HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 日本人の事 | - 2009/05/12
- ちょっと前の、ハワイの友人の話のついで。
以前の仕事でハワイに行くようになって、現地の友人が沢山できた。といっても米国の永住権をもっている日本人だけど。いや日系人というのか。彼らと一緒に飲んでいる時に色々な話が出た。 因みに同じ会社でも日本からの転勤者達は、ロコとは一緒に飲んでいるところを見たことがない。
その時の話で印象に残っている事。 70年代米国に不法滞在している日本人は沢山いた。それをアメリカの警察などが取り締まっているわけだが、「アメリカのある警察官に聞いた話だが、多くの人種の中で日本人が最も同じ国民を裏切る。平気で密告するのだと言われて、ショックだった」と。 要するに、不法滞在の罪を逃れるために、同胞の不法滞在者を密告すると許してもらえるという話に乗って、密告した人が多かったというのだ。
真偽の程は判らないが、日本人としてもやりきれない話だった。
日本人の若者と見られると警察からそうカラカワられたと。 カラカウ・アベニューの駄洒落で締めか。
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| ターンパイク | - 2009/05/11
- 箱根ターンパイクという道路、実は東急電鉄が持っていた。
好きな道路なので私はここで働きたいと思っていたほどだった。
小田原から頂上の大観山まで全長約15キロの山道で、右に左に曲がりくねったワインディング・ロードで、道幅は広く道路の舗装もきれいなので、峠好きというか、山好きというか、走り屋には関東のメッカとして名高いコース。 頂上にある、大観山レストハウスにはコースを登ってきた車好きが終結し、また有名な車が集まるので、時にはモーターショウを凌ぐという話も伊達ではない。確かに日曜日の朝など車を見に行くだけでも楽しい。
それが業績悪化で2004年に外資に売った。ここでも外資は大活躍。 せっかく五島慶太・昇が育てた、わが国の観光産業ももう終りかとがっくり。箱根の山は天下の険だぞ、東京に一番近い最高の観光地だぞ、それなのに何たる不始末。と怒っても関係ないか。 その当時、聞いた話によると、東名高速が渋滞した場合、御殿場から箱根を越えてターンパイク―小田厚と厚木まで抜けた方が速いと判断したということだったが、実際私も渋滞している時は、時々御殿場から箱根を越える。
最近「TOYOタイヤ・ターンパイク」と言うので、日本が買い戻したのかと思ったら、命名権を買ったとか、ただ金を取られただけか?でまた、がっくり。
ここの隣には以前から箱根新道という競合路線があって通行料も250円だったと思うが、ターンパイクという私道に国もあくどい事をするもんだね。ターンパイクの方が華はあるが、700円の高額料金では競争力はない。
ま、経営は大変だろうが、走り屋を嫌わずに扱えば収入も増えるでしょ。 だから、なんだと言われそうだが、「真面目な」走り屋を大切にしろと、遠まわしに言っている。
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| ターンパイク | - 2009/05/10
- 有料道路、箱根ターンパイク。
全国的には知られていないが、西関東の車マニアには有名な箱根の道路。 小田原から箱根のてっぺんの大観山まで一気に駆け上がる山道。 途中信号がない事、道幅が広い事、整備されている事などで、走り屋と言われる人達には、愛好家は多いのである。 走り屋と言いと悪い印象を持っている人も多いと思うが、実はとっても真面目な人達が沢山いる。
で、ゴールデンウィーク中、何処にも行かないのもちょっと悔しいから、箱根まで足を伸ばす。 そのターンパイクの頂上のレストハウスでコーヒーを飲もうと立ち寄った。 コーヒーサービス券があったので、私は「これでお願いしまーす」。 受け取りながら、サービス券を見たお姉さん「これね、帰りの通行券を買わないとコーヒータダにならないのよ。」 「じゃあ買うよ」と700円払って通行券購入。 「ありがとね」 で、サービスのコーヒーゲット。 タダのコーヒーは美味しいね。
しかし、帰りになるとちょっと方針が変わって、一国(国道一号線)で下る事に。 まあ、次回使えば良いか? 帰ってからよく見ると、有効期限5日間。 もう過ぎてるよ。
結局、250円のコーヒーを700円で飲んだ事になるな。 ま、いつも楽しませてもらっているから....。
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| 外食産業 | - 2009/05/08
- いつからか、街のレストランや飲み屋のほとんどが大手の外食産業になってしまった。
新宿の繁華街も、「○民」などと書かれた赤い看板の入っていないビルがない。 これでは、何処へ行っても画一的な雰囲気と味と店ばかり。どこの街の雰囲気も一緒になってしまった。 正直、新宿の歌舞伎町も面白くなくなったと思う。街をつまらなくしてしまう経営者の責任は大きいぞ。 本当にこれでいいのだろうか?
