HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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今年は
2011/12/01

もう12月、今年の最終月となった。

今年は海外の買付で8回出張した。最近は従業員がほとんどの出張をこなすようになったので、私の出番が少なくなった。
若い人が行った方が体力もある分機動力もある。しかも連続して行けば、現地にも知り合いが出来る。最近は取引先の名前を言われても知らない人が増えてきた。
私としてはちょっと淋しい気もするが、彼が現地に足場を固めているという事で満足する。

8回の出張は多いのかと思い、過去の出張回数を調べて見た。
昨年2010年は8回行っている。
2009年はなんと9回も行っている。二人で代り番子に行ったようだ。
大体は、6−8回であるが、なんと当初の方がもっと活躍していて、2003年以前は11回も行っている。
ほぼ毎月という感じである。
そういえば、真冬のノルウェー・オスロで深夜、今夜泊まるホテルが無くて探し回った事もあるから、記憶を辿ると年中欧米をふらふらしていた。

自分で思うのもなんだが、当時は気合が入っていたんだな。
それにしても出張ばかりで毎日疲れていた記憶がある。

やっぱり若いヤツに任せよう。

LYNN TAYLORの音
2011/11/30

先日書いた、リン・テイラーのレコードの事で追加。

このレコードを試聴された方で、音質に不満の方が二人ほどいらっしゃった。
唄は大変良いのだが、高音が勝っていて耳が疲れる音であると。
RIAAカーブかもしれないが、更に高音が勝ちすぎていて、どうもサウンドが楽しめないよう。

トーンコントロールで色々試してした所に、ちょうどオーディオ・ファブの古屋さんが来店。最近女性ボーカル等次々とレコードも発売し絶好調のカートリッジ屋のマスターである。
当店のオルトフォンが半年たったので、針交換したもう一台のカートリッジを持参してくれたのだ。
付け替えてちょいちょいと調整してくれる。相変わらず手際が良い。こういう方の仕事を見ているとオーディオって簡単だと思ってしまうが自分でやると、そうは行かないものだという事は熟知している。

さっそく、このレコードのカーブについて話す。
古屋さん、レコードを見て「このレコードはね、音の良い物が少ないんだよね。」と言いながら聴き入って「これは大丈夫、いい音です。これねRIAAカーブと違うからフィルターとトーンコントロールで調整して下さい」
と大胆に動かし、このレコード用の音の作り方を伝授してくれた。

ついでに、RIAAカーブだからと言って、レコードは皆同じカーブではない事、かならず自分でちょうど良い所に調整する必要があると、仰っていた。
レコード屋になってから、私も相当判って来たつもりであるが、実際にやって見せて、聴かせてくれるとなるほどと勉強になる。

遅い夜、仕事が終わってもう一度、両面聴きかえす。
柔らかな良いサウンドである。彼女の良さが余計に良く伝わるね。聴いていると舞い上がってしまいそう。
なんだか、自分で買いたくなった。

という訳で、もう一度、写真を掲載。


CHET BAKER "AL CAPOLINEA"L
2011/11/29

CHET BAKER “AL CAPOLINEA” JII 5 (ITALY)

カポリネアはミラノにあったジャズのクラブである。
イタリアの歴史的な演奏がここで行われたようだが、惜しくも99年に火災に合って焼失してしまったようだ。
全盛期はジャズのファンが集まって大変な盛況だったようで、その様子はこのレコードの裏ジャケの写真にも見られる。ジャケットの写真はチェットのライブの時の写真かどうか確証はないが、かなり広い店内で、ほぼテーブルは埋まっており観客が拍手をして演奏を楽しんでいる様子が見られる。
83年当時なら私はここに居たかったと思う、なぜなら、この演奏は非常に出来が良かったから。
チェットはこの頃、腕の立つジャズメンとセッションをしていて、特にピアニストの優秀さは格別でここでもMICHEL GRAILLIERが相手をしていて、とても繊細で注意深い指の運びが伝わってくる。
一曲目の「ESTATE」などもソフトなタッチから始まり、ここぞというときにはグワッと観客の心を掴む、的を得た実に素晴しい演奏である。

