さらなるモダン・ジャズの大物達と演奏する機会を得る事にもなり、モダン・ジャズの世界にも、彼等以上の音楽性と偉大な演奏家としての足跡を残した事は大きい。

いかなる時もエリントンは己の音楽を追い続けて居るのが伝わってくる。
エリントンは本当に偉い。

ALTEC スピーカー 820A
2014/12/06

スピーカーの設置をする。
馬鹿デカいスピーカー、既に片側だけセッティングしてあったのだが、運搬も大変だし、組み立てに時間はかかるし、重いし、延び延びになっていたのだがようやくステレオとして2本セットした事になる。

改めてユニットを羅列すると。
エンクロージャー(箱のみ) ALTEC 820A
低音部  ウーファー 803A 12Ω
中音部  フルレンジ 603B 8Ω
高音部  ドライバー EMILAR  EA175−16 (15,000Hzまで)
     ホーン   EMILAR 800A

箱の820A。
50年代にアメリカ本国で作られた、大型コーナー型・三角形の箱で、間口110センチ、高さ120センチ、奥行きが76センチの2辺という大きさ。
写真を撮り忘れたので説明しにくいのだが、裏に補強をした裏蓋がコーナーなので2枚ある、正面のネットは木枠に重量感のある布を張ってあって、これを裏蓋を取り付ける際には箱の内側からネジで〆るという面倒な造り。
中にホーンを3段階に搭載するようになっていて、下2つは38センチの12Ωのウーファー803Aの二つが収められ、最上階に高音用のドライバーの802Bが入っているもので、なかなかの迫力のスピーカーである.

今回、私はその箱を利用させて頂くのだ。
まず一番下にある803Aのウーファー1つだけを残して後は取り去った。
それはこの箱本来のユニットを一つくらい残しても良いと思ったことと、803Aは比較的鳴らしやすいユニットだと思ったのである。

今回やってみたい事があって、それはフルレンジの603Bを使用する事。
603Bは1948年にアルテックが発表されたダイアコーン・シリーズの38センチ口径のフルレンジである。
1945年に出された604の同軸2ウェイユニットの改良型として、より安価でありながら、大型のアルニコ・マグネットを使って強力な磁気回路を採用、コーン紙一体のフックスド・エッジ等々、高感度化がなされたもので、業務用プロ用ばかりのアルテックの中にあって一般用として出された。
もちろんアルテック故にトーキーにも使用されたのであるが。
同社の他のウーファー同様、中央にマルチセルラホーンを有しているが、これは2ウェイではなく、高域拡散用のためである。
アイディアとして非常に興味深い物がある。
聴いてみると素直な音色で、鳴らしやすい様子も見える。
私としてはプロ用のアルテックの音より、コンシュマー用としてのユニットに惹かれるのである。

高域に使用したEMILAR(エミラー)というドライバー。
このエミラーという会社は、もともとアルテック社に居た技術者が社長と意見の相違から飛び出して作ったもの。
アルテックの強い音とは異なり、音楽性は少し穏やかになり上品さが出ている。
しかし、アルテック出身者故、どうしたってアルテックらしさは残っていて、そこがアルテックのユニットと合うのではないかと考えたからである。

要は、狭い部屋用にマイルドに改造したとも言える。

ところが、やってみるとモノラルとしては揃うのだが、ステレオ用に同じユニットを2本揃えるのは困難で、まして塗装も縮緬仕上げのシワシワとなっているユニットを揃えるだけでも気が遠くなるような話で、ウチでも実際のところ、左右ぴったりとはいっていない。
まあ、ゆっくりエージングも進み、色々な方法を試して行くので、その内に合ってくれると、のんびり思っている。
JBLのようにきつめでは無く、ウェスタンのように大袈裟でもなく、アメリカの音を持っている普通の音と言うのが、私の狙いなのである。
先の道は険しい。
今日からは、一切人との付き合いを絶って早く帰り毎日電源を入れて2・3時間は聴くのだ。
やる事があるのは楽しい!

JAN JOHANSSON "JZZ PA SVENSKA"
2014/12/05

JAN JOHANSSON "JZZ PA SVENSKA" MEGAFON MFLP S4 (SWEDEN)

