HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| マッキントシュ275の事 | - 2016/02/15
- アンプを2・3日使用して思った事。
しばらく鳴らしていると部屋に馴染むというか、なんとなく鳴りが良くなってきた。
それで、まだ他にも方法があったのではなかったかと、思い立ってアンプの斜めの部分を眺めていると気がついた。 このアンプの長所はアンプのボディの左側が斜めにカットされたデザインになっていたからこそ、購入したようなものだったのだ。モトエ。 使用電源が117Vと125Vと切り替えがあったのだ。
それならば、たしか持っていたはずだと部屋をさがし棚の奥の方から見つけた変圧器を引っ張り出し、110V・117V・120Vの取出しがあったので、一番低い110Vに接続。 すると、更にシャキット感が出てきた。
当初のアンプはこういう切替があったのだ、その後は日本仕様が現れて100Vに固定されたのだが、こういうのはアメリカの状態に近づけると良い。 ずいぶんと異なる音になって驚いた。
気がついて良かった。 でも、そろそろオーバーホールに出さないといけない。 実験はそれから。
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| DONALD BYRD “BYRD'S EYE VIEW” | - 2016/02/14
- DONALD BYRD “BYRD'S EYE VIEW” TRANSITION TRLPJ-4 (USA)
トランジッションと言えば幻の名盤がずらっと並ぶ、レーベルもまた幻の名門。 セシルテイラーの「ジャズアドバンス、などはかつては筆頭に揚げられた。 その中のドナルド・バードの作品は幾つもあえい「ビーコンヒル」とならぶ人気盤でもある。 完品なら30万はするというもの。 それが、なんと、片側のラベルが剥がれてしまって無いという状態である。 せっかくブックレットが付いているのに、残念なことである。
このアルバムは厄介な事がいっぱいあって、まずラベルが剥がれてしまう事、剥がれてもジャケットの中にあれば良いのだが、大概はどこかに紛失している。 更にライナーを書いた物がブックレットになっていて、魅力的なのに、それが大概紛失してない。 またジャケットの紙が弱いのか、大概はジャケットの上下が割れている。 それまで完璧だとして、盤を聞いてみると、「音割れ」するものばかり。 盤質も良くないし、悪い針で聴いたりしていて溝が傷んだ物が多い。 こういう厄介なレコードなのに、今回のは若干傷があるだけで、音割れなどない。 ジャケットの正面に綺麗な状態。
それが、たった一つの欠点だけ、片側のラベルが紛失しているのだ。 その分、安価なのだが....。
なぜか受けないんだなあ。
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| 買付 | - 2016/02/13
- 当店の仕入部長が買付で出張。
しばらく私一人で店番。
一人でいると時間が束縛されるので、好きな喫茶店にも行けず、その分精神的に疲れて仕方がない。 サボってコーヒーを飲みに行きたいなあ。
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| 真空管 KT88 | - 2016/02/12
- 実家に置いたままになっていた、パワーアンプ「マッキントッシュ275」。
20年もメンテナンスもしていないし、どんな音か使ってみたい事もあったので、持って来た。その時に押し入れに、真空管KT88の箱がいくつも出て来たので、調べたら4種類もがあったので 一緒に持ち帰った。 若いといえよくもこんなに買ったものである。
1.GEC GECという青いシールが貼ってある。中の一本は焦げて黄色くなっていた。 これは275を購入した時に既に着いていたものである。元箱はない。
2.GOLD LION 黄色の文字でGold Lionと書かれている。箱を開けてみると、中に一本づつ検査票が入っていて、会社名を見ると M-O Valve Co. Ltd. Made in Ukとなっている。当時、お店のお兄さんが、GECを着けてくれ「取りあえずこれが付いているけれど、もっと音を良くしたかったら、こういうのがある」と教えられたのである。 ベースが茶色なので、私がアンプを購入した時期から想像すると、多分70年初期のものであろうか。