ところで、ジャケット写真はスタジオの椅子の上にケースが置かれ、蓋が開かれ、そこに丁寧にトランペットが写真写りが良いように注意深く置かれているのが解る。トランペットはもうマーティンではなく、ヴィンセント・バックであろうか。
しかし、彼はマウスピースを相変わらずヴィンセント・バックの6Bを使っていたとの事、6Bは高い音など出すのが大変難しいらしいのだが、こういう細かいところを聞くとやはり生涯一流だったのだと思う。

座って歌っていた彼に、観客の一人が「何故いつも座って歌っているのか?」と問いかけると彼は、落着いて「若い時の訓練の賜物です」と答えたらしいが、まさに一流ならではの演奏を聴く事が出来る。

ジャケットは良く見ると、おもての右下にわざわざナンバーリングが打たれている。疑心暗鬼の方は安心されたい、これがオリジナルである。
マニア心が動く瞬間である。

泣ける作品である。
夜一人でひっそりと聴くとよい。

BRIGITTE PETRY
2011/11/28

BRIGITTE PETRY “BRIGITTE PETRY” ELECTRECORDS EDD-1112
10INCH LP (ROMANIA)

このレコードは久しぶりの入荷である。以前はヨーロッパでも旧共産圏の国々のディーラーから買わないかと持ちかけられたりした一枚であるが、10万越えの声が聞かれるようになり、簡単にウチにはあまり入荷しなくなったのだ。

この歌手もまた、あまり知られていない一人である。
これがルーマニアのレコードなのでルーマニアの生まれかと思うとこれが東ドイツ出身で、65年の時だけルーマニアに行き、現地で吹込んだらしい。
彼女は43年生まれなのだが71年に亡くなっている。28歳の人生とは、東欧だけにちょっと臭いなと思って調べたら、71年4月、ドルトムント付近の高速道路を彼女自身が運転していた乗用車がコンクリートのパイロンに激突し死亡した事になっている。しかし、勘の良い国民の耳はもちろん、口に戸は立てられないもので、市民の間で、彼女は消されたという噂が広がったということである。
彼女の声は聴けば納得する良い声で、若い時から数々のコンクールでも入賞し、おまけに類まれな美人であった。映画に出るわ、東欧諸国を演奏旅行多数と、才能もさることながら美人となれば当然政治的にも相当関わっていた可能性は高い。また当時の東ドイツで英語の歌でスタンダードナンバーのジャズばかり歌ったら危険がなかっただろうかと心配になってしまう。

そんな彼女の唯一のジャズ・アルバムがこれである。高級ホテルのベランダであろうかメンバーの中心に立って、上から景色を眺めている22歳の写真である。彼女に取って良い時代であった。
現地のジャズメンとの共演で、スタンダードナンバーをスラスラと歌って見せる。柔らかに出るソフトな感じの声が良く、スキャットなどは本当に、そそられるセクシーさもある素敵な声である。
さらにビブラートがエキゾチックでちょっと他にない歌手の味わいである。

そういえば、彼女は70年の大阪万博にも来日したらしい。
いや知らなかった。
もし、万博で彼女の歌を聴いた人がいたら、是非情報をお寄せ頂きたい。

彼女の事はもっと調べたら、きっと沢山変な話が出てきそう。

STAN GETZ
2011/11/27

STAN GETZ “INPORTED FROM EUROPE” VERVE MGV8331

STAN GETZ はジャズの発展に貢献した人である。それも世界各国のジャズ発展に大いに寄与した。
結局はアストラット・ジルベルトとの共演によるボサノバが大衆に広まったのであるが、
日本でもゲッツと呼ばれ仕舞いにはゲッツーと親しみを込められた。そのクールなサウンドとスイング感が、ジャズの底辺拡大に果たした役割は大きい。

