HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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スポーツノンフィクション・千葉選手
2012/10/09

ぼんやりテレビを見ていたら、千葉すず選手バッシングの真相という番組が始まった。
これは見ないといけない。
個人的に大好きなスポーツ・ノンフィクション物語の一つなので、大いに興味を持った。
話が進むと当然ながら、民放らしく鋭い突っ込みがないのは承知のうえだ。
それにしても、お粗末。

当時の競技委員長青木へのインタビューもない。
会長の古橋へインタビューもないのが、所詮はテレビの弱い所で、ちょっとどころではなく、大変不満であった。
民放がそこまで津込が出来るはずもない。NHKとて無理であろう。
私が最も興味があった、当時のクラブのコーチ・関係者へのインタビューに期待したが、これまたがっかり。
関係者や周囲がどういう気持ちで接していたかも一切話がなく、バッシングに加担した当時の記者たちにも聞くべきだった。

興味深いかったのはひとつ。
当時マスコミに追われまくった少女に新聞やテレビが付きまとう。
無視すると、のぼせあがっていると叩かれる。
それで、インタビューに応じると聞かれる事は「今朝何を食べましたか?」だけ。
つまると「どういう気持ちですか?」
こういう質問に終始されて、本人が怒っていた話は面白かった。

実はこの間、スエーデンで聞いた話。
ノーベル賞を取った学者さんに日本のマスコミが群がった。
そして記者会見での質問といえば、今朝何を食べましたかとか、奥さんの得意料理は等という質問ばかりだった。
それに怒った学者が、せっかくの受賞なので学術的な質問がないのかというと、皆沈黙してしまい、その様子がスエーデンのニュースに流れてしまい、スエーデン国民が見てしまった。
日本の報道の恥が大いに茶の間を沸かした。
まるでテレビ世界がっかり特集のようだ。

しかし、最後まで見てちょっと良い話があった。

代表に選ばれなかった事で、仲裁裁判所に提訴し結果は負けた。
しかし、フェアでない事が指摘され、やがて連盟においても翌年から選考基準の見直しが行われ選考レース上位2名が選出される事や、水着選択の自由などを勝ち取ったとされていて、感動した。
ま、競技連盟など所詮利権だと思っているので、驚く事は何もないが、彼女が所属していたスイミングクラブの支援もなく、国民からも嫌われ孤立無援の中で、若い乙女といっても強者であるが、それでも一人で戦った彼女は本当にエライ。
おじさんから金メダル。ホントに挙げたいな。

左翼運動
2012/10/06

私の高校時代の授業では、社会の先生が共産革命の正当性について、とうとうと述べられ、いたく感動して聞き入った。60年安保の時も校長先生はじめほとんどの先生は反対で朝礼でも、やさしく解説をしてくれた。したがって我々は皆、社会主義に敬服していた。そして日本を嫌った。
大学では多くの仲間が学園紛争に入ったので、同世代として応援した。
頭の良い青年ほどそういう傾向が強く、また勧誘も出来の良い順番にあったらしい。
今になれば私などの落ちこぼれには勧誘が無いのは幸いだった。

プラハの春の68年当時、既に20歳を過ぎていたので、あのニュースは良く覚えている。
共産主義政府が自由を求めた国民を締め付け、更にソ連軍が侵攻しプラハ市民を失望の底に叩き込んだ事件である。
私が読んでいる二流週刊誌などが綿密に紹介していた記憶がある。
テレビでも報道はあったが学生運動というような報道の仕方で、文化人・学者たちが共産主義国家を建設するための止むを得ぬ行為としてソ連容認派だったのには大いに驚いた。
日本という国の文化人はソ連が大好きなのだとその時感じたのである。
多分今も、そういう印象は生きていると思うが、当時から左翼はインテリという図式があった。

会社に入ると、左翼の人たちが何故か意外に立ち回りが巧く出世コースにいたりするのが不思議だった。
経済が安定するとストも無くなり、有り余る豊富な組合費は幹部による交際費に消えて行く。若い女性の組合役員が頻繁に高級レストランに通っているのを見るのもショックだった。政治献金はしないといいながら値上げした組合費から結局献金された。
バブル崩壊後中年社員の大量のリストラ候補が生まれると、労働組合は、私達には関係ないと突っぱねた話など幾らでもある。組合幹部出身者の社内でのポジションを守るためだと噂が立った。