3.GOLD MONARCH これも、私が当時、ゴールドライオンと一緒に購入していたようで、こんなものを仕舞ってあったとは思わなかったが、見つけた時は驚いた。今は随分入手が難しいらしい。 赤と金色の箱に2本づつ紙のテープで巻かれているので、隠れてしまい、会社名は良く分からないが、Mide in UKとなっているが、箱の会社名はNew Yorkとなっている。 まあOEMというものだろうか。ここまでは皆 英国製である。
4.6550 それに、なぜか6550もある。これだけが米国製である。 これは知合いから購入したものだが、2本が茶色ベース、2本が黒ベースでがっかりしたがまあ仕方がない。 音は悪くないが、2本づつの音色がちょっと違うので、テストとしては問題外だった。
色々試した結果、一番音がシャキッとするのはゴールド・モナークである。 友人の話によると、昔「五味康祐がゴールド・モナークでなければMC275は買わなかった」と言った、という話があるとか。なるほどという事である。 但し、この辺りの真空管は、どれもゴージャスな音になっていて、音量を12時あたりで聴けば、どれもそれなりに悠然として金持ちに相応しい大人の音として、実力を発揮する。 わかるかな? すなわち、この275というアンプがアメリカの金持ちが天井の高さ3m以上、非常に広い部屋で大型スピーカーを堂々たる音で鳴らすためのものである事が良く分かった。 当時、雑誌に騙されて、最も日本の狭い部屋に向かないこんなアンプを買った私が馬鹿だった、とつくづく思った次第である。 現実はダイナコでも良かったのになあ。 あはっ!
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| TONY SCOTT “QUARTET” BRUSWICK | - 2016/02/11
- TONY SCOTT “QUARTET” BRUSWICK BL58056 (USA)
(10inch)
しばらくぶりの珍しい10インチ盤。 このアルバムはトニースコットの音楽人生を代表する作品ではなかろうかと聴く度にいつも思っている。 風情があって良い感じ。 このアルバムはジャケットを変えて12インチ化されたこともあるが、何と言っても、このアルバムの写真が素敵である。 斜め上から写したクラリネットを吹いている所が、溌剌感が出ている。 オマケにまだ若い。 私など最近は、彼の写真などはジジイの姿しか見てないから、いや、こういうジャケットを見るとワクワクする。 顔もキリッとして良い男だ。 1953年12月、この作品はDICK KATZ(p), Earl May and Percy Heath(b) , Ossie Johnson(dm) とのカルテットである。 この年は、かれがダウンビートでポールウイナーに選出された年でもあり、もっとも意気揚々とした時期でもある。 そんな時だけに、力が漲っている事はサウンドから伝わってくる。 ノっている時は、優しさもちゃんと出るんだな。
かつて、Dexter Gordon-Wardel GrayとのThe Chaseの日本盤の裏に、スペースが足らなかったのか、なぜか入れられて発売されてしまい、それぞれのフアンが「悪くは無いけれど」と互いに大いに残念がった事ともあった。 そのオリジナルである10インチ盤を聴きたいと、どんなに思ったことか。 その私の当時の憧れのアルバムがこれだったのだ。
今、こうして聴くと、53年は既にジャズもモダンな音楽であり、新しい音楽の到来にみんな、いや彼もまた胸が膨らんでいたのだ。 ジャズにおける過去の楽器になろうとしているクラりネットを持った瞬間から、将来どんなに辛くとも、彼にはこれが己の道であった。 そんな気構えというか情熱が伝わってくる音である。 彼の音は現代風でしっかりと、やや堅めで、クリーンで時代を作っている事がわかる。 しかし、しかしだ、そのサウンドの根底に流れているのは、しみじみとした風情なのだ。 いい音楽だねえ。 いいねえ。
ついでながら、もう一枚同レーベルに続きがあってそれも入って来た。 JAZZ FOR G.I. 'S (DL 58057) という10インチ。 それも一緒に写真だけ掲載する。 なかなか良いジャケットである。
