HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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田舎にひとりで住んでいた
2016/10/13

田舎にひとりで住んでいた姉が、亡くなった。

2・3日玄関の鍵がかかっていないのを近所の人が不審に思い、中を覗いた所、風呂場で倒れていたという。
風呂に水を入れようとして、屈んだ所で倒れたものだという。脳梗塞の疑いがあった。
その知らせを受けた時、ちょうど私が白内障の手術の入院と重なり、葬儀に行けなかった。
姉の葬式に出られないとは、きょうだいとしてなんとも申し訳のない事態であった。

姉は年に数回、いろいろな物を送ってくれていた。
ちょっと前にも果物を送ってくれたばかりであった。
お礼の電話をすると、息子と私を間違えて、息子のようにして話をしている。
それというのも、ひとり息子が東京に出て行ったのはよかったが、知らない内に、結婚をしてしまい、また知らない内に、子供も生まれていた。
息子が結婚してしまった事が癪にさわったのか、疎外感をかんじたのか、許せないと言うのだった。それで疎遠になってしまったのだが、心は淋しかったのだ。
私は、あんたの息子などと結婚してくれたのだから、感謝こそすれ、反対する理由も無いから、仲直りしなさいといったのだが、ついに距離を置いたままになっていた。
その内に姉も年齢と共に、大人しくなり息子と仲良くなると思っていたのだが、そうなる前に亡くなってしまったのが残念である。

姉は、わが家がもっとも貧困な時に高校を卒業し、それにもげず自力で働きながら東京の大学の夜間に通い、教師の資格を取り、田舎に戻って教師をした。大人しいが頑張り屋だった。
それが田舎風の考えに固まった母が、女が嫁に行かずにいると恥じだからと早くと、結婚を急かされ、母が近所の人に頼んで話を進めてしまい、せっかくの教師の道を2年で辞め、長野市の方に嫁いでしまった。
所が旦那の商売不振などで旦那は急死となったが、長野市に留まって女手ひとつで子供を育てたのだが、子供が東京に就職をしてから、また母が女の一人暮らしはカッコ悪いと、無理やりに田舎に連れ戻した。
それにも文句を言わずに従い、姉は淡々と、母が死ぬまで面倒をみていたのだ。
そう言う意味では、不幸な人生とは言わないまでも、われわれ兄弟の犠牲になったような境遇の姉だった。
わたしなど、本当に申し訳ないと思わずにはいられない。
きょうだいの中で、最も優しい人が、最も先に人生の終焉を迎えてしまった。
私は男なのに、何もしてあげていない。
姉ちゃん、許してくれ!

平等に
2016/10/12

夜遅く、ちょうどシナトラの「in the Wee Small Hours」を聴いていたら、眠くなって来た。
そういえば、睡眠というものは人に取って最後の幸せではなかろうか。
よく三大欲望というものがあると昔から話に聞かされてきた。
性欲、食欲、睡眠欲だと。
世の中、民主主義で平等だというけれど、平等なものはひとつもなく、考えてみれば、食欲といえどその内容は不平等の限り、性欲の相手などまったく以て不平等である。

その三大欲望の中で、睡眠こそがまったく平等であり、万人に神様が与えて下さった、たった一つの平等なのである。
眠りを貪ることが、犯さざるべき、万人に与えられた最後の砦なのだ。

思えば、人の平等は、睡眠以外にはありえないのである。
政治家やマスコミや公務員のいうところの民主主義の平等などは、まさに幻想であり、絶対にありえない事である。

実は人には、もっとその先があって、永遠の眠りというものさえも保障されているのである。
そこまで考えると、社会の不平等やら金持ちに対する妬みなど、忘れて安心して落ち着いて「眠る」事が出来るというわけだ。