反米故に誰が日本を守るか?の問いに、かつて「ソ連」と真面目に答えてくれた学友は、今は何と答えてくれるであろうか。

自由主義経済
2012/10/05

ヨーロッパで聞く事が増えた事。
最近のドイツなど旧共産国家の人々の中に、昔の時代に戻りたいという人たちが沢山いるらしい。
それは自由主義の中では働かないと生きていけない、努力しないと良い生活が送れない事に疲れて、国が生活の面倒を見てくれた過去の政治体制の方がマシだというのだそうだ。
そういわれると考えてしまうが、自由主義と言うのは、負け組には辛い物があるのは確かだ。

自由主義において重要な事は「すべては個人の選択である」という一言につきる。
豊かさも貧困も、死ぬも生きるも個人の選択なのである。
ひと頃、自己責任という言葉が流行ったが、まさに選択の責任は自己にあり、と言うのが基本である。
アメリカなども全て自己責任で完結していて、健康保険なども反対という人達が沢山いる所をみると、自由な社会とはある意味シンドイ社会でもある。私とてシンドイ物はある。

だが、今更共産主義というのも考えにくい。
こうなって絶対的に良い政治体制などは無いと思うが、自由主義以外に選択肢もないような気もする。
ある意味、日本は自由で良かった。

新うつ病
2012/10/04

テレビを見ていたら、若者の間に「新うつ病」なるものがあって、会社は長期休暇を取っているが病気を治すことに専念するわけでもなく、海外旅行などに遊び歩いていて元気なのだと。会社との対応にも母親が出て来ると。
企業もどう接したらよいのか人事担当者が悩んでいると言っていた。

テレビを見ている内に思ったのだが、それって今に始まったことではない。
我々の世代にも、そういう人達は既にいた。それが目立たなかったのは、働かない人は落ちこぼれとして処分されたので、目立つ事が無かったのである。
我々の若い頃でも、出社数日のうちに来なくなった社員や、何か気に食わないとかで急に来なくなった人は必ず数人はいた。過保護の親はバカ親として笑いの対象になっただけのことだったのである。
働く事が美徳とされた時代はそういう人達は抹殺されるだけの事であったと思う。
ただ、年々そういう人が増加した事が目立つのであろう。
現在は、労基署がうるさいとか権利だという事になり、簡単に辞めてもらう事が出来なくなった事がより数字として目立つ。

それを病気として認定されるようになったのは、社会が優しくなったのだと、良い時代になったのだなとつくづく思った。
昔だったら恥ずかしくて外も歩けない所だが、今はしっかり市民権もある。
みんな幸せ。

私も休んでハワイナウ、ってやってみたい。
そんなことより給料が無くなる方が怖い。

ちょっと疲労
2012/10/03

9月の終わりに小セールをやったりして、大変疲れた。
何もする気がない。
私の気分は小休止。

働いた 俺にはあるぞ 夕涼み
という思い。

うなぎ
2012/10/02

うなぎも時々食べたくなる。
特に利根川の天然うなぎはどうしようもなく食べたくなる。

それで、川沿いのちょっとそれらしき店に聞いて見ると、利根川のウナギは放射能に汚染されていて、食べてはいけない状況らしい。
うなぎは放射能が蓄積しやすいのだそうだ。
蓄積しやすい身体って、どういう身体かね?

しかし、やっぱり原発の悪影響はジワジワと来ている。
だったら昔から、うなぎが焼きあがるまでの間にビールと共に味わった鯉のアライはどうかとネットで見ると、やっぱり鯉も汚染されているようだ。

これはちょっとやそっとで改善することはなかろう。
同じ水を利用する東京都の水道水、その利根川の水は飲んでもいいのかと心配になってしまった。
人間は蓄積しない身体なのかな?

靴紛失事件
2012/10/01

先日の夜、近くのそば屋さんで御座敷にいた客が、靴が無いと騒いでいた。
残った靴が自分のではないと。
その結果がどういう結末か興味があったので、今日尋ねて来た。
聞いて回った調査の結果、周囲にいたお客様は全員自分の靴であると返事が来た。
それでも、靴が違うと言い張るのなら買って返しますと女将が言ったそうだ。お店も大変だ。

そういえば、私も昔、アルバイト先で同じ様な経験をした。
学生時代は貧乏だったので何でもやった。その時は小さなソウル・ミュージックのクラブで働いていた。
ある日の夜、帰りがけに「俺の靴が無いぞ」と騒ぎ出したお客様がいた。
それが運の悪い事に怖いお兄さん。
私も頭を叩かれながら、探してもどうしても見つからない。
彼は「じゃいいよ、俺は裸足で帰るよ。だけど預かった靴は無い、裸足で帰らしておいて只で済ます積りじゃねーよな」。視線を外さない目が怖い。
夜遅くだったが店の経営者を呼び出し、社長が対応として1万円を渡して、全員平身低頭で引き取ってもらった。
1万円はその頃の一か月の生活費に相当するが、怖いお兄さんから解放されて、ほっとしながら、店の片づけをしていると、下駄箱に女物のサンダル一足。一同がっくり。