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| EDDIE SHU/BOBO HARDAWAY “JAZZ PRACTITIONERS” | - 2016/02/10
- EDDIE SHU/BOBO HARDAWAY “JAZZ PRACTITIONERS” BETHLEHEM BCP3 (USA)
入荷したので眺めながら、「そんなに珍しくも無いなあ」と思いながらも確認のため、当店のデータベースを調べて見たら、あらまあ、何とやっと2度目の入荷だわ。 そういえばこの元ネタの「LOU’S BLUE」10インチの方がまだ目にしている事に気が付いた。 12インチ盤のほうは意外と珍しいアルバムだったのだと。
このアルバムの良い所は、A面のエディ・シュ-よりも、ボブ・ハーダウェイが存在するB面に負う所が大きい事は言うまでもない。 なにしろレスター系といいながら、バリッとしたサウンドがカッコ良いのだから。 共演のマーティー・ペイチ、マックス・ベネットのバッキングもイケルが、なんと言っても本人のテナーが抜群である。さっぱりして小気味の良いスイング感も持合わせた立派なテナーで、バラードになるとスローで静かな様子が良い雰囲気で、全編に渡って出来が良く感心する。 とにかく非常に上品なテナーで、音楽的にも相当な人だったのだろうという事はわかる。 ところが、あに図らんやアルバムは基本的に当ベツレヘム・レーベルにたった一枚だけだと。 最初は10インチ盤のBCP1026「LOU’S BLUE」という、通称「水兵さん」とよばれるアルバムである。そのアルバムの12インチ化が当、BCP-3番である。 10インチの方は水兵さんの素敵なジャケットだが、12インチ化の時に、追加分を録音せずに、エディ・シューとカプリングにしたのである。 どちらも若干似たような雰囲気のサッックスなのでそうなったのであろうか。 安易ではあるが、悪くはない。 エディ・シューの方も数少ない作品の人であり、音楽性の高い人で、この作品も渋い味わいのある好演奏で聴くほどに好きになる。
ところで、ボブ・ハーダウエイ。 なんとこの人は歌手のピンキー・ウインターの元旦那だったそうだ。いや驚いた。 訊いた話によると、ピンキー・ウインターの本名はフィリス・メアリー・ハーダウェイというそうで、その後のボーイフレンドとは結婚しなかったようで、正式名にハーダーウエイを名乗っていた。 一度、アメリカのネットの情報で、経済的な問題があってピンキーは離婚したと書かれていた事を思い出したが、はてさて。
ふーん。 音楽の世界も狭いものだ。
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| 本「証言で綴る日本のジャズ」 | - 2016/02/09
- 本「証言で綴る日本のジャズ」(小川隆夫)
新刊だから読んでみてと言われて購入した。 読んでいて、ある箇所で引っ掛かった。 それは、呼び屋の話の所、石塚氏という方のインタビューで、86年からコンコード・ジャズ・ファスティバルが始まった時の話。
「大企業の"富士通"が後押しをしてくれたけれど、お金ではなく、席の販売を後押ししてくれたのだが、せいぜい500席ほどで、非常に苦労した」 という所。
ちょっと、ここは確認の必要あり!と睨んだ。 当時の噂によると5千万円は出したはずだと言われていたからである。
当時はバブルの勢いもあり、多くのジャズフェスに企業が後押しをしたり、宣伝にミュージシャンを使ったりしてくれたのだ。 「日本タバコ」は当時のジャズコンサートに1億以上払ったという噂も出た。 あながち間違いではなさそうである。
それなのに、あの「富士通」の冠名がドンと付き、多くの観客を動員したジャズ・フェスティバルに何も払わなかった訳はないと思うのだ。 確かに援助もなく苦労したと書けば読者には受けるかも知れないが、その辺りは当時の常識的に行われていたお金の流れがあるはずで、作者はそれを調べる義務があったと思うのだが...。 これは意外に大きな問題だと思う。 さらっとスルーしてしまう簡単な問題ではないはず。
是非、調べ直して頂きたい・
せっかくの事実を書いた本であるが故に、余計に心配だ。 私の勘違いなら良いのだが。