と、文句を良いながら、私は車好きだから、どこへ行くにも大体車で移動する。そうなると、個人のレストランに行こうとすると駐車場などあるはずもないので、駐車場完備のファミレスのお世話になることになる。 以前はI・Hopが気に入っていたが撤退したので、最近よく行く所はココス。自慢メニューらしいハンバーグを食べる。
聞いた話によると、ここは日本で最初に店舗展開した頃の制服は、アメリカのメイドさんのような超ミニの制服だったそうだ。 それが時と共に普通になったようだ。 なんでも中年の方が着ると痛々しいからだとか?なるほどね。 着ている本人も冷えて辛いわな。
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| 考え方 | - 2009/05/04
- 我々の世代はかなり左寄りが多い。
それは戦後の民主主義教育と、敗戦の反省による平和運動によるものが大きい。 私が中学生の頃、教師達の多くは社会主義であったと思った。高校生の頃も大体の教師は左よりだったと思う。授業でもソ連や中国の体制を絶賛している様子が、子供にも少しづつ伝わってくる。 第2次大戦後の中国・ソ連の政治体制や農業のあり方を賞賛する教師など、社会主義は素晴らしいと聞かされた。我々も生徒も大体貧乏だから、平等と言われると、徐々に憧れを抱くようになる。 だから勉強が出来る子供だった人ほど左寄りが多い。
高校の時に安保で東京の学生達が騒ぐと、田舎の高校生達にも体制批判の精神が芽生える。沖縄返還運動と安保は当時の若者に大きく影響した。 沖縄の返還の歌はよく唄われた。 当時のソ連の宣伝パンフレットで、農園で民族衣装を着た若い美人や農夫が、歌を唄ったり踊りを踊ったりする写真を見ると、それがなぜか自由と結びついて、勝手に共産主義パラダイスを想像してしまうのだった。宣伝に弱い若者だったのだ。
大学の頃、「左翼は沖縄返還の運動をしているが、北方4島の返還の運動はしなくても良いのか?」と左翼運動していた学友に聞くと、「あれは良いんだよ、ソ連は良いの」と言われて、そんなものかと唖然とした記憶がある。
アメリカには返せ、ソ連には返さなくても良いという発想はどこから出たのだろうか?アメリカの駐留軍はいけないが、ソ連の軍隊なら良いという発想はどこからでたのだろうか?
やがて、ドイツのベルリンの壁崩壊とソ連体制崩壊は、社会主義の限界を納得させるに十分な事件だった。
だが、自由主義の国々は、対立しているようでいて、ちゃんと社会主義を研究していたのか、その素晴らしい所も取り入れられてきた。その一番が「社会保障制度」というシステム。 日本はそういう意味では欧米に比べ、かなり社会主義に近い平等社会であると思う。
しかし、日本の社会保障制度も危なくなりそう。 経済が停滞すればお金が集まらなくなるんだな。 格差がなくなれば、お金を払う人が減る、不思議だな。
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| 憲法記念日 | - 2009/05/03
- 今日はゴルデン・ウィークだから休み、ではなくて憲法記念日なので祭日。
あれっ?日曜日でもあるな。 でもカネゴンの私は仕事。
祭日だから日の丸の旗を立てようかなと言ったら、右翼だと思われるから止めたほうが良いと言われた。 うん、ちょっと右翼だが基本中立の私としては、右翼と思われるのはやっぱり心外である。
そうか国旗イコール右翼? じゃ、車に英国国旗を書いている人や、アメリカ国旗の柄のシャツを着ている人など、一体左右どっち?
ま、やっぱり旗を立てるのは止めよう。
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| ハワイの事 | - 2009/05/02
- ハワイの友人の話で思い出した。
豆の大きさの違い、炒り方の用語など、コーヒーの知識は彼から仕入れた。
私の興味を引いたのが、昔ハワイ島に入植した日本人達の朝食。 深く炒ったコーヒーを砕き、煮出して布で濾したドロドロのコーヒーを日本から持って来た食器すなわちドンブリにいっぱい入れて、グイッと飲んで、農場の仕事に出かけた、という事だった。
当時の日本人の気合の入った朝食に唖然としたが、彼らの身体的な強靭さにも感心した。 私だったら、そんなコーヒー飲んだら、そのままひっくり返ってしまうに違いない。
しかし、日本人はいつでも、どこでも働き者だった。
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| メーデー | - 2009/05/01
- 今日来店されたお客様。
メーデーでお休みだそうだ。
そういえば昼ゴロ、この辺りで、一つだけデモのグループがあった。 この辺りらしく「路上生活者」のデモ行進。
「仕事をくれ」と何度も叫んでいた。 それを見ていたおばさんも「頑張ってね」と声を掛けておりました。
応援したくなるメーデーだった。
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| ハワイの友人 | - 2009/04/30
- 夕方、ケイタイにハワイの友人から電話。
「父親が亡くなったので数日前に、日本に帰って来たが、忙しいからこのまま帰る」と、成田空港からの電話だった。
会社にいた頃から付き合いで、かつ遠くに住んでいるが、付き合いが続いている数少ない友人の一人だ。
私がハワイの担当になって以来の付き合いで、出張でハワイに行くと、予約したホテルには泊まらず、いつも彼の家に泊まっていた。 さぞかし奥さんには迷惑だったに違いない。
その後私は担当が代わったので、彼との接点は薄れた。 彼も、日本から赴任した後任の支店長の高圧的な態度とウマが合わず、退社して奥さんの故郷ハワイ島に購入してあった土地で、コーヒー園を始めた。
ちょうど私がこの店を始めた頃、彼は狭い島の生活に飽きたのかラスベガスに移り住んでいたので、これ幸いにレコードの買い付けに西海岸を車で案内してもらった。 何日も車で走ってくれるので、大変ありがたかった。
今はまたハワイ島に戻り、コーヒー栽培に精を出している。 彼のコーヒー園はハワイ島でも高い所にあり、朝晩寒いくらいで、霧も出る。そんな場所だからこそ質の良いコナ・コーヒーが取れる。 世界のトップ・レベルである彼の作ったコナ・ゴールドじゃなくて、コナ・コーヒーを飲むのが楽しみだが、ハワイ島に行くのも遠くて、シンドイな。
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| 歩道で | - 2009/04/29
- 昼食からの帰り道。
前を歩いている中年のおばさんが二人、話に夢中になっている。 話に夢中でクライマックスになると、突然ピタッと足を止める。 後ろにいるサラリーマンがぶつかりそうになる。
それを3回お繰り返すウチに、私の目の前でそれをやったもんだから、思わずつんのめってしまった。
周囲が見えないほど楽しいってのは青春の特権だね。 って、もう50過ぎだろ。
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