HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 上を向いて歩こう | - 2024/12/12
- 私は「上を向いて歩こう」という歌が好きである。そして思う、この歌は日本でもっとも異質の歌ではないかと。
歌というものは基本的に、その国の言葉で歌われる。言葉があり、その調子を付けるようにメロディが付けられた。民謡などまさにその典型、演歌も歌謡曲もそれに同じであると考える。であるから日本語の歌を聴けば、我々は情景が目の前に広がり、感動を覚える。言葉ありき。
所が「上を向いて歩こう」だけは曲が有りき。 ヒットした当初、テレビで盛んに永六輔の作詞が良いからだと、盛んに宣伝された。 しかし、当時中学生の私も口ずさんだ。わくわくするような体が自然に動き出す良い曲だと思った。そうか、詩が良いからだ、と納得した。 その後、アメリカでビルボード一位になったと聞いて、私はアメリカ人が日本語を理解したかと思った。しかし、考えてみれば、我々がアメリカのドリス・デイの「センンチメンタル・ジャーニー」の歌の意味を知っていたか?プラターズの「オンリーユー」の詩を解っていたか? 答えはノーである。 惹かれたのは、たった一つの理由、曲が良いから。 アメリカ人が日本語を理解するはずもなく、「上を向いて歩こう」の曲に惚れたのである。 曲故に、今まだ、詩が作られ何度もリリースされている。
日本でたった一度、日本人が作曲した「曲」が全米一位になったのである。 これは、考えれば考えるほど、あり得ない、大谷選手の50−50にも劣ることがない、アメリカ人に誇る記録なのである。 日本人が作曲した歌がアメリカで一位になったのだ。 歴史上、最高の歌はこの歌だけである。 まあ、今もこの「曲」の良さを、多くの日本人は今だに詩が良かったからだと思っているだろうが。 曲はちょっとジャズっぽくて、いいなあ。 面白い曲だなあ。 中村八大さんは偉かった!
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| 寿司屋さんの話 | - 2024/12/11
- 近所の仲良しの元寿司屋さん。
かつて正月は寿司屋の稼ぎ時、正月など休んだことなど無かったそうだ。 特に正月明けから松の内の間は、出前注文が多く、一日に米を一俵も炊いたという。 一俵とは米俵であり米4斗である。一斗は10升である。 従って一斗でも忙しい日に当たるのであるが、正月の間は一日中、朝から店のおばちゃんが炊き続けて、結局一俵炊いたという。それも一日では無かったと。 釜は2升炊きである、先を読んで、一時間水に漬け、そして炊く。考えただけでも気が遠くなる。そして、軽自動車が1台、バイクが2台で出前しまくり、午後には、全員で容器の回収に駆けずり回ったと。 寿司が身近であった時代である。と言っても4,50年前の事である。 今時、ご飯が命の寿司屋であっても、一日で一斗も炊く個人の店はどれほどいるだろうか。
昔のすし職人は一人で、客7・8人は相手にするものだったらしいが、現代の、すし学校卒業の寿司屋さんは、とてもそんなに相手は出来ない。 今と昔の職人の仕事の違いに愕然とする。 プロだったんだね。
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| PFAS | - 2024/12/10
- ちょっと前、岡山県,吉備中央町で水道水から高濃度のPFASが検出された、数値は117ng/lであった。PFASとは、通常言われるフッ素化合物のことである。
これらは、すべて人体に悪いという訳ではないらしいが、身近な科学物質である。
これらは、非常に多くの工業製品に使用され、人体に直接関係した製品ではフライパン等の調理用品のコーティング剤になっている。以前より、フライパンのコーティング剤は安全か?という、市民から不安の声が聞こえていたが、厚労省は安全という答えであった。 そのほか、消火器の泡、殺虫剤などに用いられる。
戦後、急速に広がったフライパンは、全く人体へ影響は無いと発表されていて、夢の工業製品とされた。アメリカ大手のデュポンとか3Mの会社である。
やがて、その工場勤務者から、類似のフッ素化学物の濃度が高い事がわかり、健康障害や癌の原因とされる患者も出て来た。それでも企業は安全性を訴え続けた。
アメリカ映画で、弁護士がたった一人、貧困と戦いながら企業とも戦う作品を観た人もいると思う。
結局、様々な障害はあったものの、アメリカでは生産の廃止、輸入の禁止が決まっているはずである。 一方日本では、全く影響がないとされていたが、国内外の影響か、20ng/lとなったが、やっと今年度の話である。しかし、WHOは100ng/l アメリカは以前、70ng/Lに設定したが2018年からきびしくし、現在体重1キロ当たりPFOS等合計で体重1キロ当たり0.63ナノグラムとなっており、更に全廃となっている。
日本の厚労省は、これのみならず、食品添加物に関しても、非常に企業の都合に合わせたとしか言いようのない甘い規制である。 よって今後、アレルギーに由来する病気や癌患者の増加が懸念される。 薬品、農薬、科学物質など安全と言われる物質による微々たる影響により、とどのつまり、病気はますます増加するのではないかと思う。
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| カフェで | - 2024/12/09
- コーヒーを飲もうと、と言うか喫茶店好きなので、カフェに入って本を読んでいたら、となりに若いお嬢さんたちが座った。
一人が「ホットミルク」と注文したので、思わず顔を見てしまった。 美人のお嬢さん。 30年前ならわかるが、今時ミルクを注文するのかと思ってしまった。
だが、メニューにちゃんと載っているし、おかしくはない。 おかしいと思った私がおかしいなぁ。
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| 探したEP | - 2024/12/08
- 中山美穂のヒット曲「世界中のだれよりきっと」
松田聖子のヒット曲「あなたに会いたくて」