私がジャズ専門のレコード屋を開店し、海外に買付に行くようになって、それで、あちこち外国にも少しづつだが知り合いが出来た頃だから15年も前の話になる。
ちょうど今頃の12月の始めスェーデンのイエテボリに滞在していた。
イエテボリは大学の街で清潔感があり、ひっそりして地味だが、それでもクリスマスが近づき活気が出てくる時期か、少しづつ飾り付けが始まっていた。
雪がちらつく中、知り合いの家に行きレコードの売買があって商談が終わり、ほっとした時何かの流れでクリスマスの話題になった。
先方が「日本ではキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うんだろ、ワムの曲とか聴くんだろ?」と皮肉もくれる。
まあ、嫌みが出ると言う事は、親しくなったという事でもある。
仕方なくニヤニヤしながら「こちらではクリスマスにはどんな音楽を聴くのか?」という私の質問に、いかにも北欧の人らしい真面目な彼は、「BING CROSBYの歌を聴く人もいるかもしれないが、日本と違うから、ほとんどの家ではこんなレコードを聴くんだよ」と言いながら立ち上がり、棚から取って見せてくれたのがこのアルバムである。

ジャケットにSVENSKA(スベンスカ)と文字がある。すなわちスエーデンの事なので、同国のトラッドを題材にしている事は分かる。
タイトルがジャズというからにはちゃんとスイング感もあり、静寂感が流れ、禁欲的で荘厳な音色の音楽でサウンドが胸に響く。
なるほどとメンバーを見ればJAN JOHANSSON(ヤン・ヨハンソン)とGEORGE REIDEL(ゲオルグ・リーデル)のピアノとベースのデュオで、暖炉の火が静かに燃えるかのように、淡々としかも内には熱い火がもえているのであろう、というのはこの事かと思える。

ジャケット・デザインはちょっとジャズらしくない。
「がま口」の写真をジャケットに使うとは、いやはやという気持ちにならない訳ではないが、言ってみれば、これはスェーデン刺繍で作られたバッグで、いかにもスエーデンの伝統工芸であり、同国の伝統と文化・音楽を表す写真なのである。
理解出来ると素朴さが伝わって良い写真である。
彼の話によると、一家に一枚という程のアルバムなのだそうで、若者達のなかには結婚すると夫婦で、いまや中古盤でしか入手の手段がないものの、アルバムを買い求めに来る事もあるそうだ。
クリスマスが近づいた頃、また冬の寒い夜、是非夕食後のひと時に家族にも聴かせてあげて欲しい一枚である。


MONICA ZETTERLUNDの映画
2014/12/04

MONICA ZETTERLUNDの映画「ストックホルムでワルツ」鑑賞。
スエーデンはじめ北欧の映画は、どれもちょっと斜に構えた所があるので、そんな感じを期待したのだが、いたって真っ当な作品で、ちょっと肩すかし。って別に悪くない。

ストックホルムに何度も通った私としては、グランドホテルなど有名ホテルの前や、見慣れた風景や、街角で聴こえる挨拶の言葉「ヘイ」「ハイドゥ」など、「ハイ」でもなく「ヘイ」でもなく、その間の発音になぜかホッとするものがあった。
なにより当時のスエーデンのジャズシーンを垣間見ること事が出来たのがうれしかった。
例えば、モニカ達がドンパンと呼んでいたARNE DOMNERUS(アルネ・ドムネラス)が楽団を持って、車体の横にドンと名前を入れたバスで各地を巡業している様子など、またリハーサルの様子など、興味深い物があった。
フリップスのレコード会社との駆け引きなども面白かった。

彼女はジャズというより民謡歌手・コメディアンとしての方も有名で、ジャズだけならそれほど売れなかっただろうと思われるが、結果としてビル・エバンスとの共演で、ポップ歌手・ジャズの双方で国民的歌手に上り詰めたのが良く分かった。
主演の女の子が自分で歌ったというのも驚く上手さだったが、声がそっくり似ているのも驚いた。
トミー・フラナガンやビル・エバンスのそっくりさんも中々の出来。
エラのそっくりさんは似ているかどうかは判断が付かなかった。
マイルスが店に来ているとアナウンスがあったが、誰が誰だか全くわからなかった。
ダグ・ワトキンスにいたっては、私は本人の顔も分からないので、私には無理だった。
そう言えばラス・ガリンもいたはずだったが。
残念。

そうそう、想えばストックホルムのアーランダ空港の階段を降りると、目の前に例のワルツ・フォー・デビーのデカイ写真がドンと飾られていて、その写真を見るといつもほっとしていた。
と同時に、私にはこういう白人の国は遠い国だと思い知らされる、瞬間でもあった。
ほっとしたり、遠く感じたり、忙しい旅だったのだ。
私のような日本という遠くの国から見た白人達の国、そういう国の象徴的な歌手がモニカであって、その映画だから、よけいに気合が入ったのだった。

筋は、父と有名になりたい芸能人の娘の葛藤という当たり前過ぎる話。
ジャズ、特にスエーデン・ジャズやボーカルに興味が無ければ、この映画が受け入れられるかどうか、私は心配で仕方がない。

しかし彼女は、スエーデン国内では国民的大歌手、スエーデン本国においては大いに受けたに違いない。






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