HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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渋谷系
2015/05/25

渋谷系という音楽が流行ったのは、バブルの頃からか。
私は当時渋谷の東急系の会社にいたので、渋谷の変遷を目の当たりにした。
かつては渋谷は、安い飲み屋と古本屋、レコード屋、音楽喫茶、映画館などがある、サラリーマンと学生の街であった。
せいぜい井の頭線と東横線の乗換駅でしかなった。
それが1980年ちょっと前くらいに新玉川線が乗り入れるようになって急に人が増え始めた。
若者が入り込んできて、バブル景気で学生にまで小遣い廻り始めると「渋カジ」と呼ばれるファッションが生まれた。
勿論、古着主体の上から下まで1万円のチープ・ファッションである。
それが目立ちたがり屋がいて、古着にまで価値を付け始め、あっというまに、貧乏臭いのに、金が掛かる渋カジも出来た。

西武系ショッピングセンターに対抗して出来上がった東急のとうきゅうの字をもじった「109」が経営的にあまり芳しくなかった所を、次第に好調になったガキ・ファッションに特化していき、どんどん渋谷らしさと言う所の女子高校生主体の街になって行った。
そういう子供目当ての男や、それらをカモにするチーマーと呼ばれる不良たちも出現。
チーマ−出身の芸能人も生まれた。
そういう光景はただ苦々しい思い出しかない。
渋谷をこんなにしやがって、という。

そこに、マスコミがちやほやした女子高校生と軽薄な音楽ジャンル「渋谷系」。
当時の事を思い出すと、ひ弱な男と、ふわふわした女という言葉しか浮かんでこない。
うだつの上がらない様子のレコード屋が急に店舗展開したりして、若者が出入りして、いったいこれは何だい?
そういう印象がぴったりの渋谷系の文化や音楽。
ダンスの音楽だって?ファッションの音楽だって?
音楽でもファッションでも、所詮つまみ食いで、騙して金儲けだけだろ!
私など、地に足の着いていない渋谷系という言葉が好きでは無い。

しかし、こうなる原因はそもそも渋谷に西武のデパートが生まれた事による。
西武の渋谷荒らしによってパルコが作られ、一遍に人の流れがNHK寄りになったのだった。ああ。


そもそもこうなったのは。
思えば松竹(?)の映画館の親父が土地を東急に買えと言ったのを、ちょうど五島慶太が不在だった事と少し相場より高かったので、部長だかだれかが適当にアシらったのがいけなかった。
どうせ、後で泣き付いて来るだろうと、高をくくったのがいけなかった。
慶太翁が帰社するやいなや烈火の如く怒って、すぐに映画館の親父の所に使いを出させたのだが、親父は「うん」と言わない。
それのその筈、すでにこれ見よがしに当てつけがましく西武の「堤」に土地を売る契約をしてしまった後だったのだ。
それからが渋谷=東急の躓きの始まり。

結局、今となってパルコも落ち目、西武デパートもパッとしなくなり、ようやく東急の逆襲が始まったが、今更遅い。
どうせ東急百貨店もパっとしないんだもの。
今になって、かつての西武の物真似のようにビルを作りまくっている姿も、見ていて気分が悪い。

関係ない話に来てしまった。オレは関係のない話の方が長いからね。

レコードショップ「GSM」
2015/05/24

午後、暇だと思っていたところに、ひょっこり来られた「若杉実さん」。
彼の職業は、えっとなんだろう。DJ?ちがうな、ライターさんか?
久しぶりに会ったので、痩せた様子にすぐに本人と解らなかったが、ニコっと笑うと、ああ本人だ。

訊けば一度書いた、「渋谷系」という音楽文化の事を書いた本の、第2弾でレコード屋の取材だと。
渋谷系などという軽薄で、一時(いっとき)のガキのフィーバーのふわふわして腰が据わっていない音楽など、当店には関係無い。
がしかし、クラブ系音楽としては、クラブジャズというジャンルがあると言うならば、ジャズのショップ自体、あながち無関係でもないので、取材を受ける事にした。

