HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ISKRA 1903 "ISKRA 1903"
2015/11/17

ISKRA 1903(PAUL RUTHERFORD -DEREK BAILEY -BARRY GUY)“ISKRA 1903”
INCUS 3/4 (UK)

前回入荷したのは、一体いつだったか思い出せないほど、しばらく前のことである。
本当に何年かぶりの入荷になった。

このアルバムの原盤も、探すのに随分苦労した一枚だった。
私がまず購入したのは70年代前半だったにも関わらず既に白ラベルのレコードだった。
それで良しと思っていたのだが、どうやら違うらしいと言う事になり、それから原盤に買い替えたのだが実際、発売されて何年も経っていないのに原盤はなかなか見つからなかった。
余程、発売枚数が少なかったのだろう。
ハッキリ言うと、まあ、その、売れなかったのだろう。

演奏は3人で組んだグループの即興演奏である。
しかし、ここまで研ぎ澄まされたサウンドを70年に行っていた事が凄い。
しかも、ジャズを否定し破壊している作品なのに、2枚のLPを飽きずに最後まで聴く事が出来る作品が、一体この世に何枚あるというのだ。
これだけで、音楽の説明は十分だと思っている。
3面の終わりあたりにラザフォードが「ニャーオ」という所があって、思わず外に猫が来たかと見てしまう。
どうでも良い話は置いといて、モトエ。

むかし、デレク・ベイリーの本を読んでいたら「骨董品屋には掘り出し物はない、掘り出し物は古道具屋にある」と書かれているのをみて、何て貧乏臭い奴だと呆れた事がある。
確かにその通りで、お金の無い骨董マニアは古道具屋をハシゴして歩き回るのは、世界共通の行為である。
レコード・マニアも同様である。
だけど、そんな事を本に書くかと? 流石はイギリス人、ケチなのだと呆れた。
そう言えば、音楽もこの人のは、世間では持ち上げて研ぎ澄まされたサウンド等というけれど、言ってみれば豊かさも削り取った、所詮貧乏臭いサウンドだと思った。
それで、たった一行でこの人間が一遍に嫌いになったのだが、その貧乏臭いとケナしたものの、音も音楽も大好きだった。
いや、その本も好きだった。
じゃあ、なんなんだよ!
再び、どうでも良い話は置いといて。

兎に角、このアルバムの原盤は珍しいという話。
一生のうち、何度も見る事はない。


(何人かお問い合わせ頂いておりますが、売れてしまいました、悪しからず)

CECIL TAYLOR “LOVE FOR SALE”
2015/11/16

CECIL TAYLOR “LOVE FOR SALE”  UA  UAL4046 (USA)

こんなアルバムが入荷。
いいジャケットだねぇ、としばし見とれる。

以前、COLUMAN HAWKINS(ホーキンス)のところで書いたはずだが、同じ撮影の時の写真を一枚はセシル・テイラーに、もう片方をホーキンスに使ったのだが、いづれにせよ、構図が物語風でどちらも写真が良い。

夜の街のお姉さんが壁に寄りかかって、コートを来た若い男を呼びとめた。
彼女がタバコを口にくわえたまた、火を貸してといった。
火ならいいよと、若い男がポケットからライターを出して、彼女に近づき口元の煙草に火を点けようとして、彼女のその顔が、細い火に照らされた瞬間。
こんな美人だったかと、火を着けながらも彼女の顔から視線を外せない。
彼女も男の目を見ている。
男と女の、なんともいいい写真である。
タイトルのLOVE FOR SALE通り、突っ張っている男と、夜の街の女。
まるで坊や扱いでもしている様子が実にイカス。
だが、この先の事は他人には関係ない。
アメリカの都会の夜の片隅に起きている、ある情景である。
いかにも行きずりと言う感じが、刹那的で良い。
ジャズのレコードのジャケットとしては一級品である。