私は結構の枚数、かつての歌謡曲のEPを持っているので、コレクションの中から探した。 だが無い。
そうだった、この2曲は,EPではなく、もはやCDの時代だったのだ。
例えシングル盤といえど、レコードとCDでは雲泥の差。 百万枚売ったとしても、その重みは異なるなあ。
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| 中山美穂さん死去 | - 2024/12/07
- 昨日はニュースでもネットでも、中山美穂さん死去の話が出ていた。
美人薄命というものの可哀想な話。 夏目雅子の死と重なってしまう。 どこか憂いの有る表情も二人に共通する。
「世界中の誰よりきっと」と映画「Love Letter」はちょっと好きな歌と映画であった。 知り合いが、池田さんはアイドルの事をケチョンケチョンにケナすのに、ミポリンの事だけはケナさないね、何で?とよく言われた。 それは理由があって、私が30年務めた会社を辞めた時に、知り合いからFM局をやらないかという誘いがあり、「いったい、どうするのか?」という問題に、参考になる映画があるから観てくれ、と言う事になり、何度も繰り返し観た映画が「波の数だけ抱きしめて」。 観ている内に、中山美穂のファンになってしまったのである。
ツンとした鼻、可愛いよね。
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| マッキンのアンプ | - 2024/12/06
- 修理から帰って来た、店で使用しているアンプ C−29。
同梱されていた中に、可愛らしい小さなランプが4つばかり。
フロント・パネルの、緑に光る素敵なデザインを担っている、重要なランプなのである。 これが無ければ,青いランプで、夜の空港のような雰囲気を醸し出す、マッキントッシュ・アンプとしての価値は半減するのである。
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| 通販リスト | - 2024/12/05
- 本日 通販リスト更新いたしました
よろしくお願い致します。
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| 反日 | - 2024/12/04
- ジャーナリストの青木理氏
青木氏は共同通信社の元記者で激しく親韓で反日左翼運動家の大物の一人であると同時に、TBS反日番組サンデーモーニングの主要メンバーである。 9月だったかユーチューブ番組で、対談相手のジャーナリスト津田大介氏に「人々はなぜ自民党に投票し続けるのか」と問われ、「一言で終わりそう。劣等民族だから」と発言し、2人で笑い合った。 番組上、「喝ツ!」 だな。
興味深い事に、この発言は大喜びするはずの立憲民主党の議員が「極めて差別的だ」などと批判した。
だが、これが自民党だったら、もう、世の中ひっくり返るくらいの大騒ぎだったろう。彼は反日左翼だから助かった。
ところで、その後面白いことに、自民は過半数割れ。 彼の言う通り劣等民族から少し立ち直って来たようだ。 良かったね、劣等民族が半数以下になって。 でも、立憲民主党・共産党支持者も半分以下だね。なんでだろう?
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| ENRICO RAVA “IL GIRO DEL GIORNO IN 80 MONDI” | - 2024/12/03
- ENRICO RAVA “IL GIRO DEL GIORNO IN 80 MONDI” FONIT-CETRA ILS 9021 (Italy)
Original
モノクロの写真で毛皮の民族衣装でトランペットを吹いている、非常に珍しいアルバムである。 1972年の録音である。
70年代の終わりに、イタリアのBlack Saintレーベルから、このレコードがリリースされた。 ブラック・セイント・レーベルは75年くらいから前衛ジャズのリリースは始め、1番のBilly Harper、2番のArchie Shepp、3番Muhal Richard Abramsと一度に10タイトルほど日本に入荷したが、どれも好演奏で、フリージャズ・マニアの心は大いにクスグられ、皆一生けん命に買っていた。そこに入荷第2弾といった感じで10枚ほど来て、当アルバムのピンクの絵柄のジャケットもあり、良く知らないミュージシャンだけど買ってみると、これが非常にいい出来。 あっという間に、評判になり完売に至った記憶はある。
1曲目はマイルスのサウンドの意識は感じられるが、なにしろカルテットでこれだけのサウンドは並大抵の才能ではない。やや前衛で、ロックで、ブラックで、驚いたのだが、2曲目は至ってソフトでフュージョンの如し。 しかもトランペットのテクニックも尋常ではない。 音質は柔らかで、かつ元気、聴く人の心にグサっと突き刺さる。 その後、昇り詰めたと思えば、叩き落される音楽の凄さに、いや、驚いたのなんの。 かといって、このレコードが普通のジャズ喫茶で掛かるはずも無く、マニアだけの心に仕舞われた痛快な一枚であった。
さて、それで満足していると、またマニアの人がいて「これって原盤じゃないんだよ」と偉そうにのたまう。 悔しくて、それから探し出したが入手できたのは、20年以上も経って店を開く頃だった。 昔は、ネットなどないから、探し出す方法が少なくて、コレクターは苦労したのだ。 入手すると、ブラックセイント盤とは全く異なるジャケットであって、聴けば、やっぱり印象は異なって、原盤のフォニート・チェトラの言葉の響きも神々しいのであった。
さて、この音楽は、本当に素晴らしい。72年の録音と思えないほど時代が進んでいる。 今 聴いても気持ちが良い。 60年代頃のイタリア・ジャズは凄かった、ひそかにアメリカ・ジャズの世界の横で、立派な、世界を驚かすような作品が次々と生まれていたのだ。 きっと自慢していたに違いない。 その証拠に、実際、彼らは自慢しているし、それらレコードの値段の高い事!
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