HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ヒートアイランド
2025/08/18

最近のネットの書き込み。

ヒートアイランド現象とソーラーパネルの設置のスピードが比例する。
というものがある。

確かに!

テレビでは言わないね。
テレビで言わないニュースは何か裏がある。か?

新聞
2025/08/17

今朝、物置で新聞を見つけ、「あれ、今日のじゃないですか」という事になった。
家内と見ていて、オカシイと気が付いて日付を見たら、2023年8月17日であった。
同日だけど2年前のもの。
しばらく、気が付かなった。

耄碌したんだなあ、私たち。

敗戦の日
2025/08/15

今日は敗戦の日。
実質だれも責任をとらず、それなのに今も反省。反省するならサルでも出来る。

日本における、戦争で最も危うい事柄はなにか?
それは日本人が一致団結してしまう事。
戦時中も世界に類を見ない団結力だった。そして、それまで大人しかった主婦までも、戦争協力者として、大いに戦争を盛り上げた。今は被害者づらしているが。
戦争遂行に沿わないものは犯罪者となった。

それは遠い昔の事ではない、コロナ禍においても、国民は一致して厚労省に従い、反発した人は徹底的に排除され、また、予防接種も受けないと恥ずかしい思いをさせられた。
自主的なマスク警察も出現し、恐怖でさえなかったか?

更にその前、東北震災の際にも、「絆」を合言葉に団結が呼びかけられ、省電力が叫ばれ、明かりがついていれば、怒鳴り込んでくる人も多かった。

突如、起こる日本人の結束と忖度。
良い事をしているという自覚が、更になる強制力を生む。

本来、民主主義は我慢と自由の境目にある。どちらも許される。


夏季休業のお知らせ
2025/08/15

下記の期間を夏季休業とさせていただきます。

夏季休業期間:
2025年8月21日 - 8月31日

9月1日から通常営業となります。
ご不便をお掛け致しますが何卒よろしくお願い致します。

通販リスト更新
2025/08/15

本日、通販リスト更新いたしました。
よろしくお願いいたします。

往年の名車
2025/08/14

友人とコメダ珈琲に行き、窓側の席を案内され、道路側で良かったと喜んでいた。

歴代愛車の話になり、性能的にも気に入っていたクルマは、「ブルーバード510」だったという事になった。
どんな形だったかという話になった、ちょうどその時、窓の外に信号待ちで停車したクルマあり、オール・ペイントしたらしく新車のような輝き。
友人がこれですよ!とさけんだ。
たしかにブルーバード510,1970年の名車。
こんな偶然もあるものだ、驚いた。

ブルーバード510,1970年ころから販売された日産の名車で、2ドアクーペは若者に人気であった。1600cc100馬力と今から見れば非力だが、車重が930キロと軽量故。走りは素晴らしいはずである。
こういうクルマが日産から無くなったんだなあ。

カバンからスマホを取り出し構えたが間に合わず、同じような色のクルマをネットから探した。

ELAIZA ROMARO “MI CHIAMO ELAIZA”
2025/08/14

ELAIZA ROMARO “MI CHIAMO ELAIZA” BAMBARA APAC-2 (Italy)

さて、このようなレア盤が入荷するとは。
レコード屋を続けていて良かった。

1950年のクリスマスの夜、カラカスで彼女は生まれた。両親共芸術家であるが、特に父は国家を代表する音楽家であり、ベネズエラの音楽ジャンル「ONDA NUEVA」を作った人でもある。
オンダ・ヌエヴァは勿論ラテン音楽の一つであるので、リズムも良いし、心地良い事はいうまでもない。
彼女は幼少の頃から音楽に親しみ、70年以前からオンダ・ヌエヴァの中心的存在になった。
1970年Mi Nombre Es Elaizaというアルバムでデビューしており、これもまた人気盤である。
彼女はベネズエラ出身故にか、その後、あまり消息を聞かない。
辞めてしまったのであろうか。