ところで、今回のレコードはプロモーション用の盤である。
白いラベルに文字を印刷してある。

見るとタイトルがあって「LOVE FOR SALE」。
ちょっと下に「NOT FOR SALE」。

非常にウケた。

ROLF & JOACHIM KUHN QUARTET “RE-UNION IN BERLIN”
2015/11/15

ROLF & JOACHIM KUHN QUARTET “RE-UNION IN BERLIN” CBS S62407 (GERMANY)

こんな素敵なアルバムが入荷。
昔からフリージャズ好きにはあこがれの名盤である。
私なども、ほとんど見たことも無かった。勿論再発も無かったのだが、最近、再発されたらしい。

ジャケットがカッコ良い。白地にRとEの文字を木版画で刷ったようなシンプルさ。
上部にROLF & JOACHIM と二人の兄弟の名前とタイトルを並べてある。
これが、30センチ四方の大きさに納まった時のおさまりとセンスの良さ。流石ドイツの律儀なセンスである。
兄弟そろって演奏出来た事が嬉しかったのだろう。RE−UNIONすなわち「ベルリンで再び団結」という、左翼がとても喜びそうな意味深いタイトルである。
この兄弟。兄のROLF(ロルフ)は1929年に西ドイツのケルンに生まれた。
一方の弟JOACHIM(ロアヒム)は1944年東ドイツのライプチヒ生まれ。
別々に育った二人だが、血は争えず、やっぱり音楽家になった。
その後、東西冷戦の中、兄のロルフは東のライプチヒ音楽院に学ぶ。
兄弟で一緒に演奏したかったのであろう。
そうそう、確か日本の歌で有名な滝廉太郎はライプチヒ音楽院に留学したはずだった。モトエ。

ロルフは、56年から58年までアメリカに住み、57年から58年は憧れのベニー・グッドマンに付き、楽団にも在籍しグッドマン・スタイルを吸収したのである。
そうそう評論家の油井正一の油井はグッドマンを直訳すると「良い」のでちょっとひねって油井としたと。もう、ちょっとひねった方が良かったなあ、モトエ。

ところが、ジャズ界は猛烈な速さで動いていた。
すると彼はモダン・ジャズへも興味を持ち、今度はバディデフランコ スタイルへと変わったのだ。
しかし、若さゆえか性格がチャラチャラしていたのか、まだ収まらない彼は、当時の進歩的ジャズメン同様にコルトレーン・スタイルに目を向け、またも変貌を遂げるのである。
変われるからエライ。

そんな彼が残した作品は、64年の年末に東ドイツのAMIGA(アミガ)に名盤SOLARIUS を残し、斬新さを世に示した。
そして更に一歩駒を進めたのが、65年のこの「RE-UNION IN BERLIN」なのである。考えれば東西の面倒なドイツの中で、AMIGAで作り、今度は西のCBSで作ったという、中々のしたたかさは見事である。
その後、弟は66年に亡命した。やはりそうであったか、という事である。
この二人の凄いのは、政治体制の複雑かつ冷徹な中にいて、その間を移動しつつ、生きただけでなく、世界に残る音楽を残した気概というか精神的な強さは凄かったと思う。

そんな彼らが、ソラリアス、リユニオンと続けた作品。
この先はフリージャズそのものになるはずである。
私がいつも言うので今更ではあるが、こういう、「フリー・ジャズ前夜」のアルバムが一番面白いという点に行きつくのだ。

作品は、心地よさを持った良い響きの淡々とした演奏から始まり、ベニーグッドマン、ジャズ、前衛音楽、クラシックと多くのサウンドを取り込み、そこから作り上げた斬新さで、徐々に先鋭的で冷静沈着な演奏へと進む全体の展開も実に興味深い物がある。
ロルフの偉いのは、コルトレーンスタイルと言っても、クラリネットという楽器の上品さと楽しさを絶対にはずさない所にある。

フリージャズと言っても、非常に聴き易いので、お薦めの作品である。

FRANCOIS TUSQUES - BARNEY WILEN “LE NOUVEAU JAZZ”
2015/11/10

FRANCOIS TUSQUES - BARNEY WILEN “LE NOUVEAU JAZZ”
DISQUES MOULOUDJI EM13.517 S (FRANCE)