お釈迦様の「涅槃」というのも横になって寝ているね。

知合いの話
2016/10/11

先日、ビル・エバンスのワルツ・フォー・デビーを購入された仲良しのお客様からメールが届いた。
ここに、ちょっとだけ紹介させていただく。

「BILL EVANSのワルツ・フォー・デビー(WALTZ FOR DEBBY)の国内盤は、珈琲豆を買っているお店の店主に差し上げようと思っています。
最近独立して出店した30代の店主は、勉強熱心でグァテマラの珈琲園を視察に行ったり、国内の同業者でシンジケートを組んで豆を輸入したりしています。
中米、南米、アフリカ、アジアの各地の最近注目を集めるようになった貴重な豆の浅煎りから深煎りまで楽しめて重宝しています。
私が会社の帰りに店に寄ったついでにレコード見せたりしていたら、店主も古いテクニクスのレコード・プレーヤーを手に入れ、お店でレコードかけるようになったのです。
それが先日の事、ワルツ・フォー・デビーなら持っていると、店にあったレコード盤を、プレーヤーに載せた所、ひどく歪んでいて全くトレースできませんでした。
色々とやってるうちに盤を割ってしまい、気の毒に思っていたのです。
替りの物を差し上げようと思い探していました」

という話。
いいよね、こういうの、情景が目に浮かぶ。
コーヒー屋さんも幸せ、お客様も幸せ。
いつまでも幸せが続きますように。

今日は何の日
2016/10/10

今日は1964年の東京オリンピックの開会式の行われた日。
NHKテレビでは朝から、東京オリンピックで盛り上がっていた。
出勤前にデパートに寄って歩いていたら、魚屋の前では、「魚の日」だというので、セール中。
1010でトトだと。

肉屋の前にいったら「豚肉の日」だとセール中。
1010はトントンのことだと。

みな、商魂たくましいというか、それぞれ頑張るものだと感心。

老い
2016/10/08

かつては徐々に白内障が進んでいたのだからあまり皺などが見えなかったせいでもあろう。
今までは、これほどでも無かった。
己の姿は徐々に醜くはなっては行くものの、これほどでもなかった。
自分は大丈夫だという安心もあった、2週間までの話。

しかし、白内障の手術をして以来、鏡の中の己の姿に愕然とする。
皺は刻まれ髪には白い物がまじった者が、なんという醜さかと鏡の中から語りかける。
それは私かと?

それが突然、鏡の中から現れた、今まで私ではなかった人が、私のような人となって、私に語りかける。
お前は醜いのだと。
私はもう一人の私に困惑する。
老いは確実にやって来て、老いの醜さを突き付ける。
鏡の中だけの幻想か?
これは本当の私か?

思えば、昔話の浦島太郎は、若い美女と付き合っていて現実が見えなかった事から、一人になった瞬間に醜さに耐えられなかった結果、急激に更に一挙に年老いる事を選択したのだ。
白雪姫の意地悪の妃は、鏡に向かって「この世で一番美しい者はだれ」と尋ね「それはあなた」という事が、やがて新しい美女が出現した事、即ち、己の老いに抗った故の物語の始まりとなった。
新しい美しき人を抹殺しようと、いつかは、また必ずやって来る、空しさ。

過去の多くの人達は、老いの醜さは、受け入れなければ死があるのみと教えてくれていたんだ。
時間と不条理と、いつかは受け入れるべき死の空しさはいかんともし難いのである。

JOHN COLTRANE “DAKAR”
2016/10/07

JOHN COLTRANE “DAKAR” PRESTIGE 7280 (USA)

気合の入ったアルバムの入荷。
これは、57年に録音した素晴らしい作品である。
と言っても、発売になったのは1963年。
しかし、63年といえば、インパルスにおいてBALLADやJOHNNY HARTMANとのアルバムが出されている時期である。
そんな時に、のうのうと新譜だと、57年の録音の演奏を便乗して発売したPRESTIGEも大したタマである。
なにしろ、コルトレーンは58年にPRESTIGEと決別し、59年にATLANTICでGiant Steps、61年には更にステップアップを目指しIMPULSEでAfrica/Brassを発表している。