この辺りのレコード屋の事とか、知合いだった近くの店「GSM」の事など、ペラペラしゃべる。
自分の事も他人の事も、知っている事はみんなしゃべってしまう。
しゃべらないと面白くないから。きっと。
兎に角「GSM」の事を知りたいらしい。

そう言えばGSMの彼はどうしているのかな?
彼は面白いヤツで、一緒に買い付け旅行を3・4年は続けた。
言ってみれば当店の今日は、彼無くしては成り立たないのだ。
言わば恩人である。

その彼はヨーロッパ中、一切地図を持たずに電車と徒歩だけで歩き回るのだ。
くっ付いて歩く私は、そこまで記憶が出来ないので、まず街に到着するとインフォメーションで地図を貰い、行ったショップをせっせと印していくのだ。
歩いた街は例えば北から言うと、オスロ −イエテボリ − ストックホルム − 船でヘルシンキ − 船で戻ってコペンハーゲン − マルモ − アムステルダム − パリに行くか、 ベルリンの方に行くかしてコースは変わる。
そうしてあちこち放浪するわけ。
だんだん服装も汚れて来て、警察に目を付けられたり、税関で捕まったり。
タクシーなど絶対に使わないので、時間もかかるが、まるで修行僧のようにひたすら歩く。
パリの街くらいでもほとんど歩く。

一度買付に出かけて来ると、出張ったお腹は、すっかり青年のように引っ込んで来るので、ありがたいダイエットでもあった。
買付に行っている間は健康だったのだ。

パリの街などは結構の大都市だと思っていると、近道で歩くと、あれっと言う間に、隣の線の駅に着いてしまう。
私もそれでヨーロッパの街など、歴史の中では大層な場面として出てくるのだが、舞台としては意外に小さい街だという事を知った。
でも、世界史に出て来る建物が次々と現れる。
大きいと言ったらロンドンくらいか?それも東京の半分くらいの印象で、私の中では相当の憧れが、徐々に無くなってしまった。
そう言う意味では、貴重な体験だった。

彼は何しろ、着る物を持って歩かない。
本当に小さなリュック一つ、それに比べると私はスーツケースを持っている。
それだけで聖人と庶民の違いは明確である。
しかし、港のイミグレーションや駅の税関が廻ってくると、聖人の方が必ず捕まっていて、庶民の私は彼が出て来るのを待っているのだ。
いつも事なので心配はない。
彼もニヤニヤしながら出てくる。
捕まった理由は、あまりに汚いので日本人の概念に当てはまらない、と思われていたのだという。
夕方はいつもダンボール箱を漁って歩いて、思えば乞食のようなものだった。

という事で「GSM」の想い出は、買付の想い出。

ALLEN HOUSER “NO SAMBA”
2015/05/23

ALLEN HOUSER “NO SAMBA” STRAIGHT AHEAD ARS-001 (USA)

私の大好きな70年代のアルバム一枚。
作品は裏ジャケにも1973年となっている。
私がジャズを聴いて来てちょっとだけ自慢できるとしたら、こういうアルバムを発売と同時に購入出来た事である。
私のいた会社が赤坂から渋谷に都落ち?した時だから何年だったろう。
いずれにせよ74年前後の事だと思う。
新入荷としてショップの壁に飾られていた。
ジャケ写を見た瞬間、私の中に閃くものが有って、店の親父にこれは良いかと訊くと「良いよ〜」と言う、いつもの決まり文句、信用はしていないが即購入。
昔は内容がどうだか、いちいち試聴などしなかった。
家に帰ってから聴かないと本当の内容など解るはずもない。
それで、聴いたらカッコ良く、興奮してジャズ仲間に電話しまくった。
友達から友達へと広がり、あっという間の数日間の内に、店から在庫が消えた記憶がある。