珍しいアルバムの入荷。
ジャケットは漫画風で音楽隊が歩いている、球の上に乗っておとぎ話風でもある。
楽しそうにしているが、決して楽しい音楽ではない、何しろ67年のフランス・フリージャズである。
しかし、心して聴く事によりその後の、レコード人生は大きく変わる事であろう。
左上にタイトル名とトゥスクとバルネの名前を2段に書いている。大物である事の印である。
ラベルの中に写真があるのはトゥスクの顔であろうか。
このレーベルのMOULOUDZIさんは、さぞトツスクに心酔していたに違いない、何故なら前作のFREE JAZZ(EM13.507) が65年に発売されて、その評価は高かったのである。
今回はそれに、ハードバップ界から一足飛びにフルージャズ界に殴り込みを掛けた風雲児のバルネを招いての演奏であった。
出来上がった作品は期待に違わず、フランスにおけるフリージャズの作品として頂点にある、数枚の一つである。
この作品を作った人物としては重要点が二つあって、一つはリーダーのフランソワ・テゥスクであり、もう一人はバルネ・ウイランという事になる。
トゥスクのファンも、またバルネのファンもその音楽人生の流れの中で外す事の出来ない作品だという事になる。
トゥスクという人は、70年代我々がフリージャズを集め出した時から、何処がどうなのか分からないがフランスのフリージャズ界の頂点という位置づけであった。
それで一生懸命にレコードを探したのだが、なかなか入手困難な人なのであった。
それもそのはず、探せばわかる事ながら、ここぞと思われる重要作品に顔を出しているし、BERNARD VITET(ベルナール・ヴィッテ)等とも一緒に活動をしている。
1965年 FREE JAZZ (MOULOUDJI)
1967年 この LE NOUVEAU JAZZ (MOULOUDJI)
1967年 BARNEY WILEN ^ AUTO JAZZ (MPS)
1971年 INTERCOMMUNAL MUSIC (SHANDAR)
それで、だんだん重要な人なのだなあと思うようにもなったと同時に、彼等の作品はどれも一級品の価格なのだという事になったのである。
フリージャズなど一枚欠けてもどうと言う事もあるまいと思っていたのだが、所がどうしても欠けていると落ち着かない。と言う訳で、こういうレア盤を探す事になる。

この作品、A面はトゥスクのソロと2・3人、B面はバルネと演るという算段。
イギリスなどと違った、フリージャズの音楽形態を知る事になって、面白い。
ヨーロッパのフリー・ジャズは国ごとに、かなり様相が異なっているのが面白く、それがハマル原因でもある。もっともその後はどんどん交流も進み、今は無国籍、いや共産主義的な表現を使えばグローバル化ということである。
ところで、このトゥスクという人も、当時は相当の共産主義者で、いやここで 注意、彼だけではなく、フリージャズ演奏家は例外なくアナキストである。
何しろFUTURAの一枚にはレーニン、スターリン、毛沢東、などの顔をあしらったジャケットもあるほどなのだ。
私はそれが面白くて、買っていた所もあった。
どんどん話が飛んでしまう。
いずれにせよ、言いたい事は、フランス フリージャズ作品の代表作であるという事である。

佐藤允彦 “DEFORMATION”
2015/11/09

佐藤允彦 “DEFORMATION” 東芝EXPRESS EP-8005 (日本)

さて、珍しいアルバムの入荷。
ジャケットはボッティチェリの「ビーナスの誕生」である。
それがウラジャケにあり、表はそれを汚く赤やら暗色で塗ってしまった、どういう意味にせよデフォルメなのだが、ジャケットの上の方には1から順番に番号が振ってある。表はい〜30まで、裏は91から120である。
間が無いぞ、と心配すると問題無く内ジャケにちゃんと31から60.61から90と30づつ記載がある。
数字の意味は解らぬ、まあ、何でもいい。
内側の絵も基調はビーナスの顔で、その上に更に横尾忠則のようにごちゃごちゃ様式である。
ただ数字といい中央の時計といい、意外に律儀な性格なのであろうか。
律義さはもっとあって、辞書のDEFORMATIONの所を切り取り、ジャケに貼り付け、その意味をしっかりと解ってもらいかのように矢印を二つも書き込んでいる。
佐藤さんは意外に生真面目な性格なのね。