さて、この作品、「ヨーロッパから今到着」となっている通り、街角で警官が交通整理をしている写真であるが。ヨーロッパの雰囲気を醸し出すために警察官が適しているかどうかは議論の分かれる所だが、まあ、それは置いといて。
制服はスエーデンではないような気がするが、何度出張で行っても、そこまで注意していないので判らない。なんだかロンドンの警察ではないかと思うのだが、最近はどこの国も警察の制服が変わったので、はっきりした事は言えない。

ところで、このレコード58年に彼がストックホルムで8月9月と比較的長期に渉って滞在した際の演奏で、AKE PERSSON(tb),BENNY BAILEY(tp),LARS GULLIN(bs),BENGT HALLBERG(p)など当地の一流メンバーとの共演で、他の作品に比べノリが良いのが特徴である。

そこで重要な点が一つある。
試聴して、やっぱりオリジナル盤はシンバルの音がちゃんと出ていて良いのである。
それで、敢て再発盤を聴いてみると、シンバルの音が引っ込んでいる。
これほど違うのかとちょっとショック。ヨーロッパのリズム隊らしく縦ノリの雰囲気はシンバルが果たす役割が大きいので、どうしたって引っ込み思案のシンバルでは具合が悪い。DJガキ的に言えばチキチキと張り切った方がイケてる、というわけ。

やっぱり原盤集めは理由があるわい、と一人で納得。

BEN WEBSTER
2011/11/26

BEN WEBSTER “BLOW BEN, BLOW” CATFISH 054.24159 (Netherland)

このレコードは69年、コペンハーゲンでの演奏。大台60歳の時の演奏である。KENNY DREW TRIOをバックに枯れた味わいのワンホーンで泣き節が辛い心に染みる。
私は昔から、このレコードと72年のFUTURAの枯葉が大好きで時々棚から引っ張り出しては聴き入った。
何と言っても「フフフっ」という空気の音が多めなのが良い。音よりも空気のフフフ音が多いサックス吹きなど、人生の長い努力の結果でしか許されない芸の味である。
有名になる事やテレビに出る事だけが目的の現代の芸能人には無理なことだな。
ところで、今日の話はこの作品の1曲目の曲「JOHN BROWN’S BODY」について。
聴くと「リパブリック賛歌」じゃねーか?となる。人によっては「権兵衛さんの赤ちゃん」「オタマジャクシは蛙の子」まで様々な曲のイメージが浮かぶ。上品なお方は、子供の歌など出すな、と言うに違いない。

それはさて置き、リパブリック賛歌はアメリカ南北戦争の北軍の応援歌だが、その前があってそれがこれ。なんたって日本語に訳すと「ジョン・ブラウンの死体」という事になる、死体では、ちょっとまずかろうと、屍としておく。
この曲はアメリカの歴史の証拠のような歌で、戦争の一因になる奴隷制度の廃止運動とも直接的に関係していて、ジョン・ブラウンは奴隷解放の闘士だった。今風に言うと過激な解放運動家だった。それが奴隷を抱える家を襲撃していたが、遂に捕まり縛り首になってしまったのだが、彼を称え歌が出来たのがこれ。
生々しい曲だったのだが、それが詩を変え北軍の歌になり、更に詩を変えたりBODYがBABYになったりして今に至る。アメリカの歴史を生き抜いた歌なのであるが、なんと最後はヨドバシ・カメラのテーマソングに変身して落着く。
所で南北戦争の北軍はリンカーンだが彼は共和党、当時民主党は奴隷制度を容認派の南部に圧倒的な支持があった。
近年の我が国の総理がさかんに、「人民の、人民による・・・」を拝借して連呼していたが、それって反対だったよね。
更にずれるが、アメリカの政治は民主党になった時の方が、日本叩きが激しくて、意外に共和党がいいやつだったりするような気がする。
ま、似たり寄ったりだが。