あの頃は、こういうレコードの新譜一枚で大興奮する事が度々あったのだ。
私たちも若かったし、いつも鷹のような目でレコードを探していたので、そういう情報でも入ると買いに走ったものだ。
結果、気に入らないとお前はセンスが無いとか喧々諤々。
ただ、みんなジャズに飢えていた。

それで、このアルバムの事。
ジャケットは茶色一色の製造的には安上がりだが、部屋の中でトランペットを練習している真面目な姿をパステルで描いたもので、向こう側にはベッドも見える。
きっと彼の事なのだろうかと、見ていると胸が熱くなる。
絵の中にベットが見えると、それは生活苦として伝わって来てしまって、頑張っている姿になってしまい、見ているとオジサンは即感動してしまう、簡単な精神構造だから。
そこに大きく、斜め書きで「NO SAMBA」と。
さて、どういう意味かとみんなで相談したのだが、そのまんまで良いじゃないかと落ち着いた。

裏ジャケには詩が記載されている。
彼のインテリジェントの表れである。
当時でも、メンバーに知る人は居なかったが、唯一、BUCK HILLだけは知っていた。
しかし、演奏は誰が誰とかいうそんな話ではなく、もう猛烈にカッコ良かったのである。
A面の「MEXICO」だけで十分なのに、それにタイトル曲のB面の「NO SAMBA」と文句ない。
ややラテン調で哀愁漂う、ストレートな表現のナイス・ジャズ。
両面、ひっくり返して聴くようなレコードなど、そうそうない。貧乏性のマニアは別にして。
こんなアルバムをアメリカと言う国は、自費で出さないと大手は出してくれないんだねと、友人たちと驚いたのである。
アメリカの奥の深いところである。
ところで、彼はもう一枚アルバムを出した。
そちらは打って変わって、普通のジャケットだったので、ちょっとガッカリした。
だが、もちろん喜んで購入した。
家で聴いたら案の定、内容は抜群だった。
友人たちと、この人はいつかきっと大成すると話していたのだが、その後の消息はあまり聞く事がなかった。

こんなに良いのに、なんで?

猫、寝込む
2015/05/22

知り合いからメールと写真が送られてきた。

それは昨夜というか朝方、台風のような風とともに猛烈な雷があった。
雷さんだー。
という駄洒落はおいといて。

それで、猫としては相当怖かったらしく、今朝は起きて来なくて、すーっと寝たままだという事である。

猫が、猫だけに寝込んでいるというわけ。

絵と写真、入荷
2015/05/22

ジャズメンの絵と写真が入手出来た。
これらはオランダでの入手である。

絵は、アムステルダム在住の画家で、オランダではちょっと名の知れた人。
 アートペッパ−の帽子をかぶった姿を木版画にしたもの。
 本人サイン
 6/25
 作ったのは、80年代との事だった。
 絵のサイズ 横 17cm X 縦14cm  (額 32 x 25)
(売却済) 

写真は、フリージャズの「ウイレム・ブロイカー」
ICPで活躍して名を上げた。
写真はマスコミのインタビューを受けている所。
大変真面目で、なかなかの良い顔立ちである
サイズ 横22cm X 縦 17cm  (額は33X26)  ¥10,000.-





FRANK SINATRA “FRANKLY SENTIMENTAL”
2015/05/21

FRANK SINATRA “FRANKLY SENTIMENTAL” COLUMBIA CL6059 10インチ盤

先日、今年はシナトラ生誕100年だからもっと盛り上げろと言われたので、シナトラのアルバムの事を何か書こうと思い店の中を引っ掻き回したら、ちょっと前にはあんなに沢山あったのに、全部売れてしまったらしく、出て来たのがこれ一枚。
なぜかというと、これは私が売りたくないので、取ってあったのだ。
オリジナルの10インチ盤だし、知っている曲はいっぱい入っているし。

タイトルがフランク・シナトラのフランクという名前とかけてタイトルをフランクリーとした所が、駄洒落オヤジの私としては大変に好ましい。
たったそれだけの理由で取って置いたのだ。