さて、このアルバムは、当店の開店当時、自分のコレクションだったものをちょっと安めに売った。
それ以来、一度も入荷が無かったものである。
したがって、16年ぶりの入荷という事になる。
こういうアルバムを見ると、今回もそうであるがプロモーション盤である。
如何に当時、売れなかったかという証拠でもある。
プロモ盤であるという事は紛れもない初期のプレスであり、盤は赤い色で例の東芝得意のエバークリーン・レコードなのである。盤が赤いのは、なぜか傷が目立ちにくいだけである。

さて、佐藤允彦は、意外な事にバークリー音楽院に留学している。その後の音楽活動から見ると、行かなくても良かったかと思えるのだが、行って勉強してきた。
帰国後の69年、3月に「パラジウム」東芝EP-8004を発表。
その次がこの「DEFROMATION(デフォルメーション)」という事になる。
メンツは同じ、佐藤、荒川、富樫 である。同じ初期の演奏でこちらが生である。
という事は佐藤の初期の生き生きとした、いっぱい詰まった脳の中をひっくり返したように、イメジネーションが迸る演奏なのである。
だからといってガンガンと演る訳では無い。
彼または彼らが、それまで溜めていたアイディアを新しく起こっていたフリーフォーム運動に乗せ、表現方法をいくつも考え出し、音を積み重ね、或いは取り去り、トリオと言ってもトリオでもなく、かと言ってトリオらしく、聴く者を裏切り、また驚かせた、有る時は洗練され、ある時は土着であり、ジャズだけの範疇に納まる事は勿論あるはずがない、全てを丸め、そして、まな板に広げて見せた。また「しきたり」からの脱却は、現代のゆるい社会と比べるべくも無く、非常に困難だったに違いない。
Aラスの「INTERMISSION」が婆様の念仏というのも面白い。
色々な意味で実に面白い作品である。

この人の中では一番良いかもしれない。
私はかつて日本人のジャズはあまり買っていなかったが、これは買っていたのだから、きっと珍しく気に入っていたのだろうと思う。
今日は最初から最後まで聴いたのだが、中々新鮮で、アメリカの物真似で無い日本のフリージャズ運動が起きていた事が伝わって来て、嬉しかった。

これがもっと展開されていれば、もっと違った音楽になったかもしれないなあ?

レコードの取り置きに関して
2015/11/08

当店にて、レコードを取り置きされる方にお願いです。
一旦取り置きしたレコードは必ず、引き取っていただけよう、重ねてお願い申し上げます。

最近、取り置きのレコードを取りに来られない方が増えています。
また取り置きの行為を、購入を考える猶予期間だとお考えの方もおられます。
取り置きの後、キャンセルされる方も時々いらっしゃいます。

取り置きのキャンセルは、私にとって楽しい事ではありません。しかし、その事よりももっと悲しい事は、キャンセルされたお客様が来店しなくなる事です。せっかく顔見知りになったのに残念に思う事もあります。
結局、双方とも面白くない事である、という事です。

取り置きは、法的にも売買として成立はした物ではありません。
従って、私どもも強く迫る事はできません。
しかし、お客様への便宜を計るものとして考え、相互の信頼に基づき、必ず売買に繋がる事を前提とした措置だと考えています。
また、期間は一か月程度だと店の決めごととしています。

日記に書く事ではありませんが、書く場所がありませんので、堪らない気持ちで書かせていただきました。
よろしくお願い申し上げます。

JOHN LEWIS−SACHA DISTEL” AFTERNOON IN PARIS”
2015/11/07

JOHN LEWIS−SACHA DISTEL” AFTERNOON IN PARIS” (VERSAILLES) MEDX 12005 (FRANCE)

