HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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BMW Z3の事
2015/02/11

BMW Z3
去年、手放したので、何年式だったか忘れてしまった。
価格は10万円だった。
シートはガタガタしていたし、しょっちゅう修理屋に出していたので、そんなものか。
しかし、クルマという物は買う時は高いが売る時は二束三文。
経験上、最も損したと思った事は、昔ベンツを600万で購入し、売った時が10万だった時で、その時は二度とベンツは乗るまいと固く決心したのである。

それでZ3。
元々は知合いが持っていた車だったが、マツダのロードスターが発売になったのでそちらに乗り換えると言う事になったのだが、自動車屋の下取りが安かったので怒り、だったら、せっかくだから知合いに乗ってもらった方がマシだと、私が確かその下取り価格で買ったのだ。
オープンカーが好きだし。

それが珍しくも、左ハンドルのマニュアル(MT)車だった。
BMWはベンツ社のオートマ車一辺倒と異なり、本国で作っている限り、ちゃんとMT車も少ないながら日本にも販売しているのが好感持てる。
それで、そのZ3の事は、以前にも何度も書いたと思うのだが、日本のマツダの名車、初代ユーノス・ロードスターがヨーロッパで大人気になったのを受けて、各国各社が競合車をぶつけて来たのだが、BMWの車がこれだったのだ。
日本の自動車史上、日本車に欧米各社が慌てふためく等という事は今後絶対に起こる事がないであろう、快挙である。
まあ、坂本九の上を向いて歩こうのビルボード1位に匹敵する快挙と言っても過言ではないと、オジサンは思っている。
なんか自動車評論家の「徳大寺イケダ」って気持になってきた。

という事で、サイズはライト・ウエイトそのものの小ぶりで低出力、1600CCだし。
オープンで山道を走る楽しさだけが持ち味の車なのである。

馬力がないので、街中で隣の車とスタート競争でもしようものなら、軽自動車にも負けてしまう遅さ。
低出力なので、常にアクセル全開、街中でもエンジン・ブンブンだい。
弱いくせに音だけデカイというヘンなチンピラのような車。

早い話が、音が大きく、オープンで、ライトウエトの運転の楽しさという点に尽きる、これがスポーツカーだと。
勿論、荷物はほとんど入らない。
まあ実生活には役立たず。
それが良くて私は乗っていた。
いいねスポーツカーは、役に立たたないところが。

世の中のオジサン達、定年をきっかけにこういう小さなMT車を購入し、カミさんと二人で乗って晩年を楽しんだら良いのではないか、と思うのである。

若い頃、彼女をドライブに誘うより、妻からの愛の冷めた今のカミさんをドライブに誘う方が大変難しい事は間違いない。
乗ってくれればの話ではあるが。

シルビアの事
2015/02/10

シルビアで楽しかった事の一つに、外装。
ただの白い車では面白く無かろうと、知り合いがデザインしてくれ、ペイントすることになったのだが、今はペイントと言ってもカットシートを張るのがそれで、数日がかりで切り抜いたシートを張った。

スポーツカーと称して売っている車のほとんどはスポーツカーではなく、それ風なので、実際は軽量化を施さないとスポーツカーにはならない。
そうすると売る時に叩かれてしまうので、そうは出来ない。

そこに行くとシルビアなど安価な車だったり、ドリフト目的で売買される車など、好きなようにイジれるのが良い。
ペイントした車が結構、気にいっていた。

しかし、マフラーを取り換えていたのでエンジン音が大きくて、交番や警察署の前を通る時はなるべくアクセルを踏まないように惰性だけで走っていたり、気を使っていたのだが、走っていれば警察の目に付くらしく、高速道路で時々止められ、なんだかんだと因縁をつけられた。
「今、何キロで走っていました?」
「119`です」
「なんで分かるの?」
「細かいデジタルメーターなんで」
「あそう、じゃそれはいいとして、右側をずっと走っていたよね」
という風に、車線違反とか、車間距離とか、改造車とか、小さな違反で、何としてでも切符を切りたいらしく、チクチクとやられやれて面倒だった。