いやいや、コロンビア時代のシナトラは、キャピトル時代に比較しても素晴らしい。
若々しさがあるし、柔らかさがある。
なにより戦時中という時代なのに、あの輝かしい声とジャズっぽさが良い。
しかも作品からは時代からくるのか、ある種の暗さと言うか哀愁が漂う。
なんとも言えない。
キャピトルの上手さの完璧な所も良いが、声の良さから来る完璧さが気持ち良い。っていつも完璧なんだけど。

ところで、このアルバムの中に収録されている曲。
It never entered my mind という曲。
マイルスのワーキン(WORKIN’ Prestige7166)のメインの曲である。
私など若いころからいったい何度、聴いてきた事か、大好きな曲なのである。
その曲を、ひょっとするとレコーディングとしては、これが最初なのではないかと思うわけである。
シナトラが46年に録音したものを、49年に発売したのが当アルバムである。
当所は78SP(38475番)で発売され、そして10インチとしてこれが発売になった。
そう思いながら聴くと感慨深い物がある。
しかし、46年と言えば我が国においては、食糧不足が深刻で買出し・闇米などで大騒ぎの時代。
そんな時になのに、アメリカではこの音楽。
アメリカと戦争等するものじゃない、とオジサンはまた思ったのである。

しかし、シナトラほど、新聞マスコミにいじめられた人はいない。
結局はねつ造だったなのだが、反体制だとか、マフィアの関係者という設定で、どれほど叩かれた事か。
日本でも、アメリカのねつ造の記事をまともに受けて、そのまま、マフィアとされていたのだ。
一度、新聞などで書かれると、ねつ造であっても、それが払しょくされるには何十年も掛かる。
書いた本人は既に死んでいる。あるいは知らぬ存ぜぬ。
そういう事に負けなかったシナトラもエライ。

こういう新聞のねつ造は、正義の元に今も世界中で例があって、日本でも朝日新聞の、どこぞの国のレディーの話もある。
払しょくするのに、まだまだ相当の年数が掛かるに違いない。

そうそう、ビリー・ホリデーも生誕100年だと。
フランク100年、ビリーも100年、二人あわせて100年100年。
生誕100年の話はどういう風にしたら良かったか........。

NANCY WILSON /CANNONBALL ADDERLEY
2015/05/20

NANCY WILSON /CANNONBALL ADDERLEY “NANCY WILSON /CANNONBALL ADDERLEY” CAPITOL T1657

久しぶりにこんなアルバムが入荷した。
別に珍しいアルバムではない、だが、ジャズばかり追いかけている当店には意外に入って来ない。そんなものである。

良い作品だったなあ、と思いながら聴いてみた。
忘れていた記憶が蘇って楽しく聴いた。
ナンシーが歌っているのは半分、あとの半分はキャノンボールが単独ライブと言う感じ。
だが、ナンシーのバックになると、流石に彼は外さない、アルト・サックスの切なさとノリを巧く持って来る。
彼のグループはジョー・ザヴィヌルもいた頃の演奏なので、聴いていて気持ちが良い。
今となっては、有り得ない共演で、ジャズの大物とポップス界の大物の組み合わせなんて無い。

この時は1961年で、実は同じ時期にナンシーはジョージ・シアリングとも共演して、やはりそちらも半々だった記憶があるが、しっとりしたピアノをバックに、上手い歌を堂々と披露していた。
ナンシーは「あたしの事をジャズ歌手と呼ばないで」と怒ったという話があるが、ジャズでは食えないと解っていたのであろう事は想像出来る、確かに立派すぎてジャズという感じはない。
この新人と言われる所の60年から堂々とした歌なのだから、当然である。
しかし、このちょっと前にキャノンボールが見出した歌手のような話であったが、聴いていると、キャノンボール何するものぞと言う様子はチラホラ見える。
が、まだまだ可愛らしさが残っていて、このアルバムだけは私は好きだ。