思えば、久しぶりの入荷である。
最近はこういう大・名盤が出なくなった。
さらに、綺麗なものなどほとんど望むべくもない。
何しろ、ペラジャケとよばれる薄くて柔らかな紙質である。

遠くにエッフェル塔が霞んでいる。
その前の広場はコンコルド広場である、雨上がりに二人で語り合いながら歩いてくるジョン・ルイスと若きフランスのギタリストのサシャ・ディステル。
いかにもパリらしい風景で、ちょっと地味めに作ったジャケットだが何しろ、おフランスの中心地パリである。
地味に作れば作るほど目立ってしまうという事である。
いかにもパリらしさがこれでもかと演出している。
これがアメリカのアトランティックから出たときには赤と青の縦縞にまって、これまたトリコロールカラーでいかにもフランス風を煽った。フランス盤の方がしっくり来る? いや、どっちも悪くない。

サッシャ・ディステルは叔父がベルサイユ・レーベルの社長だったので、こんな立派なメンバーを集めて演奏が出来たという所か。
昔のSJ誌ではジョン・ルイスそしてMJQが中心として紹介されているが、今聴くと、これはやっぱりフランス勢が中心である。
ギターだってメンバーに負けていなくて結構良い。
残念ながら表の写真には出てないがテナーはBARNEY WILEN(バルネ・ウィラン)。
当時19歳、演奏が同じような年齢ならアメリカの天才リー・モーガンに負けない天才ぶりである。
そう、このバルネこそ2人の主役を喰ってしまったのだ。
バルネが参加した事こそ、この作品の重要性がある。
アメリカ人のような俺が俺がという押し付けがましい所がない、上品さ、味わい深さ、知性がにじみ出て、じわっと好きになるテナーで、この作品を傑作にしている。
何度聴いても、その度に泣きたくなるほど感動する。
冒頭の「I cover the waterfront(波止場に佇みて)」、ジョン・ルイスのイントロで恥じらうようにそっと始まる。
どことなく「カモメの水兵さん」を連想させるところもあって、タイトルとの絡みが日本人としては聴くと嬉しいかぎり、それをシャッシャ・ディステルが引き継ぎ、テーマの部分をたっぷり聴かせる。
曲が良いだけに気持ち良い、やがてそこにバルネが入って来て見事なテナー。
一曲目から良いとは嬉しい。
バルネの音のイマジネーションは尽きることなく湧いてくるようだ。
2曲目の「Dear old Stockholm」、これはバルネがフィーチャーされている。
バルネのテナーは19歳と思えない完成ぶり。
このアルバムのタイトル曲「Afternonn in Paris」文句はない、じっくり聴きたい名演奏。
だが、文字数も少なくなるので、先へ進む。
はやる気持ちで裏にひっくり返してと。B-1「All the things you are」を聴こう。
この曲こそが、バルネのバルネたる所以である。
例の通りジョン・ルイスの厳かなイントロがある、やがて時期は来たる。
地の底から湧き上がる、という表現がぴったりの、満を持したバルネのテナーがグワっと湧きあがり音量が上がると、この瞬間こそ「ああ、オレはジャズを聴いていた甲斐があったのだ」と思えるのである。
この瞬間、バルネこそテナー・プレイヤーとして男の中の男だと思うのだ。
難しい言葉は使わず優しい音の並びで、そんなに長いソロではないのだがなぜか光る。

いや、凄い人だった。
いいレコードだなあ。

KENNY CLARKE “PLAYS ANDRE HODIER”
2015/11/04

KENNY CLARKE “PLAYS ANDRE HODIER” PHLIPS N77.312L (FRANCE)

このアルバムは大変珍しい。
しかし、珍しい割にはどこかで聴いたことがある作品であるのは、まず米国のEPICレーベルからほぼ同時期に再発されていて、例の放射状のラベルで見覚えの方もおられると思う。
更に20年程も前になろうかフランスの出所のよく判らないが、いやに好内容の作品ばかりを集めて発売していた会社から「JAZZ IN PARIS」という名前でCDが発売され、これは結構な人気になり、売り切れたと当時知り合いが言っていた。
という事で内容は正に、おフランスの洗練されたというか、ちょっと斜に構えたというか、そんな所もお洒落感が漂っていて、古さも新しいという絶妙な作品なのである。
まあ、言ってみれば秀作なのである。