では、なんぼのもんじゃい、と言いたいのだが、演奏を聴くと、そういう上から目線の発言など撤回したくなる。
出来は至って上等。
いや、出来の良い人間の作品というものは、その時代、時代において先端であり、また或るいはその先を行っている事が良くわかる。

57年はPRESTIGEにおいて彼の活躍が決定し、作品をどしどし量産して行くことになり、一人前の芸術家として立つことになった時期でもある。
これはこれで、大変重要なころである。
この頃は、彼も人生のスピードもどんどん速くなっていくのであり、58年にはマイルスではないが次のステップに進むために、契約が残っていたためにせっせと仕事をこなして行く時でもある。
しかし、たった一年といえ、一年前の57年は彼なりの漸新性を全面に押し出しつつあった。
その時の作品はやっぱり出来はよい。

このアルバムのタイトルの「DAKAR」とはパリ・ダカなど車のレースでも有名な町でもあるが、歴史的に言えば奴隷の積出港でもあった。
奥地に住んでいた、他人を疑ったりすることを知らない善良な人々を、海岸近くに住んでいた黒人達が奴隷商人にそそのかされ、或いは一緒になり捕まえに行き、その奴隷たちを押し込んだ施設と積出で反映した港が「DAKAR」なのである。
コルトレーンがそのダカールを扱った曲こそ大いに意義はある。
その後の61年にAFRICA/BRASS(但Impulse! AS-9273にのみ聴かれる)のなかのSong Of The Underground Railroad という地下脱走鉄道を題材にした曲などと共に、黒人の苦難の歴史について、彼の怒りは「さりげなく」であっても表現された事は大きい。

この曲は同社得意のオールスターセッションではあるが、特にPepper Adams, Cecil Payne の二人のバリトンサックスと演った事が、荒々しさが滲み出て、怒りがゴリゴリ感の中に「さりげなく」表現された気がするのだ。
コルトレーン・プレステイジ後期物の中にあって、特異な作品でもある。
コルトレーン派には、聴いて欲しい。

PHIL WOODS-GENE QUILL “PHIL TALKS WITH QUILL”
2016/10/06

PHIL WOODS-GENE QUILL “PHIL TALKS WITH QUILL” EPIC LN3521 (USA)

今回の通販リストの掲載したアルバムの中で、私が最もはじめに売れて行くだろうと思った一枚がこれだった。
しかし現実は、そうは己の立てた筋書き通りに行かなかったのである。
だが、いまだに直ぐに売れなかった事が不思議でならない。
しかし、マーケットと売り主の読みがいつも一致するとは限らない。
いや一致しない方が多いというものである。

さて、アルトサックスが向い合せに写ったこのジャケットの主人公はフィル・ウッズとジーン・クイルのふたりである。
フィルとクイルの会話、という通り、2人が息を、いや「粋」を合わせた作品なのである。
一曲目から見事な演奏が繰り広げられる。
実に立派なジャズである。
フィル・ウッズがプレステイジに傑作が少なければ、この作品は間違いなく大傑作として挙げられたに違いないが、しかし、多作でもある彼は名盤と呼ばれるものがいっぱいあって、ましてプレステイジなどという名門の方に分がある事は致し方が無い。
しかし、冷静に聴いて行くと、この作品も負けず劣らず素晴らしさがある。
この二人は57年に一年間ほど一緒に演奏していた白人ジャズ・バンドである。
都会の子らしいハキハキした、気持ちの良いサウンドである。
ニューヨークにおける、ジャズの絶頂期の中にあって、白人バンドとして気概を見せた作品となった。
そういう意味でも実に興味が尽きない。

気持ちの良い、聴くほどに引き込まれる作品である。

HAN BENNINK − WILLEM BREUKER “NEW ACOUSTIC SWING DUO”
2016/10/04

HAN BENNINK − WILLEM BREUKER “NEW ACOUSTIC SWING DUO” ICP 001 (HOLLAND)

