HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

また猫で
2018/05/24

猫ネタは止めようと思いつつ、今朝も猫。

朝食で食べようと思い自分の席にパンを置いたら、ブルがやって来て座ってしまった。
私の御飯ですよ、というように。

ミルフォードのライブ・ポスター
2018/05/23

家内は、私の日記の猫ネタが受けないことを知っているらしい。
昨日、ビル・エバンスの事を書いたのは、家内に「猫の話ばかりではお客様に怒られますよ、しっかりしないと」と言われたからである。
それで、今日もジャズ関連で行くぞ!



家の中を整理していたら、変な紙袋が出てきた。
中から出して見たら、なんと長さ70センチ以上のミルフォード・グレイブスのライブのポスターとチケットだった。

ポスターは茶色の紙に、黒一色で手で刷ったもの、そこにチラシを貼り付け、そのまた下に紙を切り抜いた会場の地図が貼ってある。
よく見るとESPの手造りの作品を彷彿とさせる中々の図案である。

8月2日で、場所は八王子のALONEという。
ミルフォード・グレイブスと集団疎開+片山広明となっている。

チケットもあるのだから、私が行ったんだろうなあ。

Bill Evans “Waltz for debby”
2018/05/22

Bill Evans “Waltz for debby” Riverside RLP399   
(入荷はRM399である)

1961年6月25日 於、ビレッジ・バンガード( the village vanguard)
メンバー ビル・エヴァンスBill Evans (Piano)
スコット・ラファロ Scott la Faro (bass)
ポール・モチアン Paul Motian (dm)
録音 デヴィッド・ジョーンズDavid Jones

ビル・エヴァンスのアルバムWaltz for Debby等数枚は、レコード棚の中にあって、誠に目立つ存在である。
それは背表紙がピンクで、遠くからでも目標として目立つ。
それはかつてジャズ喫茶のコレクションを眺めながら、コルトレーンのインパルス・レコード盤の10枚以上のオレンジ色の背表紙が連なった眺めを心底羨ましく思った事と同様である。
正に、ピンク色がくっきりと光っている姿は、可愛らしく頼もしい。

アルバムWALTZ FOR DEBBYはジャケットのデザインが非常にロマンティックである。
乙女チックな横顔のシルエットの写真はよくぞやったと思える使われ方。
従ってリスナーは音楽を聴きながら、その元となる乙女のイメージを思い描く。
そのイメージは音楽のもう一つの伴奏として、リスナーの心の底に定着するのだ。
なんと上手い舞台装置なのであろうか。これぞレコード芸術の極致とも言える出来。

59年末までマイルス楽団に参加し期が熟すのを持っていたかのように、退団してからの彼の活躍はリバーサイド(Riverside)レーベルによるものが大きい。。
12月にポートレイト・インジャズ(Portrait in jazz)Riverside12-315を録音するや、評論家、ジャズ愛好家の間で高評価を受け、彼は60年代は己の時代であると確信したにちがいない。
メンバーにも恵まれた事は単なるラッキーではない、天才は自ずと集まるものでもあり、スコット・ラファロ(Scott laFaro)、ポール・モチアン(Paul Motian)と集まり、伝説のトリオは結成された。
Portrait in jazz(12-315)で演奏された「枯葉」はたちまち人気となり、マイルスデイビス(Miles Davis)の「枯葉」に劣らぬ高尚さで、わが日本に於いても、枯葉はジャズのレパートリーの人気曲として無くてはならない定番になった。
彼等の演奏は緩みの無い、一体感のある、しかもロマンティックさも持つと言う、理想的、かつ初心者が聴いてもたちどころに虜になる名演奏の折り紙が付いた。 
つぎに1961年2月2日に録音された作品Explorations(12-351)も好評で、非常にすっきりとした研ぎ澄まされた演奏を聴く事ができる。
実は、このアルバムこそコレクターの中で最終的も最も評価の高い一枚でもある。

さて、61年全米ツアーの後の6月、さらに幾多の演奏をコナしさらに磨きがかかったトリオはビレッジ・バンガード(Village Vanguard)に出演した。
6月25日、問題の作品群の演奏は最終日のライブ録音であった。
しかし11日後ラファロの交通事故によるショッキングな死であったと、キープニュースが自らライナーに書いたほどの失望感の内に、サンデー・アット・ビレッジ・ヴァンガード(Sunday at the Village Vanguard)Riverisde RLP376は発売された。
そして、続編として企画され、ワルツ・フォー・デビー(Waltz for debby)Riverside RLP399がリリースされたのである。
思うにラフォロの死で急いで作品にしたのではあるが、内容的にはもちろん文句はない優れた作品である。
前者はエバンス自身が選択した、ラファロのベースに光を当てた作品に仕上がっており、全体的に厳かな感じである。
後者はビル・エヴァンスのソロも十分に聴けるようになっていて、3人のプレイの絶妙なやり取りなど、スリリングな感心する作品に仕上げている。
もっとも充実した時期だけに、優しさと厳しさと個人の表現もそこかしこで緊張感を醸し出す、しかも親しみやすいロマチックなメロディーは繊細である。
オーディオ的に言えば、観客の耳に優しく、ラフォロのベースは緊張感のある音の運びでベースの音の瞬発力は、納得の行くサウンドで作品の質が高い。
特徴的な点のもう一つは、インテリジェンスがあるサウンドだという事である。
録音はライブであるにも関わらずメリハリがある。