それもそのはず、メンバーが素晴らしい。
フランスの50年代当時代表選手が勢揃い。
全員がすべての曲に参加している訳では無いが、どこかに必ず参加しているという面白さ。

そう言えばANDRE HODEIR(アンドレ・オディール)という人は、フランスでは映画などの作曲で大変な有名な人で、その彼の音楽や、彼がアレンジしたジャズの有名曲をケニー・クラークがフランスのジャズメンと演奏したという作品なのである。
いわばフランスの音楽にケニー・クラークが引っ張り出されたという流れか。
ジャズとしての音楽は、リズムだけはアメリカのサウンドとセンスが必要であったという事である。

ジャケットはケニー・クラークがお洒落に髪をポマードで撫で付け、ネクタイも締めてヒップな装い。
得意げに右手のスティックを空中に放り上げ、それを正に取ろうとしている所。
その名人芸にフランス人たちに、大いにウケたに違いない。

中々微笑ましく、良いジャケットである。

しかし、この人は、その後もグングン実力を伸ばし、ついにフランシー・ボランドと双頭バンドを組み、大活躍をすることになる。
まあ、いってみればその第一歩という感じであろうか。

VA “PASSAPORTO PER L’ITALIA” RCA VICTOR
2015/11/03

VA “PASSAPORTO PER L’ITALIA” RCA VICTOR PML10319 (ITALY)

イタリアRCAのオムニバスである。
しかし、只のオムニバスに非ず。
日本において、RCAのヘレン・メリルとチェット・ベイカーのEPの存在がマニアの間で情報がはっきりするまで、このアルバムがチェット・ベイカーとヘレン・メリルの歌物としては、これが全てであったのだ。
なにしろチェットが2曲、それも彼の人生の最高の歌と言われる「IL MIO DOMANI」が収録されているのみならず、更にヘレン・メリルのトップクラスの出来の「ESTATE」が聴けるのである。
なんという美味しいオムニバスであろうか?
しかも、それらをEPで揃えようとすると、金額が一桁違う事になる。
勿論、EPにあってここにない曲もあるのだけれど、それでも十分の内容である。

以前の日記のヘレン・メリルのアルバムの所で書いたと思うのだが、このアルバムもちょうど1960年頃の作品である。
それは彼女が欧州ツアーを行いイタリアに行き、人生の最高の作品群を残した結果であり、またチェットも同様にイタリアで演奏を行い、後世に残る抜群の音楽を残せた結果である。
良い話が重なった故に出来上がったアルバムなのである。
またPOPSファンなら喜ぶ、ポール・アンカが2曲、ニールセダカも2曲イタリア語で歌っている。
ジャズ・ファンだけでなく、当時の音楽ファンのだれもが楽しめるという筋書き。

ジャケットは4発のエンジンの旅客機が離陸した姿をとらえた写真で、飛行機物はソソラれる。
そして「PASSAPORT PER L’ITALIA」すなわちイタリアへのパスポートという異国への憧れを持つように、洒落た演出なのである。

私がイタリアへ買付で行っていた時、レコード祭りの会場がちょうど空港の近くだった。
仕事が上手く行かなかったり、意地悪な日本人にチクチクといじめられた時に、外に出て空を見上げると、ちょうど飛行機が離着陸をしている所にぶつかり、飛行機が飛んでいると、日本への郷愁を抑えがたい時もあった。
ちょうどそんな飛行機の姿が、このジャケットの写真を見る度に、イメージが重なってしまう。

しかし、このアルバムはチェットとヘレン・メリルのファンには必携盤でもある。
例えEPを既に持っていようとも、LPはまた別の楽しみもあるから。

SONNY ROLLINS “THE BRIDGE”
2015/11/02

SONNY ROLLINS “THE BRIDGE” VICTOR LSP-2527 (USA)