それで、だんだん走らなくなってしまった。
そうか、思えば国家権力に屈してしまったのかオレは。

残念。

だが、こうして写真を見ていると、これでは警察に捕まるわな。
まるで「族車」。

シルビアの事
2015/02/09

結局、車遊びがヒートアップしてくると、結局はお金の問題になる。
ポルシェなどは一度ぶつけると、その修理費は半端でなく高額となる。
日本の中古屋や修理屋の外車価格というのが出て来るし、そうで無くともドイツ本国から送って来るパーツも又高額である。
それでポルシェでサーキットなどと威勢よく言ったものの、お金が掛かれば背に腹は代えられず、結局購入する事になるのが、日産シルビア。
FRの代表的な車。
FRすなわちフロントエンジン・リアドライブ漢字で書くと後輪駆動となる。
前に重量があって、後ろで掻くので、動きが素直で良い。
これは、走りは良いし、ドリフトにも使えるし、何しろ大量に販売されていたので、パーツが豊富で安価。
一度エンジンが壊れたのだが、確か5万円だったし、ミッションも5万円だった。
修理屋でも、何しろシルビアなので、修理費もあまり吹っかけられないらしい。
兎に角ポルシェのエンジンだと90年代のでも200万掛かったと言う人がいるくらいで、ポルシェのパーツが万円単位だとすると、シルビアは千円単位。
有り難い車であった。

それを軽量化として剥がせる物は全て剥がし、ボンネット等はプラスチックに変えた。
それにウイング等を付けて、マフラーも替えて、しっかりレーシングカーに早変わり。
お蔭様で楽しませてもらった。
仲間とチームを結成して耐久レースにも出た。

シルビアで学んだ事は、見栄さえ張らなければ、ポルシェに劣らぬスポーツカーになるという事だった。
しかし、人間はプライドとか、見栄から逃れられないのだな。
残念。

ポルシェの事
2015/02/08

次に出会ったのは勿論MT、92年式の「964」ポルシェなのだが、それが凝った車で名称が「RSレーシング」という日本に19台しかなかったといわれるものだった。
外装はいたって普通だが、レーシング・カーだったと言うだけあって、窓の開閉、パワステ、など一切のオート機構は無く、今時、全て手動式という面倒なヤツ。
中はレーシング・カーそのもので、ガチガチにロールケージが張り巡らされいた。
それを街乗りも出来るようにと、わざわざ馬鹿丁寧に皮でロールケージを巻いてあった。
シートはレカロ製なのだが、黒・赤・紫の三色にしてあり、ハンドルも同様に三色に塗り分けてあった。
そういう皮細工の綺麗な仕事ぶりに、時々眺めては惚れ惚れするのであった。
当然、二人乗り。
通常のシートベルトがなく、4点式のレース用のがあるだけ。
クラッチが非常に重くて、購入した直後は、坂道発進でうまく繋がらず再三エンストしては、後続の軽自動車のおばさんに怒られていた。
その内に乗っていれば馴れるもの、日曜日の早朝は、4時に起きて箱根に出かけては山道を走る様になり、山頂付近にはマニアが集っていて徐々に知合いが出来て来たところで、ある人から売らないかと声を掛けられ手放してしまった。
エアコンもないし、クラッチが重すぎるし、大変な車だったので潮時かなと思った。
お金も掛かるし。

しかし、稀少性があり、車の雑誌などに何度か掲載され、一時はマニアの間でちょっと有名になった。
カーライフを楽しませてくれた一台だった。

ポルシェの事
2015/02/07

最初のポルシェは91年式「964」のカブリオーレだった。
中古で購入したのだが、前のオーナーが芸術家だったという事で、外装は赤、内装が白で統一されていて、とても素敵だったので、ミーハーな私は即買った。
中古店の後日談では、こういう変わった車は実は売れ行きが悪いのだそうで有り難かったと。
ただメーター類のパネルが黒かったので、これは白いパーツを探して交換してもらった。
椅子・側面が白いのは良くあるが、床のカーペットも真っ白だった。
嬉しくていつもオープンで走っていた。もちろん冬もオープンで、外が真っ赤で、中が真っ白、それは目立って、道路に止めておくと外人のお姉ちゃんにキャアキャア言われた事が再三ある。
この車もまた欠点があって、雨が降ると水がポタリポタリと落ちて来て、タオルを手放せない。
荒井由美の歌「中央フリーウェイ」ではないけれど、片手に持つハンドル♪片手で肩を抱いて♪というのがあったが、私のは、片手に持つハンドル、片手にタオルを持って、というスタイルだった。
まあ、これも中古車の醍醐味であった。