ジャケット写真を見ていると、キャノンボールはまんざらではない様子で彼女を見つめている。
俺が連れてきてやったんだと言いたい所か。
彼女はにっこり笑顔を返している。
彼女の顔は自信に満ち溢れていて、スタイル抜群、グラマーな身体を黄色のドレスに包み、靴も黄色で、私は一番目立っているのよと胸を張る。
心はここには無い、彼には悪いが、次の仕事に向かっているのだ。
「あたしは有名になるのよ」と。
そんな雰囲気が漂っているのも、この作品の凄さである。

その後になってくると、彼女は堂々としすぎて、ノロマの私には無理だ。
まあ、眩しすぎる人という意味で。

しかし、出来の良いアルバムである。

2015/05/18

週末、仕事が終わって疲れたし何か食べたいので、10時過ぎで悪いと思ったのだが、アディロンダックに電話して
何か食べるものは有るかと訊くと気持ち良く、おいでと言ってくれるので出かけた。
するとそこにフランク・シナトラの研究者の三具さんが偶然来て話がはずむ。

三具さんが、掛かったシナトラのレコードの歌詞を解説してくれる。
仕舞いにはスタンダード曲の、言い回しの翻訳の話になって、英語の授業になった。
音楽に詳しい人は数あれど、歌詞と映画・当時の風俗の関係までくわしく知っている人は珍しい。
感心してしまった。
勉強になった。
同じ方向だったので、車で自宅近くまで送ってから帰った。
深夜1時。

昼食
2015/05/17

急に中村屋のカレーが食べたくなって、新装なった東口の中村屋ビルに行ってみた。
そうしたら10数人も順番待ち。
カレーごときに、これは敵わんとカレーは諦めて考えてみると、辛い物繋がりで、思い出したのが坦々麺。

西口のハルクの8階にある中華料理「楼外楼」(ロウガイロウ)に行った。
坦々麺といえば、サラリーマン時代に渋谷に引っ越してから、渋谷の南国酒家でよく食べた。
最近の気に入った坦々麺は赤坂というか溜池山王の信号の近くにある「頤和園」(イワエン)という店がお気に入り。
お祝いだけど祝えん。(面白く無かった)
ここは中々の味であった。
欠点は駐車場がない事くらいか。

こうして元気そうに辛い物の話をしているのだが、最近は齢のせいか、辛い物も苦手になってきた。
餃子のラー油でさえ、ちょっと入れ過ぎただけで、苦手の時もある。
なんだかなあ。

パッカーン
2015/05/16

携帯電話のAUのTV・CM。
桃太郎と金太郎、浦島太郎が集まって会話をしている話、
見ていると、だんだん心からムカついて来て、なんでこんなひどい映像を見なくてはならないと腹立たしい。
マイルド・ヤンキー達ににウケるために,ソフトバンクに続いて、ついにAUもここまでやるかと、怒りが沸く。

それが、桃から生まれたとかで、パッカーンなどと喋っている。
そのうちにかぐや姫と出来てしまた流れになってきて、結婚。
それで、「つながりは」
「かぐちゃん竹からパッカーン、桃ちゃん桃からパッカン、パッカーン、パッカーン」

見ているうちに可笑しくなってきてしまった。
慣れとは怖いもんだな。
思わず笑っている自分がいる。
いや、ウケている訳でもないんだけど....。

そういえば、私も車の練習に行くと、ドリフトだけど、来ている若者は何故かみな、しゃがみこんで話す。
目の高低が合わないと会話にならないので、つい一緒にしゃがんで喋っているうちに、そういうものになってきてしまった。
私などの年配の車仲間でも集まると、車の横にみんなでしゃがんでしゃべる。
変だなと後で思う。
だって、仲間って薬剤師とか、獣医とか、社長とか、そういう人ばかりなのだが、車の事になると、なぜか埼玉のマイルド・ヤンキー風になる。
ツナギを着るとそうなるのかな?
それとも不良気質なのか?

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