当アルバムについて。
1972年イタリアプレス。
先ずジャケット、ダブル・ジャケットで、内側がポケットになっている。
紙質は至って薄い。聞くところによるとほとんどのジャケが傷んでいるらしい。
今回のも背にテープがある。しかし、そんな事は問題になるものではない。何しろ二度と見ないかもしれないのだから。
とにかく、当作品は非常にレアであるのはいうまでも無いが、ベネズエラの人がイタリアでレコーディングしたのも余計に珍しくしてしまったのであろうか。
私はこの辺りの事は詳しくないので分からない。
録音には父親が半分以上アレンジし、制作に関わっている。
オンダ・ヌエヴァとして Cosi sei tu(B-1)、Tonta come un'Oca(B-2)が特に評価は高い。曲としてはA-1の Sei sbagliato e non lo saiは人気であった。
彼女は、繊細で個性的な声を持っており、可愛らしさも備わっていて、実に魅力的である。
クラブ・シーンでも探された一枚である。
二度と見る事が無いアルバムである。

価格はテープ補修があるので、御承知を

(売れてしまいました)

Billie Holiday 「月光のいたずら」に感心して
2025/08/13

Billie Holiday 初期の「月光のいたずら」とその録音の4曲。
ビリーホリデーのディスコグラフィーを見ても、最初期の6曲は出てこない。
彼女の初録音の2曲は、1933年11月と12月にそれぞれ一曲づつ、ベニー・グットマンのリーダー蘭に掲載される。
続いては、テディ・ウイルソンとの1935年7月2日、7月31日、10月25日、12月3日、36年1月30日、6月30日の欄に掲載される。
彼女名義で録音が行われるのは36年7月からである。そこからは怒涛の快進撃であるのは言うまでもない。

ここで、快進撃の前夜とも言うべき、テディ・ウイルソンとのセッションについて興味が湧いて、音源を探したら、ちょうど手元にCBS/SONYのCD全集があったので確認した。
テディとの仕事で、その間、録音6回,19曲に及ぶ作品を残した。実力を買われたのである。
特に35年7月2日の4曲は評価が高いので、聴きながら書いてみる。
その頃、ビリーホリデーを見出したジャズマニアでプロデューサーのジョン・ハモンドはテディ・ウイルソンやビリーホリデーを世に出そうと躍起になっていた。
そして、Roy Eldridge, Benny Goodman, Ben Webster, Teddy Wilson, John Trueheart, John Kirby, Cozy Cole, という最高のメンツを揃え、Billie Holidayに歌わせる。皆黒人ジャズメンであるが、ハモンドは、彼はこの録音にベニー・グッドマンを加えたかった。そこで、ビクターにテディを貸し、見返りにグッドマンを借りる事にした。しかし、自分が以前雇ったテディの下で仕事をしたくなかったグッドマンは当日来るのを渋ったのだが、ハモンドが脅して、無理矢理に連れて来て録音は始まった。
初めての顔を合わせたメンバーだったが、少しの打合せで見事な演奏になった。
ビリー・ホリデーも20才、落ち着いて寛ぎ、自信に満ちた、歌を聴かせる。33年の時の普通に歌った感じとは違い成長の跡が見える。
I Wished On The Moon(月に願いを)
What A Little Moonlight Can Do(月光のいたずら)
Miss Brown To You
A Sunbonnet Blue(青のボンネット)
この辺りは当時ブランズウイックのSP盤で発売されている。だが、その作品群は、後年、彼女のアルバムでは何度も再発され、その版は20枚以上ほどにもなろうという傑作である。
その後記した通り数回、テディの元で録音し、独立した彼女は自身のバンドを引き連れて活躍して行くのである。
ウー・ウー・ウーで有名な曲「月光のいたずら」はここにおいて既に超一流のセンスで名曲に仕立て上げられているのである。勿論テディの力は大きいのである。
聴いていると楽しくて,楽しくて、涙が出て来る。

ジャガー横田 49周年
2025/08/13

出勤途中、ふと隣のタクシーを見ると。

車体の横に派手に「ジャガー横田49周年」の絵が書かれてある。

驚いた。
これだけでは、話が見えないであろうと、写真を撮ろうとしたが、間に合わず、やむを得ずネットの写真を拝借。

「かすみ交通」という会社らしい。エライ!

お盆
2025/08/13

2日前から降り続いた雨と強い風。
玄関脇の百日紅(サルスベリ)の花が門のあたり一面に散ってしまった。
バケツ一杯。
花に嵐とはこのこと。

お盆なので、花、果物、ナス、キウリなど買ってきた。
花の売場でふと見るとセンニチソウ
長く持つのも特徴
花言葉は永遠の愛

父母の心、いつまでも。

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