というわけで、艶消しの黒いジャケットに銀の文字になった事にして、今日は6,000円

夜のうどん屋
2011/11/25

仕事に疲れて、夜11時過ぎに池尻にある遅くまで営業している某うどん屋さんに行く。

私より先に座っていた姉ちゃん。
注文が二転三転してやっぱり○○にします、と店員さんも右往左往。

出て来る間、ずーっと携帯電話。
出てきた〜電話を止めて食べ始めるかと思いきや、そのまま電話継続。

私のうどんが出てきたので食べ始めるが、彼女は食事を目の前にして依然と電話中。
その後、まだ電話中。スティル電話中。
私が食事の終了に近づいても話は終わりそうもない。

会話はどうでも良い携帯を買った話とか、撮影に行く予定だとか。

私が終わって、お勘定を払った後もまだ電話中だった。
きっと、どんぶりの中は量が倍に膨れ上がっているな。
ちょっと想像。
食えねえ!

今日も鼠
2011/11/23

元気にビルの谷間を走りちらかしている鼠。
食べるもが豊富と見えて体つきも結構大きく、鼠色というより、かなり黒っぽいい。
そんな鼠だが、毎日見ていると可愛い。


「木枯らしを 走り抜けたる 大鼠」

横浜シルクセンター
2011/11/22

昔の会社の同僚だった女性が寄ってくれた。
朝、パスポート取得で横浜に行ったとかで、横浜の街は素敵だったと興奮気味だった。ついでに彼女が昔の、横浜シルクセンターにいた時の話になった。

横浜シルクセンターは斬新なモダニズム建築で、当初はその名の通りの日本産生糸や絹製品の宣伝普及が目的で昭和35年に開業した。私も知っている。
近くには老舗ホテルのニューグランド、大桟橋、山下公園があり、レストランのスキャンディア目当てに東京近郊からも人が集まった異国情緒たっぷりな、港横浜の雰囲気の一等地だった。
上はシルクホテルで入港した船の外人さんたちが宿泊した。
地下のアーケードには外人向けお土産屋と並んで、日本航空、全日空、パンアメリカン航空、キャセイ航空、などが並び、その一角に以前いた旅行会社のカウンターが食い込んでいたのだ。
上には中国の領事館があったようで、社内の人たちもVISAの申請に良く訪れ、育ちの良い社員が多く、シルクホテルのアイスクリームやコーヒーを出前させ、奢ってもらった。
ふらっと来たジーパンの外人さんが、ちょっとアメリカに帰るからと飛行機を予約するとポンと何十万の現金がポケットから無造作に出され、入金される時代だった。
格安航空券など貧乏旅行チケットなど無かった時代である。

そこに毎日、夜になると真っ白な白粉と真っ赤な口紅の厚化粧でヒラヒラした服を着て、とても高いハイヒールを履いた女性がドアの陰に立っていた。
言葉遣いは上品だったが、毎日目が合うのが何となく嫌で、いったいこの人は何だろうと、ある日先輩の女性に尋ねると、「あの方はね、お金で買っていただく方なのよ」と一言言われて納得したそうだ。
メリーさんという、界隈では有名な人だったそうだ。

その陰陽併せ持ったシルクセンターも、高度成長と共にあっという間に役目を終え、昭和の内に幕を閉じた。思えばわずか20年足らずの短かくかつ華々しい時代であった。

という話で1時間と半。
「昔は面白かったよね」が結論になった。

会社不明の再発
2011/11/21

店で値段を付けていて、時々ふと困ってしまう事が多々ある。
それは日本で再発されたレコードの会社が不明な事。
ジャケットや盤に何も会社名が書かれていない。

多分、帯があった時には会社名があったはずである。そうでないければただの海賊盤になってしまう。
しかし、客が購入し家に持って帰って邪魔だとばかりに帯を捨てると、途端に海賊盤と変わらぬ状態に陥る。
日本語の解説書が入っているからやっぱり日本の会社なのだろう。

そうやって毎日会社名を探って悩んでいると、日本のレコード会社の中には、きっと海賊盤の会社でいる事に満足していたのかな?と思ってしまった。

やっぱり小さくても良いから裏ジャケとか、レーベルのどこかに、社名は入れた方が良いと思う。だって自分の仕事に対して記名出来ないって寂しいから。

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