今回の入荷はちょっと凄い。
ICPの一番。
このアルバムは、初期に作られたジャケットが手書きであるのだが、そのバリエーションがいくつかある。
まず、ハン・ベニンク直々の手書きジャケット。
次に、相方のブロイカーの手書き(手作り)のジャケット。
スタッフの手書きのジャケット。
家族の手書きのジャケット。
という風になるが、一番多いのが、絵の勉強もしていたハン・ベニンクの物が多いのは致し方が無い。
ブロイカーの手による物は、彼の印でもある「象」のスタンプを押したものが出てくる。
象のマーク付きは、数的にはそれほど多い訳ではない。
しかし、押し方に色々バリエーションがある。
中央に一個しか押して無い物もあれば、ベタベタを押してあるのもある。
しかし、今回のように一面にびっしり押したものは珍しく、しかも、それだけに収まらず、なんと右下に、手書きで「MADE IN JAPAN」と書いている。
なんとも不思議なジャケットである。
これをオランダで仕入れたのである所が、面白い。
しかし、こんな物は初めて見た。

ブロイカーはアフリカ象が好きだったようで、しかも、自分のサックスのサウンドを象に見立てているのだ。
格別の想いで象のスタンプを使っていたようだ。
しばらく前に、その彼も亡くなった。

見ていると、色々想う所がある。

白内障手術のあと
2016/10/03

術後、しっかり左目を覆っていたガーゼを外されると、まあ、なんという事でしょう。

私の周りの景色の色がこんなに明るかったのかと。
左目は以前のそのままなので、片目を交互につぶってみれば、一目瞭然。
右目で見る、白い色は、あくまで白い、という素敵さに感謝。

しかし、鏡をみれば己の顔はkれほど皺が多かったのかと驚愕することになる。
先生に聞くところによると、あまりのショックに、手術したからシワが増えたのだと、眼科医に噛み付く、図々しい人もいるらしい。

ま、いずれにしても目の前の景色が驚愕のクリアさである。
テレビなど買い替えの必要がない。

CHET BAKER “PLAYBOYS”
2016/10/02

CHET BAKER “PLAYBOYS”  WORLD PACIFIC  PJ-1234 (USA)

珍しい一枚が入荷。
こういうものは何となくというか、無条件で嬉しいなあ。

セミヌードの女の子がぬいぐるみを両手に持ち、胸のあたりをそれとなく隠している写真である。
ちょっとエッチっぽいのだが、女の子の笑顔が明るくてセクシーさはあまり感じさせない。
髪もポニーテールに結んでいて当時の十代の女の子のような様子である。
がしかし、胸の谷間に目がいってしまうのは、致し方ない。

なぜか、ジャケのタイトルが「プレイボーイ達」という。
そのプレイボーイとはチェット・ベイカーとアート・ペッパーだと中央に書かれている。
なるほど、当代随一のモテ男たちである。

タイトルは当時の男のための雑誌、PLAYBOYと同じ字体になっているのも、我々オールドスクールのオヤジにおいては、まさにストライク。ジャズのジャケット・デザインにしては、なんと明るく・セクシーで洒落たデザインだろう。
考えると西海岸の明るさがそうさせたものだろうか。

演奏は見事に西海岸の演奏で、サウンドも洒落たものだ。
メンバーを見ると、Chet Baker (trumpet)、 Art Pepper (alto)、 Phil Urso (tenor)、 Carl Perkins (piano)、 Curtis Counce (bass)、 Lawrence Marable (drums)とくれば、ロサンゼルスの一流所である。
録音は1956年であるから、もっとも充実していた時期であり、またペッパーも文句のない頃である。
ロスのトップクラスの二人が揃ったのであるから、当然と言えば当然の演奏である。
淡々とした中に、ジャズの楽しさ。カッコ良さがこれでもかと現れてくる。
いつまでも聴いていたい好演奏である。

しかし、最近はこういうアルバムのオリジナル盤には なかなか出会う事がなくなった。
考えても見れば、いまから60年も昔のものだ。
無いのが当たり前でもある。

しかしレコードというものが、これほど丈夫で長生きするとは思わなかったなあ。



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