| 趣味の事 | - 2013/05/20
- 俳句の事で思い出したので。
私が子供の頃から、父は俳句に熱心だった。 母もその影響でちょっと俳句をやった事があるが、母が句会に出かけて行く事を父が好まなかったせいで、母は止めてしまった。子供の目からではあるものの、母は意外にセンスがあり、止めた事がちょっと勿体なかったと思えた。 父は句会で良い点を取ったり、先生に誉められた時の方が、商売で儲かった時より、はるかに嬉しそうだった。 商売に集中できないとは、子供とって、まことに頼りない父親だった。 だが、親の友人たちを見ていて、男は歳を取ったら、みな俳句を詠むモノかとボンヤリ思っていた。
父は俳句歴の長い大ベテランだった。 一方、私が結婚した相手方の父親は65歳すぎてから始めた晩生だったが、昔の東大を出ているだけの事はあり文学にも親しんでおり、親友が作家の臼井吉見で、さらに「俺が実業家で、お前が作家になれば良かった」と言われていた通り、文学センスが違っていて、それであっという間に上手くなってしまった。 いかに晩生であっても、文学・芸術・歴史・学問の知識があって、尚且つ勉強の仕方・量が違うと、成長はあっという間である。 人間の能力の差を、いやというほど知った。 そういってしまうと身も蓋もないが、スポーツでもそうだが、「練習の仕方や習い方を知っている」と言った方が正しい。 上達する人は才能もあるが、もう一つ違う何かを知っている。
それでも私の父は、その後の人生でも俳句があったお蔭で、友人もいて楽しく老後を過ごすことができた。 片や義父もまた句集を3冊ほども出し、地元の俳句仲間の指導、地域新聞の俳句の選者などもして、それなりの楽しい老後を送った。
それらを見たりして思ったこと。 趣味を持つという事は、実力だけがすべてではない。 それぞれのレベルあった範囲を楽しみ、友人をつくり、時々会っては楽しむ事が出来る事。 趣味というものは実力を超えて仲間意識ができて、人間関係も楽しくなる。 趣味の付き合いで、とんでもないエライ人や国境を越えて知り合いになってしまう話などいくらでもある。 それはジャズの仲間も同様である。
学校を出てしまい、大人になってからは、友達など出来る事はない。 会社の友達は、所詮会社の友情といわれる通りである。 だが趣味があるお蔭で友達が増える。 これは素晴らしい。
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