数日後、もう一つの事件が勃発。
その時、怖いお兄さんに靴べらで頭を叩かれながら、私は靴の捜索で必死だったので気が付かなかったのだが、その場に居合わせた年配のご婦人がいた。
そのご婦人が気の強い人で、怖いお兄さんに文句を言ったらしい、楽しく遊ぶ場所でなんてことをするんだと。
それで怖いお兄さんがご婦人を突き飛ばした。その結果、腰を強く打って立てなくなり病院行きとなった。それで警察に連絡が行き、捜査が入った。
私は証人として検察に呼ばれて、その時の状況を説明しろと検事に迫られた。
その検事がまた怖いお兄さんに輪を掛けたような怖い人で、黒いスーツをびしっと来て、テカテカのオールバックにピカピカの黒い靴。まるでどこぞの組長さん。
ビビっても知らない事は知らない。だがその時の靴の事件の事があったので、それを詳細に話した。
「1万円払って、閉店後、最後に残ったものは女物のサンダルが一足で、多分計画的な犯行だったと思います」。
検事さんは、大喜びで乗って来て、そっちでも吊るし上げようという事になったらしい。裁判になったら証人で出てもらうからな、という脅しのような声を最後に、私は解放された。
検事の人を見透かすような、冷たい視線を浴びながら、どっちもどっちだと思いながら帰って来た。
警察ならカツ丼くらい出せよと思いながら。

結局、裁判の話はなかったが、この世の中、隙があれば何でもお金にする人達がいるものだと学んだ。

9月も終わり
2012/09/30

9月も今日で終わり。
何だか長い夏が、やっと終わったという感じ。
約3か月にわたる夏があると、日本ではない様な気分。

そうすると10月からいきなり秋か。
今日も夕方から台風が来るとテレビで言っていたし。
こうすぐ衣替えなのだが、秋らしくなるのだろうか。

とにかく今年は暑かった。
あー疲れた、疲れた。
今日は冷奴とビールが欲しい。


「豆腐買う 八月のような 九月過ぎ」


夜の新宿はちょっと違う
2012/09/29

夜11時45分、通常深夜と呼ぶにふさわしい時間帯である。
それなのに階段を降りて地下フロアーに立つと、轟音が聞こえる。
東口の改札口の方に近づくとそれは人々の声で、猛烈にうるさい。
それに朝の通勤時間かと思えるような人の数。
一体全体この深夜に、この人の数とそして、興奮した人々から発せられる声の大きなに、これはなんだと茫然としてしまった。
深夜12時になろうとしているにも関わらず、これほどの多くの人が遊び歩いていて、尚遊び足りないと思われる人の群れが居るとは、日本とは、いや新宿とはいったいどういう場所なのであろうかと、考えてしまった。

深夜に溢れるハイテンションの人の群れ。
これで不況と言われても説得力が無い。

忌野清志郎の「パパの歌」のようにいえば。
夜の新宿はちょっと違う。
昼間の新宿より活気があるぜ!
夜の新宿は光ってるぜ!

京浜急行
2012/09/28

京浜急行の事故があった。
横浜地方に1時間に100ミリという記録的な大雨で、土砂崩れがあり線路の土砂に乗り上げた電車が脱線した。それがトンネル付近だったために間違えればトンネルの入り口に電車激突、大惨事になるところだった。それがうまくそのままトンネル内に進入し、激突する事もなく最小限の怪我人ですんだ。
それでも、これはマスコミの餌食かと思いテレビを見ていた。
中にはここぞと叩くマスコミもあったが、まあ穏便と言えば穏便な報道だった。
きっと解っている人もいたのだ。

ドーレミファソラシドレ〜、で走る京急はとてもエライのだ。
音楽がエライのではない。
京急は以前、事故を起こした事があって、その際評論家だかなんだかに、京急は先頭車両が軽いからいけないと指摘をされ、さもありなんという事で、先頭車両にモーターカーを持って来て重くした。他社はそのままなのに。
それと京急は電車の軌道の幅がJRなどの在来線より広いにも関わらず、電車の幅を広げてない。
安定が良いので、ちょっとくらいの脱線でも大幅に軌道を逸脱する事がないのだそうだ。

それで今回の、ちょっと感動した話を知り合いにしても、誰も興味がなさそうだったので、一人で思い余ってこの日記に。
偉くない?

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