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| DUKE PEARSON “TENDER FEELIN’S” | - 2016/02/08
- DUKE PEARSON “TENDER FEELIN’S” BLUE NOTE 4035 (USA)
私の好きな、良いアルバムの入荷。 今回は残念ながらオリジナルではなく、深ミゾが無い。他の条件は満たしているのだが、何しろ深ミゾが無ければセカンド・プレスという事になる。
雑誌ジャズ批評のブルーノート特集の紹介にはこんな事が書かれている。 「ラストの(曲の)解釈など黒人のピアニストと思えない知的な趣を持っており.....」 もう昭和62年なのに、まだこんな事を書く評論家がいた事に驚いた。 日本って凄いね。 黒人は知的では無いのかと、大いに怒ったが、その話は置いといて。
このアルバムは私が、コレクターになった頃、一生懸命に探した一枚で、結局アメリカのメールオーダーのオークションで入手した。 何とも言えない風情があるアルバムである。コーティングのジャケットの、ブルー・グレイを基調としたモノトーンの写真が如何ともし難い魅力がある。 縮れ毛の彼が、ざっくりした縞々のセーターで写った、何気ない写真である。 それがこの色合いになった事に、ジャズの何とも言えないアーシーな味わいが出てくるとは、凄いデザイン力である。 当時、仲間の一人がこのアルバムが大好きで壁に飾ろうと考えたが、ジャケットを飾っても厚みで出てしまい、どうにもしっくり来ないからと、知合いのカメラマンに依頼しジャケット写真を撮ってもらった。 その写真を30センチ四方に引き伸ばし、額に入れて自分の部屋に飾っていた。 このジャケットが渋い色いなのだが、その時の写真の色合いが更に重厚感が増し、カメラマンの本職の腕前に驚いたと同時に非常に羨ましかった。 そんな事までしても、このアルバムが好きだという友達の心に感心して、彼が友達でいてくれて良かったと思った。 今でも年に一度は会い、一緒に昼食を取るようにしているのだが、大概連絡をくれるのは彼の方からで、私はちょっと申し訳ない気持ちである。
今、改めて見ると、やっぱり良いジャケットだなあ。 当時のジャケットだから伝わる物もあるわ。
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| 池田家代々の鉢 | - 2016/02/07
- 久しぶりに実家に帰った。
ちょうどテーブルの上にぽつんと置いてあった。 見れば懐かし、子供の頃から家で使っていた鉢が二つ並んでいた。
一つは「うどんどんぶり」 我家の料理のうどん、そばはじめ、どんぶり物はすべてこれで賄う事になっていた。 これがなぜ代々、残っていたかというと、土間はもちろん床の上に落としても割れないという、大変頑丈な焼き物であったから。 子供の頃から台所の片付けの手伝いをしていて何度落した事か。 その災難を掻いくぐって長い年月をまさに生きて来てくれた。
もうひとつの鉢は、朝顔のような形の鉢。 これはどんぶり物にちょっともったいない、もうすこし高級な料理を盛り付けるためのものであった。 といっても、白菜の漬物などしかないが。
昔から我家は中山道の宿場で旅籠をしていたという名残で、こういう食器や漆塗りの椀、とっくり、杯など何十個、箱に入れて置いてあった。 それが父親の商売のつまずきで、父の兄弟に持って行かれ少し残ったものの、最終的には炬燵の火の不始末から火事になり、ほとんどを失ってしまった。 火災に遭った時に母がせめて兄弟に持って行かれて、有難かったという言葉にも妙に頷けるものがあった。
そんな、私にとって最も子供時代を思い起こさせる鉢が、たったふたつだけ。 これから何年、もつのだろう。 大したことはないが、形と言い、色合いと言い、絵柄と言い、なかなか捨てがたい味わいの焼き物である。
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| 仕事がひと段落 | - 2016/02/06
- 買取の仕事が入って、大騒ぎだったのがようやく落ち着いた。
日記を書く暇が無かった。
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