私の好きなアルバム入荷。
ジャズの青春時代に戻るなあ。

ロリンズは49年のプロデビュ−以来、順調に仕事をこなし、マイルスの下でも重要な位置にあり、51年のDIG(PRESTIGE 7012)においては、SP時代の3分間ジャズから、長い演奏が聴かれるLP時代の幕開けに貢献するなど、モダン・ジャズの到来と時代を作って来た。
56年6月にはジャズの象徴「サキソフォンコロサス」を発表した功績が人生に輝く。

さて、同年5月の事、スタジオに遊びに来ていたコルトレーンと一曲だけ共演したのが「TENOR MADNESS」である。
マイルスはすでにコロンビアとの契約を済ませ、プレステージの録音はいわば消化試合、それに付き合うために来ていたコルトレーンである。
ロリンズとコルトレーンの最後の共演であるが、ロリンズは一歩進んだコルトレーンのサウンドに驚いたはずである。
これが人生の一つの点かと私は思うのである。
ロリンズはこの後、ブルーノート、リバーサイドとちょこちょこっと仕事があるだけ。
しかし、先輩のマイルスは56年からCOLUMBIAと契約を取付、一段上に行った。
この2年程してコルトレーンもまたアトランチックと破格の契約をすることになる。
近い者たちはメジャーに行ってしまった。
彼の心中は、いかなる思いであっただろう。

59年から61年まで、ファンには意外な、引退状態であった。
考えれば3年間仕事の無い芸人などいくらでもいるのだが、ロリンズの場合は特に日本において6・70年代になって遅ればせながら理由が取りざたされたのである。
マニアという物はそういう事である。

実は59年の引退直前にスエーデンなど欧州に行っている。
その時のメンバーが面白い。
ベースが Henry Grimes (ヘンリー・グライムス)、ドラムが Pete La Roca (ピート・ラ・ロッカ)というピアノレス。
こういうメンバーとなれば私など大興奮なのだが、プレステージのアルバム等のファンには及びもつかないメンバーである。
そのメンツでスエーデン、スランス、スイスと廻った。
これが、その後の彼の音楽即ち「THE BRIDGRE」の重要なヒントがある。これが次の点であろうか。
そして、そのまま仕事をせず練習に明け暮れる事になる。
橋の上や公園などで練習を目撃されているという事は、歯も悪くなければ健康にも別段問題が無かった事になる。
まあ、心に期するものがあったと言うのが正しい。

やがて満を持して、61年暮れ公衆の面前に姿を現し、RCAビクターと契約し、62年幕開けと同時にこの世紀の大傑作当作品「THE BRIDGE」を世に問うた。
音楽の相手はJIM HALL(ジム・ホール)。
多分、ロリンズは2・3年前から音楽関係者の注目を集めていたJIMMY GIUFFREE(ジミー・ジェフリー)の音楽表現に興味も持っていたのではないか、その相手のジム・ホールとの共演は、ロリンズは今後のアイディアにさぞ興奮したに違いない。
このアルバムの中でも、ロリンズとホール間における相互作用は、無駄がなく、音は洗練され、淡々として高い音楽性を保つ成功した録音では無かったか。
フリー・フォームのジャズを研究し行き着いた彼の音楽がここにある。
彼の今までに無かった音楽の境地がここにある。
みんなが簡単なモードに行くときに、オレは今までの手法を押し進め、誰も真似のできない高みに上がるのだと。
私はこれを聴く度に、前衛かつ伝統を外さないロリンズの才能に感動する。
これぞ前衛である。
フリージャズだけが前衛ではない。
難しい音の運びであるが、聴く者には優しいという名人芸である。
このアルバムを聴くと、人は時間を掛けてアイディアを練り上げ、満を持して作品を出す事は重要だなあ、とつくづく思う。

ロリンズの最も優れた音楽として、また当時の優れたジャズとしてこの作品は、いささかも揺らぐ事はない。

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