オープンのスポーツカーを運転する楽しさを知ったのだが、所が、たった一つの気がかりな事があって、それはオートマだったこと。
ある時雑誌に、たしか福野礼一郎氏だったと思うのだが、「オートマのポルシェに乗ってるやつはオカマだ...云々」と。
これ読んだ瞬間、頭に血が上り、マニュアル車に変えようと決心したのだった。
知合いの修理屋に「MT換装を頼んだのだが、MTとATはエンジン特性も違うし、中古ミッションも付随の部品もないし、もしあっても割高だから買い替えた方が安い」と言われ、結局、手放した。

でもやっぱり頑張ってMTに換装し、あの時の車に乗って見たいと時々思うのである。
特に今の年齢になると、そう思う今日この頃。

(写真が無いのが悔まれる。)


STEVE LACY “LAPIS”
2015/02/6

STEVE LACY “LAPIS” 日本コロムビア YQ-7014-SH (日本)

こんな珍しいアルバム入荷。
オリジナルはフランスSARAVAH(SH-10031) である。
作品として非常に出来の良い作品なので、入荷したらいつか書こうと思っていたのだが理由もなく、ついつい遅くなった。
遅くなったついでにだんだん考えが変わって来て、どうせなら日本盤の方を書こうと思うようになったのだが、珍品なので中々入荷が無かったが、今回遂にゲット。
この日本盤は発売当時、私は存在を知らなかった。
知らなかったと言うより日本盤など興味が無かったと言った方が正しい。
店を始めてからこんなアルバムが出ていたのかと知り、買っておけば良かったと後悔をした。
日本盤だからではない。
この作品に込められた、レイシー本人、解説を書いた清水俊彦、それにちょっとしたフリージャズ名盤にはなぜか必ず清水俊彦と一対のように登場する間章の文省も読み応えがあるからである。
この二人が対になってライナーを書いた作品はどれも名作という事になる。
フリージャズの事を、この二人以外の評論家の書いたものなど読みたくもない。
とにかくこの二人でフリージャズ界の評論は完結しているといっても過言では無いのである。
したがって、このアルバムにおいても、ライナーは2枚に亘る力作。
ぜひ読んでいただきたい。
理解しがたい?
読んでも解読しがたいと他の評論家でさえ言っている通り、確かに難解であるが、その難解な表現方法で確立してしまったのであるから、頑張って頂きたい。

ところで、このアルバムの写真。
これは日本盤製作にあたって、どうしても本人がフランス盤とジャケットを変えてくれと、それも本人の撮った写真を使ってくれと、要望があって、それを使ったという事であった。
写真はパリの街のアパート群の屋根裏と屋根が連なる写真である。
暗く重いアパートの建物群である。
その上の空には雲が浮かび、飛行機雲が二筋横と斜めに横断している、あっけらかんとした空。
しかしそこは、「パリの空」である。
ちょっと違うのだと言いたい。

そして裏ジャケにレイシーの言葉がある。
「LAPIS(瑠璃)、古い言葉の意味として「石」「ペンシル」を意味する。
それは、私にとってソプラノ・サックスにより、「書く」という意味合いでもある。」
と書いている。

ソプラノ・サックスの持つ、意味合いが興味深い。
71年、彼の絶頂期の良い作品である。
日本コロムビアも再発するに当たって、味のある良い事をした。

言語の元は
2015/02/05

正月過ぎにボンヤリテレビを見ていたら、吉本隆明が「言語の始まりは沈黙である」と言ったとやっていた。
私は、全くそうは思わなくて、言語の始まりは騒音であると思っていたから、びっくりした。