このような格別な美しい演奏には、綺麗なサウンドと静寂が必要なはずであるが、消し去られる事なく、音楽の一部の如く堂々と入っている所が実に痛快である。さらに30ヘルツ以下の帯域が聞こえる装置ならば、地下鉄の音がハウリングの如く響いて来るのも、今となっては聴きどころでもある。
通常これだけの雑音のあるアルバムが名盤とされるのだろうか?と不思議な気持ちにさせられてしまうのだが、にも関わらず、ここまでの作品となったことは彼らの質が高かったとしか言いようがない。
私はこの雑音があったからこそ、その臨場感に包まれ、幸福感を味わえるのだと思う。
確かに、思えばザワメキが大きくなんと心無い観客だと怒りを感じながらも、これで良いのさとまた納得する。

この作品こそが、彼の持っているリリカルでロマンチックな情緒を最も良く表した作品であった。

録音について
録音技師は米国盤のライナーにも記載があるデヴィッド・ジョーンズ。
近年研究家の間において、彼の録音が特別な偶然で腕の上がらない録音技師のタナボタであるかのような書き方を見る。
しかし、彼はジュニア・マンスのアルバムなど、同社で録音もしており、また同レーベルには時々彼の名前を見かける。
確かにあまり多くの仕事はしてはいないが、録音は皆悪くなく、真っ当な良い音作りである。それなりに仕事を残していて、ひょっとするとここのクラブでよく仕事をしていたのであろうか?

マニアの話に続く。60年〜62年頃、レコード番号にRLP記号をふっていたのが、先頭の「12」が付かなくなり、更にその後変化がみられ、特に62年から63年頃、RMという記号が付与される。極わずかな間である。
また、62年末ビル・グロア氏(BILL GRAUER)の死去もあり、63年から活動停止
し録音も止まっており、64年に会社倒産している。従って番号付与も一律の法則に進
んでいない面がある。
モノラル「RM」と、ステレオ「RS9399」は62年から63年あたり、あるいは6
4年の初期までにプレスされたと思っても良いかも知れない。
従って、オリジナル・プレスから2・3回目までの期間は極めて短期間だったと言える。
その後のプレスはORPHEUM PRODUCTIONとなるが、スタンパーは原盤をそのまま使
っていたようだ。
欧州版が無視できないので、ちょっとだけ、
同レーベルは欧州に進出し、INTERDISC盤としてプレスをする事になる。一般的なレコードとしてイギリスとオランダとを比較すると、イギリスの方が古そうであるが、わずかな期間であろうか。しかし、当Waltz for debbyアルバムのイギリス盤は見た記憶がない。当然あってしかるべきであるが、オランダ盤しかないのであろうか?。
同社は63年から活動停止、録音も止まっており、64年に会社倒産しているので、この時期欧州でのプレスに掛けていたのかもしれない。しかし、67年にABCレコードに取り込まれる事になるので、欧州盤が盛んに作られていた時期は、このような62年から66年あたりになるのではないか。


以上、私が当アルバムに至った記憶だけを忘れないために書き綴った。
写真は後で。


猫の話
2018/05/20

猫の話
昨日、ベットの上に乗って白黒のネコ(名前オラ)が寝ていたところ、そこに黒い猫(ブル)がやってきて、添い寝をする感じで、オラの手に、手をかけて寝た。

今朝はブルがハウスで寝ているところに、オラがやってきて、ブルの手のひらに、自分の手を重ねた、いやいや、その可愛い事。
写真に撮ったが、かおが写らないのがちと惜しいが.....