だって、動物はまず鳴き声を発する事から始まったのであるから、必要に応じて鳴いたのであるから少なくとも沈黙ではない。
また現代においても、人間の社会の煩さは相当なもので、初期の人間は鳴き声も煩く、目立ちたがりで行動も一々音を立てる騒音の動物ではなかったかと思うのである。
現代の人間が、あらゆる生物の中で最も煩い動物である事が、何よりの証明である。
まだ言語が無かった頃は、既に道具も住み家も持ち始めていたであろう事から、他の動物に対して圧倒的に強く、逃げ隠れする必要が無かった。それはそれはギャアギャアと煩かったと思われる。
故にその結果、鳴き声が言語に変化したのではなかろうか。
という事で言語が無かった頃もまた、そうとう騒音だったと思うのだが。

私がヨシモトリュウメイに異議を唱えても仕方ないなあ。

テロ支援?
2015/02/04

新聞のニュースで、外務省がテレビ朝日に対して反論したと。
各省庁に取ってどんな気に食わないニュースであっても、大概沈黙しているのだが、余程腹に据えかねたのだろう。
珍しい事もあるものだ、と思って読むと。

2月2日のテレビ朝日の報道ステーションで、シリアにおける邦人殺害事件の報道の一環として、安倍総理の中東・エジプト訪問は、外務省から総理官邸に対し中東訪問見直しを進言していたにもかかわらず強行された。
また、その時に行われた政策スピーチが外務省の「意に反して」行われた。という報道内容。

この報道にカチンときた外務報道官及び中東局長の連名で、抗議をした。
外務省の意に反していない。
報道機関たるもの、事実に反した報道を行うことが、国民に誤解を与えるのみならずテロリストを利することにもつながりかねないと。

訂正と謝罪を求めていたが、これに対しテレビ朝日は、取材に基づくものだと、シカトしている。
であれば取材先を示して、外務省と戦うべき時が来たのだが...。

もっとすごい事に、
日本人を狙うと予告があるにも関わらず、ネットの中においても、日本企業や住んでいる町や人数など、事細かに発表してしまい、朝日はイスラム・テロに最も重要な情報を流してしまったのである。
テロ支援の報道組織であると断定できるような状況となってしまった。
それが結局、YOUTUBEのアカウントを取り消された。
余程の国際感覚・政治感覚が鈍いか、あるいは確信犯という事になる。

しかし、従軍慰安婦問題から始まり、朝日は一体何を訴えて、何処に行こうとしているのか面白くて、目を離せない。
イスラム・テロの支援をする報道機関って凄いよね。

BILL McGFFIE “QUARTET”
2015/02/03

BILL McGFFIE “QUARTET” VOGUE EPV-1117 (England)

ちょっと面白い7インチ(EP)アルバム入荷。
何処が面白いかというとジャケット写真。

このジャケット写真をよく見ると、タバコをくわえたナイス煙草ジャケ!、ジャズはやっぱり煙草だぜ、と声が出た。
出た後で何だかおかしいぞと、よくよく見たら、やっぱりヘンだった。
そう、タバコではなく、エンピツだったのだ。
口に咥えたものは、ジャズ・アルバムのデザインとしては煙草と相場は決まっている。
それなのに鉛筆を咥えたジャケットは初めて見た。
いや、驚いた。
以前も何度か売った事があるはずなのだが、煙草だと思い込んでいた。
オジサン、死ぬ前に気が付いて良かった。

ところで、煙草を咥えたジャケットだと夜のクラブの雰囲気があって風情があるが、今回のように鉛筆だと解った瞬間に、クソ真面目な作曲家になってしまう。
しかし、こういうジャケット・デザインも悪くない。
悪いというより好感が持てる、良いジャケットである。

ところで、演奏の方はなかなかのイカス演奏スタイルのジャズ。
1952年のスイング感バッチリの軽妙なイギリス風モダンジャズ・ピアノトリオ。
カルテットと鳴っているからそこにヴァイブがちょっと入る。
あっさり感も出てメロディも綺麗。
良い演奏である。
EPなので短めの演奏ではあるが、日本やアメリカのEPのように3分では無く、7分くらいの長さなので、ちょうど良い時間でもある。

ところで、このEPを眺めていたら、大変な事が書かれていた。
それは彼が8歳の時に、上のお兄ちゃんと、ってお兄ちゃんは上に決まっているわ、いやそれで、お兄ちゃんと「カウボーイとインディアン」という遊びをしていて、間違ってドアに挟んだかして、薬指を落としてしまった。
彼は2歳の時からピアノをやっていたのだが、先生にも恵まれ、逆境にめげず努力を続け、遂にバンドを持つまでになり、作曲、アレンジャー、演奏家と活躍をした。
渡英した米国もジャズメンの相手も勤めた。
という素晴らしい演奏家だったのだ。

という事を考えながら聴いていると、なるほど鉛筆を咥えて作曲をしている真面目な演奏家であることを伝えるためのジャケットである事がやっと、理解できたのだった。

ART ENSEMBLE OF CHICAGO “PEOPLE IN SORROW”
2015/02/02

ART ENSEMBLE OF CHICAGO “PEOPLE IN SORROW” PAHE/EMI C-062-10523 (FRANCE)

70年代からずーっと私の好きなアルバム。
こんなアルバムのオリジナル盤が入荷。

先日、ヨーロッパの某国から若い男性の客が来た。
戦乱の国から良く来たと言ってあげたら、笑っていた。
彼曰く、「今まで、プログレ・ロックを聴いて来たが、最近アート・アンサンブル・オブ・シカゴを聴いて、心に響いた。CDを買ったけどあまり良くなかったので、レコードを探している。どこかで尋ねたらお前の店にあると言われてので来た。ついてはここにある在庫を全部見せてくれと」。
それならば見せて上げようと、店の奥にあった物も全部出した。
こんなにあったのかと驚いて、高いのは買えないといいながら、10枚以上も購入し、最後にこのアルバムを悩んで買った。
彼の言うには、このグループは作品ごとに全く印象が異なっていて、これで分かったと言える事がない。
次々と聴きたくなってしまい、欲しくなって大変、デンジャラスだと。

彼に感心しながら、自分の若かった頃と重ねあわせてしまった。
73年のスイングジャーナルの別冊で、彼等の作品を知った私は、さっそくレコード屋を廻った。
勿論どれがオリジナルかなど全く分からないが、BYGだけは大量に入荷していた。
その別冊には、すでに10枚ほど日本で再発されていると書かれていたのである。
日本の音楽産業のリリースの勢いのいかに凄まじいかったかという証拠である。
だが、こんなフリージャズなど当時一体何人の人が買ったのか?
モトエ、

私は買って聴いた時に、特にフランスで作られた、パテ・レーベルでの2枚はじめBYGなどでの初期の作品は圧倒され、彼等の音楽性の高さと真面目さ、混乱と静寂、音楽の中から聴こえる叫び声、顔に色彩を施した写真を見るに一体、どういう真面目さなのかと混乱もした。
彼等のアルバムは1969年から、72・3年の間に20枚ほど発売という猛烈なスピードで作品を発表し、それもどれも変化に富んでいて、次々と見つける度に、また買わなければならないのかと思ったものだ。
しかし今と違って、現在進行形の中にあってジャズを聴いて行くと言うスリリングな楽しみは言葉に尽くせないものがあった。
それは当時のリスナーの特権であった事は間違いない。

ところで、69年パリでのこの作品、特に静寂な作品で、静寂というより小さな音と言った方がよく、レコードを掛けていて、ノイズの方が目立ってしまわないように祈って聴いたものだ。
ジャケットも実にシンプルで、黄色地に文字が掛かれていて、下の方にアフリかの女の子の小さな写真があるだけである。裏にも説明文はない。
ただその女の子の悲しそうな表情が、SORROW=哀しみを表したのであろう。
説明として、その写真がすべてであると言っているのだ。
フリージャズとして、これほど美しい作品があったのかと感動する。

邦題は「苦悩の人々」だったがそのまんま「哀しみの中の人々」で良かったんじゃないかと思ったりした。
つらつら気分でのまま書き進んで、これの2倍が書いてしまって、後半は削除。
これはイカン。

しかし、良いレコードというものはあるものだ。

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