只の猫馬鹿である。

大統領の一言で...
2018/05/19

在イスラエル米国大使館のエルサレム移転により、パレスチナの抗議デモの取り締まりで58人死者が出たと新聞報道があった。
今までのイスラエルにおける軍の発砲で死人が出るのはイスラエルとパレスチナの問題であったが、今回はそれではなく、アメリカ大統領が直接の原因を作ったことが大きい。
今後トランプのせいで何人死ぬのか、よく観察しないと。

トランプの恐ろしさは計り知れないものがあって、イスラエルにおいてエルサレムはイスラエルの首都であり何ら問題は無いという、もろユダヤのための行為であり、そこで異教徒が何人死のうと知ったこっちゃないという、アメリカ人とはこういう人間かと思った。

いや、歴史的にみれば白人のやって来た事はこんなものである。

これも大統領選挙に遡るが、ユダヤ資本から32億円相当の資金提供を受けたとされるから、その御恩返しである。
アメリカ大統領になることは世界のリーダーたる事である等とは、もはや幻想である。

日本の首相の、学校作ったからと国会で年中も揉めている方も理解できないが、アメリカ大統領よりずっとマシである。

2018/05/18

最近、スズメをあまり見かけなくなった。
新宿にいた頃は、スズメなどみなくても当たり前だと思っていたのだが、郊外の横浜・青葉台に引っ越したにも関わらず、雀の姿をとんと見ない。
まさか絶滅危惧種に指定されたとも思われないが、どうしたものか。

所が数日前に家の塀で一羽見かけた。
うれしくなり、米を一合近く庭に捲いた。
すると翌日から数羽づつやってくるようになった。
まず、「ジージー」と警戒の鳴き声で辺りを見ながら徐々に庭に舞い降り、餌を拾っている姿はなんとも心温まる。
一般的には雀など人気がなさそうだが、個人的には一番好きな鳥である。
私が子供の頃は落ちている雛を拾ってきて、母親と一緒によく飼った。
元気になって人の肩に泊まったり、御飯時になれば一緒にテーブルにやってきて、茶碗の淵に止まり御飯を食べようとする姿が忘れられない。
可愛いものであった。

雀が庭に来る景色、これぞ日本の姿である。






庭の花(続)
2018/05/17


庭の手入をしていて、せっせと雑草を抜こうとしてふと手が止まった。
可憐な紫の花が、雑草の中に2・3本生えている。
目を止めてくれる人など誰もいない、目立つことなく世の中でそっと生きている、まるで私のような花である。
他人事と思えず、写真に撮った。

「ニワセキショウ」という。
1センチにも満たない、5ミリほどしかない、これぞ可憐と言わずして、何が可憐かという表現しかない花である。
小さすぎて虫の目にも入らないのではなかろうか?
といらぬ心配をしてしまった。

でも、生きるんだ。

通販リスト更新
2018/05/17

通販リスト更新いたしました。

最近の生活は
2018/05/16

最近の生活は、家で一日中テレビを見るかレコードを聴くか、本を読むかしかない。
家事もやる事は多々あるが、なんだか何もする気がない。

それで、テレビを見ている時間が長くなってしまうのだが、バラエティーは面倒だし、ドラマは役者の演技が気に入らない。
何しろアイドルだか、人気女優だか、お笑いだかも皆、悪役はうまくこなすが善人の役になると、取って付けたような善人ぶりであんたは詐欺師かと勘ぐってしまう程度の善人さ。
考えるとつくづく人間とは悪いんだな。

それで、ケーブルTVの時代劇ばかり見ている。
時代劇はいいなあ。昔のだけど、とにかく日本はこうだったという感じと撮影の画面・アングルなど、もう筋書など吹っ飛んでしまって、惚れ惚れして見てしまう。
だが、最近のはいけない。
日本人は、映画における最も日本人らしさを失ったんだな。
これもNHKが戦犯だな。いやまあ、筋書だけを求める観客とそれに便乗した日本嫌いのNHKという感じだ。
酷えもんだ。

そうそうNHKと言えば、朝の連ドラ。
必ず反戦の場面が出てくるのだが、前々回の昭和40年代の話の矢田部みね子だの島谷君だのの時も戦争の悲惨さを訴える反戦場面もあって、オジサンあっけに取られたが、今度はどこで出すのかね。
それだけが楽しみという感じである。


庭の花
2018/05/15

ずっと前から書こうと思いつつ、ついそのままになっていて、今朝 家の塀の下を見たら、もう消えかかっていた。
ここ2・3日、暑くなったせいであろうか?

その花の名前は「母子草(ハハコグサ)」
なんだか、良い名前である。
日本各地の道端にたくさん生えている20〜30センチの草で春から初夏にかけて黄色の冠毛のある花である。

名前の由来は牧野富太郎は毛がほうけ立っているので、ホウケ草から転じてハハコグサになったとしている。
それに対して猛烈に反論している深津正という先生の本もあり、ここに書き写そうかと思ったものの、中国故事の話やら漢字やら長い引用が多く、だんだん面倒くさくなってウンザリしてしまい、書くことはやめた。
母子というロマチックな話から遠のいてしまうのも、面白くないものである。

私は道端にそっと咲く「母子草」の名前で良か。


  さみしさや 路地の奥なる 母子草


風ふくや 路地の奥の 母子草


  かあちゃんと 呼んでみたのは 母子草



前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2013 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001